訃報
ロビンは、うんざりしたように言った。
「暗夜さんが拘っているだけで、私は、お前たちなんて、どうでもいいんですよ」
第十七使徒『暗夜』が、聖エルナ教会の修道女たちの召喚に応じて、翌日。
奇妙な部屋の闇に、フラニー、ジナ、アイヴィの三人が倒れ伏し、苦痛の呻きを上げている。
ロビンは刃を潰した真銀の剣を片手に、小さく欠伸した。
「貴方たちは弱い。弱すぎる。本当は、邪魔だから出て行ってもらいたい」
ロビンの戴いた主は苛烈だが、その反面で非常に慈悲深く甘い。
「貴方たちのその弱さが、暗夜さんを殺す。分かります?」
ロビンは苛立っていた。
暗夜に同行を許されなかった事もそうだが、聖エルナ教会に居るルシールの事を考えると焦りに似た苛立ちを感じてしまう。
聖エルナ教会の修道女たちと袂を分かち、六年。ルシールが見る影もなく老いさらばえ、余命幾ばくもない事を確認して、ロビンは興味をなくしていたが、ここに来て、そのルシールと暗夜が再会した。
「……ムカつきますね……」
人には嗜好があり、ルシールの容貌は暗夜の嗜好と一致する。
何もない筈がない。
ルシールは必ず何か仕掛ける。
苛立つロビンだが、ルシールを殺したいとは思っていても、実際に殺すつもりはない。
もし、殺してしまえば、ロビンは永遠にルシールに勝てなくなるからだ。永遠に負けた事になる。勝ち逃げは許さない。
だから、ルシールが再び同じ土俵に上がるというなら、腹立たしくはあるが、ロビンはそれを受けて立つ。
ルシール・フェアバンクスは、倒すべき敵だ。これを正々堂々と打ち倒す事に意味がある。ロビンが大人しく『部屋』に留まり、フラニーたちに稽古を付けてやっているのはそういう理由からだ。
ディートハルト・ベッカーという少年はいなくなり、『暗夜』という使徒として生まれ変わった。
『暗夜』は、大人の男だ。
もう子供じゃない。遠慮する必要はない。だが、ロビンは異性に対する迫り方を知らない。経験のない事は分からない。どうしても手探りになる。
「……」
『部屋』の奥に、ちらりと視線を向けると、頭にすっぽりとした兜のような物を被り、コンソール画面に向き合って何やら作業しているマリエールの姿が見える。
……マリエール・グランデ。
エルダーエルフ。長命種。何も言わないが、随分、差を付けられている事は分かる。
ロビンの恋には障害が多すぎる。
マリエールは決して騒がない。焦らない。長命種故の余裕がある。最後に暗夜の隣に立っている者が勝者だ。なんなら、彼女はライバルが老衰で死ぬのを待つ事が出来る。
ロビンは、そのマリエールを横目に見ながら、小さく舌打ちした。
「アイヴィ、お前は論外です。二十点」
だが、未だ十二歳という事を鑑みれば、前途有望と言っていい。この環境では使えないが『忍術』を使えれば、もう少しマシになる。伸び代がある。
続けて、ロビンは言った。
「ジナ、お前はギリギリで合格といった所です」
class――『格闘家』
こと接近戦に関する限り、このクラスは強い。だが、武技の殆どが一対一の個人戦向けのものだ。武器を持った乱戦に於いては不利になる。真っ先に死ぬだろう。それでもロビンが、このジナを評価するのには訳がある。
ジナは本当に何も考えてない。ロビンからして見れば、正気の存在を疑う程だ。元々、犬人の知性は高くないが、ジナの頭の悪さはロビンの想像を超えている。
それがいいのだ。
ジナは余計な事を考えない。暗夜が命じれば相手を選ばず襲い掛かる。慈悲の欠片もなく敵を殺す。死ぬ時も躊躇いなく死ぬだろう。覚悟が出来ている。もう少し鍛える必要があるが、護衛として使う分には及第点だ。
「グルルルルルル……」
散々、打ちのめされたジナが身体を起こし、獣のように四つん這いの姿勢でロビンを睨み付ける。
「……結構。なかなかのタフネスですね……」
ロビンとしては、割と強めに打ったつもりだが、何処も壊れてない。この頑丈さも戦士としての資質に含まれる。
「……六十点あげましょう……」
そして――
ロビンは、溜め息混じりに首を振った。
「フランキー。お前は……出て行きなさい……」
「……今は、フラニーって呼ばれてんだよ。何度言ったら分かるんだ……?」
