聖エルナの娘たち3
ザールランド帝国に人工勇者と二人の人工聖女が現れた。
その狙いは暗夜だ。
当然だが、勇者たちは前寺院に乗り込んだ暗夜と大神官ディートハルトの違いについて分かっていない。
帝国王宮に乗り込み、大神官ディートハルトを捕らえた。そこで稀人『暗夜』こそがエリシャ殺害の引き金になったと知った。
守護騎士アシタ・ベルは遠回しに身柄を要求したが、勇者から実際に求められたのは、暗夜とルシールの命だろう。
勇者は、大神官の命を盾に取り、帝国を使って遊んでいる。俄には信じ難い事実を前に、帝国を試している可能性もある。
大神官ディートハルトを人質に取られた守護騎士アシタには、選択肢がなかった。
それがこの悲劇を生んだ。
純鉄の剣に胸を貫かれたルシールが、がっと血を吐いて倒れた。
「……!!」
その瞬間、エルナにとって時間はやけにゆったりと流れているように感じた。
――致命傷だった。
ルシールとの間には色々とあった。
嘲られ、張り倒され、日々の雑役にこき使われた。だが、この事態を楽しいとは思えない。
エルナの胸に過った思いは一つ。
この事態を、暗夜にどう言い訳すればいいのか。
使徒の当為により、暗夜が場を外してすぐこうなった。ルシールが致命傷を受けた。その責任の所在は何処にあるのか。
凶刃を振るったアシタ・ベルか。それとも、ディートハルトの命を盾に取ってアシタにこの凶行を促した人工勇者か。全て違うような気がしてならない。
決定的な瞬間は、いつだって唐突に訪れる。そんな時、言い訳の言葉を探しているエルナは、だからこそ真の聖女になれない。
その場に倒れ伏すルシールの姿に目を見開き、ゾイが叫んだ。
「――先生!」
時が動き出す。
聖エルナの娘たちは、この期に及んで怖じ気付くほど弱くない。
叫ぶのと同時に、ゾイの振るったメイスがアシタの騎乗する馬の顎をかち上げ、瞬間生じた隙にポリーとアニエスがルシールをアシタから引き剥がし、引き摺るようにして背後に下がる。
「教会まで下がれ!」
修道女の中で、唯一、戦闘特化であるゾイの言葉に頷いたポリーらがルシールらと教会に向けて引き下がり、その後をクロエが追う。
剣は振り下ろされた。
ここより先は、言葉でなく力で推し通らねばならない。
嘶き、暴れ狂う馬から飛び降りたアシタとゾイの一騎討ちが始まった。
エルナの見立てでは、帝国にて騎士として鍛えられたアシタと、困窮する日々の中、ダンジョンで力を練り上げたゾイの打ち合いは、ほぼ互角。
帝国騎士団は手を貸さない。
『騎士』には『武勇』の戒律がある。非武装のルシールに剣を振るったアシタの行為は、騎士としては恥ずべき事だ。それが騎士団の腰を重くしている。結果として、決闘を見守る形になった。
「よくも! アシタ!!」
小躯とはいえ、ドワーフの怪力から繰り出されるメイスの打撃は強烈だ。そして息吐く間もない接近戦。
これを危険と見たアシタは素早く引き下がり、剣先を教会に向けて叫んだ。
「ぼさっとするな! 追撃しろ! ルシール・フェアバンクスを逃がすな!!」
「アシタぁあぁあ!!」
激昂して叫びながらも、ゾイは素早く目配せして、戦況を見守るエルナとアンナに視線で撤退を促して来る。
「――ッ!」
アンナは、エルナの手を握って来た道を逆に駆け出した。
今は教会に引き籠もり、暗夜の帰還を待って反撃に転じる。それがゾイの立てた戦略だろうが……殿を引き受けたゾイは間違いなく死ぬだろう。エルナが残っていたのは、この経緯に固まっていたからではない。ゾイを見捨てる訳には行かないからだ。
だが、現実はあまりにも残酷で――
聖エルナの娘たちは、あまりにも不利な撤退戦を要求される。
「アンナ! ゾイが! ゾイが!!」
ゾイとの間にも色々とあった。
初対面から反抗的だった。二面性があり、決して油断ならない性格のゾイは、やる事だけはしっかりやる。この寡黙なドワーフの娘が、死神の涙を取り戻した。エルナの事を嫌っていた筈だ。だが、やる事はしっかりやる。そのゾイの最後は、その身を盾に、無力なエルナの撤退を援護する事だ。
「全員、動くなっ!」
大喝したゾイが懐から泪石を取り出し、それを媒介にして強力な神聖結界を展開した。今の教会には暗夜の施した加護があるが、その加護が更に強化される。
