26 代償
俺が『死の言葉』を使ってヒュドラ亜種の呪を祓った後、ダンジョン前は大騒ぎになった。
喧喧囂囂。
騒ぎ立てる冒険者たちの話題は大きく分けて二つ。
一つはアレックス。
命からがら逃げ帰ったものの、ダンジョンから強力な呪を持ち帰り絶望視されていたが、悪運強く命を拾った。
二つはアンデッド化したヒュドラ亜種の呪いを祓ったガキ。
……俺の事だ。
悔しい事に呪詛返しは成らなかった。そして消費された神力は戻ってこない。母に支払う代償の額面も変わらない。
格好付けて筋肉ダルマに猫の尻尾を叩き付けたまでは良かったが、急激な神力消費による消耗は誤魔化しようがない。
目を回し、またしてもぶっ倒れる寸前で俺をかっさらうようにしてその場から連れ去ったのは遠造だ。
「先生、大丈夫か?」
「……」
俺の方には既に応える余裕はない。多量の汗が顎を伝い、滴り落ちて行く。視界はぐにゃぐにゃに揺れ動き、最早誰かの治癒どころの話ではない。
……本来、あの術は今の俺が使用出来るような術じゃない。この身体にあるディートハルト・ベッカーの記憶と気紛れな母の助力あってこそだ。
祈りも神力も圧倒的に足りない。この身に過ぎた力の代償に、アスクラピアの蛇は何を持って行くのだろうか。
後悔はない。
全て承知でやった事だ。
覚悟と代償なくして大きな力は使えない。
逃れられない闇が迫り、俺を捉える。
しみったれた母が代償を求めてやって来たのだ。
◇◇
いつからか俺は、一寸先も見えない暗がりにいて、怯える事なく目の前の闇と対峙していた。
――馬鹿な事をしたね。
そこに居たのは、俺の知っているディートハルトでありながらそうでない。ヤツはもう行ってしまった。目の前のそいつは、時を追って消えていく残滓のようなものだ。
――君は二十年の寿命を失った。
身の程を過ぎた力の代償としては妥当だろう。
だが、それがどうした?
「お前、アホか? 母をなんだと思っている」
例えば……
危ないから、損するから、怖いから。理由はクソ程あるだろうが、言い訳して試練から逃げるようなヤツが、母に……神に認められるとでも思っているのだろうか。
母は超自然の存在だ。これに名を付けるとしたら、その存在は『神』と呼ぶしかない。
神の考えは俺たち虫けらには理解できない。助けて下さいと甘えて、それを受け入れるような優しいヤツじゃない。
だが、見守っている。俺のする事を見つめている。そして――
試練に立ち向かった俺の命まで奪う事はしなかった。
「……二十年か。まあまあ行ったな……」
人を呪わば穴二つ、とはよく言ったものだ。
いつだって母は見守っている。俺のする事を見つめているのだ。今回は手加減してくれた。素直にそれを喜ぶ程のアホじゃないし、失った寿命は勿体ないとも思う。
だが――
「長生きする事に、何か意味があるのか?」
大切な人は、俺を置いて行ってしまって久しい。誰かを愛している訳でもない。特別、思い残す事もない。ならば俺は、この命を燃やして全力で駆け抜けたいのだ。
「ディートハルト・ベッカー。お前はもう出て来るな。これ以上、思い煩うな。もう休め」
俺は、この道を独りで踏み締めて往く。
「俺もじきに行く。その時は、心行くまでお前の説教を聞くとしよう」
だが、願わくば――
頭上に輝く清らかな銀の星が、新たなる道を指し示しますように。
◇◇
結果として――
ダンジョン『震える死者』の深層に潜むヒュドラ亜種の討伐に失敗したアレックスのパーティーは壊滅した。
別にアレックスが敵を舐めていた訳じゃない。回復役なしとはいえ、アレックスは十二分に回復薬を用意していたし、自らを含むオリュンポスに居る前衛の力を糾合し、これに挑戦したが力及ばず、玉砕した。
犠牲者はアレックスを除く四人。パーティは全滅したと言っても過言ではない。オリュンポス全体で言えば、クランの力は激減した。
これにより、クラン『オリュンポス』のギルドランクはAからCに降格した。
クランマスターであるアレックスの再起の目処が立ってない今、これはうんと甘めの裁定だと思う。
現在、『オリュンポス』には前衛を張れる戦士職が居ない。
『ローグ』の遠造は、弓、剣、ナイフに暗器、体術、小器用に何でもこなすがダンジョンの深層で前衛をこなせる程の『戦士』じゃない。遠造の役割は優秀な斥候であり、罠を見破る盗賊職だ。
クランのサブマスターであるアネットは『レンジャー』のクラスだ。役割は遠造と被る事が多い。
優秀な斥候としては勿論、剣、弓、暗器、体術、やはり何でもこなすが、遠造との大きな違いは『錬金術』を使う事だ。
ハーフエルフ。
