64 小さな死神2
今の俺は、冒険者ギルドに所属する怪しい『隠し球』であり、取り扱いの難しい爆発物と言っていい。
――ディートハルト・ベッカー『暗夜』。
見た目こそ小さいガキだが、神官としては文句なしの第一階梯。冒険者としてのランクはA。しかしダンジョンアタックは禁止されており、ギルドの勧めに従ってギルドの所有する高級宿屋を仮拠点に行動している。
日が暮れる頃になり、冷え込む前に部屋を出た。
アイヴィを伴って向かう先は、アレックスが居住する『オリュンポス』だ。
「……」
俺は、じっと右の掌を見つめる。
『運命の手』は駄目だ。やはり本体の身体でしか使えない。
「アイヴィ。場合によってはアレックスを殺す。備えろ」
「はい。しかし、ギルドの監視が付いてますが、それはどうなさいますか?」
「む……」
俺は顔を顰めた。
アイヴィに言われるまで、ギルドの監視員がいる事に気付かなかった。これも、十歳の子供であるディートハルトの身体を使っている事が原因だろうか。
アイヴィが囁くように言った。
「……非常に巧妙です。宿の従業員に紛れて交代しながら主を見張っています。始末なさいますか……?」
指名手配されるのは、まだ早い。
アイヴィの話では監視員は二人らしいが、交代要員を考えるとこの宿屋の従業員全体にギルドの息が掛かっている事は想像に難くない。
俺は小さく舌打ちした。
「当然といえば当然だが……面倒臭い事をしやがって……」
いっそ、この宿屋にいる全員を眠らせるという策もあるが、それは誰が考えても俺がやった事なのは明白であるし悪手だ。当然だが、邪魔だからといって殺す程でもない。
俺は溜め息混じりに少し考える。
「……まぁ、いいさ。そこまでして見たいなら見せてやる。どうせ、ギルドの連中は何もできやしない……」
それに……俺が、元Aランク冒険者のアレックスを殺した場合、ギルドがどんな反応を見せるかも興味深い。
口の中に伽羅の破片を放り込み、長い廊下を行く。
石造りの建築物。
壁は綺麗に磨き上げられていて、床に敷かれている絨毯や他の調度品も一目で高級品だと分かる。流石に冒険者ギルドの御用達という事だけはある。だが、建物全体に施されている複数種の結界は、どれも人間を対象にしたものだ。このディートハルトの身体でも、破れない程の代物ではない。
一階の広間に出て、カウンターにいる猫人の受付嬢に外出の意思を知らせると、澄ました表情で一礼された。
いつもなら、愛想笑いを浮かべて見送ってくれるのだが、この時は違った。
「外出でございますね。少々、お待ち下さいませ……」
そう言って、カウンターの裏手にある別室に向かった受付嬢の表情を見て違和感を覚えた俺に、アイヴィが囁いた。
「……警戒されました。異変に気づかれたようです。誰か来ます……」
「む……外出なら、それなりにするだろう。何故、今回に限って警戒するんだ……?」
殺気や神気の類いが出ていたかと考えるが、それには充分注意を払っている。こういった場合に備え、度々、外食を理由に外出はしていた。
アイヴィは言った。
「……同じ猫人ですから、なんとなくですけど、分かるんです……」
「あぁ、そういう……」
猫の獣人が持つ種族間での特殊スキル。『猫のシンパシー』。猫人が排他的な理由は、同種族間での意思疎通を潤滑にするこのスキルが深く起因している。
猫は互いに喧嘩せず。
話さずとも、なんとなく相手の意思が分かってしまう。そうでなくとも獣人は勘が鋭い。俺はいつも通り振る舞ったつもりだが、アイヴィの様子から異変を嗅ぎつけたのだろう。
その次の瞬間、金髪のイケメンエルフが受付嬢と入れ替わりになって裏手の部屋から飛び出して来た。
細身の高身長。
整った顔に片眼鏡を掛けたモヤシ。金髪は油で後ろに流していて、俺には、この気障なモヤシ男がマッチ棒にしか見えない。
俺は笑った。
「どうした、マッチ棒。そんなに慌てて……」
額に青筋を浮かべ、マッチ棒は怒鳴るように言った。
「邪悪な子供。何処へ行く!」
「こいつはご挨拶だな。いつもの外食だよ、マッチ棒くん」
そこで、マッチ棒は眉間に皺を寄せ、怪訝な表情になった。
「まっちぼうとは、なんだ?」
「ははは、説明するのも面倒だ。それよりマッチ棒。俺のようなヤクネタには関わらない事をお勧めする。監視を解いてくれないか?」
どうやら、俺が思うよりギルド内でのマッチ棒の権限は大きいようだ。
