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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第五部 青年期『勇者』編(前半)
302/308

72 灼けつくような太陽の下で4

 喫煙者は何処に行っても肩身が狭い。俺の場合、自分の『部屋』ですらそうだ。

 ギラギラと照り付ける太陽が眩しくて堪らない。

 流れる紫煙を見ながら、俺は夜の到来を待ち侘びる。

 すん、と白蛇が鼻を鳴らして言った。


「上物だな。俺にもよこせ」


「……」


 無造作に歩み寄って来た白蛇に煙草を一本くれてやると、白蛇は嬉しそうに笑った。


「……いい香りだ。伽羅の匂いがするが……お前の世界のものか……?」


「ああ、そうだ。もう少し寄れ。風が強くて火が点かん」


「ん……」


 それから暫くは、白蛇と並んで、ぼんやりと煙草を吸った。

 白蛇が改めて言った。


「怒らないんだな」


「先に不手際があったのは、こちらだ」


 まさかフラニーがヴォルフを助けるとは思わなかった。白蛇が結界を解いてヴォルフを逃がした事も納得している。そもそも、事の始まりから白蛇は納得していないと言っていた。

 それに、フラニーを連れて来たのは俺だ。この結果を白蛇の責任にして怒るのは違う。


「そうか」


 白蛇は頷いて、それから気絶したままでいるフラニーの方を顎で指した。


「お前が怒るのも分からんでもない。ヴォルフのヤツには、俺も腹に一物あったからな。だが、ヤツの行為自体は分別がないものとはいえない。そういう意味では、お前の弟子は正しい行いをした。それは分かってやれ」


 それは分かっている。いくらアスクラピアの下した当為ソルレンとはいえ、子供を殺す等、あってはならない事だ。やらずに済むなら、それに越した事はない。そういう意味ではヴォルフの行動は正しい。だが……

 俺は鼻を鳴らした。


「綺麗事だけで世界は回らない。もうグレゴワールとの戦いを忘れたのか?」


 忌々しいが、殲滅を命じたアスクラピアの判断は正しい。あの聖女の集団を野放しにする訳には行かない。先の戦場は善悪を超越した所にあった。まさしく使徒の当為ソルレンだった。

 白蛇は、短くなった煙草を踏み消した。


「気に入った。もう一本くれ」


「あぁ、寄れ」


 肩を寄せ、風を避けて新しい煙草に火を点けてやると、白蛇は紫煙を吐き出しながら、まるで他人事のように言った。


「単純じゃない。難しい問題だな」


「あぁ……難しい。理屈でなく、感じる必要がある。だから見せた」


「どうするつもりだ?」


「俺の弟子だ。部屋に戻ったら罰を与える」


 フラニーには期待している。して見せて分からんようなら、体に叩き込むまでだ。

 白蛇は肩を竦めて笑った。


「おっかない師匠だ」


 不出来な師である事は理解している。俺はこの話題を嫌って、話を変えた。


「……それより勇者の情報は? お前の事だ。何かしら調べているだろう」


 そこで、白蛇は険しい表情になって俯いた。


「それか……五人、斥候を送ったがな……一人も帰らん。王宮に居るのは間違いないようだが……」


 やはり、勇者はザールランド帝国の王宮に居る。

 白蛇は言った。


「……当然だが、罠があるな。安易に手を出すのは不味い。軍神アルフリードの気配がする……」


「ふむ……だろうな。しかし、捨て置く訳にも行かん。どうする?」


「情報が足らん。カッサンドラとティーナにも待てと言ってある」


「思案中、という事か……」


 今の『王宮』は、使徒をして危ないというのが白蛇の考えのようだ。俺もそれには同意する。だからこそ、俺も分け身を使って遊んでいる。

 向こうが動かずにいるなら、動かねばならないようにするまでだ。手の内を見せてもらう。

 俺は暫く考えて……

 それから、白蛇に言わなければならない事がある事を思い出してしまった。

 短い溜め息を吐き、俺は改めて言った。


「なぁ、白蛇。お前に謝らなければならない事がある……」


「うん? なんだ? 急に改まって……」


「……」


 ジゼルとアルベールの事だ。

 アスクラピアが殲滅を命じた戦場で、俺は故意にあの二人と聖女二人を逃がした。


「……先の戦場の事だ。すまん。四人ほど逃がした。わざとだ。罰を受ける覚悟はある……」


「おお、それか。いいんじゃないか? 俺も何人か逃がした」


「あ?」


「ティーナも何人か逃がしたと言ってたな。カッサンドラに至っては何人逃がしたか分からん」


「なんだって?」


 俺としては重大な罪の告白をしたつもりだが、軽く答える白蛇の様子に、肩から力が抜ける思いだった。

 白蛇は当然のように言った。


「お前もそうで安心したよ。いくら、あのしみったれの命令とはいえ、なんでもほいほいやらかすようなヤツは生きる資格もない」


「……」


 母の定めたあの戦場で、人工聖女を逃がした。それは重大な背信である筈だが、母は俺たちに褒美を約束した。


 母は、いつだって俺たちのする事を見つめている。見守っている。


 つまり……母は、俺たち使徒の個性を尊重した。それは……背信を評価したとも言える。


「カッサンドラは軍神アルフリードの神性がある。いくら敵とはいえ、武器も持たない子供は殺せまいよ。勝敗が決したなら尚の事だ。エミーリアだけだ。あの不憫なガキ共を容赦なく手に掛けたのは」


