71 灼けつくような太陽の下で3
奇妙な部屋にて戦況を見守るマリエールが、拳聖ヴォルフの解析を進めている。
――解析率72%。ヴォルフは、まだ本気を出してない。
俺は煙草を踏み消し、静かに言った。
「ヴォルフ、もう一度だ」
物理防御の向上は既に700%を超えている。その上から更に神力によるバリアを張っている。
「ふッ!」
鋭い呼気と共に繰り出された連撃は、俺をしてその全てを見切る事は不可能だが、ヴォルフの攻撃は、決して俺の防御を貫く事はなかった。
「眩しいな……」
俺は灼けつく太陽を見上げ、ぼんやりと呟いた。
身に宿した神力の桁が違う。ヴォルフは渾身の攻撃を繰り返すが、拳聖と謳われたその拳が俺の身体に届く事はなかった。
――解析率78%……
かれこれ十分以上、突っ立ってヴォルフに好きなようにやらせているが、それもそろそろ飽きてきた。
白蛇も、ずっと続くこの光景に飽きたのか、溜め息交じりに言った。
「……兄弟、もういいだろう。その辺でやめろ……」
「そうだな……」
ここまでで、ヴォルフは決して本気を出さない事が分かった。
こいつには『奥の手』がある筈だ。仮にも母に選ばれた使徒が、こんなに弱い筈がない。俺の防御を突き破り、命までとは行かぬまでも、驚嘆させる『武』がある筈なのだ。
俺は、うんざりして首を振った。
「もう、いい……お前は、もういい……」
これ程の地力の差を見せ付けられ、それでも本気を出す事を躊躇う者は『戦士』ではない。
俺は突っ立っていたが、何もしていなかった訳じゃない。ヴォルフの反射神経を上回る程度には敏捷性を向上させている。
「聞け、ヴォルフ……」
ヴォルフは打ち疲れたのだろう。肩で荒い息を吐いていたが、その俺の言葉に手を止めて顔を上げた。
「……何故だ。それ程の力がありながら、何故殺して回る……他のやり方も選べた筈だ……」
「その言葉は、そっくりそのまま返す事にしよう。お前は戦う事を止めるべきではなかった。お前の当為に力があれば、ギュスターやローランドが死ぬ事はなかったかもしれない。あるいはアウグストも……」
それはもう意味のない仮定だ。時が過ぎ、全て色褪せてしまった。
母の神性は深い。アウグストらの処遇は、俺たち使徒に一任されていた。
或いは……この男の当為が俺を止める可能性もあったのではないか。誰も死なぬ未来があったのではないか。
悩みは尽きない。
過ちを重ね、失いつつもこの道を進む。その俺の当為と、ヴォルフの当為は真っ向から対立する。
天秤は俺に傾いた。
これではもう、バランスが取れない。
――ゴミはゴミ箱へ。
次の瞬間、俺は拳聖ヴォルフの顔を掴んで吊り上げた。
「――!」
死神に傾いた天秤は戻らない。圧倒的な神力差を発現させた俺の動きに、ヴォルフは反応する事すらできなかった。
「……案ずるな。沈んでは行くが、いつも同じ太陽だ……」
ヴォルフは激しく抵抗したが、俺の『右手』が鈍く輝きを放つと、だらりと脱力して静かになった。
俺には、何者にも負けぬ力が必要だ。
(ルシール……俺は……)
俺は目を細め、やけに眩しく見える太陽の向こうに、いつか過ぎて行った夢を見る。
「それは永遠から永遠へと働き続ける」
第七使徒『拳聖』ヴォルフを喰らう。これで、死神暗夜は自身を含め、四名分の使徒の力を持つ事になる。
と、そこまで考えた時の事だ。
使徒同士の戦いではあるが、圧倒的な力量差を見せ付けた俺に怯えていたフラニーが覚束ない足取りで進み出て、まるで寛恕を請うように俺の腰にしがみついた。
「……?」
一瞬、俺には何が起こっているのか分からなかった。
フラニーは恐怖に震えながら、言った。
「……師匠、お願いします。ここまでにしましょう……」
「何故? 意味が分からない。まさか、お前……俺に指示しているのか……?」
ヴォルフの命は、今まさに手中にある。ここまで来て、諦めろと? 訳が分からない。
だが……俺は、フラニーの次の言葉に激昂する事になる。
「け、拳聖ヴォルフは素晴らしい方です。その方は生ける伝説です。お願いします。だから、どうか……どうか……!」
「……」
俺は驚いて……瞬きすら忘れてフラニーを見つめ返した。
こいつは、いったい何を見ていたんだろう。何故、俺がヴォルフを咎めたかの理由も理解していない。
