50 殺し屋3
かつて……高度な文明を持つ一つの惑星が資源の枯渇によって滅びに瀕した。
一部の者たちは宇宙船に乗り込み、他の居住可能な惑星に向け、恒星間航行の旅に出た。
ベアトリクスは淡々と語った。
「私も知らないぐらい、うんと昔の話さ」
旅は永きに渡って続いた。最初は千名以上だった人員は、その永き時間の中で生まれた過ぎた遺伝子操作や薬物濫用等の悪習によって数を減らし、種としての力は衰え、そして恒星間航行の旅に必要ないと思われた多くの知識、技術を失った。
「幾星霜の年月を旅したかは分からない。少なくとも、私の所持している端末には載ってない」
そして、遂に居住可能な惑星を発見した。
「この星か……」
「そうだ。亜人だが、生殖可能なヒューマノイドタイプが存在し、文明は遅れに遅れている。あいつらには都合がよかったんだ」
幾星霜の年月の恒星間航行を経て、その数を二桁にまで減らした宇宙移民たちだったが、当初、この惑星の制圧、支配は容易なものと考えていた。だが……
「……びっくりするよな。ここには『神』とやらが居たんだよ……」
宇宙移民の高度な文明を以てして尚、『神』の力は絶大で制圧不可能を思わせるものだった。
「……世界は薄い膜のように展開し、無限の層になって存在する。その層の何処かに『神』がいる。そいつを殺すには特殊な武器が必要だった……」
時間さえあれば、或いは。
それがベアトリクスの見解だ。
「……神は殺せる。理論上は殺せるんだよ……」
だが、宇宙移民たちにはその武器を開発する時間がなかった。永きに渡って続いた恒星間航行により、その数を減らした宇宙移民たちは絶滅の危機に瀕していた。
「……血を混ぜる必要があった……」
そこで一部の亜人たちを誘拐し、遺伝子操作の果てに生まれた人種と宇宙移民との間に生まれたのがベアトリクスだ。これは、残った宇宙移民の間では第二世代と呼ばれ、忌避と差別の対象だった。
「お前の人間離れした運動能力は、遺伝子操作の賜物か」
「あぁ、そうだ……」
第二世代と呼ばれる宇宙民族は知能と運動能力に優れるが、原則的には第一世代との交配を目的として造り出された。
「もう、あんまり覚えちゃいないが、第一世代は虚弱だった。転んだだけで身体が潰れちまうぐらいには」
遺伝子操作により長寿と高い知能を得たが、不自然な発達を遂げた宇宙移民の成れの果ての姿がそれだった。
「……結局、奴らはこの世界の過酷な環境に適応できなかった……」
虚弱な宇宙移民たちは次々と病に倒れ、更にその数を減らした。そんな中、異端児が現れる。第一世代の支配から外れ、自由意思を得て活動を開始した第二世代の者がいた。
「それが私だよ」
頭の中にあるというバイオチップの制御から外れ、自由意思を得た理由はベアトリクスにも分からない。だが自由を得たベアトリクスは行動を開始した。
「簡単だったよ。バイオチップの洗脳は強力だったからな。生まれつき、私たち第二世代は第一世代の奴隷で、奴らは自分たちの優位性を信じて疑ってなかった」
これが三百年近く昔の話になる。時は氷の魔王ディーテが討滅され、世界は束の間の平和にあった。
「……私は、小型だが優秀な宇宙船の一つを乗っ取って逃げた。その土産に奴らが開発途中の『P・H・A』を奪った……」
「『P・H・A』? なんだ、それは……」
ベアトリクスは鼻を鳴らした。
「私だってよく分からないんだ。お前に説明しても、全く分からないだろうな。宇宙移民共の呪われた遺産だよ。神殺しの為に作られた」
そして、第一世代の支配から解き放たれたベアトリクスは好きなように生きた。
「殺したなぁ……大勢殺したよ……楽しかった……」
宇宙船を駈り、莫大な報奨金と引き換えに世界各国の要人を殺して回る。更には高度な文明の武器を持つベアトリクスは、やりたい放題だった。
まぁ、ごく簡単に言ってしまえば、ベアトリクスは『強化人間』だ。高い知能に運動能力。おそらく人類を超えた免疫力も持っているだろう。
「何故、主治医を必要とする」
そこで、ベアトリクスは顔をしかめた。
「……メディカルマシーンがぶっ壊れた……どうやっても修理できない。そもそもあれは万能じゃない……」
「何故? そのメディカルマシーンを『部屋』で創造すればいいだろう」
「私に創造能力はないんだよ」
強化人間であるベアトリクスだが、人間である以上、病気や怪我の心配が全くない訳ではないようだ。『メディカルマシーン』とやらの事はよく分からないが、そもそもこれが万能だったなら、ベアトリクスが隻眼である理由が説明できない。つまり、欠損部位の修復はできない。そして、それは『リスポーン』しても変わらない。おそらくだが、病気についても同じ事が言える。
