某日
第十二使徒『エリゼオ』。
『神学者』にして『聖者』。類稀なる力を持ちつつ、その生涯を不死者の研究に捧げた。アイネ・クライネ・ナハトムジークは彼の最高傑作だ。
失敗をせぬよう心掛けるばかりに、何も成せない者がある。生前の聖者エリゼオはそういう人物だった。
生まれながらにして、資質に恵まれた聖者エリゼオが心血を注いだのは、聖者としての義務である弱者救済でなく、神学者としての成果……人造人間の作成だった。
夜毎現れ、人を斬り伏せる銀髪の女騎士アイネ・クライネ・ナハトムジーク。彼女は、いわゆる『人造人間』だ。
そのアイネにより、家族を失い、婚約者を失ったエルフの弓使いクラウディアは、エリゼオの作成した『魔人』アイネ・クライネ・ナハトムジークを討ち取る為に命を賭して祈りを捧げ、その祈りは母に受け入れられた。
クラウディアは、アスクラピアより、『フラウグ』、『フィーヴァ』、『フレムサ』という三本の矢を授かった。青い炎によって、あらゆる邪悪を祓い、不死者すら滅するそれらは自ら戻って来るという特性を持ち、決して失われる事がない。
しかし――それらは邪悪な母の作った強力な神具である。クラウディアは矢を放つ度に代償を払わねばならなかった。
アスクラピアは復讐にも加護を与える神だ。だが、復讐はあくまで利己的なものに過ぎない。それ故、求められる代償は大きい。アスクラピアの神性はクラウディアの人間性をも焼き尽くした。
凡そ人間らしい感情というものが全て失われた時。全ての復讐を終えたクラウディアは、自ら命を断った。
結局、何も残らなかったのだ。
人造人間にして、不死者。アイネが燃え尽きる様を見ても、その作成者エリゼオを射殺してもクラウディアは何も感じなかった。達成感もなければ、失われた家族や婚約者に対する哀悼の念も湧かない。己が何者かは理解していたが、記憶は記録でしかなく、それらに何も感じない。
こうして、人として抜け殻になったクラウディアは、第十の使徒としてアスクラピアに召し上げられた。
決して魔人討滅の功績の認められたからではない。復讐を果たした代償として、邪悪な女神の走狗として召し上げられたのだ。それは、後に第十一使徒として召し上げられたアイネもエリゼオも変わらない。
ただ……クラウディアの空虚に満ちた心にも残ったものがある。それは存在証明だ。
何故、弓使いクラウディアは存在したか。
何故、弓使いクラウディアは戦わねばならなかったのか。
それらを考える度、クラウディアは心の虚無に石ころを一つ投げ込むようにした。
何も感じない。
あれほど憎かったアイネやエリゼオを見ても何も感じない。だが、己の存在証明は忘れていない。
魔人アイネ・クライネ・ナハトムジークを赦さない。その作成者、エリゼオも赦さない。必ず殺す。何度でも殺す。それがクラウディアの存在証明だった。
心の虚無に石ころが溜まり続ける。
第十使徒クラウディアは、孤独な使徒だ。どの使徒とも親交がない。母の命じるまま戦い殺す。それだけだ。あれだけ憎んだアイネやエリゼオと何も変わらない。
それが復讐の炎に身を焦がしたクラウディアに与えられた罰だ。
善悪を問わず大勢を殺した魔人アイネと、その作成者であるエリゼオが使徒として召し上げられたのも神が下した罰だった。
復讐には加護を与える。だが、後には何も残さない。それが、アスクラピアの神性が出した答えだ。
しかし――
魔人アイネ・クライネ・ナハトムジークの討滅と、その創造者エリゼオの殺害こそが、エルフの弓使いクラウディアの存在証明であった。
クラウディアは、時折、考えた。
考える度に、心の虚無に石ころを一つ投げ込む。その石ころが百を超えた時、行動しようと思った。
第十七使徒『暗夜』が新しいパーソナリティを獲得し、『個』として存在を証明した時、クラウディアが虚無に投げ込んだ石ころの数が百を超えた。
永き時間を使徒として過ごし、それでも新しいパーソナリティを獲得できなかったクラウディアにとって、暗夜の存在は不愉快極まりなかった。
あの『成り立て』と己とで何が違うのだ。あれには簡単にできた事が、何故、己にはできないのか。
復讐に斃れたクラウディアと、愛深さ故に斃れた暗夜とではまるで違う。
嫉妬とは、詰まる所、消極的不満であり、憎悪は積極的不満である。それ故、消極的不満が積極的不満に変わる事は珍しくない。
クラウディアの背信は、予期できた背信だ。
エルナは、そのように考える。
クラウディアは没個性の使徒だった。そこに軍神が関与した。その神性は戦乱と混沌。没個性のクラウディアは、軍神の神性に溺れた。
結果、クラウディアは背信の罪を犯し軍神の側に付き、第八使徒『殺し屋』ベアトリクスによって討滅された。
殺害依頼を出したのは暗夜だ。
アクアディの街の一角と共に、第十使徒クラウディアは消滅した。殺害方法は――不明。
◇◇
後日、奇妙な部屋にて。
