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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第四部 青年期『使徒』編(後半)
250/310

42 名もなき教会1

 俺は……七十年に渡って、奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)で己という存在を磨き上げた。しかし、それは『個』による努力だ。『使徒』としてのものではない。それが今回の顛末に繋がった。


 ただ会いたい。ひたすら会いたい。というそれは、真摯で純粋な祈りの声だ。『使徒』としての俺の本質は、このひたむきな想いを断る術を持たない。


「……」


 気が付くと、俺は寂れた教会の礼拝堂に居た。足元には大きな聖印が刻まれていて、そこに立っている。


 立ち尽くす俺の目の前で、六人の修道女シスタたちが、手を組んだ祈りの格好で跪いていた。


 俺は、とても穏やかで優しい気持ちで言った。


「第十七使徒『暗夜』。お前たちの祈りに応じて参上した。願いを言うといい」


 祈りが届くという事は、こういう事だ。ただ、ひたすら俺を求めて祈り続けたこの者たちに、俺は何でもしてやりたいと思っていた。いたのだが……


 軽く脛を蹴飛ばされて視線を下げると、そこには仏頂面のエミーリアが、エルナの襟首を捻り上げた格好で俺を見上げていた。


「エミーリア。なんで、お前が居る。エルナまで……」


 エミーリアは、呆れたように大きな溜め息を吐き出した。


「ええ、ええ、そうだろうね。初めて喚ばれた(・・・・)あんたは、気分がいいだろうね」


「……なんの事だ……?」


 ただ、ひたすら俺を待ち望んでいた者たちだ。その『祈り』に応える事が出来て、『使徒』である俺が嬉しく思わない訳がない。


 ――邪魔だな、こいつ。


 そう思った瞬間、エミーリアは、エルナを掴んだまま、大きく後方に飛び下がって激しく舌打ちした。


「酔い過ぎよ、あんた」


「……」


 俺は黙って神官服リアサの袖を捲る。その両手が青白く輝くのを見て、エミーリアは、ぎょっとした。


「ちょ、あんたたち! なんとかしなさいよ!!」


 そのエミーリアの叫びに応じて、跪いていた修道女シスタの一人が立ち上がり、懐から取り出した手巾で俺の顔を拭った。


 目深にベールを被った修道女シスタ。エルナに吐き掛けられ、顔に付着した唾液を拭いてくれている。


「……」


 うっすらと見透せるベールの向こうの顔は……人間でいうなら、五十代~六十代という所だろうか。

 年老いた修道女シスタ


「ありがとう、シスタ……?」


 俺の顔に付着した唾液を拭き取り、老いた修道女シスタは悲しそうにこう名乗った。


「ルシール。ルシール・フェアバンクスです」


「ありがとう。修道女シスタ、フェアバンクス」


「……いえ、ルシールとお呼び下さい……」


「ありがとう。ルシール」


「……」


 一拍の奇妙な間があって……そして、何故かこの老いた修道女シスタから目が離せない俺が居る。


 奇妙な感覚だった。


 胸を掻き毟られるような落ち着かない感覚。よく分からないが、俺はルシールから目を離せない。


「……見ないで……見ないで下さい……お願いします……」


「……」


 そんな事を言われても、目が離せない。俺は大事な記憶を失っていて、それが強く訴え掛けるのだ。


 他の修道女シスタたちが、エルナの姿に声を上げなかったら、いつまでもルシールを見ていただろう。

 修道女シスタの一人が、圧し殺した声で言った。


「……聖エルナ……!」


 六人の修道女シスタたちが、一斉にエルナに視線を向けるのに釣られるようにして、俺もエルナに向き直った。


 エミーリアは、眉間に皺を寄せて俺を睨み付けて居る。


「暗夜。あんた、自分のすべき事を覚えてる?」


「なんの事だ……?」


 今、この者たちの祈りに応える事以外に、大切な事は存在しない。


「……邪魔だな、お前……」


「……これだから、『成り立て』は……」


 忌々しそうに言って、エミーリアは、エルナの額のバンダナを剥ぎ取って、その背中を突き飛ばした。


「あ……!」


 エルナは短く呻き、たたらを踏むようにして修道女たちの前に進み出て床に膝を着く。額の『逆印』が露になり、慌てて隠そうとするがもう遅い。

 ――見られた。

 その瞬間、しん……と辺りが静まり返った。


「…………」


 エルナは、額の逆印を隠す為、頭を抱えるようにして、その場に踞った。

 エミーリアは小さく舌打ちした。


「今のあんたに、何を言っても無駄だろうね。少し頭を冷やしなよ」


 その次の瞬間、エミーリアは煙のように姿を消した。残されたエルナは、ひれ伏すように踞った姿勢で身体を震わせていたが……

 ルシールが怪訝な声で言った。


「エリシャ・カルバート……?」


「なっ……!」


 何故、バレた? 俺は困惑した。エミーリアの思惑が分からない。そして、ここに居る修道女たちは、アスクラピアを信仰する修道女たちだ。


