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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第五部 青年期『勇者』編(前半)
305/308

75 急戦

 俺は眠らない。

 虚無に浮かぶソファに腰掛け、少し考え事をしているだけだ。


 ……ヨルじゃないディートが見る夢は……


 浅い眠り、夢の中……束の間なら、ただ抱き合っていたい。もう、これきりかもしれないから……


「暗夜さん?」


「……」


「暗夜さん? 眠っているんですか?」


「……うるさい。今は話しかけるな……」


 ロビンが離れない。

 瞑想している時も、深く思索に沈む間も、ロビンが引っ付いて離れない。鬱陶しくて仕方がない。

 せっかく……いい夢を見ていたのに。


 ――少し寒い。


 下界の影響だろう。耐性防御の術を重ねた方がよさそうだ。人間の身体は不便でいけない。

 そんな事より……


「トビアス・バーナー? 知らん。聞いた事もない名だ」


 面倒臭そうに呟いた俺に答えたのはロビンだ。


「トビアス・バーナーは、ザールランド帝国憲兵団団長の名前ですね」


「ここ数年、公的行事の参加は確認されてない。生きているのは確かみたいだけど……」


 そう付け加えたのはマリエールだ。ロゼッタから得たUSBの解析を任せていたが終わったようだ。


 さて、これで世界の謎に一歩近付いた訳だが……短時間で解析が終わった事からして、大した情報は得られなかったようだ。


「それにしても、暑苦しい男だ。その被り物を脱いで顔を見せてみろ」


「?」


 ロビンとマリエールは、揃って首を傾げた。


◇◇


 夜のザールランドにて、俺は全身鎧プレートメイルの大男と対峙していた。

 兜の面頬を下ろしていて、その表情は分からないが、俺の顔を見て酷く興奮している。

 鼻息も荒く、肩を揺らして言った。


「――ふッ! ――ふッ! 大神官から聞いて全て知っている! お前の正体は使徒だろう……あの黒髪の神官だ。違うか……!」


 使徒の名乗りは、そう褒められたものじゃない。

 噴水の見える広場。

 明るい内は市場が開かれてそれなりに賑わうが、凍てつくような寒気が流れる今は人影一つ見えない。

 誠に結構だ。俺は肩を竦めた。


「違うな。お前たちの敬愛するディートハルト・ベッカーだよ。見て分からないかね、トビアスくん」


 お話に興じる間にも、神力を薄く伸ばすようにして広範囲に展開し、状況を把握する。


 オリュンポスを包囲していた帝国の連中が集結するのに、もう少し時間が掛かる。別に、一足早く始めても構わない。そう思っていた俺だったが……


「む……」


 集結する憲兵の一団に混じって、一人大物がいる。エルナとは比べ物にならないが、神力の質が似ている。


 なんという僥倖! 三人の狙いの内の一人。人工聖女の一人が、自らここにやって来る。

 素晴らしい!

 昼間はヴォルフを逃がした事で運命を呪ったが、こういった幸運もある事を知れば、世の中というのも捨てたものじゃないと思える。

 ガキの身体で来た甲斐があった。

 本体の方なら、こうは行かなかっただろう。この身体の俺なら、どうとでもなると油断している。

 引き付けて殺す。

 俺はこの機を逃がす馬鹿じゃない。


「ところで、トビアスくん。聖女ママも同伴のようだね。ママの事について、幾つか聞きたい事があるんだが、いいかい?」


「ふ、ふざッ、けるな!!」


 激昂したトビアスが抜剣すると同時に、周囲の憲兵共も抜剣して臨戦態勢に入った。


 まだだ。まだ早い。聖女が『間合い』に入っていない。この距離では結界を張っても逃げられる。巻物スクロールを使った転移テレポートは防げるが、物理的に逃げられる。目に映る距離に入るまで待つ必要がある。


 ……聖女は、俺の伸ばした神力のアンテナに気付いたようだ。速度を緩め、周囲の憲兵を集結させている。

 なかなか慎重だ。こっちが二人と知って油断しているが、単独で突っ込んで来るほど油断し過ぎてもいない。

 面倒臭い。

 いつだってそうだ。世の中は、半分賢く、半分愚かな者が最も厄介に出来ている。

 俺は微笑み、鷹揚に言った。


「少し落ち着けよ、トビアスくん。何をそんなに怒っているんだい?」


「……ッ!」


 俺の安い挑発に身体を震わせ、トビアスはゴツい兜を脱ぎ捨てた。


「……忘れたとは言わさんぞ。これのお陰で俺は……俺は……」


 厳つい大男。トビアス・バーナーの額には逆印が刻まれていて、俺は思わず吹き出した。


「なんと逆印か。いったい何をやらかしたんだ? 流行っている訳じゃない……よな?」


 そこまで言って、俺は、ぽんと手を打った。


「ああ! 思い出した! お前、あいつか!」


 奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)……アイヴィが『天界』と呼ぶそこで、権能による解析で見た顔だ。