半分は人間。半分はエルフ。容姿こそマリエールと同じように整っているが、マリエールは純粋なエルフだ。二人は仲が悪いのか、殆ど口を利かない。
呪詛返しこそ失敗したものの、アンデッド化したヒュドラ亜種の呪を祓う事に成功した俺は一躍有名人になり――
その後、一ヶ月近い時の殆どをベッドの上で過ごした。
報酬として、銀貨で六百五十五枚――6,550,000シープ。アビー曰く、上区画に家が立つ金額らしいが、『上区画』というものを知らない俺にはその価値が分からない。
俺が支払った代償の価値は分からない。その代わりに得た山ほどの銀貨を見て喜ぶだろうと思っていたアビーだが、変わり果てた俺の姿を見て激昂した。
「あぁ~ディ、ディ……! あれだけ無茶はするんじゃないって言っただろう!!」
簡単に言って、俺は弱体化した。死にやすくなった。元は茶色だった髪に白いものが混じるようになり、身体の線も一回り細くなった。
遠造曰く、レベル『ドレイン』の症状らしい。
ダンジョンに入り、魔物を倒す事で発生する『魔素』を取り込む事が出来れば症状の回復が見込めるようだ。
しかし――
ダンジョン法に於いて、十五歳以下の者はダンジョンアタックを禁止されている。
アビーの怒りは深刻だった。
「アシタ! ゾイ! あたしは何度も言ったよねえ! なんの為にあんたら二人をディに付けたと思ってんだ? ええ、おい!?」
アシタは角を折られる事こそなかったが、激怒したアビーに鞭で百回以上打たれ、再び『メシ炊き女』になった。
アビー曰く――
「この穀潰しがッ!!」
ゾイの場合は更に酷い。
俺の護衛兼お付きという役割を解いた上で、アシタの倍以上の回数鞭で打った後、奴隷商に叩き売ろうとした。
俺が止めた事で奴隷商に売り飛ばされる事だけは免れたが、アビーの怒りは収まらず、ゾイもまた『メシ炊き女』になった。
アビー曰く――
「この役立たずがッ!!」
◇◇
そして、『オリュンポス』に対するアビーの反応は激烈を極めた。
「あんたら、よくもディをやってくれたね!」
クランハウスに乗り込み、息巻くアビーだったが、ここでアネットがとんでもない暴挙に出た。
俺にはこいつが何を考えていたか分からない。アネットは銀貨五枚をアビーに押し付けた上で、クランハウスからアビーを追い出そうとした。
この交渉に当たったのがアレックスならこうはならなかっただろう。だが、この時はダンジョンで受けた両手の負傷の治療の為、『寺院』に居た事がトラブルを大きなものにした。
慌てて割り込んだマリエールと遠造が何とか話を纏めたが、その内容が酷い。
俺は力の限りアレックスからぼったくったが、それを無視したアネットが、たったの銀貨五枚でアビーを追い払おうとした事がアビーの怒りを更に激しいものした。
「クソ野郎共! ナメやがって! ……ナメやがって!!」
最早、狂乱の域まで激昂したアビーを諌める為、オリュンポスは俺との契約を見直し、更に賠償金としてパルマの貧乏長屋の権利書を譲渡、新たに賠償金として銀貨三百枚をアビーに支払った。これは、ほぼ全損したと言っていいアレックスの両手の治療を続行する為だ。
ちなみに、この交渉の殆どを纏めたのは遠造だ。マリエールは頭はいいが無愛想で交渉には向かない。そもそもこの女の価値観には難がある。それは脳筋のアレックスもだ。アビーは狂乱したと言っていい程に激昂しており、脳筋がよく使う脅しは話を拗れさせる可能性が大いにあった。
アビーには、何にも代え難い美徳がある。
女王蜂は、俺を金で売らなかった。
山ほどの銀貨を並べられても見向きもせず、暴力を盾に凄むアネットを前にしても一歩も引かず怒り狂った。
そして、この女は、行く宛がないガキには必ず手を差し伸べる。
生きる為、苛烈な判断をする事もある。時には残酷な事もする。たまには殺しもやらかす。
だが、この女は優しいのだ。
山ほどの銀貨に目もくれず、一流の冒険者にも一歩も引かず、仲間の為にアビーは全力で立ち向かった。
この顛末は、アビーが率いるガキ共に大きな影響を与えた。
女王蜂に多くのガキ共が盲目的に従う。必死になって尽くす。
元々、俺には甘かったアビーだが、この一件以降は更に甘くなった。
嫌な感じだ。
ガキ共は、羨ましそうに『俺』を見ている。『俺』のようになりたいと思ってアビーに尽くしている。気に入らない。気持ちが悪い。俺は俺の出来る事をやっただけだ。
そして……
俺は弱体化した。死にやすくなった。だが、そんな事は取るに足らん。
母は言っている。
困難を乗り越えた時、それらは後から付いて来る。
ダンジョンが俺を呼んでいる。