44 名もなき教会3
俺は言った。
「実り多いものだけが真実だ」
六人の修道女を引き連れ、街へ出た俺は、ゾイの道案内でこのザールランドにある帝国憲兵団の詰所に向かった。
「仕事の圧迫は、心と身体を自由にする。じっとしていたって楽になったりはしない。役に立たない生活は早い死だ」
ちらりと背後に視線をやると、少し遅れて付いて来るエルナの姿が見える。
「仕事の重荷から解放された時、心は一段と自由に遊ぶ。何もせずにいる人間ほど惨めなものはない。そんな者は、どんな美徳も疎ましく感じる」
アクアディの街を行く。
純粋な祈りは、天使の頭を悪くする。いつもなら黙っているのだが、俺は多少以上に浮かれていて、益体もない事をべらべらと本当によく喋った。
「のんびりしていたって、気分なんか湧きゃしない。今日と明日の間には長い時間が転がっている。元気な内に行動する事を学べ」
修道女たちは、黙って俺に付いて来る。不思議なのは、連れ立って街を行く俺たちの後に、ぞろぞろと一般の者たちまでもが付いて来る事だ。
「今日という日が曇りなく正しかったなら、明日はもっと力強く働ける。未来にも希望が生まれる。何事に於いても、希望するのは絶望するよりよい。可能性の限界を計る事は誰にも出来ないのだから」
しかし……
俺が無責任に喋る度に、付いて来る者の数が増える。皆、それぞれ無駄口を叩かず、黙って付いて来るのが不思議だった。
「む、なんだ……?」
訝しく思っていると、ルシールが耳元で囁いた。
「……天使の言葉です。貴方が意識せずとも、惹き付けられる者は少なくありません……」
「……」
慣れない事をするものではない。やはり黙っているのだったと思う俺に、エルナが鼻を鳴らして嘲笑って見せた。
「……偉そうに。お前ごときが、分かったような顔をして説教ですか……」
尤もだ。今の俺は、多少以上にどうかしている。高位神官は口を慎むべし。
口を噤んだ俺を見て、嘲笑っていたエルナだったが、暫く歩いた所で、思い切り顔面からすっ転んだ。
やったのはルシールだ。わざと足を引っ掛けてエルナを転ばせた。
「……そういうお前は、私たちに偉そうにするだけで、言葉一つくれなかったではありませんか。涙一つ流す事もせず、今の状況を改善する為に行動する事もしない……」
このルシールの言動を見るからに、エルナが好感情を得ているとは思えない。
「……私やポリーの事を見捨てたお前が、暗夜のする事に文句を言うのですか……?」
地べたに手を着き、強く睨み返すエルナに、ルシールは冷たく吐き捨てた。
「そんなお前は、埋葬されるといい」
ルシールは、その年齢と風貌より、ずっと激しい感情を持っている。それが顕著に分かる言葉だ。
そして、次の言葉がエルナを絶句させる事になる。
「エリシャ、お前は黙って付いて来なさい。次に無駄口を叩くと承知しませんよ」
「エリ、シャ? 私が……エリシャ……?」
エルナは強いショックを受けたのだろう。呆然としたが、俺もまた同様にショックを受けた。
高位の修道女である事は知っていたが、ルシール・フェアバンクスは別格だ。エルナが人工聖女である事を看破していると見て間違いない。
慎ましやかな修道服。黒いベールで顔を隠した修道女。何故か俺に見られる事を嫌がる。
「……」
俺は目を離せずにいたが、ルシールはその視線を避けるように、そっと顔を逸らしてしまった。
誰しも嗜好がある。
年齢は関係ない。黒いベールの向こうに見える気の強そうな顔立ちが、俺は気になって仕方ない。
今のルシールの言動は、決して誉められたものではないが、目を離せない俺が居る。
「ルシール、今のは……」
「すみません。大人げない事をしました……」
そう言って、ルシールは、さっと俺から逃げてしまう。
――逃げられると追いたくなる。
ゾイに神官服の裾を引かれなければ、ルシールの手を捕まえていただろう。
「神父さま。憲兵団の詰所が見えて来ました」
「……ああ」
激しい気性。きつい感じの美人。俺はひねくれ者で……逃げられると追いたくなる。秘密を暴きたくなる。ベールを剥ぎ取って、その顔を真正面から見てみたくなる。
まぁ、今はいい。
伽羅の破片を口に放り込み、俺は視線を前に向けた。
◇◇
憲兵団では、暑苦しい憲兵共と長く話し合う羽目になった。
「大人が子供と老人を大目に見るように、俺たちのする事も大目に見てくれ」