「なるほどな……主治医が必要な事は理解した。だが、俺も万能ではない。それは理解しているか?」
ベアトリクスは首を振った。
「いいや、お前は万能だね。それに近いものがある。たとえ、私に『術』が効かなかったとしても、お前の『部屋』でなら高度な医療技術を再現できる。違うか?」
「……やった事がないから分からんが……おそらく可能だろうな……」
しかし……『創造能力』がないとするならば……こいつは本当に『使徒』なのだろうか。
邪悪な母が、ベアトリクスに使徒としての力を与えなかった事は分かる。だが、それでは『部屋』を所持している理由が分からない。
ベアトリクスは、その俺の疑問を感じ取ったのか、実に苦々しい顔で言った。
「……本来、第八使徒は抜け番なんだよ。あのしみったれた母上どのの依頼を受けた私が殺して、その部屋と名前を頂いた。『ベアトリクス』は、その第八使徒の名だ。本当の私には名がない……」
それ故のベアトリクス二世という訳だ。
「待て待て待て待て、お前の話は面白すぎる。同席させたいヤツがいる」
この話を一人で聞いてしまうのは勿体なさ過ぎる。マリエールやロビンにも聞かせたい。実に面白い。これぞ正に『世界の秘密』だ。
ベアトリクスは激しく舌打ちした。
「もう、昔話はいいだろう。私の要求を受けるのか、受けないのか」
「あぁ、それは構わない。だが、何故だ。何故、俺なんだ?」
俺が明確に要求を受けた事で、ベアトリクスは安堵したようだ。眉間に寄った深い皺が消える。
「既に、お前の事は調査済みだ。あの訳の分からん疫病を解決しただろう。この世界に大きな影響を与えたお前は、私と同じ異端だよ」
これも実に興味深い話だ。
ベアトリクスは天然痘を知らない。少なくとも、ベアトリクスの持つ端末に天然痘の情報はない。地球人とは別の進化を遂げた。或いは、その知識は時間の中に埋もれて消えてしまった。
「先ず、私の目を治せ。それが出来たらクラウディアを殺ってやる」
そこで、今度は俺が顔をしかめる番になったのを見て、ベアトリクスは眉をひそめた。
「なんだ。出来ないのか?」
「いや……実は、今の俺は部屋に跳べないんだ……」
「なんだと!?」
ベアトリクスは当然のように激昂した。それはそうだろう。ここまでの話は、ベアトリクスにとって極秘事項である筈だ。話すだけ話させて情報を抜かれたと思われても仕方がない。
ベアトリクスは即座に銃を手に取り、銃口を俺に向かって突き付けた。
「お前、ぶっ殺すぞ!」
「待て待て待て待て! キレるな! 治さんとは言ってない! こっちにも事情があるんだよ!」
慌てて両手を上げ、敵対意思のない事を示す俺の姿に怪訝な表情を向けたベアトリクスは、強く鼻を鳴らしてもう一度ソファに腰を下ろした。
溜め息混じりに言った。
「……クラウディアは殺ってやる。お前が死ねば、元も子もないからな。だが、分かってるだろうな……?」
「分かっている。その目は治してやる。他にも悪い所があれば全て治す。それでどうだ」
「ふん……」
ベアトリクスは答えず、銃を片手に深く足を組んでそっぽを向いた。
「……」
危ない沈黙が流れる。
今のベアトリクスの考えは、俺を殺しておくかどうかという所だろう。
そこで……開け放たれたままの扉がノックされ、入口にはお茶のコップが二つ載ったお盆を持ったエルナが立っていて、その背後から険しい表情のルシールが顔を出した。
「なんで、ベアトリクス……!?」
エルナは先ず下着姿のベアトリクスを見て固まり、続けてルシールと俺とを何度も見比べた。
ルシールは、ぼろぼろになった司祭の部屋を見回して眉間に皺を寄せ、続けて下着姿のベアトリクスを見て……少し考えてから言った。
「……暗夜。その方は……」
この状況をどうルシールに説明したものか分からず、俺は痛む眉間を揉んだ。
「……一応、客だ。今の状況は、どちらかというと俺が悪い……」
「そうですか……」
一瞬、怪訝な表情を浮かべたルシールだったが、一つ咳払いしてエルナの背中を押した。
「エリシャ、お客様にお茶をお出ししなさい」
「は、はい……」
エルナは余程ルシールに絞られたのだろう。その顔には怯えの色が浮かんでいる。
「…………」
そのエルナを目を剥いて眺めていたベアトリクスの口元に悪辣な笑みが浮かび……遂には思い切り吹き出した。
「ざまあねえな、エルナ!」
「くっ……お、お客様、お茶、です……」
この屈辱に、肩を震わせながらお茶の入ったコップをテーブルに並べるエルナを見て、ベアトリクスは腹を抱えて笑った。
明日も更新します!
『アスクラピアの子』9月10日発売予定です。リンクは下部より。よろしくお願いいたします。
是非、一度手に取ってみて下さい。重大発表もあります!