45 名もなき教会4
何故か分からないが、修道女たちは、本当におかしそうに笑っている。
目を剥いたまま、固まっている女戦士に向けて、取り敢えず俺は言った。
「一つ聞く。筋肉ダルマ、お前を殺せば、大神官はここに来るか?」
「……」
筋肉ダルマは答えない。その額に、じわっと汗が噴き出した。
俺は、複雑な気持ちで口の中の伽羅を吐き出した。
「よし、殺そう」
何故か分からないが、俺はこの筋肉ダルマに思う所がある。こいつに言う事を聞かせるには、本気を見せる必要がある気がしてならない。
筋肉ダルマは悲鳴を上げた。
「待て待て待て待て! ディート、あんたは、何であたしを見る度に殺そうとするんだ!!」
「む……」
何故、俺を『ディート』と呼ぶのか。それを問い質そうとする前に、ゾイがぺこりと頭を下げた。
「お久し振りです。アレックスさん」
「うん? ゾイ、知り合いか?」
『アレックス』と呼ばれた筋肉ダルマの女戦士は、どうやらゾイの知り合いであるようだった。
アレックスは、二、三、ゾイと会話を交わして、それから俺に向き直った。
「よう、ディート……って、今は『暗夜』だっけ? マリエールはどうなった?」
「……なんだ、マリエールの知己か。早く言えばいいものを……うっかり殺す所だったぞ」
その俺の言葉に、アレックスは額に青筋を浮かべて怒鳴った。
「だから! なんだって、テメーはあたしを見た瞬間から殺そうとするんだよ!!」
「冗談だ」
次いで、アレックスは用心深く言った。
「……半分は本気のやつか?」
「よく分かったな」
「テメーの冗談は笑えねえんだよ」
「よく言われる」
「だろうな!」
そこで修道女たちが大笑いして、場の空気が一気に緩んだ。
◇◇
新しい伽羅を口の中に放り込む俺を見て、アレックスは疲れたように言った。
「……あんたは変わらないね……」
生前の俺が、このアレックスとどんな関係だったのかは分からない。だが、マリエールの知己だとするなら無下に扱う訳にも行かない。
「マリエールなら元気だ。次は連れて来よう」
少しの沈黙を挟み、アレックスは訝しむように言った。
「……死ぬ寸前だったよな。もう一人の天使は諦めてた。あの病気が、本当に治ったのか……?」
「あぁ、少し無理をした。お陰で何もかも忘れた。まるで記憶がない」
そこでアレックスは眉間に皺を寄せ、『腕組み』の格好になって黙り込んだ。
「……」
腕組みの恰好は、警戒、威嚇、防御心理の現れだ。よく分からないが、今の会話にアレックスを刺激する内容があった。
代わって口を開いたのはルシールだ。
「暗夜。その無理をしたというのは、いったいなんですか」
「……はっきりとは覚えてない。だが、重い病だった。強い術を使った事は覚えているが……」
ゾイが嫌そうに言った。
「……変わらないね。そういうとこ……」
アレックスが黙って首を振り、ルシールたちも怒ったように黙り込んだ。
◇◇
何をしてもよい。どんな生を送ってもよい。
自分自身のある所のものであれば、いつも。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
アレックスは眉間に皺を寄せ、不機嫌な顔になった。
「……忘れたのか。あれを全部……」
「何の事だ? マリエールが元気になって、嬉しくないのか?」
「……それはそれ、さ……」
俺には過去の記憶がない。それが問題を複雑にしていると気が付くのは、もっと後の事だ。
アレックスは言った。
「ところで、聖務をやりたいんだったね。ここで、あたしを殺したって大神官には会えない。憲兵共を全員ぶち殺したって、大神官には会えないね」
「……あのガキが、今はそこまでか……」
俺が知っている『ディートハルト・ベッカー』は、『雨の部屋』で見た十歳の少年だ。ただのガキにしか見えなかったあいつが、一国の寺院を纏める存在だという認識は薄い。
「さて、それではどうするか……」
幸い、と言っていいかどうかは分からないが、俺とヤツには深い繋がりがある。暗夜が話したいと伝えれば、ヤツは応じるだろう。問題は、どうやってその意思を伝えるかという事だ。修道女たちの立場を考えると、騒ぎを起こすのは避けたい。
ふむ、と考え込む俺に、アレックスが言った。
「でも、側近の騎士とは連絡が取れるよ。会うかい?」
「そうなのか?」
話が進んだ。側近というからには、大神官であるディートハルトとの意思の疎通が可能だという事になる。
