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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第五部 青年期『勇者』編(前半)
301/308

71 灼けつくような太陽の下で3

 奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)にて戦況を見守るマリエールが、拳聖ヴォルフの解析を進めている。


 ――解析率72%。ヴォルフは、まだ本気を出してない。


 俺は煙草を踏み消し、静かに言った。


「ヴォルフ、もう一度だ」


 物理防御の向上は既に700%を超えている。その上から更に神力によるバリアを張っている。


「ふッ!」


 鋭い呼気と共に繰り出された連撃は、俺をしてその全てを見切る事は不可能だが、ヴォルフの攻撃は、決して俺の防御を貫く事はなかった。


「眩しいな……」


 俺は灼けつく太陽を見上げ、ぼんやりと呟いた。


 身に宿した神力の桁が違う。ヴォルフは渾身の攻撃を繰り返すが、拳聖と謳われたその拳が俺の身体に届く事はなかった。


 ――解析率78%……


 かれこれ十分以上、突っ立ってヴォルフに好きなようにやらせているが、それもそろそろ飽きてきた。

 白蛇も、ずっと続くこの光景に飽きたのか、溜め息交じりに言った。


「……兄弟、もういいだろう。その辺でやめろ……」


「そうだな……」


 ここまでで、ヴォルフは決して本気を出さない事が分かった。


 こいつには『奥の手』がある筈だ。仮にも母に選ばれた使徒が、こんなに弱い筈がない。俺の防御を突き破り、命までとは行かぬまでも、驚嘆させる『武』がある筈なのだ。

 俺は、うんざりして首を振った。


「もう、いい……お前は、もういい……」


 これ程の地力の差を見せ付けられ、それでも本気を出す事を躊躇う者は『戦士』ではない。


 俺は突っ立っていたが、何もしていなかった訳じゃない。ヴォルフの反射神経を上回る程度には敏捷性を向上させている。


「聞け、ヴォルフ……」


 ヴォルフは打ち疲れたのだろう。肩で荒い息を吐いていたが、その俺の言葉に手を止めて顔を上げた。


「……何故だ。それ程の力がありながら、何故殺して回る……他のやり方も選べた筈だ……」


「その言葉は、そっくりそのまま返す事にしよう。お前は戦う事を止めるべきではなかった。お前の当為ソルレンに力があれば、ギュスターやローランドが死ぬ事はなかったかもしれない。あるいはアウグストも……」


 それはもう意味のない仮定だ。時が過ぎ、全て色褪せてしまった。


 アスクラピアの神性は深い。アウグストらの処遇は、俺たち使徒に一任されていた。

 或いは……この男の当為ソルレンが俺を止める可能性もあったのではないか。誰も死なぬ未来があったのではないか。

 悩みは尽きない。

 過ちを重ね、失いつつもこの道を進む。その俺の当為ソルレンと、ヴォルフの当為ソルレンは真っ向から対立する。

 天秤は俺に傾いた。

 これではもう、バランスが取れない。


 ――ゴミはゴミ箱へ。


 次の瞬間、俺は拳聖ヴォルフの顔を掴んで吊り上げた。


「――!」


 死神に傾いた天秤は戻らない。圧倒的な神力差を発現させた俺の動きに、ヴォルフは反応する事すらできなかった。


「……案ずるな。沈んでは行くが、いつも同じ太陽だ……」


 ヴォルフは激しく抵抗したが、俺の『右手』が鈍く輝きを放つと、だらりと脱力して静かになった。

 俺には、何者にも負けぬ力が必要だ。


(ルシール……俺は……)


 俺は目を細め、やけに眩しく見える太陽の向こうに、いつか過ぎて行った夢を見る。


「それは永遠から永遠へと働き続ける」


 第七使徒『拳聖』ヴォルフを喰らう。これで、死神暗夜は自身を含め、四名分の使徒の力を持つ事になる。

 と、そこまで考えた時の事だ。

 使徒同士の戦いではあるが、圧倒的な力量差を見せ付けた俺に怯えていたフラニーが覚束ない足取りで進み出て、まるで寛恕を請うように俺の腰にしがみついた。


「……?」


 一瞬、俺には何が起こっているのか分からなかった。

 フラニーは恐怖に震えながら、言った。


「……師匠、お願いします。ここまでにしましょう……」


「何故? 意味が分からない。まさか、お前……俺に指示しているのか……?」


 ヴォルフの命は、今まさに手中にある。ここまで来て、諦めろと? 訳が分からない。

 だが……俺は、フラニーの次の言葉に激昂する事になる。


「け、拳聖ヴォルフは素晴らしい方です。その方は生ける伝説です。お願いします。だから、どうか……どうか……!」


「……」


 俺は驚いて……瞬きすら忘れてフラニーを見つめ返した。


 こいつは、いったい何を見ていたんだろう。何故、俺がヴォルフを咎めたかの理由も理解していない。

 俺は不出来な師匠だ。行動して見せるしかないと思っていた。して見せれば理解が得られると思っていた。そう思い込んでいた。

 俺が自身の思い込みと、この不肖の弟子の理解の悪さに激昂し、動きを止めてしまったその瞬間――

 白蛇が、パチンと指を鳴らした。


「――うっ、ぐ!」


 俺の右手……『運命の手』は、未だに馴染まない。その右手が、突然感電したように痺れ、ヴォルフを振り払うように投げ出してしまった。

 尚も痺れる右手を押さえ付け、俺はこの痺れの原因となった男を厳しく睨み付けた。


「白蛇、貴様……!」


 この横槍に激昂する俺に、白蛇は皮肉っぽく言った。


「………見せるだけだと言った筈だぞ、兄弟。尤も……お前の弟子は、お前に力を貸すどころか、ヴォルフを助けているようだが……」


 投げ出されたヴォルフはすかさず身体を起こし、先ず、右手を押さえ付け、険しい表情で睨み付ける俺に視線を送ったあと、その俺の腰にしがみ付き、力の限り制止するフラニーを見て怪訝な表情を浮かべた。