苦痛に顔を歪ませながら、フラニーは呻くように言った。
「……師匠に破門喰らったんならともかく、テメーにクビにされる覚えはねえよ……!」
ロビンは、やはり大きく溜め息を吐き出し、何度も何度も首を振った。
「……それでは、フラニー。暗夜さんがムセイオンを焼いた理由を考えた事がありますか……?」
「あ……?」
ロビンは、喧嘩がしたい訳じゃない。それは暗夜に止められている。極めて冷静に言った。
「暗夜さんは、衰弱した貴女を見て、本気で怒ったんですよ」
即ち、庇われた。大切にされているという事だ。姿形は変わっても、ロビンが戴いた主の性質にはなんら変化がない。
蜂蜜のように甘い。
六年前、ロビンの戴いた主は、その甘さが原因で死んだのだ。
「暗夜さんに庇われている内は、半人前です。分かりますか?」
それはジナも同様だが、ジナの場合、その認識がない。ジナは友人であるフラニーの意思に追従しただけだ。もし、仮にだが、フラニーが仲間を見捨てるという選択をしたならば、ジナも同じ選択をしただろう。
ロビンは思うのだ。
以前の『フランキー』と呼ばれていた頃の彼女なら、誰かの『死』に頓着する事はなかった。良くも悪くも見殺しにする冷酷さがあった。
――常に慈悲深く、情け深くあれ――
今の『フラニー』と呼ばれる存在は、人を殺せない。ここまでの模擬戦でもそうだが、フラニーの攻撃には急所を狙ったものがなかった。格上のロビンに対してすらそうだ。『怖さ』がない。これでは、護衛はおろか、戦士としても使い物にならない。
暗夜は……いずれ、フラニーを破門にするだろう。
その時は、怒りや失望からでなく、フラニーを思いやっての事だ。優しく『使い物にならないから出て行け』と諭すだろう。ロビンなら憤死する自信がある。
「……フラニー。今の貴女に、人が殺せますか……?」
「あ……? え……?」
『戦う』という事は、そういう事だ。誰かを殺してしまう。自分が殺されるかもしれないという事だ。
「……」
そこで、考え込むように項垂れたフラニーを見て、ロビンは呆れたように溜め息を吐き出した。
「私は、貴女に喧嘩を売っている訳ではないです。ただ、戦士としての評価を下しただけです」
常に慈悲深く情け深くあれ。人として素晴らしい資質だが、時に『戦士』は非情にならなければならない。守りたい物がある場合は、特に……
ロビンは、一度しくじった。
戦士として腑抜けていて、その代償を支払った。狂った頭で教会騎士を殺して回るという悪夢の六年間だった。
「言いましたよ。後は勝手になさい」
ロビンは、フラニーを戦士として数えない。逆印を刻まれたエルナに掛けた慈悲は人として素晴らしい資質だが、戦士としては失格だ。
その数日後の事だ。
意識を失ったポリーとゾイが、突如として部屋に出現し、その処置に追われるロビンらの前に、逆印の咎を打ち破り、再び使徒としての力を取り戻した聖エルナが、ぼろぼろになった暗夜と共に帰還した。
◇◇
「ルシールが、死んだ……!?」
その報せをエルナから受けたロビンは、強い衝撃を受けて呆然となった。
ルシール・フェアバンクスが死んだ。帝国の大神官『ディートハルト・ベッカー』を護る守護騎士、アシタ・ベルに刺されて死んだ。
アシタは、元を辿ればロビンの従卒だ。報せを受けるその瞬間まで忘れていたが、そのアシタがルシールを殺した。殺してしまった。
「…………」
ロビンの恋には障害が多い。その障害が一つなくなったが、ロビンはそれを喜べない。
ロビンは、その場にへたり込み、自らの主を見違えた、六年前の愚かな選択を思い出した。
『お前は間違えたんだよ、マヌケ』
あの日の間違いが、まだ生きている。それがルシールを殺してしまった気がしてならない。
アシタの襲撃で、聖エルナ教会の修道女が三人も死んだ。
ロビンは頭を掻き毟った。
「あはは……ルシール……勝ち逃げですか……あはははは……!」
ロビンは思うのだ。
六年前のあの日、暗夜が別れを告げに来たあの日。
――戻れるのは一人だけ。
あの選択を迫られたのがルシールなら、ルシールは必ず暗夜を連れ帰った筈だ。
その日、レネ・ロビン・シュナイダーは、ルシール・フェアバンクスに勝つ機会を永遠に失った。