「悪くないな。その騎士の名は?」
アレックスは、ちらりと修道女たちを一瞥して、言った。
「守護騎士、アシタ・ベル」
その名が出た瞬間、ゾイとルシールを含めた修道女たち全員が眉間に皺を寄せ、明らかに気分を悪くした。
理由は分からないが、アシタ・ベルは、修道女たちの恨みを買っている。因縁がある。
「……会いたい。できるか?」
「まぁ、向こうも立場がある。すぐには無理だろうけど、会ってくれるとは思うよ。あんたの名前を出せば一発さ」
「そうなのか?」
「誰も、死神の訪問は受けたくない。虎の子を抱えるなら特にね。そんなもんさ」
確か、生前の俺は、前寺院を壊滅させたと聞いた事がある。アレックスは、その事を言ってるのだろうか。酷い事を言われているのだけは分かる。
そこで、アレックスは席を立った。
「二、三日待ってな。連絡してやるから、その内、向こうから来るだろ」
話の途中から、何故か気分を害したように見えたアレックスだったが、背を向けたまま、不意に思い出したように言った。
「そうそう、アネットとエンゾにも会ってくかい?」
「アネット? エンゾ? 誰だ、そいつら?」
「……そうかい」
嘲笑うように肩を揺らして、アレックスは呟いた。
「こりゃあ、お尻ペンペンじゃあ済まないね……」
それだけ言い残し、今度こそアレックスは去った。
◇◇
過去……生前の事は漠然とだが考える。
俺とアレックスの間には、友宜と呼べるものが存在したのだろう。そして、おそらくアネットやエンゾという知らない者との間にも。
沈黙を挟み、俺は修道女たちに言った。
「……皆に言って置かなければならない事がある。俺は……」
俺は第十七使徒『暗夜』。アスクラピアに召し上げられた天使。最早、人間ではない。そんな俺は、過去に未練がない。
「……俺には記憶がない。本当は、ここに居る理由も分からないんだ……」
ルシールもゾイも何も言わない。それは本当に助かる。過去の事に関しては、もうどうする事も出来ない。その記憶は、永遠に俺の中から損なわれた。
そして、エルナ。
ルシールは、エルナを『エリシャ』と呼んだ。エルナとエリシャは違う存在だが、認識は間違ってない。逆印がある以上、他の修道女たちも、おいおい理解するだろう。
そこまで考えた所で、俺は深い溜め息を吐き出した。
「……エルナは何処だ? あいつは何処に行った……」
ルシールが興味なさそうに言った。
「エリシャですか? 居ませんね。逃げたようです」
修道女たちは、皆、何も言わない。エルナが『逆印』を刻まれた理由すら聞かない。無関心。俺は、それが一番恐ろしい。
「あの馬鹿……」
俺は頭を抱えた。
エルナは自らの意思で出て行った。無理に連れ戻しても同じ事になるだろう。危険だが、成り行きに任せるしかない。
ルシールは少し考え、確めるように言った。
「暗夜、あれは『造り物』ですよね。特徴がエリシャに酷似しています」
「いつから……いつ、そう思った?」
「最初から、そうではないかと思っていましたが……逆印を見て確信しました」
淡々と語るルシールの言葉を聞いても、修道女たちに動揺する様子は見られない。つまり、全員がエルナの存在を疑っていたという事になる。
「……額の『逆印』は……あれは、貴方が刻んだ。それで間違いありませんか……?」
「……」
俺は両手で顔を覆い、黙って頷いた。
そこから暫くは、重たい沈黙が流れた。
ルシールらは何も言わない。何故、そんな酷い事をしたのかと言ってくれない。伝わって来るのは無条件の信頼だ。
それが、苦しくて堪らない。
「……あれは……力を奪ってしまえば、ただの子供だ。可哀想な事をした……」
「……」
「……戻って来た時は、受け入れてやってくれ……」
エルナを裁いたのは俺だ。矛盾した事を言っているのは分かっている。おそらく、俺は楽になりたいのだ。
邪悪な母の戯れる指先が、また運命を回している。
無力な俺は祈るだけだ。
この日、エルナが姿を消し、世界から『聖エルナ教会』はなくなった。今はもう、寂れた『名もなき教会』が存在するだけだ。
そして俺は、その『名もなき教会』の神父をやっている。
9/10日『アスクラピアの子』発売予定です!
イラストは増田幹生先生です!
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