24 覚悟を知っているか
全ての準備は上手く運んでいる。
毒消し、傷薬、麻酔薬。広範に及ぶ傷の治療に適したポーションの作成も終わった。傷を洗浄する為の聖水の準備も出来ている。
……上手く行き過ぎている。
贅沢な話だが、なんだかそれが気に入らない。
落ち着かず、ふと視線をずらすと、長椅子に深く腰掛けた遠造がお行儀悪く煙草のキセルをふかしている。
「む……遠造、俺にも一口くれ」
この世界に来てからやってないが、俺は喫煙者だ。訝しむように俺を見る遠造からキセルをもぎ取り、そいつを一口ぷかりと吸った。
「……なんだ、このゴミは。もっとましな物はないのか? いっそ、そこらの雑草でも詰めてみたらどうだ」
困ったものを見るように、遠造は肩を竦めた。
「……先生。あんた、本当にガキか? あんたと話してると、なんだかいい歳の男と話してるような気にさせられる」
それは当然だ。見掛けこそチンチクリンのガキだが、中身はとうに三十を越えたいい男だ。
「遠造、嗜好品には、もっと気を使え」
一服入れれば気分が変わるかと思ったが、そうでもなかった。俺は遠造にキセルを押し付け、そっぽを向いた。
「……」
「どしたい、先生。難しい顔しちまって……」
「別に……ただ、嫌な予感がするだけだ……どうしてもそれが抜けなくてな……」
そんなものは、ただの気の持ちように過ぎない。苦笑する俺だったが、そこで冒険者三人の顔付きが変わった。
先ず遠造が言った。
「至急、ダンジョンの入口に向かう事を提案する」
「賛成」
次いで魔術師のマリエールが短く追従した。
すると、報酬について喧しく言っていたアネットすら賛同して、ソファから立ち上がるなり大声で叫んだ。
「大至急、薬と道具を一通り準備したバックパックを用意しなさい!」
「馬車を二台準備しよう。まずはドクを送る事を優先する。薬は追っ付けという事になるが急がせる」
「薬の扱いなら、多少心得がある。私も先生と一緒に行く」
腕利きの冒険者というのは、こんなものなのだろうか。
報酬の話ばかりしていたアネットですら忙しく指示を飛ばし、クランハウスは一気に騒々しくなった。
三人のメイドは忙しなく動き回り、遠造は治療を施したばかりの足にきつく晒しを巻いている。
「先生。ある程度の距離からは、馬より俺のが早い。担いで走るぜ」
「あ、ああ……」
困惑する俺に、メイドの一人が小さなバックパックを押し付けて来る。
「先生、一応の準備は整えましたが、念のため、中をお検め下さい」
「……」
バックパックの中には、針や糸、各種の薬品類。切開用の小刀や鉄針も用意されているが……
「一つずつでいい。青石と赤石も入れておいてくれ」
「聖水は使い切っておりますが……」
「構わない。なんとでもなる」
聖水は水を祝福すればいいだけで、何処ででも作れる。問題は『水』だ。水精に命じて水を作るのは『魔術』の領域だ。俺にはどうにもならない。
しかし……
メイドが押し付けて来たバックパックは、なんというか、不思議なリュックサックだった。子供の俺でも背負える小さな物だが、内容量が妙に多く感じる。ファンタジーの代物だろうか。
「行くぜ、先生」
言うや否や、遠造は小荷物でも担ぐみたいに俺の腰を持ち上げた。
その瞬間、これまでは見ているだけだったアシタが叫んだ。
「うわああああ! 待て待て待て待て待ってくれ!! その格好で外に行くのだけは止めてくれ!!」
「あん?」
遠造は一瞬動きを止め、アシタの言う事など無視するかに思えたが、俺の格好を見て眉間に皺を寄せた。
「……確かに、不味い格好だな……」
『リアサ』の事を言っているのだろうか。確かにアシタやゾイもこの服には難色を示していたが……
「この服、そんなに駄目なのか?」
遠造は、おかしなものでも見たかのように片方の眉を釣り上げた。
