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アスクラピアの子  作者: ピジョン
幕間 『聖エルナ』編
285/309

聖エルナの娘たち2

 夜の闇の中を銀の甲冑が蠢いている。夜陰に紛れる黒い外套マントを靡かせて――守護騎士アシタ・ベル。


 そのアシタを筆頭に、やって来たのは一個大隊規模の帝国騎士だ。


 外套にはザールランドの燃える日輪を背負い。甲冑の胸の部分には、杖に絡み付く蛇の紋様が刻まれている。大神官ディートハルト・ベッカーを守護する騎士たちだ。


 あの頼りなかった鬼の娘が、今は立派なものだとエルナは考える。

 アシタ・ベル。

 面頬を下ろした兜から、鬼人オーガの象徴である角が覗いている。


 先頭を行くのはルシールだ。

 その後にゾイ、ポリー、クロエ、アニエスらが続き、アンナとエルナが続く。


 騎乗するアシタは、篝火すら焚かず、ランタンの灯りだけを頼りに軍勢の指揮を執っている。


 その光景に、エルナは底知れぬ恐怖に襲われた。


 以前のエルナにはなかった恐怖だが、今の『人間』エルナは暴力の恐ろしさを知っている。大挙して押し寄せた騎士たちの威容に、恐怖から息を飲むエルナに、アンナがそっと耳打ちした。


「……聖エルナ。貴女は私の後ろに……」


「は、はい……」


 扉口を抜け、門戸に向けて歩くルシールは振り返る事すらしない。

 ルシールは嫌味たっぷりに言った。


「これはこれは。この名もなき教会に、騎士殿が大勢でなんの用でしょう?」


「……」


 守護騎士アシタは答えない。

 額当の部分を僅かに上に開け、怪訝な表情を浮かべて馬上からルシールを見下ろしている。


「なんの用だと言ってるんですよ、アシタ。お前は、以前から決して頭がいいとは言えませんでしたが、とうとう言葉も忘れたんですか?」


「……おばちゃん。若返ったな……」


 そうだ。

 今のルシールは、目の前のアシタと比べてもあまり変わらない。見た目だけなら、少し歳上という風貌だ。


「あいつ……マジで帰って来たみたいだな……」


「だから……?」


 ルシールは、馬鹿にしたような笑みを湛えている。実際、おかしいのだろう。


「立派になりましたね……こんな夜更けに、人目を忍ぶように現れたお前は挨拶一つしない。大神官さまとやらの権威が知れますね」


 アシタは、やりづらそうに舌打ちした。


「……ヤツは何処だ? 何処にいる? 私を呼んだのは、あの野郎だろ。こうして来てやったんだ。話ぐらいさせろよ……」


 ルシールは嘲笑った。


「話? こんな夜更けに? そんなに大勢の騎士を連れて? お前の言う事は、以前からよく分かりませんでしたが、これは極めつけですね」


「……」


「お前は、話なんかしに来た訳ではないでしょう。差し詰め……暗夜の身柄拘束にやって来たというところでしょうか?」


 それは『不可能』だ。

 六年前、当時はディートハルト・ベッカーと呼ばれていた暗夜が一人で前寺院を壊滅させた事を思えば、一個大隊規模の人員ではまだ少ない。ザールランド騎士団が無能とは言わないが、使徒である暗夜は相手が悪すぎる。

