表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アスクラピアの子  作者: ピジョン
第四部 青年期『使徒』編(後半)
253/309

45 名もなき教会4

 何故か分からないが、修道女シスタたちは、本当におかしそうに笑っている。

 目を剥いたまま、固まっている女戦士に向けて、取り敢えず俺は言った。


「一つ聞く。筋肉ダルマ、お前を殺せば、大神官はここに来るか?」


「……」


 筋肉ダルマは答えない。その額に、じわっと汗が噴き出した。

 俺は、複雑な気持ちで口の中の伽羅を吐き出した。


「よし、殺そう」


 何故か分からないが、俺はこの筋肉ダルマに思う所がある。こいつに言う事を聞かせるには、本気を見せる必要がある気がしてならない。

 筋肉ダルマは悲鳴を上げた。


「待て待て待て待て! ディート、あんたは、何であたしを見る度に殺そうとするんだ!!」


「む……」


 何故、俺を『ディート』と呼ぶのか。それを問い質そうとする前に、ゾイがぺこりと頭を下げた。


「お久し振りです。アレックスさん」


「うん? ゾイ、知り合いか?」


 『アレックス』と呼ばれた筋肉ダルマの女戦士は、どうやらゾイの知り合いであるようだった。


 アレックスは、二、三、ゾイと会話を交わして、それから俺に向き直った。


「よう、ディート……って、今は『暗夜ヨル』だっけ? マリエールはどうなった?」


「……なんだ、マリエールの知己か。早く言えばいいものを……うっかり殺す所だったぞ」


 その俺の言葉に、アレックスは額に青筋を浮かべて怒鳴った。


「だから! なんだって、テメーはあたしを見た瞬間から殺そうとするんだよ!!」


「冗談だ」


 次いで、アレックスは用心深く言った。


「……半分は本気のやつか?」


「よく分かったな」


「テメーの冗談は笑えねえんだよ」


「よく言われる」


「だろうな!」


 そこで修道女シスタたちが大笑いして、場の空気が一気に緩んだ。


◇◇


 新しい伽羅を口の中に放り込む俺を見て、アレックスは疲れたように言った。


「……あんたは変わらないね……」


 生前の俺が、このアレックスとどんな関係だったのかは分からない。だが、マリエールの知己だとするなら無下に扱う訳にも行かない。


「マリエールなら元気だ。次は連れて来よう」


 少しの沈黙を挟み、アレックスは訝しむように言った。


「……死ぬ寸前だったよな。もう一人の天使は諦めてた。あの病気が、本当に治ったのか……?」


「あぁ、少し無理をした。お陰で何もかも忘れた。まるで記憶がない」


 そこでアレックスは眉間に皺を寄せ、『腕組み』の格好になって黙り込んだ。


「……」


 腕組みの恰好は、警戒、威嚇、防御心理の現れだ。よく分からないが、今の会話にアレックスを刺激する内容があった。

 代わって口を開いたのはルシールだ。


「暗夜。その無理をしたというのは、いったいなんですか」


「……はっきりとは覚えてない。だが、重い病だった。強い術を使った事は覚えているが……」


 ゾイが嫌そうに言った。


「……変わらないね。そういうとこ……」


 アレックスが黙って首を振り、ルシールたちも怒ったように黙り込んだ。


◇◇


 何をしてもよい。どんな生を送ってもよい。

 自分自身のある所のものであれば、いつも。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


 アレックスは眉間に皺を寄せ、不機嫌な顔になった。


「……忘れたのか。あれを全部……」


「何の事だ? マリエールが元気になって、嬉しくないのか?」


「……それはそれ、さ……」


 俺には過去の記憶がない。それが問題を複雑にしていると気が付くのは、もっと後の事だ。

 アレックスは言った。


「ところで、聖務をやりたいんだったね。ここで、あたしを殺したって大神官には会えない。憲兵共を全員ぶち殺したって、大神官には会えないね」


「……あのガキが、今はそこまでか……」


 俺が知っている『ディートハルト・ベッカー』は、『雨の部屋』で見た十歳の少年だ。ただのガキにしか見えなかったあいつが、一国の寺院を纏める存在だという認識は薄い。


「さて、それではどうするか……」


 幸い、と言っていいかどうかは分からないが、俺とヤツには深い繋がりがある。暗夜おれが話したいと伝えれば、ヤツは応じるだろう。問題は、どうやってその意思を伝えるかという事だ。修道女たちの立場を考えると、騒ぎを起こすのは避けたい。