「ま、待て。それはエリシャじゃない。皆、落ち着け。落ち着いてくれ」


 恐ろしい程の緊迫感が漂う沈黙の後、ルシールが言った。


「……ディート。聖エルナは……エリシャなのですか……?」


「違う、待て。待ってくれ。話が複雑なんだ。エルナには手を出さないでくれ、頼む」


「……」


 ルシールは顔を伏せて小さく頷いたが、他の修道女たちは、皆、エルナに嫌悪の視線を向けている。


 これは……駄目なヤツだ。

 俺が幾ら制止しても、早晩、エルナは殺される。その辺の街角に放り出すより恐ろしい事になる。母を信仰する者にとって、『逆印』の咎を受けるという事はそういう事だ。


「……」


 やむを得ず、指を鳴らす。

 だが、エルナが消えない。『部屋』に送って避難させる為だったが……


「……?」


 何度も指を鳴らして権能を行使するが、エルナを部屋に送れない。そこで……俺は疲れて顔を拭った。


 下界に於いて、使徒の力は著しく制限される。権能の行使は、最も影響を受ける力だ。


 エミーリアめ……!


◇◇


 その後、黒いベールで顔を隠したルシールに伴われ、司祭の部屋に通された。


 頭の中は、ぐしゃぐしゃだった。


 エミーリアの行動には腹が立つが、頭は冷えた。ここの修道女たちの為に何かしてやりたいと思う気持ちは変わらないが、少なくとも、エミーリアの暴挙の意味は理解した。


 喚ばれて直後の俺は、どうかしていた。この教会の修道女たちの為なら、なんでもしてやろうとすら思っていた。しかし……


 エルナを見る修道女たちのあの『目』。恐ろしい程の嫌悪だった。頭を冷やすには充分な悪感情だった。


「ところで、ディート」


「うん? ああ……」


 自然に返事をしてしまったのは、ディートハルトとして暫く続いたロビンとの暮らしのせいだ。

 顔を隠すベールのお陰で、俺を『ディート』と呼んだルシールの表情は分からない。

 諌めるように言った。


「ディート。使徒が、安易に名を教えるべきではありません」


「分かっている。悪意のあるものなら、召喚には応じない」


「それならいいのですが……お気を付け下さいませ」


 部屋の隅で震えているエルナを一瞥して、ルシールは一人の小さな修道女を呼び寄せた。


「ゾイ……ゾイ!」


 その瞬間は、煉瓦で頭をぶっ叩かれたような気がした。慌てて声を上げる事だけは免れたが……


(ゾイだと……!?)


 長く奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)に留まった俺には、もう随分と昔の事になってしまうが、ゾイからして見れば、つい先日の事だろう。

 別に、ゾイが嫌いになった訳じゃない。寧ろ逆だ。会えて嬉しい。時間が経った今でも好ましく思っている。


 静かに司祭の部屋に入って来たゾイの姿に安堵しながらも、俺は疲れ、司祭の椅子に腰を下ろした。

 ルシールが静かに言った。


「……ゾイ。使徒、暗夜さまのお世話をお願いします……」


「はい、先生」


 短く答え、頷いたゾイを残してルシールが出て行ってしまうと、俺は安堵から溜め息を吐き出した。


 ゾイなら、安易にエルナに手を出したりしないだろう。少なくとも、俺の味方で居てくれる。

 そう思った。この時は。


「ゾイ、久し振りだ。元気か? 会いたかった」


「あは……」


 ゾイは照れ臭そうに笑って……それを誤魔化すように、あちこち出鱈目に触りまくった。


「その、神父さま。私、も、会えて嬉しい、です……」


「うん……うん……」


 ゾイとは、まぁ……深い関係だ。そこに引っ掛かりがない訳じゃないが、それはそれとして、再会できた事は素直に嬉しい。


「……とすると、ここは聖エルナ教会か……」


 俺がそう呟くと、部屋の隅で縮こまっていたエルナの身体が、びくっと震えた。


「……」


 そして、ゾイは、俺に向けていた視線とは裏腹の冷たい視線で、部屋の隅で震えるエルナを見つめる。


「……ふぅん……これが……ああ……目の『印付き』は、そういう事だった訳だ……」


 納得したように呟くゾイの声色は、俺に嫌な予感を抱かせるには充分な冷たさを持ったものだった。

9/10日『アスクラピアの子』発売予定です!

イラストは増田幹生先生です!

リンクは下部より。

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― 新着の感想 ―
[一言] 早くもまた期待を裏切られそうな気配 何というかロビンが幾らか成長が見られる分、シスター達に向ける目線が厳しくなってるやもしれん。
[気になる点] エルナにとって四面楚歌のこの状況で人間らしく立ち回らせることは難しく感じられますね… エリシャも歪な存在ではありましたがあの様に爆発してほしいと思うほどではなかったために当時衝撃的でし…
[一言] うーん。多分、何回言ってもシスター達はディーの望まない事まで過激にやってしまうんだろうなぁ……という諦観。 ルシールはゾイが抜け駆けしたの知ってるのかな?
感想一覧
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