40 夜の愛し子
なんか9/10日『アスクラピアの子』発売予定です。
イラストは増田幹生先生です。
リンクは下部より。
「……聖エルナは、あれは人工聖女ですよね……?」
その瞬間は、時が止まったようにすら感じた。
ロビンは、当然のように言った。
「髪型が違うだけで、特徴がエリシャにそっくりじゃないですか」
「……エリシャ・カルバート……?」
「はい。紫の瞳に聖痕。顔と雰囲気も似て……ああ、記憶がなかったんですよね……あまりに違和感がなかったので、私とした事が……」
性格には難があるが、ロビンは有能だ。『超能力』もさることながら、その直感や論理的思考も決して無視する事はできない。
ロビンは少し考えて、それから言った。
「……潔癖性で神経質。規律に厳しく、杓子定規で融通が利かない。寛容な一面もあるけれど、他者との共感性に乏しく、思いやりに欠ける。悲しくても泣かない……どうです? 合ってますか?」
……分からない。ディートハルトの記憶がない俺には『エリシャ』の事は分からない。だが……
「エリシャが、そういう性格でした。聖エルナも似たような感じじゃないんですか?」
「…………」
ロビンとエルナとは殆ど認識がない筈だ。だが、ロビンの言葉には無視できない一致がある。
「あの人は、善です。はっきりと善です。ディートさんとは合わなかった筈です」
確かに、俺とエルナは合わなかった。だが、あれはあれで聖女と呼んでいい寛容さがあった。厳しさがあった。正しさがあった。頑固さがあった。それを含めて尚、ロビンの言葉は概ね的を射ていると言っていい。
ロビンは、何処までも論理的だった。
「貴方を人殺しと罵った筈です」
「……ああ、言った……」
「覚悟がない。彼女は誰も殺せない。それでは、救うべき時に救うべき者を救えない。見た目通りの子供です。だから、貴方は逆印の咎で済ませた。エリシャの時と同じように」
それは、意識的にした事じゃない。だが、ロビンの言葉に反論できない俺が居る。
ロビンは極めて冷静に言った。
「聖エルナの事は、聖典を読んで知ってます。母の胎内にあった時から『刷り込み』を受けていた。その期間は十月十日。でも、その神力は大した事がなかった。違いますか?」
「……ああ、そうだ……」
ギュスターブとローランドを下し、その力を取り込んだとはいえ、十月十日に渡って『刷り込み』を受けたのが事実であれば、簡単に逆印は刻めない。凄まじい抵抗があった筈だ。それが……感じられなかった。
「あれは、失敗作です。器が力を受け止め切れなかったんでしょう。大部分の力が溢れて消えた」
「失敗……?」
「勿論、聖エルナの遺した功績は偉大です。魔王ディーテとの戦いでは自己犠牲を惜しまず、勇者アウグストらを支援した」
その聖エルナは衰弱激しく、晩年はベッドの上で過ごした。
「ま、待ってくれ……」
ロビンの言葉を制止した俺は、割れそうに頭が痛んだ。
かちり、かちり、と音を立て、パズルのピースが填まって行く。
「考えさせろ。考えさせてくれ……」
十月十日の『刷り込み』は度を超えている。本人の意思や限界を超えたそれは……正に『焼き付け』だ。
つまり――初めて『焼き付け』を行ったのは母ではないか?