 アシタは、ギクリとしたように目を見開き、軽く唇を舐めた。


「……つっ、違う。それは……」


 ルシールの言葉は、図星を突いたのだ。ただ……暗夜を拘束しようとする理由が分からない。


 アシタは、ルシールの追及を躱すように視線を逸らし、その背後に立つゾイに視線を向けた。


「ゾイ、久し振りだな……って、お前は相変わらず小せえな……」


「……」


 その挑発とも取れる言葉に、ゾイは答えない。表情一つ変えず、右手に持ったメイスを肩に乗せた。

 アシタは、少しだけ悲しそうに言った。


「……皆、私の事を敵を見るみたいに見るんだな……」


 それに答えたのはポリーだ。


「……あんたが、まだ小さいディートちゃんを連れてったんだろう。それから便り一つない。グレタとカレンも帰らない。あたしからは、何を考えてんだって言っておくよ……」


 そのポリーの言葉に、アシタは眉をひそめて見せた。何か言いたい事があるのだろうが、六年という時間は長過ぎる。言い訳する段階は、とうに終っている。

 ゾイが言った。


「……夜も更けて、寝もやらず、家に帰らずにいるのは困窮と悪徳だけだ……出直せ……」


 暗夜なら、そう言っただろう。

 ゾイの言葉は、それを踏まえてのものだ。アシタの狙いが知れない今は、『留守だ』とは言わない。


 アシタは、うんざりしたように首を振った。


「お前たちは包囲されている。ヤツを差し出せ」


 その言葉に呆気に取られ、聖エルナの娘たちは手を打って嘲笑った。

 ルシールは一歩も引かない。


「何故? 罪状は? そもそも、お前たち程度にどうこう出来る相手だと思っているのですか?」


 『死神』の異名は伊達じゃない。

 六年前、暗夜が何人殺したか知らない訳じゃないだろう。ルシールはせせら笑った。


「大神官さまは、お元気ですか? 暗夜の力で着いた地位の居心地はどうですかとお伝えください。さぞや立派な自尊心をお持ちなのでしょうね」


 そうだ。

 エルナもその言葉には同意する。

 大神官ディートハルト・ベッカーの力と地位は借り物だ。本来、その力を持っていたのも、地位を築いたのも六年前の暗夜だ。その移し身であった少年には、なんの権利もない。

 ルシールの辛辣な言葉に、アシタは忽ち口籠った。


「そ、それは……それは……」


 間抜けなアシタ・ベル。

 それがエルナの印象だ。そもそも鬼人オーガは賢くない。押し問答になれば、妖精族の血を引くルシールに敵うべくもない。

 なんとでも言いようはあるだろう。

 ルシールの挨拶にもならない嘲弄の言葉にも、アシタは返す言葉がない。根は真面目なのだろう。そして、あんまり頭の出来がよろしくない。

 ルシールは強く鼻を鳴らした。


「それで、罪状は? 暗夜を引き渡せというからには、明らかな罪状があるのでしょう? それとも、帝国騎士は法の遵守すら忘れたのですか?」


「……っ、それは……」


 アシタは視線を彷徨さまよわせた。


 エルナが察するに、これはアシタの独断だ。だが、その行動に至った理由が分からない。暗夜の『怖さ』を知らない訳ではないだろう。だが、今回はそれをした。

 嫌な予感がする。

 暗夜は、常々、鬼人オーガを嫌っていた。豪快で気のいい所もある種族だが、その反面で思慮に欠け、短絡的で腕力に頼る傾向がある。


 そして、口の上手い妖精族と、口下手で腕力自慢の鬼人オーガはとことん相性が悪い。


 ルシールの言葉に何一つ反論できず、アシタは怒りに肩を震わせた。


「……ヤツの罪状は……聖女殺しだ……聖女エリシャ・カルバートの殺害がヤツの罪状だ……!」


 その言葉に、ルシールは目を丸くして言った。


「……今さら? しかも? それを良しとしたからこそ、今の大神官さまの立場があるのでは……?」


 問答にすらならないアシタの言い分に、ルシールを含めた修道女シスタたちは、くすくすと嘲笑った。

 エルナは笑えない。

 何も言い返せないアシタは確かに馬鹿だが、それだけではないような気がしてならない。


 アスクラピアの『使徒』である暗夜を捕らえる。


 その覚悟を持って現れた守護騎士アシタ・ベルは、今、決して嘲笑っていい存在ではない。


「……あいつが……あいつがエリシャを殺したりなんかするから……!」


 ルシールは、抱腹絶倒の勢いで嘲笑いに噎せた。


「何度言わせるのです。だから、それこそが大神官ディートハルト・ベッカーの拠って立つ所でしょうに」


 修道女シスタたちの嘲笑は止まらない。嘲笑われて当然の事をしているのだから当たり前だが……

 エルナは、そこに恐怖する。

 嘲笑われるのを覚悟でやって来たアシタに恐怖した。

 アシタの肩が怒りに震えている。呟くように言った。


「……勇者が来た……」


 その言葉に、ルシールは笑みを引っ込め、眉を寄せた。


「……なんですって?」


 アシタは叫んだ。


「だから、勇者が来たんだよ! 化け物みたいな聖女二人を連れて、勇者がエリシャの仇を取りに来たんだよ!!」


 それは……恐らく秘事であったのだろう。だからこそ、アシタは嘲笑われなければならなかった。

 アシタは言った。


「ディは……勇者に人質に取られてる。私には、こうする以外に道がない」


 六年前、当時の暗夜が恐れた人工勇者がついに現れた。大神官の身柄と引き換えに、暗夜の身柄を要求したのは、その人工勇者だ。そこまではエルナにも分かる。

 嫌な予感が止まらない。



「ルシール・フェアバンクス。勇者は、お前の身柄も要求している」



 勇者がエリシャの仇として認めたのは、暗夜ともう一人。前寺院に乗り込んだ暗夜と共に行動したルシールだ。


 刹那、アシタは抜剣した。

 月明かりを受け、闇夜に煌めくのは軍神の錆び付かぬ魂。『純鉄』の長剣。


「私もガキの使いじゃないんだ。もう一度言う。暗夜は……あいつは何処だ?」


 だが、それを見てもルシールは一歩も引かない。むしろ笑みを深くして嘲笑った。


「何処までも頭の悪い鬼の娘! それが大挙して押し寄せた理由ですか! 刃を向ける相手が違いますよ!」


 守護騎士アシタ・ベルには、やむにやまれぬ事情があった。


 エルナは考える。

 抜き差しならない事態に追い込まれた時、人はどのような行動を取るのだろう。守護騎士アシタ・ベルの出した答えはこうだ。


「ルシール・フェアバンクス。これが最後だ。もう一度だけ言う。暗夜は何処だ!」


 ルシールは嘲笑った。


「残念! 今は留守ですよ!」


 アシタは険しい表情で呟いた。


「そうかい……だったら……」


 そして――


 ルシールは刺された。


 アシタの振るった純鉄の長剣に、身体の、ほぼ中央部分を刺し貫かれたルシールの背中から剣先が飛び出した。


 致命傷だった。

カクヨム限定記事にて勇者編終了しました。なろうでの勇者編投稿は九月以降を予定しています。

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― 新着の感想 ―
自分の神にまで恩を誓ったくせにこれだもんなぁ……。 頭が悪いとかじゃなくて、角が折れた時に誇りもどっかに行っちゃったんでしょうよ
待ってました!!
ルシールううううう…! アスタおまえ本当に頭悪いな!!!(涙涙涙) 更新ありがとうございます!!
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