 俺自身を解析する事で知った事だが、『成り立て』の俺は、女王蜂を助けた際、確かにこの男に逆印の咎を与えた。

 恨まれる訳だ。

 俺は妙に納得して頷いた。


「でも、それはトビアスくんが悪いぞ? 大の男がこぞって女の子たちを苛めるなんて、あっちゃいけない事だろう?」


 トビアスは激しい怒りに震えている。


「何が女の子だ! 女王蜂あれが、そんな可愛らしいタマか! ネロ、ヴェルデ、ジャーロ……あれに下区画の大半が焼き払われたのだ! それだけじゃない! 俺には金貨三百枚の懸賞金が懸けられている! お陰で今じゃ日陰の身よ!!」


 女王蜂は侠客ヤクザだ。ヤクザは面子で食っている。トビアスは派手に追い込みを受けているようだ。

 トビアスは、額の逆印を指して呻いた。


「……逆印これのお陰で妻子には逃げられ、立場も失った。怪我や病気に見舞われた際には、寺院の恩恵も受けられん……」


「……それは……気の毒に……」


 俺は本気でそう思ったのだが、トビアスはそれも挑発と受け取ったようだ。ますます激昂し、口角から泡を撒き散らして絶叫した。


「この邪教徒が! よくもやってくれたな! 殺されたくなければ、逆印これを外せぇえぇえぇえ!!」


「……」


 俺は少し考え、言った。


「分かった。構わないぞ」


 その瞬間、張り詰めていた空気が弛緩して、辺りは静まり返った。


「……」


 トビアスは、意外な言葉を聞いたように、目を剥いて俺を凝視している。

 隣に立つアイヴィが、天を仰いで嘆息した。


「……あの、ヨルさま? それはどんな冗談ですか……?」


「冗談じゃない。見れば、まあ後悔しているようではあるし、もう十分に罰を受けているように思う。赦しもまた神官の持つ徳の一つだ」


 勿論、それだけじゃない。

 今の俺に逆印が外せるか。外せるようなら、俺はアスクラピアの力に対抗し得る。


 トビアスは、まさか俺が赦しを与える等と思ってなかったのだろう。口をぱくぱくさせ、喘ぐように言った。


「ほ、本気か……? 大神官でも、どうにもならなかったのだぞ……?」


「ふむ、話し合いの余地はあるようだな。誠に結構。だが、タダでとはいかん。条件がある。如何が?」


 ぽかんと大口を開けるトビアスの向こう。辺りを一望できる一際高い鐘楼の上で、こちらを伺うアネットの姿が見え、わざとらしく視線を動かし、小さく頷いた。


 ――部隊を編成した聖女が、漸くやって来る。


 時間稼ぎは上手く行っている。このまま事態を引き延ばし、膠着させれば……力を振るわずにいれば、事態の見えない聖女は確認の為に必ずやって来る。

 俺は腰の後ろで手を組み、胸を張って言った。


「トビアス。その場に跪き、剣を捨てろ。そして、この場で帝国憲兵団団長である事を放棄しろ」


「……」


 長い沈黙があった。

 トビアスは、散々苦しんだのだろう。激昂の狂気は鎮まり、今は困惑したように辺りに視線を泳がせている。


 ――3


 憲兵の一人が、困惑したように言った。


「あ、あの、バーナー団長?」


「……」


 トビアスは答えない。

 俺を見てはいるが、剣の切っ先はこちらに向いてない。


 ――2


「お前が帝国への忠誠を捨てるなら、俺も約束を違える事はしないと約束しよう」


 皆殺しだ。

 だが、帝国への忠誠を捨て、跪き赦しを乞うというのなら、神官の俺としては赦しを与えるに吝かではない。


 ――1


「第十七使徒『暗夜ヨル』は、アスクラピアに誓う」


 この言葉が決め手になった。

 トビアスが手に持った長剣を捨て、その場に手を着いてひれ伏した。


「バーナー団長!」


 そのトビアスの様子に、憲兵共が悲鳴を上げた。


「赦す」


 時に、慈悲を与えるのも神官の徳の一つだ。


◇◇


 独立する良心こそ、道義の太陽である。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


 ――0


 そして、微かな馬の嘶きが耳を打つ。


「トビアス。俺がいいというまで、そのままでいろ」


 先頭に見えるのは白い神官服リアサの女だ。

 年の頃は十七〜十八という所か。

 短髪。エルナに似ているが、中性的な雰囲気がある。馬に乗り、四個小隊の憲兵を連れている。


 来たぞ来たぞ!


◇◇


 狭い本性の中に、人間は愛と憎しみという二つの感情を必要とする。

 人間は昼と同様、夜の存在を必要としないだろうか。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


 俺は嗤った。


「待ちかねたぞ!!」


 そして――


 暗夜ヨルの帳が落ちる。

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― 新着の感想 ―
おいこら、トビアス。 きっちり読み返して来たぞ。このバカタレ。 自業自得じゃ、己の
マジごめん。 誰だよ、トビアス……(困惑)
展開が毎度毎度おもしろすぎて顔ニヤニヤします
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