逆印の咎を打ち破り、使徒として返り咲いた第三使徒エルナの部屋は、燃え盛る名もなき教会になった。
守護騎士アシタを殺す。
何処に逃げても殺す。何処に隠れても必ず見つけ出して殺す。追い詰めて殺す。何もかも奪って殺す。
人工勇者も殺す。
今は顔も名前も知らないが、必ず殺す。二人の人工聖女と一緒に殺す。慈悲はない。
「アンナ……アンナ、出て来て下さいよう……!」
そのエルナの呼び掛けに従って、燃え盛る名もなき教会から一人の修道女が現れる。
召喚兵、アンナ・ドロテア。
復讐に燃えるエルナの憎悪が生み出した新しい力の一つがこれだ。
無論、本物ではない。
アンナ・ドロテアの似姿をとるその召喚兵に魂と呼べる物は存在しない。エルナの強い思念と神力が作り出したものに過ぎない。炎を身に纏い、エルナを護り、エルナの為に殺す。
「アンナぁ……抱き締めて下さいよぅ……」
血涙を流すエルナは、ここにアンナの魂が存在すると信じる。その祈りにも似た想いに応じてか、召喚兵『アンナ・ドロテア』は意思を持つようになっていた。
「……お帰りなさい。聖エルナ……」
「はい……はい……!」
紅蓮の炎を身に纏う修道女。アンナは、エルナを抱き締めた。
アンナの纏う炎は全てを焼き尽くすが、エルナだけは焼く事がない。その炎は、エルナにだけは暖かく感じる愛の炎だ。
二人は暫く抱き合っていた。
「アンナ……私と一緒に、来てくれますよね……?」
「ええ、勿論」
召喚兵アンナ・ドロテアは頷くとエルナに取り込まれるようして姿を消して、迸る神力となって銀の翼に変化した。
愛憎の大天使。
聖エルナの誕生だった。
◇◇
第十七使徒暗夜の部屋にて。
暗夜は目を閉じ、心の赴くまま、ピアノを弾き鳴らしている。
「……」
エルナは、うっとりとしてそのピアノに聞き惚れた。
「暗夜、これは……この曲は……」
「リスト。『愛の夢』第三番」
エルナは笑った。
笑いながら泣き崩れた。涙は止まる事なく湧いてくる。
暗夜が大嫌いだ。それは変わらない。だが、この男が弾くピアノの音色は本当に美しいと思う。
エルナに逆印の咎を与えたのは暗夜だ。それは腹が立つが、もう忘れてやってもいい。問題は、その暗夜だけは、エルナが再び神性を取り戻す事を信じていたのではないかという事だ。
だとすれば、本当に嫌な男だ。
自ら罰し、自ら救いを与えた。矛盾したそのさまは、母の神性に似ている。だから、絶対に好きになってやらない。
エルナは、遠慮がちに言った。
「……その……ここで暮らしてもいいですか……?」
アンナは暗夜を慕っていたし、エルナの部屋は燃え盛る名もなき教会だ。暮らすには向かない。
暗夜の部屋は賑やかでいい。
ポリー、アニエス、ゾイ。エルナにとっては娘と呼ぶべき存在がいる。それだけじゃない。性悪のシュナイダーやマリエール。荒っぽいフラニーや馬鹿のジナ。陰険なアイヴィも居て喧嘩が絶えないが、それはそれで楽しい。
「好きにしろ。だが、俺の邪魔だけはするな」
暗夜は素っ気なく言って、やはりピアノを弾き続ける。
「しませんよ。私を何だと思っているんてすか?」
エルナは、そのピアノの上に載った虹色に揺れる小瓶がやけに気に掛かる。
「……それ、その小瓶、なんですか? 妙に気になります……」
「お前には関係ない」
「……」
相変わらず嫌なやつだ。
エルナは、舌打ちしそうになるのを我慢して言った。
「……ルシールの事を、忘れた訳ではないですよね……?」
「お前には関係ない」
本当に冷たいやつだ。
愛していると言いながら、ルシールについて言及する事がないのかとエルナは言ってやりたくなる。
「……その、暗夜。それで……いつから始めるのですか……?」
守護騎士アシタと大神官ディートハルト。及びザールランド帝国に対する復讐。人工勇者と二人の人工聖女の討滅がそれだ。
暗夜は目を閉じたまま、ピアノを弾きながら言った。
「もう始めている。泣いてばかりいたお前と一緒にするな」
「え……?」
名もなき教会が燃え落ちて以来、暗夜が自らの部屋を出た事は一度もない……筈だ。足並みを揃えようと、エルナも機を窺っていたのだが……
使徒は互いに無干渉が原則だ。
そういう意味では、暗夜は本当に使徒らしい使徒だ。
エルナは、思い切り鼻を鳴らした。
本当に憎たらしい男だ。
「お前なんか、大嫌いですよ」
「そうか。誠に結構だ」
だが、虚無の闇に散らばる泪石を見ると、エルナはそれ以上、何も言えなくなる。
もし――
この嫌な男が弱音を吐いた時。助けを求めた時。エルナはどうするのだろう。どうなってしまうのだろう。
エルナには分からない。
「……それで、何処から手を着けたんですか……?」
暗夜は言った。
「パルマだ」
――女王蜂。
邪悪な母の戯れる指先が運命を回す。
暗夜は、どうやら女王蜂と手を組んだようだった。
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