74 小さな死神6
分け身であるせいか、右手に違和感は感じない。その反面で、『運命』による『奪う手』の強化も感じない。
……これは由々しき事態だ。
母の血が練り込まれた聖槍『運命』。それを聖騎士ギュスターブが多くの悪魔の血を吸わせる事で鍛え上げた。それが機能しているなら、この身体にも影響があるべきなのだが、良くも悪くもそれがない。
ヴォルフとの戦いでは、白蛇の干渉でいとも簡単に俺の右手は機能不全に陥った。
白蛇は盲の男だ。それ故に鋭い感性を持っている。その感性が、すぐさま俺の『運命の手』の弱点を見抜いた。
……由々しき問題だ。
白蛇は教えてくれた。『俺ならこう戦う』が、と。一見、恐ろしい力を持つ運命だが、俺はまだ、上手く扱えない。
本体……『暗夜』とはちゃんと同調している。しかし、俺には運命の影響がない。
……『運命』は強すぎる。
今の俺の力ではまだ足らない。調整する必要がある。ヴォルフのヤツを喰っていれば、運命はもっと俺に馴染んだ筈だ。
――忌々しい限りだ。
◇◇
アネットが笑って言った。
「ねえねえ、殺るんでしょ? あたしも行っていーい?」
それまでは黙って成り行きを見ていたアレックスだったが、アネットのその言葉に腰を浮かせた。
俺はチラリとアレックスに視線を投げ、それからアネットに向き直った。
「派手に殺るつもりだ。それがどういう意味か分かっているのか?」
時に――
誰よりも残酷に振る舞う必要がある。露悪的に、残忍に、必要以上に。
それが『分からせる』という事だ。
アネットは、にこにこ笑って俺にしなだれ掛かり、胸に『の』の字を描きながら耳元で囁いた。
「私が……あいつらを殺してやりたい……って言ったら、どうする……?」
俺は鼻を鳴らした。
「相棒は、よく思っていないようだが?」
アネットは、ムッとしてアレックスを一瞥して、それから、改めて俺に向き直った。
「分かるのよ。そろそろ踏み込んで来るって。数揃えりゃ、私たちをどうにか出来るって思ってんの」
これが……元とはいえ、『A級冒険者』というやつなのだろうか。
アネットは本気で怒っている。
「雑魚が幾ら集まったって雑魚じゃない。なんで、ここまでナメられなきゃなんないの? 私は、それを黙って見てるの?」
アネットは、数で押し寄せた帝国騎士の連中が本気で気に入らない。いっそ殺してしまおうと決めてしまう程度には。
アネットは、何処かしら投げやりに言った。
「私、リスク管理は得意な方よ。でもね……安全ばかり優先するぐらいなら、冒険者になんてならないのよ。分かる?」
「知らん」
俺が突慳貪に返すと、アネットは甘えるように俺に抱き着き、独り言のように言った。
「……アレックスに付き合って引退したのはいいんだけどさ……毎日が、クッソつまんないのよ。日和っちゃってさ……勘弁してよ……止めるのって、どっちかというと私の役目だったのにね……」
「……なるほど……」
要するに、『冒険者』アネット・バロアは退屈なのだ。友人に付き合う形で引退してみたが、まだ冒険に未練がある。
知らないものへの好奇心。まだ見ぬお宝。得体のしれない謎。未知の強敵。それらが呼ぶ声が聞こえるのだ。
アネットが俺を見る目は輝いていた。
「ドンパチやろう。あんたに付いて行きたい」
……面白い。
アネットは、また冒険してみたい。危険を顧みず進みたい。
俺は髪をかき回した。
まぁ……『冒険者』なんぞ、頭のネジが何本か飛んでないと勤まらんという事だろう。
アネットは、アイヴィを見て挑発するように言った。
「そっちの子より、絶対に私の方が役に立つわよ?」
「それは……レディ・バロア。面白くない冗談ですね」
アイヴィは笑って返したが、その目はこれっぽっちだって笑ってない。
そのアイヴィを無視して、アネットは俺の目を見つめて来る。
「私には『マッピング』のスキルがある。あいつらを戦闘可能なエリアまで誘導できる。一纏めにして殺すんなら、ここで私が協力しても何も問題ない。違う?」
「違わない……」
誰も目撃者がいなければ、冒険者ギルドに所属する元A級冒険者アネット・バロアが帝国に背いたという事実を知る者は居ない。
「……ダイヤモンドの宝箱、惜しかったわね……」
「なんの事だ……?」
アネットは肩を竦め、呆れたように、しかし何処か面白そうに言った。
「そんな事まで忘れちゃったの? あんた、あんなに面白がってたのに」
過去の俺は、ダンジョンの深層で神話種を討ち取ったと聞いている。何も思い出せない。だが……ダンジョンが呼ぶ声が聞こえる。
そこで、俺はいったい何を見たのだ。
「ダンジョンか……そこには……抗い難い欲求を感じるな……」
「ヨルさま……!」
