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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第四部 青年期『使徒』編(後半)
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38 狼の得た報酬

 『逆印』の呪詛は特殊な術だ。母の怒りと嘆きなくして刻めない。

 勿論、俺がした事だ。

 分かっている。だが、白蛇やエミーリアに任せれば、エルナは殺されていただろう。


 使徒としての力を失ったエルナは、ただの人間になった。それ故、白蛇もエミーリアも今のエルナを裁く事はしない。


 だが、これではあまりに救いがない。


 そこで、俺は指を鳴らしてエミーリアを召喚した。

 その瞬間――


「死ね! 変態狼が!!」


 俺は、メイスを振り上げた格好で現れたエミーリアを、ひょいと抱き上げ、山積みになっている本の上に座らせた。


「あれ、暗夜……?」


 きょとんとしたエミーリアに、俺は溜め息混じりに言った。


「エミーリア、いい加減にしろ。ロビンは、俺を困らせたくてやっているんだ。それを真に受けるな」


「あ……うん……」


 エミーリアが『書斎』に入ったのは初めてだ。周囲の状況を確認して、それから口をへの字に曲げた。


「落ち着け。ロビンとは俺が話す。それでも、あの態度が直らんようなら、あいつには罰を与える。それで納得しろ」


 問題は、一つずつ解決するしかない。


「エミーリア。お前が、しっかりしてくれないと困るんだよ」


 俺がベアトリクスやディートリンデと交渉するのはいい。だが、その間、俺は部屋を空ける事になる。


 前室が燃えている間は、フラニーやジナ、アイヴィは『現在』に戻れない。マリエールではロビンを押さえる事が出来ない。

 俺は言った。


「力が回復次第、『軸』を変える」


 この『部屋』の軸を、擬似体のディートハルトから『俺』に変更すれば、時間軸は『現在』に戻る。それで時間は再び前に進む。

 エミーリアは意外そうに言った。


「え、あんたが行くの?」


「ベアトリクスとも、ディートリンデとも会いたくないと言ったのは、お前だろう。俺が行かないでどうする」


 時間を動かす事で生じるデメリットもあるが、この際、それは受容する。フラニーたちをここで朽ち果てさせる訳には行かない。これで懸念の一つが解決する。


「ちょ、クラウディアに狙われたらどうすんのさ」


「危険は承知の上だ」


 とにかく前室の炎を消さない限り、フラニーたちの行動は制限される。性格は最悪だが、ロビンが使えないのはあまりに惜しい。


「エミーリア、留守中は預ける。ここに留まるなら、せめて留守番ぐらいはしろ。出来るな?」


「え、やだよ」


 エミーリアは、至極当然のように言った。


「なんで、私があんたの言う事を聞かなきゃ行けないの?」


「なら、出ていけ」


 話し合うつもりはない。このエミーリアの存在も、俺の悩み事の一つであるからだ。もう十分以上に謝った。何もせず、俺を困らせるばかりの厄介者を置いておく理由は何一つない。