俺は不出来な師匠だ。行動して見せるしかないと思っていた。して見せれば理解が得られると思っていた。そう思い込んでいた。
俺が自身の思い込みと、この不肖の弟子の理解の悪さに激昂し、動きを止めてしまったその瞬間――
白蛇が、パチンと指を鳴らした。
「――うっ、ぐ!」
俺の右手……『運命の手』は、未だに馴染まない。その右手が、突然感電したように痺れ、ヴォルフを振り払うように投げ出してしまった。
尚も痺れる右手を押さえ付け、俺はこの痺れの原因となった男を厳しく睨み付けた。
「白蛇、貴様……!」
この横槍に激昂する俺に、白蛇は皮肉っぽく言った。
「………見せるだけだと言った筈だぞ、兄弟。尤も……お前の弟子は、お前に力を貸すどころか、ヴォルフを助けているようだが……」
投げ出されたヴォルフはすかさず身体を起こし、先ず、右手を押さえ付け、険しい表情で睨み付ける俺に視線を送ったあと、その俺の腰にしがみ付き、力の限り制止するフラニーを見て怪訝な表情を浮かべた。
状況を理解できず困惑するヴォルフに、フラニーが叫んだ。
「拳聖ヴォルフ! 逃げて! 逃げて下さい! あんたは、今ここで死んでいい人じゃない!!」
「……つっ!」
ヴォルフは動揺し、その次に白蛇に視線を送った。
白蛇は笑いに肩を揺らしながら、指を鳴らして俺の張った結界を解いた。解いてしまった。
「な!? 白蛇、貴様!!」
確かにフラニーは手を出した。しかし、それは俺に利する行動ではなかった。不細工だが、この顛末は仕切り直しが許される筈だ。
ヴォルフを殺す。蛇に喰わせて、俺はまた次のステージに進む。その思惑が足元から崩れ落ちて行くような気がして、俺は怒りに歯を噛み鳴らした。
「ヴォルフ、逃げるな……!」
「拳聖ヴォルフ! 早く逃げて! 早く!!」
白蛇の行動により、今ならヴォルフは部屋移動が可能だ。しかし、この場での『逃走』は、戦士としての矜持を捨てるのと同じ事だ。
「……!」
ヴォルフは激しく動揺し、あちこちに視線を彷徨わせた。
「逃げるな、ヴォルフ! 俺と戦え! 戦って死ね! せめて戦士としての矜持を全うしろ……!!」
「ヴォルフ! 拳聖ヴォルフ! 早く! 早く! オレに師匠は止められない!!」
白蛇は腹を抱えて嘲笑った。
「ははは、ヴォルフ。死神と戦って死ぬも、逃げて生き延びるも同じぐらいには情けないが、お前の自由だ。どうする?」
「な! あ……」
ヴォルフは怒りに満ちた眼で白蛇を睨み付け……続けて怒りに燃え、フラニーを引き剥がそうとする俺と目を合わせた。
「……!」
この状況に動揺して、尚も動かずにいるヴォルフに、フラニーが叫んだ。
「拳聖ヴォルフ! 早く! あんたはあんたの当為を全うしろ!!」
「フラニー、貴様!!」
猛り狂う俺だったが、フラニーの言葉が決め手になった。
「ぬ……!」
ヴォルフの眼から戦意と闘志が抜ける。逃げられる。長きに亘って『不殺』を貫いたこの男は、時に諦める事も知っている。
踞ったままのヴォルフが表情を消した。
「待て! 逃げるな、ヴォルフ! 見苦しく生き延びるぐらいなら、誇り高い死を選べ!!」
「……」
ヴォルフは、もう俺と視線を合わせない。
母の戯れる指先が、また運命を回す。
そして――踞ったまま、ヴォルフは煙のように消え失せた。
「ヴォルフ……!」
あそこまで追い詰めながら、逃げられた。俺は、頭の奥で糸が切れる音を聞いた。
同時に、白蛇からの干渉が止まった右手から痺れが抜ける。
完全に自由を取り戻した瞬間、フラニーの拘束を引き剥がした俺は、激しい怒りの感情のままに右手を振り抜いた。
――ぐしゃっ!
と肉を叩き潰す音がして、フラニーは血飛沫を撒き散らしながら数十mほども吹き飛び、死の砂漠に転がった。
強い怒りに身体中が震える。
「この馬鹿がッ……!」
そう吐き捨てる俺を見下ろし、灼けつくような太陽が嘲笑っている。
(ルシール……俺は……俺は……!)
どれほどの罪と過ちを重ねれば、誰も傷付けずに済むのだろうか。
今、この瞬間の俺の懊悩も、母は見守っている。見つめているのだろう。
「……」
荒ぶる心を静める為に、俺は新しい煙草を咥えて火を点けた。
砂混じりの風が紫煙を押し流して消えていく。
後に残るは静寂のみだ。
『アスクラピアの子』
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