アネットの言葉に興味を示した俺を、アイヴィが神官服の裾を引っ張って諌めるが、俺はその手を振り払った。
「面白い。邸を取り囲む帝国騎士の数は分かるか?」
「百三十二人」
「人気が少なく、かつ広範囲で戦闘可能なエリアは?」
「一番近い場所で、三ブロック先に広場がある」
面白い。実に面白い。『レンジャー』は駄目だと思っていたが、アネットにはプラスがある。
「上等だ。付いて来い」
俺の答えに、アネットは満面の笑みを浮かべた。
「作戦は?」
「雑魚に作戦なんぞいらん。一纏めにして捻り潰す。ここで手間取るようなら、勇者の討滅など夢のまた夢。ただし――」
問題は、その勇者だ。正確には人工勇者と人工聖女二名。その三人が出張って来た場合は話は別だ。
「……勇者と聖女は俺が殺る。手は出すな……」
尤も……こちらも向こうも、まだ様子見の段階だ。今は帝国の騎士を使って小手調べという所か。
「誰も生かして帰さん。アネット、誘導しろ」
「うふふ、いいわよ」
総勢百三十二名の帝国騎士の目を避けつつ、人気のない場所まで誘導する。隠密行動に優れ、かつこの辺りの地理に精通してなければ難しい事だが、アネットはなんでもない事のように笑みを浮かべて見せた。
「アイヴィ、お前は俺と来い」
まずアネットが先行し、その後を俺とアイヴィが追う形になる。
元A級冒険者アネット・バロアが引退して六年。久方振りの血の匂い漂う危険に心が躍るのだろう。
アネットは笑って言った。
「んじゃ、猫の子は、ちゃんと私に付いて来てね♡」
「……」
アイヴィは煙たそうにアネットを見ただけで答えなかった。
それでいい。
仲良しごっこは好きじゃない。
「――待ちな、アネット!」
そこで声を張り上げたアレックスを見やり、アネットは悲しそうに首を振った。
「……変わったわね、アレックス。昔のあんたなら、こんな時は真っ先に飛び出してった筈なのに……」
そこには仲間と向かう事もできる。恋人と向かう事もできる。友人と向かう事もできる。だが、最後の一歩は己の足で踏み締めねばならない。だから、一人で行くという事に勝る知恵も能力も、世界中の何処にも存在しない。
お喋りは終わりだ。
俺は神官服の裾を翻す。
「扉を開けろ、アイヴィ」
地獄の門が開いている。
◇◇
突き刺すような冷たい夜気が身に沁みる。灼けつく太陽は眠りに落ち、冷たい銀の月が青白い輝きを放っている。
扉が開くと同時に、俺とアイヴィは駆け出した。
まずは俺とアイヴィが目を引き、その俺たちを後続のアネットが追い抜き、戦闘可能な区域に誘導する。
迷路のように入り組んだアクアディの街並みをアイヴィが駆け抜け、その後に俺が続く。
class――『ニンジャ』。
加減してくれているが、今の俺では、強化術式を用いて尚、そのアイヴィに付いて行くのが精一杯だが、それがいい。
必死で逃げているように見えるなら最高だ。
必ず奴らは付け上がる。逃げ惑うガキ二人、追い詰めるのは訳ないと思い込む。
「……アネットは?」
囁くように言うと、アイヴィは少しだけ視線を上げた。
それに釣られるように視線を向けると、建築物を屋根伝いに駆け抜けるアネットの姿がチラリと見えた。
夜陰に隠れ、霞んでいるように見える。俺の目を以てしても、油断すれば見失ってしまいそうな程の隠密。
――錬金術『赤』。
錬金術は、赤、白、黒の三つに分かれる。『白』はポーション等の薬物錬成に分類され、『黒』は鉱物や砂、土等を利用したゴーレム製造。『赤』は天候のような自然現象を利用する。アネットが霞んで見えるのは術の影響だろう。
アイヴィは、気に入らないと言わんばかりに舌打ちした。
錬金術『赤』とニンジャが使う『忍術』は、呼び方が違うだけで殆ど同じものと言っていい。アイヴィとしては意識するものがあるようだ。
「失礼します」
そう言って、アイヴィは俺を抱え、更に駆け抜ける速度を上げた。
「……」
ガキの身体は面倒だ。強化術式を重ねて尚、アイヴィから見た俺は遅いという事だ。
風のようなスピードで駆け抜ける。
「……そろそろ戦闘可能区域に入りますが……既に待ち伏せされてます……」
「ふむ……」
まあ、向こうも『その気』なら、これは予想可能な展開だ。
噴水が中央にある開けた広場。
目に見えるのは一個小隊の騎士。隊長格の大柄な騎士は、全身鎧を纏い、面頬を下ろして顔を隠している。
そいつは、俺を見るなり、唸るように言った。
「聞いた通り、六年前と寸分違わぬその姿! 現れたな……邪教徒めが……!」
野太い男の声だった。
俺を知ってるようだが、俺には、てんで思い出せない手合いだ。鬼気迫る様子からして、酷く憎まれている事だけは分かる。
「誰だ、こいつ?」
はてな、と俺は首を傾げた。