54 死の砂漠2
血腥い風が吹き、血の色をした赤い月が夜空に掛かっている。
白蛇は弧を描くようにして『夜の傭兵団』を展開している。敵軍の側面に張り付き、防御力を削ぐのが狙いだろう。
やがて、血飛沫が舞い、断末魔が飛び交う『戦争』が始まった。
各所に青い稲光が迸り、『使徒』の参戦を告げる。赤黒く染まった夜空に、母の戯れる指先が無数の名を描く。
それは、一方的な虐殺だった。
使徒の力も然る事ながら、白蛇の指揮能力は想像を超えて高く、自らの手勢を自在に操り、グレゴワールの率いる寄せ集めの混成軍を難なく打ち倒して行く。
夜空に無数の聖印が出現し、何らかの術を発動しようとしたグレゴワール側だったが、それは忽ち白蛇の妨害に遭い、術印は掻き消される。
更に巨大な聖印が発動して、新しい術を発動させるが、それすらも打ち消して、白蛇は残酷な程の力量差で敵対するグレゴワールの軍勢を討ち減らして行く。
分かりきっていた事だ。
先ず『指揮官』に差があり過ぎる。次いで軍勢の錬度が違う。更には、母に見捨てられた子らは、その呪詛により本来の力を発揮できない。
『合唱詠唱』『聖印術式』……あらゆる秘術を繰り出して戦況を変えようとするグレゴワールだが、その全てに白蛇は対応して見せた。
俺は神聖結界を広範囲に展開して、白蛇の軍勢を術の影響下に置き、援護する。
「畏敬を以て見よ……」
俺は死神『暗夜』。癒しと復讐の女神、アスクラピアの子。
「畏敬を以て見よ……!」
第十六使徒『白蛇』は『指揮官』だ。前線で得られた夥しい数の情報が使徒に共有され、戦闘に参加する使徒もまた白蛇の軍勢と一体になり、まるで巨大な大蛇のようになって絡み付き、敵を圧倒し、効率的に命を飲み込む。
「畏敬を以て見よ!」
そこに俺が華を添える。
「母の栄光を……!」
夜空に無数の銀の星が舞い落ちて、白蛇の軍勢を強化し、癒し、そしてグレゴワールの軍勢には鈍化と失意の呪詛を与える。
「まだまだ……!」
俺は千の戦乙女を召喚し、白蛇に呼応して包囲網を狭めるように進軍を開始した。
「母の栄光を……!」
術を重ねて行く。死神の祝福により、味方は強化され、敵は弱体化する。
「む……」
最早、戦いの趨勢は決したと思われた所で、グレゴワール側に動きがあった。
合唱詠唱による強化術式の展開だったが……それは人間が持てる神力の限界を超えていた。
白蛇が共有する情報により、その正体が俺の視界にも共有される。
押し込められ、円陣を組んで防御を固めるグレゴワールの軍勢の中心で跪き、祈りを捧げるのは『聖女』の集団だった。
その数、凡そ百人。
全員が年端も行かぬ幼い子供たちで編成された人工聖女の集団だ。乱戦のこの状況で無防備に跪き、術を展開しようとしている。
「なんという事を……!」
母が赦さぬ訳だ。
トリスタンの大司教『グレゴワール・エンリコ』は、『焼き付け』の邪法を乱用して、聖女の軍勢を造り上げた。
年端も行かぬ幼い子供の軍勢だが、あと十年もすれば成長し、恐ろしい力を身に付けた事だろう。グレゴワールが図に乗る訳は理解したが……
「馬鹿が……!」
この戦場には俺が居る。神聖術特化の俺が居る。凄まじい神力だが、あまりに未熟だ。幼い聖女たちの術式を、それを上回る神力によるごり押しで掻き消して、俺はこの罪深さに息を飲み込む。
術は発動しない。俺の力もあるが、この神聖結界内に於いて、聖女たちの神力は著しく減少している。
慌てふためく聖女の軍勢に無数の矢が降り注いで、ばたばたと倒れ、あたら幼い命を散らして行く。
百の聖女が居るのだ。百の勇者が居てもおかしくない。そして、この戦いは単純に善悪で論じてよいものではない。ここでグレゴワールを止めねば、この『暴力』は世界に拡散するだろう。
「母の栄光を……!」
駄目を押す。ここで全て片付ける。広範囲に及ぶ強化の術を重ね、更に俺たちは強くなる。
俺は祈らずに居られない。
「罪は心の奥に隠せ。正しい者が勝利するだろう。痛みを怖れるな。あらゆる暴力を怖れるな。犠牲を怖れるな。優しさと涙では救えないものがある」
白蛇が率いる『夜の傭兵団』は、精強で残忍無比な戦闘集団だ。全てを切り伏せ、赤い月が見下ろす死の大地に全てを撒き散らして行く。
「ヒャッハー! 面白くなって来やがった!!」
そこで響いた耳障りな子供の甲高い声に、俺は眉をひそめて嫌悪する。
アンソニー・スチュアート。
金髪碧眼の『勇者』。その姿は『アウグスト』に生き写しで……