 ふむ、と考え込む俺に、アレックスが言った。


「でも、側近の騎士とは連絡が取れるよ。会うかい?」


「そうなのか?」


 話が進んだ。側近というからには、大神官であるディートハルトとの意思の疎通が可能だという事になる。


「悪くないな。その騎士の名は?」


 アレックスは、ちらりと修道女シスタたちを一瞥して、言った。


「守護騎士、アシタ・ベル」


 その名が出た瞬間、ゾイとルシールを含めた修道女シスタたち全員が眉間に皺を寄せ、明らかに気分を悪くした。


 理由は分からないが、アシタ・ベルは、修道女シスタたちの恨みを買っている。因縁がある。


「……会いたい。できるか?」


「まぁ、向こうも立場がある。すぐには無理だろうけど、会ってくれるとは思うよ。あんたの名前を出せば一発さ」


「そうなのか?」


「誰も、死神の訪問は受けたくない。虎の子を抱えるなら特にね。そんなもんさ」


 確か、生前の俺は、前寺院を壊滅させたと聞いた事がある。アレックスは、その事を言ってるのだろうか。酷い事を言われているのだけは分かる。

 そこで、アレックスは席を立った。


「二、三日待ってな。連絡してやるから、その内、向こうから来るだろ」


 話の途中から、何故か気分を害したように見えたアレックスだったが、背を向けたまま、不意に思い出したように言った。


「そうそう、アネットとエンゾにも会ってくかい?」


「アネット? エンゾ? 誰だ、そいつら?」


「……そうかい」


 嘲笑うように肩を揺らして、アレックスは呟いた。


「こりゃあ、お尻ペンペンじゃあ済まないね……」


 それだけ言い残し、今度こそアレックスは去った。


◇◇


 過去……生前の事は漠然とだが考える。


 俺とアレックスの間には、友宜と呼べるものが存在したのだろう。そして、おそらくアネットやエンゾという知らない者との間にも。

 沈黙を挟み、俺は修道女シスタたちに言った。


「……皆に言って置かなければならない事がある。俺は……」


 俺は第十七使徒『暗夜ヨル』。アスクラピアに召し上げられた天使。最早、人間ではない。そんな俺は、過去に未練がない。


「……俺には記憶がない。本当は、ここに居る理由も分からないんだ……」


 ルシールもゾイも何も言わない。それは本当に助かる。過去の事に関しては、もうどうする事も出来ない。その記憶は、永遠に俺の中から損なわれた。


 そして、エルナ。

 ルシールは、エルナを『エリシャ』と呼んだ。エルナとエリシャは違う存在だが、認識は間違ってない。逆印がある以上、他の修道女シスタたちも、おいおい理解するだろう。

 そこまで考えた所で、俺は深い溜め息を吐き出した。


「……エルナは何処だ? あいつは何処に行った……」


 ルシールが興味なさそうに言った。


「エリシャですか? 居ませんね。逃げたようです」


 修道女シスタたちは、皆、何も言わない。エルナが『逆印』を刻まれた理由すら聞かない。無関心。俺は、それが一番恐ろしい。


「あの馬鹿……」


 俺は頭を抱えた。

 エルナは自らの意思で出て行った。無理に連れ戻しても同じ事になるだろう。危険だが、成り行きに任せるしかない。

 ルシールは少し考え、確めるように言った。


「暗夜、あれは『造り物』ですよね。特徴がエリシャに酷似しています」


「いつから……いつ、そう思った?」


「最初から、そうではないかと思っていましたが……逆印を見て確信しました」


 淡々と語るルシールの言葉を聞いても、修道女シスタたちに動揺する様子は見られない。つまり、全員がエルナの存在を疑っていたという事になる。


「……額の『逆印』は……あれは、貴方が刻んだ。それで間違いありませんか……?」


「……」


 俺は両手で顔を覆い、黙って頷いた。


 そこから暫くは、重たい沈黙が流れた。

 ルシールらは何も言わない。何故、そんな酷い事をしたのかと言ってくれない。伝わって来るのは無条件の信頼だ。

 それが、苦しくて堪らない。


「……あれは……力を奪ってしまえば、ただの子供だ。可哀想な事をした……」


「……」


「……戻って来た時は、受け入れてやってくれ……」


 エルナを裁いたのは俺だ。矛盾した事を言っているのは分かっている。おそらく、俺は楽になりたいのだ。


 邪悪な母(アスクラピア)の戯れる指先が、また運命を回している。


 無力な俺は祈るだけだ。

 この日、エルナが姿を消し、世界から『聖エルナ教会』はなくなった。今はもう、寂れた『名もなき教会』が存在するだけだ。


 そして俺は、その『名もなき教会』の神父をやっている。

9/10日『アスクラピアの子』発売予定です!


イラストは増田幹生先生です!


リンクは下部より。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
あー……当たらずとも遠からずか エルナが使徒として認定されたのは「まがい物」ではなかっただけの話って事か?
[一言] テンション上がりすぎるとついやりすぎて後悔する…酒とか飲んだらもっとヤバそうだけど天使だからアルコールは効かないかな
[一言] いや、ディートハルトは夜がいなければ昔から糞ガキですね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