 指を鳴らそうと右手を上げた瞬間、エミーリアは、ぎょっとして俺の身体に抱き着いた。


「分かった分かった分かった! 留守番する留守番する留守番する!!」


 敏感に俺の本気を感じ取ったのだろう。エミーリアは、恨めしそうな顰めっ面で言った。


「分かったよ……そんなに怒る事ないじゃん……」


「やかましい。お前は俺を困らせたいだけだろう。ロビンと何処が違う」


 ロビンと同一視され、エミーリアはカチンと来たようだ。上目遣いに俺を睨み付けて来た。


「そこまで言うんだったらさ、なんとかしてよ。あいつ、冗談抜きにして『強い』よ? あんたが留守にすると、それこそ滅茶苦茶すると思う」


「……分かった」


 エミーリアの言う事は尤もだ。ロビンが本気を出せば、使徒であるエミーリアをして抑える事は難しい。不本意だが、ロビンが納得する形で事を収める必要があるだろう。


 それから暫く、エルナの状態を伝えた上で、その処遇についてエミーリアと話し合った。

 エミーリアは、険しい表情で言った。


「……下界に落として、『人』としての生を歩ませるしかないだろうね……」


「……そうだな。ここに居ても、どうしようもない……」


 だが、エルナには『逆印』がある。母の怒りを受けた明確な証拠だ。下界に送るのはいいが、下手な場所に送ると、すぐにも殺される危険がある。


「それは仕方ないね。あの子は、それだけの事をした」


 アスクラピアを裏切った。最古の使徒『聖エミーリア』は、それだけは絶対に赦さない。

 エミーリアは厳しく言った。


「暗夜。母に代わって明確な裁きを下すのも、私たち使徒の仕事だよ」


「……ああ、分かってるよ……」


 エルナに逆印の咎を与えた俺が悩むのも、本来はおかしな話なのだ。容赦ないエミーリアの言葉にも、返す言葉は存在しない。

 俺は疲れ、ソファに腰掛けて両手で顔を覆った。


「……暫く考えさせてくれ……」


 何処か、エルナが安全に、心安らかに暮らせる場所はないだろうか。

 矛盾だ。矛盾している。

 それが分かっていて尚、俺は矛盾のある所を流離う。


「暗夜、あんたは間違ってない。使徒として、すべき事をした。悩むのは違うね」


「師匠……」


「あ、あう……」


 きっと、アスクラピアは、俺のこの苦悩を見つめているのだろう。見守っているのだろう。


◇◇


 エミーリアらを伴って『リビング』に帰ると、そこにはコンソールに向き合ったマリエールと、仏頂面のロビンが俺の帰りを待っていた。

 俺を見るなり、ロビンが朗らかに笑った。


「お帰りなさい、暗夜さん」


 俺は鼻を鳴らした。今すぐにでも、この傲慢なレイシストをアルフリードの血潮で燃え盛る部屋に叩き込んでやりたいが……

 悩みは、一つずつ解決するしかない。


「……ロビン、お前の望むモノを与えるのは嫌だ。だが、俺の言う事に従うなら、少しの期間、妥協してやってもいい……」


「……」


 そこで、ロビンは驚いたように目を見開いた。


「……本気ですか?」


「ああ、俺の神力が回復するまでの間だけだがな」


「……」


「迷えば、どんどん時間は短くなる。俺が回復してしまえば、二度と会えない。会わせない。この場ですぐ決めろ」


「…………」


 それまでのふざけた態度を真剣なものに変え、ロビンは何度も唾を飲み込んだ。


「無駄に騒ぎを起こすな。フラニーたちを侮辱するな。次はない。今度、俺を怒らせれば、お前を部屋から叩き出す。何度でも叩き出す。死ぬまで赦さない」


「……」


「何か言え」


 ロビンは瞬き一つせず、何度も唾を飲み込んで、それから小さく頷いた。

 俺は言った。


「この変態め」


 そして、虚無の闇から『それ』を引っ張り上げるようにして取り出した。


 銀色の髪。黒い瞳の十歳の少年。ディートハルト・ベッカーの擬似体だ。魂と呼べる物は存在しない。


 使徒の半数が死ぬ戦いを経て、ロビンが望んだ物はこれだ。


 ディートハルト・ベッカー。


 ただし、ザールランドで大神官をやっているディートハルトじゃない。以前の俺だ。


 俺とディートハルト・ベッカーのアストラルパターンは酷似している。他の擬似体では不可能だが、このディートハルト・ベッカーの身体に限り、魂魄を移す事が出来る。


 やりたくはない。幾ら酷似しているとはいえ、本来のものと違う身体だ。力が弱まる。

 だが、ロビンの口を塞ぐにはこれしかない。

 全く忌々しいが……

 次の瞬間、使徒『暗夜』は眠りに就き、変わってディートハルト・ベッカーが目を覚ます。


 その場の全員が巨大化したような感じがするが、実際は俺が小さくなった。

 フラニーが感心したように呟いた。


「おお、すげー。マジで昔の師匠じゃん」


 俺は、少年の甲高い声で言った。


「これで満足か? この変態め」


「……」


 ロビンは……ディートハルトになった俺を見て、コバルトブルーの瞳から大粒の涙を流した。


「ディートさん……」


「……」


 違うと言ってやりたいが、この変態はディートハルト・ベッカーである俺に拘りがある。


「ディートさんっ……!」


「ああ、聞こえている。煮るなり焼くなり好きにしろ」


 エミーリア、フラニー、ジナが揃って呆れたように首を振った。


 その次の瞬間、煙のように掻き消えたロビンが目の前に現れ、胸に押し付けられるようにして俺は強く抱き締められた。


 ロビンは俺を抱き締めたまま、泣きながら笑っていた。


「うふふ……うふふふふふふ……」


 ロビンの流す涙の雨に打たれながら、俺は複雑な心境だった。


 おそらく、レネ・ロビン・シュナイダーは、これで漸く本当の正気に戻るのだろう。少なくとも、意味のないトラブルを起こすような存在ではなくなる。


 漠然とだが、そう思う俺が居た。

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― 新着の感想 ―
[一言] なるほどこれが報酬だったかぁ記憶ないから余計に変態に見えるけどこれしかないわな
[一言] 取りこぼしたモノを漸く捕まえたか…
[一言] ごめんロビン もっと変態的な望みだと思ってたわ 確かにシリアスで見ればロビンにとってはこれ以外は無いわ
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