刹那、この絶体絶命の危機に狂喜していたアンソニーの首が白蛇の曲刀に刈られて宙に飛んだ。
アンソニー・スチュアートも年端も行かぬ子供だったが、その首を撥ね飛ばした白蛇は振り返る事すらしない。
夜の傭兵団は、剣と盾を打ち鳴らして勝鬨を上げた。
「レオ!」
「レオ!!」
自ら先頭に立ち、血濡れた血刀を引っ提げた白蛇は、気分悪そうに唾を吐き捨てた。
死の砂漠を転がるアンソニー・スチュアートの幼い首が、砂塵に塗れて怨めしそうに虚空を見つめている。
――グレゴワールは、自らの子供に邪法を施して勇者に仕立て上げた――
ゴミのようにその場に捨て置かれたアンソニーの首は、殺到する軍勢に踏み砕かれ、戦場の狂気に飲み込まれて消えた。
勇者の死に、明確な敗北を覚ったグレゴワールの混成軍は散り散りになって逃走を開始するが、それでも戦いは終わらない。
「レオ!」
「レオ!!」
無慈悲に指揮を執る白蛇の右手に、年老いたグレゴワールの首が掲げられても戦いは終わらない。
「トリスタンの背信者、グレゴワール・エンリコの首は、砂漠の蛇! レオンハルト・ベッカーが討ち取った!!」
首魁二つの首は貰った。後は全てを消し去るのみ。
俺は千の狙撃手を召喚して、無数の矢を射掛けて掃討戦に移行する。
虐殺が始まったのだ。
驚嘆すべきだったのは、この劣勢にありながら、尚も戦意を失わず統率された教会騎士の一団だ。
百騎にも満たないが、生き残った聖女たちをその腕に抱き、血路を開こうと決死の突撃を敢行する。
「……」
俺は、このやり切れなさに首を振った。
降伏しろとも見逃してやるとも言えない。彼らの良心と忠誠に無慈悲を以て当たるよりない。
戦闘開始より数時間。夜明けまでまだ時間を残し、グレゴワールの軍勢は潰走を開始したが、白蛇は既に包囲網を完成させている。
「母の栄光を……!」
俺と白蛇の声が重なる。味方は更に強化され、敵は更に弱体化する。勝敗を決して尚、虐殺は終わらない。
味方が倒れ、辺りが白蛇の率いる『夜の傭兵団』に埋め尽くされても教会騎士の抵抗は頑強だ。
俺は、これを憐れに思う。
もう十分に殺した。それでも、しみったれた母は足りぬと儚い虚空にその名を刻む。
―― Giselle Afra Schneider ――
―― Albert curare Schneider ――
酷い冗談だ。
双子の兄妹。或いは姉弟か。コバルトブルーの髪に、やはりコバルトブルーの瞳。青狼人。半獣化して剣を振るうが、胸に抱いた聖女を庇い、二人とも満身創痍の状態にある。その容姿には面影がある。
「母よ! 慈悲を! どうか……どうか……!」
狙撃手の放つ無数の矢の雨に打たれながら戦乙女の繰り出す聖槍の刺突を掻い潜り、双子は決死の覚悟で馬を駈って血路を開く。
最後に、その行く手を阻むのは死神だ。
「おお……使徒よ! 子供らに罪はない……どうか……どうか、慈悲を……!」
俺は、鼻を鳴らして嘲笑った。
「陳腐だな。気を引きたいなら、もっと面白い事を言え」
子供らに罪はない。なるほど素敵だが、果たしてそうか。俺の目に、その子らは存在自体が罪のように映る。
しかし……
なんという皮肉。母の織り成す運命のなんと残酷な事か……
俺は短く言った。
「母の怒りと嘆きを知れ」
狙撃手の矢を受け、針鼠のようになったアルベールが叫んだ。
「我らの罪深さは知っている! それでも、どうか……!」
「知らん、死ね」
たとえロビンの血縁者であったとしても、それが双子を見逃していい理由にはならない。
「母の栄光を……」
更なる祝詞が戦乙女を強化し、双子の意思を砕き、力を弱くする。
これが神さまとやらの思し召し……だが……狙撃手の矢を胸に受け、息も絶え絶えになった子供を胸に抱く二人を前に俺は……
双子に戦乙女の大軍が殺到して蹂躙する。双子を馬上から引き摺り下ろし、揉み潰すようにして隠しながら、包囲網の後列に弾き出す。
俺は……
「……使徒、さま……?」
アルベールとジゼルは、肩で荒い息を吐きながら、きょとんとして俺を見つめた。
「…………」
いつだってそうだ。
誰も……俺に迷う権利を許さない。決定的な事柄は、いつだって一瞬間に決めねばならない。
「……疾く去れ。振り返るな……!」
この決断が罰されるべきならば、報いはいずれ俺に返って来るだろう。
俺は祈るだけだ。
夜空に輝く銀の星が、新たな運命を指し示しますように……