61 二人
母との邂逅を経て――
俺は自らの部屋に引き取り、書斎にある椅子に深く腰掛け足を組み、頬杖をついた格好で深く考え込んでいた。
「……問題は山積みだな……」
すべき事は決まっているが、何処から手を着けるべきか悩む。
目の前にはロビンとマリエールの二人が居て、深く考え込む俺を見つめていた。
まず、ロビンが言った。
「……アシタの事は私にお任せ下さい。ルシールの死は私に責任があります……」
記憶を失った俺は知らない事だが、以前のアシタ・ベルは、ロビンの従卒であったようだ。
「……教育を間違えました。まさかそのような凶行に及ぶとは……」
俺は短く溜息を吐き出した。
「ロビン。ルシールの死は、お前の責任じゃない。気に病むな」
「そうは言われますが、しかし……!」
「くどい。俺の唯一の騎士が、些細な事を気に掛けるな」
そうだ。ルシールの死は些細な問題だ。俺個人の心情は置き、修道女ルシール・フェアバンクスには傑出した所がない。結局の所、俺個人の心情の問題でしかない。そんな事にロビンが責任を感じる必要はない。
「それより、フラニーとジナはどうだ? 少しは使えるようになったか?」
「……」
露骨過ぎる話題転換に、ロビンは、まだ何か言いたそうにしていたが、その思いを振り切るように首を振った。
「……犬の方は、なんとか及第点という所ですが、フラニーは駄目です。いけません。気迫に欠けます。あれでは……」
「ふむ……そうか」
弱い者は連れていけない。
だが、フラニーは俺の弟子だ。軽く扱うつもりもなければ、このまま見放すつもりもない。
俺が視線を送ると、マリエールが小さく頷いて言った。
「……ムセイオン施設長『ザームエル』の解析は終わった。再現可能。ぶつける……?」
「任せる」
奇妙な部屋の管理を任せているマリエールは、遊んでいた訳じゃない。貸与した俺の権能を使って、様々な可能性を追求している。
ザームエルの疑似体の創造も、その可能性の一つだ。
とはいえ、所詮は造り物だ。
俺の権能が強く発揮される『部屋』でしか使用できないし、本物と比べれば実力は五分下がりというのがマリエールの報告だった。
フラニーらの事も些細な問題の一つでしかない。実力が五分下がりのザームエルに二人掛かりで不覚を取るようなら、フラニーとジナは改めて鍛え直す必要がある。
現在、『書斎』には、俺の他にはロビンとマリエールしかいない。
『騎士』レネ・ロビン・シュナイダーと『魔術師』マリエール・グランデは、俺が選んだ仲間だ。重要な話し合いに、この二人を呼び付けるのは当然の事だ。
マリエールは、その事を重々承知していて、任せると言った俺の言葉に頷いた。
「それで、先生はどうするの?」
「うん……俺は忙しい。そこで、だ。裏技を使おうと思う」
「……裏技?」
怪訝な表情を浮かべるロビンに、俺は小さく頷き掛けた。
「……これだよ、これ……」
通常、『分け身』と『偏在』は部屋の中でしか使えないが、俺には特別な身体がある。ロビンと遊ぶ以外に使い途はないと思っていたが……『部屋』を二つ解放し、完全に掌握した今の俺ならできる事がある。
「……こいつを使って少し遊ぶ。調べたい事もあるしな……」
俺が虚無の闇から引っ張り出したソイツを見て、ロビンは目を剥いた。
「ディートさん!?」
俺が引っ張り出したのは、十歳の少年であるディートハルト・ベッカーの疑似体だ。銀髪。黒目の少年。本来の俺とは力を比較するまでもなく虚弱だが、アシタ・ベルを含む帝国の連中と遊ぶのに、使徒である俺自身が向かうのも仰々しい。制限付きだが、下界でもこいつなら使える。これで十分だ。
つまり、俺は『暗夜』と『ディート』の二つに別れて行動する事になる。
「さて、お前たちは、どっちの俺と行動する?」
茶目っ気たっぷりに微笑んで見せる俺に、マリエールは迷わず答えた。
「勿論、先生」
「どっちの?」
マリエールは、顰めっ面で俺を指差した。分け身の俺には興味がないようだ。
しかし、ロビンは目を泳がせて困惑している。俺……『暗夜』と『ディート』を頻りに見比べ、額から汗を流した。
嫌な予感がして、俺は言った。
「すまん。お前にどちらか選べというのは酷だったな。ロビン、お前も俺と行動しろ。ディートにはアイヴィを付ける」
俺の言葉に、しどろもどろになりながら、なんとかロビンは頷いた。
