25 『奪う』手
馬車に乗り込んだのは、俺、遠造、マリエールの三人だ。その馬車に揺られ、石畳の道を飛ばす。
俺は深く瞑想し、母……神との対話を求めた。
……母よ。アレックスは無事でいるだろうか?
神は答えない。
こいつは超自然の存在だ。虫けらの俺に、こいつの考えや思惑は理解できない。助けを求めたからといって、助けてくれるような甘いヤツでもない。
だが、見守っている。
俺のする事を見つめている。
俺は、それでいいと考える。母との対話はあくまで内面的なものであり、それ以外に意味はない。
重ねて言うが、これでいいのだ。
母……親はいずれ死に行くものだ。だが、姿形は見えずとも、子の行く末を見守っている。
残された子は死力を尽くして前に進む。何か思う間もなく、ひたすら進む。前へ前へと。そしてその姿はいずれ……
瞑想が深くなり、俺は確かに神の存在を感じた。
◇◇
お前は生き続けよ。
いずれ分かって来るだろう。
◇◇
瞑想を終え、感覚を開くと、そこかしこに踞る死の気配を感じた。
俺は大きく嘆息する。
「おい、遠造。今、ダンジョンアタックしている五人の内、何人が生き残っているか賭けないか?」
遠造は警戒する猫のように毛を逆立て、僅かにたじろいだ。
「……そんなにヤバい状況か?」
「近付いて分かって来た。かなり不味い状況だ」
進むにつれ、吹きすさぶ死の気配を強く感じる。
今の回復状況は五割といった所だ。そして問題のアレックスたちだが既に……
運の悪い誰かが死んでいる。
運のいい誰かが生き残っている。
俺は必要と思われる道具一式を詰め込んだバックパックを背負い、遠造の背中に覆い被さった。
「それじゃ行くぜ、先生。振り落とされるなよ」
マリエールが不安を隠しきれない表情で俺たちを見つめている。
次の瞬間、俺を背負った遠造は馬車から飛び降りるなり、全速力で駆け出した。
風を突き抜けて駆ける。
短い距離なら馬より早いと言った遠造の言葉は本当で、瞬く間に馬車を抜き去り、マリエールの物憂げな視線を置き去りにした。
俺は遠造の首ったまにしがみついたまま顔を上げ、吹きすさぶ風の向こうに目を凝らす。
風穴のようなダンジョンの入口には人だかりが出来ていて、大勢の冒険者たちが騒ぎ立てている。
稲妻のように駆け抜ける遠造が小さく呟いた。
「……不味いな」
何が? と問う気にはなれなかった。
俺の目には既に揺らめき立つ黒い焔が見えている。
「遠造、油断するな。強い呪の気配がする。今のアレックスたちは穢れている」
「…………心得た」
遠造は短く嘆息して、小さく頷いた。
渦を巻くように屯する冒険者の数は凡そ五十人といった所だ。
俺を背負ったまま、遠造は油断なくその渦の回りを駆け回り、状況の把握に努める。そして――
「いた。アレックスのヤツだ」
「……」
渦を巻くように屯する冒険者たちの中央で、アレックスは膝を着いた姿勢で俯き、己の両手を見つめている。
「……先生。近付いて大丈夫か……?」
「待て。もう少し観させろ」
冒険者の集団から距離を置き、立ち止まった遠造の背中から、俺は場の状況を見極める為に目を凝らす。
「……呪は……あれ自体に伝染性はないな……だが、頗る強力だ。おぞましい程の毒性もある。アレックス以外の姿が見えない……他は死んだか……」
状況の全てが理解出来た訳ではない。だが、クランマスターのアレックスが味方を置き去りにして逃げて来たとは思えない。それは言外にパーティの壊滅を物語っている。
遠造は息を吐き、やりきれなさに大きく首を振った。
「……アレックスだけは逃げ延びたか。流石と言うべきか……」
「いや、ヤツも死にかけてる。突っ込め、遠造。ヤツの治癒を優先する」
「了解した」
頷くと同時に駆け出した遠造は、アレックスを中心に屯する冒険者の野次馬連中に叫んだ。
「オリュンポスのエンゾだ! てめえら道を開けやがれ!!」
大喝する遠造の姿に冒険者の野次馬が割れて行き、その行き止まりに力なく俯いたアレックスがいる。
その表情に先日の覇気がない。
虚ろな目は自らの両手をじっと見つめていて――その両手は、手首から先が溶けて骨が剥き出しになっていた。
そのアレックスの目前でビタリと立ち止まった遠造の背中から飛び降りた俺は笑った。
「よう、筋肉ダルマ。図々しく生き残っていたか。悪運の強いヤツだ」
その言葉を受け、アレックスは自嘲気味に笑った。皮肉を返す元気もないようだ。
「馬鹿なヤツだ。いったい何と戦った?」
「……ヒュドラ亜種。アンデッド化していた……」
「ふん、そうか」
今のアレックスは強い呪に穢れている。俺はバックパックの中から青石を取り出し、自ら親指の腹を食い破った。
アレックスの髪を引っ掴み、引き寄せると自らの血で額に聖印を書き込む。
これで命だけは拾うだろう。
だが、それだけでは『助かった』とは言えない。次いで青石にも血の聖印を刻む。クランで作って来た聖水では効果が弱すぎる。アレックスの穢れは祓えない。
「銀貨で五百枚。右手百枚。左手五十枚」
「……!」
アレックスが俯きがちだった顔を上げた。
「手は、治るのか……?」
「直ぐに、とは行かんが治してやる」
アレックスは冒険者だ。
今にも腐り落ちそうな手では剣を握れない。それは冒険者としての『死』だ。この手を何とかしてこそ、アレックスは『助かった』と言えるのだ。
アレックスの目に覇気が戻る。殆ど即断で言った。
「払う」
先ずはこの程度だろう。
強力な神力の籠った青石は皹が入り、どくどくと聖水が溢れ出している。その聖水をアレックスの頭にぶっかけて強引に呪を祓う。
「これで無理なら、それがお前の命数だ。諦めろ」
『血印聖水』。今の俺が作れる聖水の中では最も強力な聖水だ。
聖水をぶっかけた瞬間、アレックスの身体から蒸気のような煙が巻き上がり、霧のように霧散して行く。
行ける、と思った。が……
俺は激しく舌打ちした。
「……阿呆が。ここまでやって逃がしたか」
「アンデッドだからな……」
呪を掛けた存在が『生きている』というのは始末に悪い。血印聖水は効いているが、呪を消した端から新たに呪が湧き出して来る。余程、アレックスは抵抗したのだろう。諦めてない。怨念のような執着を呪に変えて送り込んで来る。聖水が足りない。
「遠造、マリエールはまだか?」
マリエールは魔術師だ。神官とは違うアプローチになるだろうが、呪に対する抵抗手段があるだろう。それに期待したのだが……
「まだだ、先生。無理そうか……?」
俺は内心で小さく舌打ちした。
つまるところ、人生とは悪しき冗談の連続だ。
これは試練だ。今の未熟な俺では命懸けになるだろう。
母は手を貸してくれない。だが、見守っている。俺のする事を見つめている。
ならば……!
