49 殺し屋2
けばけばしい深紅のドレスを身に纏うベアトリクスを伴って、司祭の部屋に向かう。
「すまん。ちょっと事情があってな……今は、この教会から離れられない」
「そうなのか? ここは、聖エルナ教会だろ? エルナは?」
ベアトリクスは、にやにやと意地悪く嘲笑っている。逆印を受けたエルナを嘲笑うつもりなのだろう。
俺は用心深く言った。
「……エミーリアから、何処まで聞いている……?」
「クラウディアを殺ってほしいんだろ?」
そう答えながら、ベアトリクスは嫌そうに鼻を摘まんだ。
「しかし、ボロい教会だな。黴臭くてたまんねえよ」
ゾイは遠ざけた。ベアトリクスが同行を嫌った事もあるが、危険すぎる。
俺の後ろに続くベアトリクスは、憎まれ口を叩きながらも、それでも油断なく辺りを見回している。
ベアトリクスの憎まれ口は、口先だけのものだ。そうする事で己の行動と真意を隠している。
「……先ずは、よく来てくれた。その事に深い感謝を……」
静かに聖印を切る俺に、ベアトリクスは満更でもなさそうに笑った。
「お前も兄貴も、一応は礼儀ってのを知ってるな。そういうのは嫌いじゃないよ」
「白蛇か」
「ああ、招集の際は直接会いに来たからな。悪くなかった」
「ふむ……そうか……」
相変わらず、この女からは神力の欠片も感じない。だが、白蛇は敬意を払った。何故か。
――3
殺気がある。白蛇は、きっと苦労したのだろうと漠然と考える。
――2
「……でも、依頼か……しみったれた母上以来だから、久し振りだぁ……」
ベアトリクスは笑っている。
――1
だぶついた深紅のドレス。ひらひらとしたフリルがやけに目に付く。それが見る者を幻惑する。他にも何か隠し持っていると見るべきだ。膨らんで見えるスカートの中も銃器でいっぱいの筈だ。
「茶ぐらいは出そう。お先に」
俺は、にこやかに笑って、司祭の部屋へ入る扉を開き、ベアトリクスに先を促す。
――0
その瞬間、俺とベアトリクスは同時に銃を抜き放ち、互いの眉間に銃口を合わせた。
刹那が揺蕩う。
同時に引き金を弾き、俺たちは互いに身体を逸らして銃弾を躱した。
「この、じゃじゃ馬め……!」
俺のリボルバーが放った弾丸は、ベアトリクスの銀髪を一房吹き飛ばしただけだったが、ベアトリクスの銃から放たれた弾丸は俺の額を掠め、廊下のガラスを割った。
間一髪。
前以て神聖結界を張っていたのは偶然だが、今の俺の身体能力は三割増しだ。結界による強化がなければ眉間をぶち抜かれていただろう。
ベアトリクスは、とんぼを切ってソファの影に身を隠したが、俺は構わず弾倉が空になるまでリボルバーをぶっ放し、壁の陰に身を隠した。
「誰の依頼だ。エミーリアか?」
蜂の巣になったソファの陰に居るベアトリクスに言いながら、俺はスピードローダーで素早く次弾を装填する。
勿論、次の手は一つ。
俺は胸一杯に息を吸い込み――
「動 く な ッ !」
『雷鳴』。こいつがただの『人間』なら効果が強く出る筈だ。尤も……今、発した雷鳴は使徒にすら効果がある程の神力を込めてあるが……
血に濡れた髪をかき上げながら素早く部屋に駆け込み、ソファの裏を覗き込むと、身を隠していたベアトリクスと目が合った。
ベアトリクスは両耳に指を突っ込んだ格好だったが、俺を見るなり、またしても発砲した。
耳栓とは原始的だが効果はある。そして、躊躇いがない。
仰け反るようにして身を躱す。
特殊な銃。一瞬、垣間見た弾道は青白い光の筋のように糸を引き、天窓に穴を開けた。
(レーザー!?)
俺は即座にリボルバーの弾丸を撃ち込んで反撃するが態勢が悪い。ベアトリクスのドレスの裾を少し掠めただけだ。
その隙にベアトリクスは駆け出して、寝室の中に身を潜めた。
「……」
俺は黙って次弾を装填しながら考える。先程見た限りだが、こいつの銃のテクノロジーは想像出来る範囲を超えている。
まぁ、いい。
難しい事は殺してから考えよう。
そこまで考えた所で、寝室の扉から銃を指に引っ掛けたベアトリクスが、ひらひらと手を振った。
「終わりだ。冗談だよ」
「そうか、面白い冗談だ。続けよう」
レーザーの銃撃に耐えられるかどうかは甚だ疑問だが、神力のバリアを二重に展開して備える俺の目の前で、ベアトリクスは銃をこちらに放り投げた。
「悪かったよ。ちょっとした茶目っ気だ。殺すつもりはなかった」
俺より早く引き金を弾いたヤツが何を言う。
「マジだよ。マジだって」
そう言って、ベアトリクスは趣味の悪いドレスを脱ぎ捨てて、やはり俺の方へ放り投げる。
がちゃんと大きな音かした。
「駄目だな。お前の口は臭すぎる」
さて、どうするか。ベアトリクスがまだ銃器を隠し持っているのは間違いない。
「かっ……冗談だって言ってるだろ。お前の兄貴は、もっと話せるヤツだったぜ」
俺は笑った。
「冗談なら分かっている。面白かったから、最後まで続けようと言っているんだ」
その次の瞬間、寝室の影から見えた銃口が広範囲にレーザー光線を撒き散らして、部屋中を蜂の巣にし、俺が張った神力のバリアを一枚割った。
(マシンピストル?)
