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アスクラピアの子  作者: ピジョン
幕間 『聖エルナ』編
270/310

聖エルナ1

 先ず、ギュスターブが命を食い荒らされて死んだ。


「何を迷ってるの?」


 どうしようかと迷っている内に、ローランドも死んだ。


 虚無の闇の中に無数の死神が立ち、迷うエルナを嘲笑っている。


「早くしないと、ほら」


 『死神』暗夜ヨルから恐ろしい程の神気が溢れ出す。聖女であるエルナをして知らない術だ。


 死神はそこかしこに立ち、手を差し伸べている。


「今よ、エルナ。早く……!」


 純鉄の短剣『神官殺し』を差し出し、エルナの耳元で囁くのは、第十使徒『クラウディア』だ。


「ああ……のんびりしてるから……」


 ギュスターブとローランドが死神にやられてしまった。エルナが覚悟を決めず、ぐずぐずしていたせいだ。


 弓を引き絞り、その照準を彷徨わせるクラウディアが、念話でエルナに囁やき掛ける。


「……早く。アウグストが危ない……」


 そのアウグストが、『無常』に叩き込まれるのと、エルナが『神官殺し』で死神を突いたのは殆ど同時の事だった。


 ――間に合わなかった。


 アウグストは『無常』に飲み込まれ、虚無の闇の中に消え去った。二度と戻らない。

 暗夜は、疲れたように言った。


「……そう来たか……」


 純鉄の短剣『神官殺し』は確かに暗夜を捕らえたが、その刃は身体を貫くには至らない。

 暗夜は用心深く、神官服リアサの下に帷子かたびらを着込んでいたようだ。

 エルナは絶叫した。


「あ、ああああああ! 死ね! 死ね! 暗夜! お前は死ねぇえぇえぇえぇ!!」


 何度も『神官殺し』を突き込むエルナの姿を見下ろす死神の暗い瞳が、失望の色に染まっていた。


「……聖エルナ……とても、残念だ……」


 そこかしこに立つ死神の一人がエルナの顔を鷲掴みにして吊り上げる。


「暗夜! 暗夜!! ギュスターを返せ! ローランドを返せ! アウグストを返せえぇえぇえ!!」


「あ、そう……」


 尚も暴れ狂うエルナの手を、死神の一人が打ち据える。『神官殺し』が虚無の闇に消え去った。


 ――全て、死神の手の平の上の出来事だ。


 エルナの裏切りは勿論、神官殺しで刺される事すら読まれていた。

 暗夜は、つまらなそうに言った。


「とても残念だ」


 刹那、エルナが思い浮かべたのは、長命種エルフのマリエールだ。あのエルフが、別の『部屋』から戦況を操っている。『神官殺し』を回収したのは、マリエール・グランデだ。


「人は……何故なにゆえ生きるか……」


 ――愛ゆえ。


 『逆印』の祝詞。この呪詛は特別製だ。暗夜は、エルナの裁きをアスクラピアの手に委ねようとしている。


 アウグストとギュスターブが人間に見切りを付けていた事は知っていた。一応、諌めはしたが、二人の心情は察するに余るものがあった。


 ――だから、見逃した。


 母は復讐を是とされる神だ。ならば、アウグストらに復讐の機会があっていいではないか。


 様々な思いが、エルナの胸の内を駆け巡って消えて行く。


 アスクラピアが、エルナを咎める筈がない。邪悪の根源は暗夜だ。


 ――何故? ――分からない。


 ギュスターブとローランドの命を喰い奪った暗夜の神力は恐ろしく強力だ。だが、それだけでは逆印は刻めない。『逆印』を刻むには、母の許しが必要だ。その罪を咎める母の意思がなければ、逆印は刻めない。