無論、これは憶測の域を出ない。仮に、エルナに『焼き付け』を行ったのが母だったとしても、魔王ディーテ討滅の功績を思えば結果は悪くない。寧ろ世界に仇為す邪悪を祓った。
――超越者。
駄目だ。俺の価値観では、こいつを計る事は出来ない。何を考えているのか分からない。
ロビンは、酷く平淡な表情で俺を見つめている。
「……今、凄まじい事を考えていますよね。聖エミーリアも、この場に呼びますか……?」
「いや、誰も呼ぶな」
俺は首を振った。
第一使徒『聖エミーリア』と、勇者アウグストが第二使徒として召し上げられるまで、実に七百年。おかしいとは思っていた。その後の三百年でエミーリアを除いた十六名の使徒が集められた事を思えば、母は凄まじく短い期間で使徒を集めた事になる。
「貴方は素晴らしい」
先程の平淡な表情とは、打って変わって、ロビンは恍惚とした表情で俺を見つめている。
「聖エミーリアが信用できないんですね? 素晴らしい。貴方は真実の一端に触れた」
「黙れ……考えさせろ」
マリエールも呼び出したいが駄目だ。必ずエミーリアが反応する。フラニーたちには荷が重すぎる。
――七百年。
人間にとって、この悠久に近い時が何を意味するか。
……母が、エミーリアを見限るのに要した時間だ……
そう考えると辻褄が合う。その後、短いスパンで使徒を集めた事まで辻褄が合ってしまう。
母は何かを『期待』していて、エミーリアはそれに応える事が出来なかった。その後の使徒も同様だ。母の期待に添うものではなかった。
軍神の干渉時、母の干渉がなかったのは何故か。
――増えすぎた使徒を減らしたかった――
或いは『篩』に掛けた。全ては憶測だ。だが、辻褄が合う。合ってしまう。
駄目だ。過ぎた憶測はよくない。あの、慈悲深くも邪悪な母の考える事は分からない。だが……エルナの事に関しては結論が出た。
「……聖エルナは……使徒として召し上げられた際、身体ごと召し上げられたそうだ……」
「はい。知ってます」
俺はもう、ここで思い疲れる。
「……ロビン、お前の言う通りだ。母は、いずれ失敗作を『人』に戻すつもりだったのだろうな……」
「……凄い。素晴らしい……」
ロビンは、俺の答えに驚嘆し、感動に打ち震えているが、俺としては笑えない答えだ。
邪悪な母の指先が、運命を回している。
そう思わずに、居られない。
そして――何も分からない。今回の当為に人工勇者と人工聖女の討滅、及び抹消が含まれるなら、俺の行為は母の意思に添ったものと言える。
◇◇
何も知らない時にだけ、人は知っていると言えるのだ。真実に近付くにつれ、謎は深まって行く。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
謎は深まって行く。
あの、しみったれの意図を読み解かねばならない。
「……白蛇だ。白蛇に会いたい……」
ヤツなら母の真意を知っているだろう。話すだけでも、何らかの反応が得られるはず。
ロビンが言った。
「ディートさん。私に全室移動の権限を」
「許可する」
ロビンに知られて困る事は、一切ない。暫く過ごして慣れたという事もあるが、この秘密を共有している事が大きい。
「非常時は、マリエールさんと同等の権限を」
「……許可する」
何をするか分からないヤツだが、こいつは俺の敵ではない。躊躇いがない訳じゃないが、この有能を腐らせて置くのは、あまりに勿体ない。
続けて、ロビンは当然のように言った。
「聖エルナを尋問させて下さい」
「……」
ロビンが言うこの『尋問』は、拷問すら辞さない苛烈なものだ。それが言外に伝わって、俺は思わず鼻白んだ。
「……そこまでする必要はない……」
頭が割れるように痛んだ。
この身体は駄目だ。子供のものであるせいか、酷く疲れる。
「捨て置け。あれは、もう何の力も持たない子供だ。その内、然るべき場に放逐する。関わるな」
ロビンは呆れたように、しかし何処か嬉しそうに肩を竦めて笑った。
「……本当に変わりませんね。蜂蜜より甘い……」
第三使徒『聖エルナ』の使命は終わった。それだけだ。
だが……これが神さまの思し召しとやらならば、俺は……
◇◇
ベッドの上で大の字になった俺は、ロビンの膝枕で優しく髪を梳かれている。
「……ロビン。この身体は、やはり駄目だ。すごく疲れる。元の身体に戻りたい……」
「……駄目です。約束は守って下さい……」
ロビンは微笑っている。
「……なんだか、すごく眠いんだ。こんな事は初めてだ……」
「それが人間です。貴方は、この数日、殆ど眠っていない。寝たふりをしていただけですよね」
「なんだ……バレていたのか……」
ロビンは優秀すぎる。
エルナを『焼き付け』の産物と見破ったのは、このロビンの慧眼だ。
「……貴方に付いて行けるのは、私だけです。それを忘れないでいて下さい……」
「……そうだな……」
ロビンはあまりに優秀だ。
俺は、こいつなら、心配せずに戦える。肩を並べて前に行ける。それだけの強さと賢さがある。
「あぁ……疲れた。疲れたよ……」
「……お休みなさい。暗夜さん……」
洗礼名『ロビン』……コマドリ……夜の愛し子……魅入られたのは俺か、それともロビンか……分からない……
「……なぁ、ロビン。俺と一緒に、世界の秘密を見に行かないか……?」
「……いいですよ……何処までもお供いたしますとも……」
「うん……それでこそ……」
俺の『騎士』だ。
意識に、眠りの帳が下りる。
9/10日『アスクラピアの子』発売予定です!
イラストは増田幹生先生です!
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