後ろ髪を引かれる思いで振り返ったエルナの見た光景は――
「やぁあぁっ!」
ゾイが雄叫びと共に剛力でかち上げたメイスが、アシタの長剣を弾き飛ばす光景だった。
勝負あり。
「早く下がれ!」
ゾイが油断なく叫び、撤退戦は終わらない。次の瞬間には、そのゾイと帝国騎士団との戦いが始まった。
メイスを手に、身構えるゾイに対し、帝国騎士は八人。暗夜の残した加護と泪石の加護があるとはいえ、多勢に無勢。
そこに残り、一手に殿を引き受けるゾイの命運は極まった。
「アンナ! ゾイが! ゾイ……!」
アンナは振り返らない。
抵抗が強いと見るや否や、エルナを抱きかかえて走り出した。
言い訳は全て卑劣だった。聖エルナは、ゾイを生贄にして逃げ出した。その事実は、幾ら取り繕おうと変わらない。
無力なエルナはアンナに抱えられ、教会へと急ぐ。
そのアンナの肩越しに見たゾイは、帝国騎士八人を相手に互角以上の立ち回りを見せているが、それもいつまで保つか……
そこまでエルナが考えた時、ゾイが雷に打たれたかのように身体を震わせたかと思うと動きを止め、棒立ちになった。
「……ゾイ?」
殿を買って出たゾイが、無念の表情で振り返る。その胸に矢が突き立っていた。
射られたのだ。
ぐらり、とゾイの身体が傾いて、のろのろと引き下がるのを見て、アシタが制止するように手を上げた。
その次の瞬間、エルナが見上げた夜空に見たのは、雨のように降り注ぐ純鉄の矢だった。
「――アンナ!」
エルナは、悲鳴を上げるのと同時に、アンナの身体越しに鈍い衝撃を感じた。
鈍い音がして、アンナの背中に純鉄の矢が突き刺さる。
「……っ!」
一瞬、苦痛に顔を歪めはしたが、それでもアンナは止まらない。その身を盾にエルナを守り、教会まで逃げ果せた。
「アンナ! アンナ……!」
ぜいぜいと荒い息を吐くアンナの口元に血の雫が垂れ落ちる。
『純鉄』の矢だ。
母の加護を受けるアンナは力が抜けている筈だが、アンナは歩みを止めない。それは命を糧に燃やす精神力だ。そんなものが長持ちする訳がない。
エルナは言葉もなく。
「……」
アンナは扉口を抜けた身廊で力尽きた。柱の陰にエルナを隠し、背中を身廊に向けて踞った。
「アンナ……」
娘が、また一人死ぬ。エルナを庇って死ぬ。
アンナはか細い声で呟いた。
「……大丈夫……神父さまが、すぐ帰って来ます。そうしたら……」
「……」
「聖エルナ……貴女は……」
そこまで言ったところで、エルナは、またアンナの薄い身体越しに鈍い衝撃を二度感じた。
「んぐっ……!」
アンナが強く食いしばった唇が破け、流れ出た血がエルナの頬を伝って落ちた。
アンナは動かない。
倒れてしまえば、動いてしまえば、エルナを隠し切れなくなる。
「…………」
エルナは黙っていた。
親が子を盾にして、自らを助けるような事があってはならない。だが、ここで感情的になって動いてしまえば、アンナの献身を無駄にしてしまう。それだけはあってはならない。
聖エルナは嫌われ者だ。
嫌われ者には、嫌われるだけの理由がある。本当は、今すぐにも立ち上がり、帝国騎士共に飛び掛かってしまいたいがそうしない。
「……」
嫌われ者の聖エルナは、黙って献身的な娘の死に様を見ているだけだ。
涙は、心にずっと近い。
エルナの頬に大量の涙が伝う。
「アンナ……アンナ……! 死なないで……死なないで下さいよう……!」
そのエルナの唇に、そっと指先を当て、言葉を封じたアンナが見せた顔は、どこまでも優しい微笑みだった。
◇◇
運命は夜空の星だ。
いずれ燃え尽きる宿命にある。
だが、無言のうちに、決して燃え尽きぬ情熱がある。
私は愛なきゆえに力なく、戦いのうちに剣を持たない。
私は目的に達した事がない。
私の力は敵を圧倒した事がない。
私の手は、ついぞ勝利を掴んだ事がない。
――第三使徒『聖エルナ』――
◇◇
カクヨムの限定記事にて80話先行しています。
昨日だけでカクヨムの限定記事に20人のユーザー様が来てくれました。応援、ありがとうございます。カクヨム優先ですが、なろうでも早めに勇者編、投稿しようかと思っています。よろしくお願い致します。