「放せ! 放せえぇえ!!」


 母が逆印の使用を許す筈がない。何の根拠もなく、エルナはそう考えた。

 そして――

 額に焼きごてを押し付けられたような激しい痛みが走り、エルナの額に呪われた『逆印』が刻まれた。


 エルナに逆印の咎を為した暗夜は、憐れむように言った。


「母の嘆きと怒りを知れ」


「ぎゃああああっ!」


 経験した事のない激痛に、エルナは悲鳴を上げた。


 その日、アスクラピアの定めた使徒の半数が世界から姿を消した。


 アウグストは白蛇によって首を切られ、ギュスターブとローランドは暗夜に喰い殺された。


 アイネとエリゼオは、クラウディアによって背後から射抜かれ、バルナバスは軍神アルフリードに一刀両断にされた。


 そして、エルナは……母の怒りを買い、逆印の咎を受けるに至った。


 ――酷い冗談だ。


◇◇


 しとしとと、雨が降っていた。


 『暗夜』とはよく言ったものだとエルナは思う。


 第十七使徒、暗夜の新しい『部屋』は、いつも雨が降っていて、そして、決して明けない夜が続く。


 波止場に立ち、雨の夜空を見上げるエルナの肩をフラニーが軽く叩いた。


「おい、そろそろメシにすっぞ」


 『雨の部屋』には常に二人の獣人が居て、この空間の変化を見守っている。


 一人はフランチェスカ。

 フラニーと呼ばれているハイエナ種の獣人。あの邪悪な暗夜の弟子。

 もう一人はジナ。お世辞にも賢いとは言えない犬人ワードッグ


 フラニーとジナは二人で一組だ。いつも一緒に行動している。


「おら、そのデコっぱちに巻いとけ」


 ムセイオンに六年居たフラニーは、それ故か粗野で口が悪い。乱暴に言って、エルナにバンダナを投げ渡した。


「……」


 第三使徒、聖エルナは逆印の咎を受け力を失った。アルフリードの介入により、火の海になった部屋から避難した後は、フラニーに保護され、『雨の部屋』での生活を余儀なくされている。


 船が停泊する港の向こうにある波止場を突き当たりまで進み、そこにある灯台が今のエルナの住居になっている。


 そこは雨風が凌げるだけでなく、電気も通っており、灯りもある。


「今日もお魚ですか? 私、野菜しか食べませんよ」


「オメー、いい性格してっな。師匠を背中から刺すだけあるわ」


 フラニーはニヤニヤと笑っているが、その目は全く笑っていない。


「……ったくよ。なら、魚は避けろ。野菜だけ食えばいいだろ……」


 エルナは小さく鼻を鳴らした。


「魚と一緒に煮てますよね。味が滲みていて、食べれたもんじゃありません。他の物を持って来なさい」


「マジか、テメー……」


 平然と言ったエルナを、フラニーとジナが目を剥いて見つめている。


「なんで驚くんですか? 何か、おかしな事を言ってますか?」


「なめてる?」


 ジナが笑いながら、エルナのこめかみを人差し指でぐりぐりと押した。

 エルナの我儘に対する警告だ。


「やめなさい」


 そのジナの手を、ぴしゃりと張って、エルナは言った。


「早く別のものを。お腹が空きました。飲み物は白湯で構いません」


「……マジかよ。スゲーな、お前。なんで、そこまで偉そうに出来んだ……?」


「お前じゃありません。聖エルナと呼びなさい」


「……」


 フラニーは、ぎゅっと眉間に皺を寄せて黙り込んだ。


 プライドの高いエルナにとって、今の状況はやむを得ないものとはいえ、不本意だ。確かに、フラニーとジナには世話になっているが、それは頼んだ訳じゃない。

 エルナは当然のように言った。


「馴れ馴れしくしないで下さい。それとベッドが少し固いような気がします。なんとかなさい」


 それに答えたのはジナだ。


「やだ。気に入らないなら、床で寝ろ」


 そう言って、ジナは地べたに海藻を投げ捨てた。


「なんですか、これ」


「やさい。うみで取って来てやった。食え」


 ジナの事は、馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまで馬鹿だと思ってなかった。

 エルナは眉間に深い皺を寄せた。


「冗談はお止しなさい。まともな食事も知らないのですか?」


「……」


 ジナは、にっこり笑った。

 この『雨の部屋』では、食事を調達するのは結構な苦労だ。その為、日々の食事はアイヴィが用意してくれるが、それ以外には海の幸しかない。エルナの我儘を叶えるには、暗夜かマリエールに相談するしかない。そして、ジナもフラニーも、種族柄、上下関係には厳しい。暗夜を手に掛けようとしたエルナは、群れの序列で言えば最下層以下だ。敵だと言ってもいい。


 それでもフラニーが情けを掛けたのは、逆印を刻まれ、力を失ったエルナを不憫に思ったからだ。


「いいぞ、ジナ。一発入れとけ」


 ジナには逆印を刻まれた辛い過去がある。それだけに、エルナの事は気に掛けていたが、それも限界だった。

 ジナは、エルナの頭を強く張った。


「ばか、いいかげんにしろ」


 ベシンと大きな音がして、その痛みと驚きで頭を抱えたエルナの目に、じわっと涙の粒が浮かぶ。


「な、なんで叩くんですか? それと、馬鹿に馬鹿と言われたくありません」


 フラニーは感心した。


「……聖女って、すげーな……」


 力を失い、使徒としての力をなくしたエルナは、フラニーの見る限り、偉そうなだけの子供だ。自分では何もしない。命令する事に慣れていて、しかも頑なだ。誰の言う事も聞かない。


 フラニーは、暗夜が寄り付かない訳を理解した。


 こんなヤツには、愛想の示しようがない。本当に嫌なガキ。それがフラニーの認識だ。


 まず、一般常識を叩き込め。


 師匠である暗夜の言葉を思い出し、フラニーは途方に暮れた。

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