「は、はい……分かりました……」
「こんな事は遊びだ。深く考えるな」
俺の部屋には、現在、エミーリアとエルナも滞在しているが、あの二名は使徒だ。俺には指示する権利はない。
俺たち使徒は、互いに不干渉が原則だ。そもそも下界での目的には、俺自身の個人的な問題も多く含まれる。
「……」
ロビンは、ディートを見て強く唇を噛み締めた。
「どうした。気になるのは分かるが、そっちは分け身の方だぞ?」
つまり、死んでしまっても問題ない。アイヴィを付けるのも同じ理由からだ。
アイヴィが死んでも問題ない。
勿論、死なせないようにはするが、下界に勇者がいる以上、絶対に大丈夫だと断言はできない。
ロビンの動揺は想像以上に強かった。ディートを凝視して瞬き一つしない。
「……」
ロビンは騎士であると同時に『狂戦士』だ。その強さは折り紙付きだが、同時に精神面での不安を抱えている。その具体的な形が少年の『ディート』だ。
もう落ち着いたと思っていたが、まだ早かったようだ。ディートを前にして、ロビンは落ち着かずにいる。
「……ロビン。どうしてもというなら、一緒に行ってもいいぞ……」
「……」
暫くの沈黙を挟み、ロビンは、ゆっくりと首を振った。
「……あれは、違います。もし死んでしまっても、また創れる。そうですよね……」
「ああ、その通りだ」
「逆に、貴方には代えが利かない。違いますか?」
「そうだ。俺が死ねば、あれも死ぬ」
「だとしたら、私が居るべき場所は貴方の側しかない」
そこで漸く冷静さを取り戻したロビンは、胡散臭そうにディートを睨み付けた。
「あれで何をするつもりですか?」
「主に下界の情報収集。他にも色々だ」
「色々ですか……」
ロビンは意味深に呟いて、それから俺に向き直った。
「暗夜さん。一つお尋ねしたい事があります。いいですか?」
「うん? なんだ、言ってみろ」
「……暗夜さん。貴方は……」
ロビンは上目遣い俺を睨み付けてくる。挑むように言った。
「貴方は、ルシールを愛していましたか?」
「……」
そっちは個人的な問題だ。答える必要を感じない。
ただ、時折は思う事がある。
ピアノを弾いている時。深く思索する時。なんとなく、虚無を見つめている時。
それは、緑の丘を見渡す名もなき教会の神父として過ごす夢だ。
俺は人間の神官だった。
息急くように家路に着いたその先にはルシールが待っている。
子供がいた。俺と同じように、黒い髪の子供だった。
俺は笑っていた。
子供を片手に抱き上げ、残った片手でルシールの腰を抱き寄せて笑っていた。
「……?」
ことり、と音を立てて転がった一粒の泪石見て、俺は首を傾げた。
◇◇
人は見る事をやめない為にのみ、夢を見るのだ。いつか、心の中から輝きが溢れ出て、それでもう他の光や輝きはいらなくなるような時が来るかもしれない。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
皆さま、いつも応援ありがとうございます。ピジョンです。
まず、この場をお借りして、これまでのご支援に心から感謝申し上げます。
『アスクラピアの子』の連載やネット小説大賞での受賞を支えてくださった読者の皆さまに、改めてお礼を申し上げます。
2025年8月1日、マッグガーデンノベルズより、私の作品『アスクラピアの子』に関する契約終了のお知らせが公式サイトにて掲載されました(URL: https://www.mag-garden.co.jp/news/14471/)。詳細は同ページをご確認いただければと思います。
この決定は、双方の協議の結果であり、互いの今後の活動を尊重する形で進められたものです。以降も新たな展開や続きをお届けできるよう、執筆を続けてまいりますので、引き続き応援していただければ幸いです。
私の創作活動がより良い形で続いていくよう、サポートいただける皆様には感謝しかありません。マッグガーデン社とのお付き合いはここで一区切りとなりますが、これまで関わってくださった方々にも敬意を表します。今後は読者の皆様と共に、自由な形で作品を育てていけたらと思います。過度な憶測や批判は控えていただければ幸いです。私の活動はこれからも続きますので、変わらぬご愛顧をよろしくお願いいたします。それでは、また次回の更新でお会いしましょう!