マッチ棒は、眉間に刻んだ皺を更に深くして言った。
「駄目だ。今の貴様からは不穏な気配がする。何を企んでいる!」
「子供のする事だ。見逃してくれよ」
鑑定師のこいつには、俺とは違うものが見えているのだろう。不快さを隠さず言った。
「……なんと邪悪な子供だ。以前とは比べ物にならん程の力を感じる。人間とは思えん。大神官とはどんな関係だ……?」
「ふむ……それには答えたくないな……」
俺は面倒臭くなってきた。こうなると、『目』がいいのも考えものだ。
「マッチ棒。俺を見ろ」
様子の変わった俺に気付き、マッチ棒は少し怯んで一歩引き下がった。
「な、なんだ……?」
「俺を見ろと言ったんだよ」
今は小さいなりをしているが、俺の本性は邪悪な女神の使徒だ。マッチ棒は、はっきりと知覚できないながらも、鑑定師としての本能的な部分でそれに感付いているのだろう。
マッチ棒の『観る目』と、俺の『闇の目』が重なる。
「マッチ棒。俺はお前たちの為に言ってるんだ。頼むから、関わるな」
「……つっ」
その気になれば、目の前のマッチ棒を殺すのに瞬き程の時間も掛からない。微かな殺気を敏感に感じ取ったのだろう。マッチ棒は恐怖を隠せず、更に一歩引き下がった。
「馬車を用意しろ。監視は付けるな」
「……」
俺と目を合わせてしまったマッチ棒は、溶け出したのかと錯覚するぐらいの大量の汗を額に浮かべて黙り込んだ。
ややあって――
マッチ棒は小さく身体を震わせ、俯いて視線を逸らした。
「わ、分かった……すぐ用立てる……監視も下がらせる……」
「有り難い。そうしてくれれば、世界は平和だ」
俺が微笑むと、マッチ棒は逃げるようにして裏手の部屋に帰った。
その背中を見送って、俺は呟いた。
「言ったぞ。監視はつけるなと……」
マッチ棒が俺の言葉に従ったからといって、結果までそうとは限らない。
マッチ棒はともかく、この程度でギルドが『俺』という怪しい存在の監視を怠る事はないだろう。
「難儀な世の中だ……」
中間管理職の立場は厳しい。
上からは押さえつけられ、下からは突き上げられる。
俺は、マッチ棒を気の毒に思った。
◇◇
がたんごとんと揺れる馬車に乗って向かった先は、勿論、オリュンポスだ。
ふと馬車の幌を捲ってみると、踏み固められた砂の道を駆ける馬車が巻き上げる砂塵が煙のように漂っている。
行き交う人々は馬車に視線を向けるが、一瞬だけの事だ。注意して見るが、俺の目には一般人にしか見えない。
「……どうだ、アイヴィ。監視の目は感じるか……?」
「はい、中々の手練れです。いい隠密スキルを持ってます。一般人にはいいと思います」
「やはり、そうか……」
幾らこのアイヴィが幼く未熟だったとしても、ムセイオンで鍛えられた戦士だ。なにせ闘技場にいたのだ。あのザームエルから認められた戦士の一人だという事だ。
「無力化なさいますか?」
アイヴィは賢く気が利く。殺す、と言わず無力化と言い換えたのは、俺に対する配慮からだろう。
「いいさ……」
もう、十分に警告した。それでも聞かないなら無駄な事だ。
「行き着く先に待ち受けるのは何か。地獄の叫びか、太陽の御空か。どちらに向かうとしても――いずれも同じ」
そう呟いて、俺は何かを思い出しそうになる。アスクラピアの蛇は悪食だ。食い残した記憶は、決していい思い出ではない。
俺は、首を振って物思いを振り払った。切り替える。
元Aランク冒険者『アレクサンドラ・ギルブレス』は有名人だ。引退したとはいえ、指導員の一人として冒険者ギルドに所属している。
馭者は迷わずアレックスの居宅である元オリュンポスのクランハウスに辿り着いた。
馬車を降り、アイヴィの先導でオリュンポスの門戸を抜ける。
陽も落ちて来た。
広い外庭には芝生を刈っている小人の使用人がいて、訪れた俺たちに訝しむような視線を向けた。
全て分かっている。
必ずしも、アレックスが悪いという訳じゃないなんて事ぐらい。
だが……俺は、アレックスを見てまともでいられる自信がない。そんな風に漠然と考え、そして開き直る。
難しい事は、ヤツを殺してから考えよう。
俺は迷わない。後悔はやった後でするものだ。そういう意味でも、アレクサンドラ・ギルブレスは、最も八つ当たりしやすい対象だった。
そう考えていた。
俺を見て、ぽかんと大口を開けたアネット・バロアの姿を見るまでは。