忌々しいがヤツは本気だ。最初からこのレーザーのマシンピストルを使っていたら、俺もゾイも一溜まりもなかった。
勿論、俺は言った。
「よし、話し合おう」
「OK」
寝室の壁越しに、ベアトリクスが肩を揺らして嗤っているのが分かった。
全くふざけているが……こいつは、ちょっと俺と遊んでみたかっただけなのだ。
◇◇
お互い、盛大にぶっ放した。
俺たちは、ぼろぼろになったテーブルを挟んで蜂の巣になったソファに腰掛けた。
テーブルの中央には、俺のリボルバーとベアトリクスの銃が置かれている。交渉が決裂すれば、またお互いにぶっ放し合う事になるだろうが……先ず、俺は言った。
「……今のような冗談はよせ。本当に死ぬ所だった……」
そして真向かいのソファに腰掛けるベアトリクスだが、ドレスを脱ぎ捨てた下着だけの格好で足を深く組んでいる。武装解除の意思表示のようだ。
やたら目に付くのは、左の脇腹にある『逆印』だ。
ただの逆印じゃない。聖痕も逆印も、通常は黒い文字で描かれるが、ベアトリクスのそれは『赤い逆印』だ。凄まじい呪詛の力を感じる。
ベアトリクスは、真面目腐って言った。
「分かった。ベアトリクス二世は、使徒暗夜を殺さない。そこには未必の故意も含む」
「む……」
『交渉』に入った。
ベアトリクスは本気だ。やりにくい。こいつは、真剣に俺と交渉に来た。そして交渉する以上、第十使徒『クラウディア』の暗殺依頼を受けるつもりがあるという事だ。
俺の要求は決まっている。問題は……
「何が望みだ。俺が払えるものなら……何でもとは言わんが、善処しよう」
ベアトリクスは頷いた。
「お前は頭が悪くないな。話が早いのはいい事だ。私の要求は一つ」
口調が変わった。
嫌なヤツだ。あえてそうする事で、自らの本気を強調している。
本当に嫌なヤツだ。
「白蛇とお前。どっちに話を持ちかけるか、本当に悩んだぜ。半使徒じゃなきゃ、白蛇に話を持って行くつもりだった」
俺は、こいつがどういう話し方をして、どういう性格をしているのか全く分からない。行動がころころ変わる。一番、信用できないタイプだ。
片方しかない赤い瞳で真っ直ぐに俺を見つめ……ベアトリクスは改めて言った。
「私の主治医になれ」
「……」
さて、俺が知っている第八使徒『ベアトリクス』の情報は謎に包まれている。『殺し屋』としては及第点だが……伝承では、母の依頼を果たしたベアトリクスは不老不死を賜ったという。しかし、この場に、真剣な表情で交渉に赴く程度には『主治医』の存在を必要としている。
つまり、切実な要望という事だ。
「その赤い逆印なら消せんぞ。そいつは特別製だ。母のものだろう。俺の力では無理だ」
「そいつは承知している。だが、お前は外科的措置にも精通している。そんなヤツは、お前だけだ」
「…………」
俺は深く考える。
俺たち使徒は人間とは違う。身体は星辰体で形成されており、その存在は人よりエレメントに近い。だが、母の刻んだ逆印によって神力を感じないこいつは普通の使徒ではない。正確には使徒でない可能性すらある。
ベアトリクスは言った。
「私は死ねないんだ」
「……」
「死んでも、自分の『部屋』にリスポーンする」
「…………」
伝承の通りだ。母はベアトリクスに不老不死を与えた。しかし、それ以外のものを制限したというのが俺の見立てだが……
「……まるでゲームだな……」
俺がそう言うと、ベアトリクスは狂ったように笑った。
「そう! それ! この原始人の世界で久し振りに聞いた言葉だ!」
つまり、ベアトリクスは自らの言う所の原始人の世界で、終わる事のないゲームを二百年続けている。
愚かだが、それ以上に憐れなヤツだ。ベアトリクスは、不老不死である事以外、普通の人間なのだ。精神は人のそれに準拠する。人を超越した使徒のものではない。果たして、それはどんな苦痛を伴うものだろう。
まぁ、邪悪な母らしい皮肉の効いた冗談だ。人の精神は無限の時間に耐えられるかという疑問の答えが目の前にある訳だが……
ベアトリクスは狂ったように笑っている。実際に狂っているのだろう。人の精神は悠久に耐えるように出来てない。
◇◇
天国に独りでいる事ほど苦痛な事はない。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
思う所がない訳じゃないが、俺はこいつの苦労話に興味はない。
俺の興味は、ただ一つ。
「ベアトリクス。お前は、いったい何者だ」
ベアトリクスは自嘲気味に笑って答えた。
「……そうだな……宇宙人って言えば分かるか……?」
これは面白い!
母の興味を引く訳だ。マリエールにも土産話が出来た。
しかし! 宇宙人と来たか!!
一つ謎が解けた俺は、手を打って笑った。
明日も更新します!
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是非、一度手に取ってみて下さい。重大発表もあります!