「……遠造。少し耳を塞いでいろ。野次馬の連中は……どうでもいいか……」
「あ? どういう事だ? 先生、あんたいったい何を……」
どうしても諦めないなら、諦めさせるより他はない。強い呪には、より強い呪で対抗するしかない。
「命の木から、葉が舞い落ちて行く」
アスクラピアの二本の手。
一つは癒し、一つは奪う。
今回は『奪う』手を使う。
呪詛返しだ。今の俺には難しいが、こういうのはビビった方の負けだ。
「一枚……また、一枚……」
そこまで聞いてしまった遠造が恐怖に満ちた悲鳴を上げた。
「ばっ、馬鹿野郎! いきなりなんて事しやがる! 死の祝詞だ! 皆、言葉の届かない場所まで逃げろ!!」
だから耳を塞げと言ったのに。
「今はまだ熱く燃えているものが、間もなく燃え尽きるだろう」
遠造が脱兎の如く逃げ出して、野次馬の冒険者たちも蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「骸の上を冷たい風が吹きすさぶ。
お前の上に、母が身を屈める。
だが、母の目はお前を見ていない。
全てのものは移ろい、消え去る。
全ての者は死ぬ。喜んで死ぬ。
その中で、母だけは永遠に留まっている」
あと少し、あと少しで『死の言葉』が完成する。
俺の限界を超えた神力が身体から抜け出して行く。
俺の中の『ディートハルト』は止めろ! と言う。
俺の中の母は、やれ! と言う。
勿論、やるとも。
俺は嗤って言葉を紡ぐ。
「母の戯れる指が、儚い虚空にお前の名を書く」
あと一言。あと一言で『死の言葉』が完成する。
呪詛返し。ヒュドラだかアンデッドだか知らんが地獄に送ってやる。
「……」
薄く目を開けると、俺を凝視するアレックスの唇が紫色になって震えていた。
俺は嘲笑った。
「そうかそうか。お前も居たな。恨むならアネットを恨め。ヤツはやってみろと言った」
母の手は対象を選ばない。そして俺も命を賭けている。アレックスも例外じゃない。
母よ。俺は『公正』だろう?
「汝、これより――」
今、正に俺が『死の言葉』を完成させようとした瞬間の事だ。
「……!?」
アレックスの身体から空を覆う程の黒い焔が巻き上がり、瞬く間に宙に霧散して消えた。
「――クソッ!」
逃げられた。忌々しいヤツ。敵わぬと見てアレックスから手を引いた。
なんと歯切れの悪い。そしてなんと口惜しい事か。俺が今少し強力な神官であれば祝詞を略し、逃げる間もなくアレックスもろとも地獄に叩き込んでやれたものを。
この中途半端な結果に俺は胸糞悪くなって、目の前の筋肉ダルマに毒付いた。
「……運のいいヤツだ。この死に損ないめ……」
そして、忘れてはならない事がもう一つある。ぶっ倒れる前にやって置かねばならない事がある。
「この前は過分な報酬を受けた。釣りだ。受け取れ」
今、正に死の淵を見たアレックスは震えが止まらないのか、がちがちと歯を鳴らしている。その足元に、パルマの貧乏長屋から持って来た『それ』を投げ付けた。
「青ざめた唇の女。その本性は蛇。自己犠牲と復讐をこよなく愛するしみったれた女神、アスクラピアの祝福(災い)あれ!」
俺は右手で聖印を切り、深く頭を垂れる。
ゴミはゴミ箱へ。
残ったのは、千切れた猫の尻尾だけだ。
お疲れさまでした。ありがとうございます。
これより『アスクラピアの子』は折り返しになります。
ご存じの通り、根性の曲がった作者が描いております。このクソ野郎! とお思いの方はブックマークや評価を投げ付けて頂けると大変励みになります。母の戯れる指が虚空に作者の名を書くかもしれません。
ありがとうございました。
これからも、よろしくお願いいたします。