 状況を理解できず困惑するヴォルフに、フラニーが叫んだ。


「拳聖ヴォルフ! 逃げて! 逃げて下さい! あんたは、今ここで死んでいい人じゃない!!」


「……つっ!」


 ヴォルフは動揺し、その次に白蛇に視線を送った。

 白蛇は笑いに肩を揺らしながら、指を鳴らして俺の張った結界を解いた。解いてしまった。


「な!? 白蛇、貴様!!」


 確かにフラニーは手を出した。しかし、それは俺に利する行動ではなかった。不細工だが、この顛末は仕切り直しが許される筈だ。

 ヴォルフを殺す。蛇に喰わせて、俺はまた次のステージに進む。その思惑が足元から崩れ落ちて行くような気がして、俺は怒りに歯を噛み鳴らした。


「ヴォルフ、逃げるな……!」


「拳聖ヴォルフ! 早く逃げて! 早く!!」


 白蛇の行動により、今ならヴォルフは部屋移動が可能だ。しかし、この場での『逃走』は、戦士としての矜持プライドを捨てるのと同じ事だ。


「……!」


 ヴォルフは激しく動揺し、あちこちに視線を彷徨わせた。


「逃げるな、ヴォルフ! 俺と戦え! 戦って死ね! せめて戦士としての矜持を全うしろ……!!」


「ヴォルフ! 拳聖ヴォルフ! 早く! 早く! オレに師匠は止められない!!」


 白蛇は腹を抱えて嘲笑った。


「ははは、ヴォルフ。死神と戦って死ぬも、逃げて生き延びるも同じぐらいには情けないが、お前の自由だ。どうする?」


「な! あ……」


 ヴォルフは怒りに満ちた眼で白蛇を睨み付け……続けて怒りに燃え、フラニーを引き剥がそうとする俺と目を合わせた。


「……!」


 この状況に動揺して、尚も動かずにいるヴォルフに、フラニーが叫んだ。


「拳聖ヴォルフ! 早く! あんたはあんたの当為ソルレンを全うしろ!!」


「フラニー、貴様!!」


 猛り狂う俺だったが、フラニーの言葉が決め手になった。


「ぬ……!」


 ヴォルフの眼から戦意と闘志が抜ける。逃げられる。長きに亘って『不殺』を貫いたこの男は、時に諦める事も知っている。


 踞ったままのヴォルフが表情を消した。


「待て! 逃げるな、ヴォルフ! 見苦しく生き延びるぐらいなら、誇り高い死を選べ!!」


「……」


 ヴォルフは、もう俺と視線を合わせない。


 母の戯れる指先が、また運命を回す。


 そして――踞ったまま、ヴォルフは煙のように消え失せた。


「ヴォルフ……!」


 あそこまで追い詰めながら、逃げられた。俺は、頭の奥で糸が切れる音を聞いた。

 同時に、白蛇からの干渉が止まった右手から痺れが抜ける。

 完全に自由を取り戻した瞬間、フラニーの拘束を引き剥がした俺は、激しい怒りの感情のままに右手を振り抜いた。


 ――ぐしゃっ!


 と肉を叩き潰す音がして、フラニーは血飛沫を撒き散らしながら数十mほども吹き飛び、死の砂漠に転がった。

 強い怒りに身体中が震える。


「この馬鹿がッ……!」


 そう吐き捨てる俺を見下ろし、灼けつくような太陽が嘲笑っている。


(ルシール……俺は……俺は……!)


 どれほどの罪と過ちを重ねれば、誰も傷付けずに済むのだろうか。


 今、この瞬間の俺の懊悩も、母は見守っている。見つめているのだろう。


「……」


 荒ぶる心を静める為に、俺は新しい煙草を咥えて火を点けた。


 砂混じりの風が紫煙を押し流して消えていく。


 後に残るは静寂のみだ。

『アスクラピアの子』

カクヨムにて第五部勇者編60話〜90話+閑話、公開中です。

よろしくお願い致します!

https://kakuyomu.jp/works/16818093073933172984/episodes/16818093073933273819

限定更新しました!

アスクラピアの子 青年期 第六部 異世界編 132『良縁と奇縁』1

https://kakuyomu.jp/users/187338/news

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― 新着の感想 ―
おわー。フラニーが物凄いガッツを見せたわ。後で暗夜にギタギタにされる事なんて百も承知だったろうに……。この愚かさは成長の愚かさになってくれたって事でいいんだよね?期待しちゃうよ?
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