「エミーリアが……?」


「ああ、凄まじかったぞ。なんの躊躇いもなかった。後方にいたお前には見えなかっただろうがな」


 エミーリアには大きな問題がある。額に手を当てて大きく息を吐く俺に、白蛇も溜め息を吐いて見せた。


「あいつはアスクラピアに依り過ぎる」


 第一の使徒『聖エミーリア』。白蛇の言う事は分かっていたつもりだが……母が評価しない訳だ。

 思考停止。最古の使徒、聖エミーリアはアスクラピアの神性に酔っている。

 白蛇は言った。


「気にするな。いいんだよ。あんなガキ共を逃がしたぐらいでどうにかなっちまうような世界なら、どうにかなっちまえばいいんだ」


 その言葉が、すとんと腑に落ちて、俺は短く頷いた。


「そうだな、白蛇。お前の言う通りだ」


 同時に、俺は改めてアスクラピアの神性を感じ、ぶちのめされたような気分になった。

 これは複雑な問題なのだ。

 雑多な事柄を胸に置き、多角的な観点から判断せねばならない。

 生かすか殺すか。

 無制限な活動はいかなるものであれ、結局は破綻する。それ故、力あるものは常に考えねばならない。


 深く考える俺に、そんなことより、と前置きして、白蛇は陽気に笑って見せた。


「なぁ、兄弟。こんな話は、もうよそう。せっかくの機会だ。もっと面白い話はないのか?」


「……」


 どうにも……俺は、この男を憎めない。聖女を見逃した事もそうだが、この男の言動は一々俺の胸に刺さる。

 そこで俺も笑った。


「ふふ……そうだな……」


「女の話以外で頼むぞ」


「……」


 俺が黙り込むと、白蛇は腹を抱えて笑った。


◇◇


 それからの俺たちは、多くの事を話した。


 三人いる白蛇の娘の事。今は、ザールランドの片隅にある隠れ家に居て、日々、その成長が楽しみで仕方がない事。

 白蛇は屈託なく笑った。


「そろそろ男の子が欲しい」


 俺は遂に子を持つ事がなかった。父親として幸せそうにしている白蛇を見ると、嬉しく思う反面で妬ましくもある。


「はは、跡継ぎか?」


「馬鹿言え。生きる理由が多くなった。そんな簡単にくたばれるか」


 だが、そこで、白蛇は真面目くさって言った。


「兄弟。確かにヴォルフのヤツは気に食わん。だが殺す程か? 今のお前は焦っているように思えるが、気の所為せいか?」


「……」


 それは気の所為じゃない。

 準備が整い次第、俺は『特異点』に向かう。時間を遡行して、箱の中身を奪うつもりでいる。それは必ず禁忌に触れる。アスクラピアは自ら制裁に乗り出すだろう。俺は力で抵抗するつもりでいる。ここを譲るつもりはない。


「焦るな、兄弟。俺は、いつだってお前の味方だ」


「……えらく優しいな……」


「……兄貴らしい事がしたいんだよ。カッコつけさせろ……」


 それは恐らく、大神官ディートハルトに対しての言葉だろう。


 俺は笑った。

 それは気の所為だ。白蛇が俺に寄せる親愛の念は、実弟であるディートハルトに向けてのものだ。

 俺とディートハルトは魂の波長が似ている。見た目形の事じゃない。目の不自由な白蛇には、より近いもののように感じるのだろう。

 白蛇の言葉は代償行為だ。

 だから俺は、この灼けつく太陽の下で心から笑う。


 白蛇が笑いながら何か言った。


「お前が……よかっ……のに……」


 その言葉は、死の砂漠に吹き荒れる強風の中に途切れて消える。


 ――さらばだ、兄弟。


 俺は、その言葉を飲み込んだ。

 俺が俺の道を行く限り、アスクラピアに侍るこの男とは必ずぶつかる事になる。

 

 願わくば……夜空に輝く銀の星が、新たな道を指し示す事を心から祈る。

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― 新着の感想 ―
辛い。 正直言うと他のどの人物との別れとかよりも、この2人の血は水よりも濃いをバッキバキにへし折る友情?兄弟の絆?いっそ回り回って運命の相手??みたいな関係がいつか壊れる日が来るのが辛い。 で、…
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