「……駄目って、そりゃそうだろう。そんな格好で町を歩いてみろ。速攻で教会に捕まるぞ」
遠造の言い方はまるで罪人に対するそれだったが、勿論、俺は罪人じゃない。盗みも殺しもやってない健全な孤児だ。
「教会に? 何故?」
「何故って、そりゃ先生、あんたぐらい――」
答えようとする遠造を遮るように、アシタがまたしても悲鳴を上げた。
「うわああああ! うわああああ!」
「喧しい。話が聞こえ――」
アシタを嗜める俺の口にゾイが新しい伽羅を突っ込んで来て、俺は黙り込んだ。
「むっ……!」
ツンと鼻を突き抜けるハッカの香りが何とも言えず甘美だ。特に最初のキック力が最高に素晴らしい。
「ふむう……」
深く呼吸を繰り返す俺を横目に、遠造は小さく咳払いして、メイドに外套を用意するように命じた。
フードが付いた暑苦しい魔術師のもので、それを着ても襟が見えているとアシタのやつが騒いだが、俺は何も言わなかった。
アビーやアシタが、都合の悪い事実を隠している事は分かっている。そして、その都合の悪い事実には『教会』が関係している。もっと正確に言うならば『教会』と『神官』の繋がりが関係している。
「……ディ! あんたも何とか言ってくれ!」
「断る。何故、俺がお前の都合に合わせなければならない」
そして、俺……『神官』ディートハルト・ベッカーは無駄なお喋りを好まない。
「……」
焦るアシタに冷たい視線を送ると、ゾイの視線は俺とアシタとの間で激しく揺れ動いた。
俺は言った。
「お前は、いずれ決断せねばならない。
この地には多くの道があり、多くの場所に通じている。しかし、最後に辿り着く場所は全て一つだ。そこには大勢で向かう事が出来る。恋人と向かう事も出来る。友人と向かう事も出来る。
だが、最後の一歩は必ずお前一人で踏み締めねばならない。
だから、一人で往くという事に勝る知恵も能力も、世界中の何処にも存在しない」
俺の言葉にこの場の全員が押し黙る。
言葉とは不思議なもので、様々な立場の者に様々な形で突き刺さるように出来ている。
神官の言葉が恐れられる由縁。
「では行くとしよう。闇の中に弾け鳴る死がこの耳に届かぬ内に」
そして俺は――
いつだって独りでこの道を踏み締めて往く。
母の戯れる指が、虚空に俺の名を描くその日まで。
だが、願わくば――
頭上に輝く清らかな銀の星が、新たなる道を指し示しますように。
◇◇
急ぎダンジョンへ向かう馬車の中で、一人の少年が黙想している。
その姿に、猫人のエンゾもエルフのマリエールも冷たい汗を流した。
少年の吐き出す言葉は、十歳の子供のそれではない。加護が強すぎる。その言葉は抽象的にではあるものの、運命を予言している。
――アスクラピア――
聖書では『青ざめた唇の女』。その本性は蛇。復讐と自己犠牲をこよなく愛する。
強力な癒しの力を持つ故に信徒からは母と敬愛されるが、復讐を好む故にこれを邪神と呼ぶ者も少なくない。
それ故か、神官は道を踏み外す者が多い。
だが、目の前のこの少年に至っては、道を踏み外す事はないだろう。
魔眼を持つマリエールはこの少年を恐れた。
クランハウスで、少年が忘我の表情で放ったあの言葉。
『……私たちの存在によって、貴女たちの寿命が伸びるという事はありません。人は皆、天が定めた命数を生きるのです。その定められた命数を達者に過ごすのか、それとも傷付いた獣のように惨めに過ごすのか。その点に於いて、私たちには多いに存在意義があります』
あれは『アスクラピア』が語る『アスクラピアの子』の存在意義だ。聖書にある言葉ではあるが、本人の意思で出た言葉には見えなかった。強すぎる加護があの言葉を発させたのだ。
少年の往く道は、アスクラピアの蛇によって舗装されている。
『救う』か『奪う』か。
アスクラピアの戯れる指は、いつだって気紛れにその両方を行き来している。