「だ、だから、聖エルナ教会の者は聖務の一切を禁じられていると言っているだろう!」
石造りの詰所。俺は背後に六人の修道女たちを連れていて、エルナも含めると七人を連れているという事になる。
今、話し合っているのは、この辺りを仕切る中隊長の憲兵だ。
「なぁ、中隊長。俺たちは聖務による奉仕を行いたいだけだ。喜捨を頂くが、ちゃんと税金も払う。何故、頑なに拒絶するんだ?」
「だ、だから、聖エルナ教会の者は――」
その中隊長の言葉を遮って、ルシールは言った。
「我々は、聖エルナ教会の者ではありません。その名は捨てました」
「……だ、そうだが?」
中隊長は、びしりと背筋を伸ばした『気をつけ』の姿勢で言った。
「そ、そんな屁理屈が通用するか! お前たちが聖務を行う事を禁じたのは、だ、大神官さまだ。大神官さまの言う事に、はは、刃向かうのか!?」
今のところ、この詰所には三十人程の憲兵が詰めているが、全員が『気をつけ』の姿勢で動かない。
俺は『話し合い』に来たつもりだ。『動くな』と言わせてもらった。
高位神官の言葉には力が宿る。
使徒である俺にとって、憲兵程度を静かにさせるのは難しい事じゃない。
俺は面倒になって、鼻を鳴らした。
「じゃあ、その大神官を連れて来い。『暗夜』が話したいと言えばいい」
小隊長では話にならなかった。中隊長の憲兵は、額にびっしりと冷たい汗を浮かべていたが、それでも話せるのは立派だ。
「し、小官には、だ、大神官さまを呼び出せるような権限はない……!」
「それでは、その権限がある者を呼んでくれ。順を追うのもいいが、そろそろ疲れた」
「……」
「早く行け」
指を鳴らして金縛りを解くと、中隊長は転がるようにして詰所から出て行ってしまった。
修道女たちは、何故かクスクスと笑っている。
「……何がおかしい。ちゃんと話し合っているだろう……」
俺は溜め息を吐き出し、新しい伽羅を口の中に放り込んだ。
ゾイがおかしそうに言った。
「今の人、すごく震えてたよ?」
「ちゃんと加減はしている」
本気を出せば、あの中隊長に関わらず大勢の死人が出る。俺は、ちゃんと『雷鳴』の範囲を絞って話している。
「次は大隊長か? 面倒臭い。いっそ、この足で王宮とやらに行ってみるか?」
窓から外の通りを除くと、詰所の外には大勢の一般人たちが群がっている。何故か分からないが、皆、付いて来てしまった。
「なんなんだ、これは。なんだって、俺に群がるんだ?」
「それはだって、天使さまだもの。すごい神気だよ」
そのゾイの言葉に、俺は顰めっ面で押し黙る事になった。
俺は第十七使徒『暗夜』。
強い神気に惹かれて人間が集まるというのがゾイの言い分だったが、それは違う。
「普通は逃げる。群がったりしない」
ゾイは意外そうに言った。
「それはだって、優しい天使さまだもの」
全俺が耳に手を当てて言った。
「はあ?」
俺が優しそうに見えるなら、そいつはどうかしている。そう思ったが、修道女たちは、皆が皆、にこにこと笑っていた。
俺は、詰所を仕切る中隊長の椅子に腰掛け、退屈になって伸びをした。
修道女たちは、何がそんなにおかしいのか、俺の一挙手一投足に笑みを浮かべている。
暫く待たされ……
そこで、俺は強い『闘気』を感じて眉をひそめる。
「ふむ……大物が来るな……」
憲兵共は、俺という厄介な来訪客を力ずくで片付けたいという思考に至ったようだ。
窓から通りを眺めると、デカい鬼人の女が、いかにも面倒臭そうな顔で人ごみを押し退けてやって来るのが見えた。
女が吠えた。
「だから、あたしは引退してんだよ! 一々、頼るんじゃねえ! 憲兵なら、街の事は自分らで何とかしろや!」
「ふむ……結構やりそうだな……」
パッと見た限り、女は鬼人と巨人の血を引くハーフだ。血筋は戦士として一流の部類に入る。だが、残念な事に、両種族共に呪詛耐性は低い。高位神官である俺の敵じゃない。魔術師の方がよほど厄介だ。
その女戦士が、本当に嫌そうな顔で詰所に入って来る。
ややあって、話し合っていた待合室の扉が開いて女戦士が顔を出す。のんびりと椅子に腰掛けた俺を見るなり目を剥いて――
「お疲れさまっしたー!」
と言って、逃げるように踵を返して出て行こうとした。
当然、俺は呼び止めた。
「待て、筋肉ダルマ。俺と話をしようじゃないか」