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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第四部 青年期『使徒』編(後半)
245/309

37 使徒の日常2

 書斎に籠り、暫く読書して過ごした。


 書斎に山積みになっている本は全て読んだが、この時、読み返したのは、三百年以上昔、勇者アウグストらが討滅した『魔王ディーテ』の伝承だ。

 あくまでも言い伝えだ。

 子供に読んで聞かせるようなお伽噺が殆どで、大した事は描いてない。


 かつて『勇者』アウグストらは、氷の大深層で『魔王』ディーテを討ち取った。


 勇者アウグスト。剣聖ローランド。聖騎士ギュスターブ。そして……聖女エルナ。


 魔王討滅後の彼らの人生は、決して幸福なものとは言えない。


 アウグストは王政に逆らった反逆者として公開処刑され、エルナは魔王ディーテとの戦いによる衰弱が原因で晩年は寝たきりだった。その後、ギュスターブは姿を消し、一人残ったローランドは世界中を旅して回った。どの国にも仕官する事なく、生涯独身だった。


「……」


 そこで一息ついた俺は、読み掛けの本を閉じた。


『氷の大深層』


『魔王ディーテ』


 そして、近い内に交渉する事になるだろう『氷騎士』ディートリンデ。


「まさかな……」


 あぁ、気のせいだ。そんな事はない。あのしみったれが、いかに訳の分からん存在であったとしても、そんな事だけはしない。そう思いたい。


 第十五使徒ディートリンデ。

 四つの耳を持つ片眼鏡モノクルを掛けた茶髪の女騎士。エルフであるが、異形故に故郷を追われた。その境遇を憐れんだアスクラピアに拾われた。気位が高いが、気軽に人間の召喚に応じるような気さくな一面もある。氷刃『エア・オリエント』の使い手。


 そうだ。

 ディートリンデの事に関して、分かっているのはそれだけだ。彼女がどのように生きたかは分からない。


「……」


 OK、俺は何も見てない。何も疑ってない。嫌な予感なんてしない。しかし……閉じたばかりの伝承本を、じっと見つめる俺が居る。


 実際、ディートリンデと会うまでは何も言えない。彼女と話してみて、どう感じるかだ。

 俺は強く頭を振って、物思いを打ち切った。


「フラニー、聞こえるか?」


 俺とフラニーの間には師弟の絆がある。声だけという条件付きではあるが、『部屋』の中でだけは念話による意思疎通が可能だ。

 暫くの間があって――頭の中にフラニーの声が響いた。


 ……はい、師匠。オレです……


「書斎に呼ぶが、いいか?」


 ……どうぞ。ジナもいいですか……


「ああ、構わない。むしろ会いたかった」


 何もしなくても、悩みは多くなるばかりだ。


 俺は指を鳴らして、フラニーたちを書斎に呼びつけた。


◇◇


 部屋に呼びつけた瞬間、フラニーとジナは忽ち恐縮して、その場に跪いて頭を下げた。

 俺はソファに腰掛けたまま、右手で顔を拭った。


「すまないな、フラニー。暫く会ってやれなくて……」


「い、いえ、とんでもありません! 師匠が、そんな……」


「言うな、フラニー。不出来な俺を赦せ……」


 安心してエルナの世話を任せきりにした事もそうだが、その他の事にかまけて、フラニーを蔑ろにした事に変わりはない。


 そこで、フラニーは眉を下げ、困ったように俺を見た。


「なんだ? 何か変わったか?」


「いえ……やっぱ、師匠は今の姿の方がしっくり来るなって……」


「訳が分からん。もっと分かりやすく言え」


 それからのフラニーは、以前の俺……『ディートハルト・ベッカー』であった頃の俺と今の使徒『暗夜』である俺とを引き合いに出して言った。


「以前の師匠は……なんつうか、ガキのなりと言葉遣いが合ってなくて違和感があったんですけど……今は自然というか……」


「元々、このなりだ。そういう意味では、違和感があるのは当然だな」


 今の俺は、人間の年齢で言えば三十歳程度の姿格好だ。


「駄目だったか?」


「そんな! まさか!!」


 何故かいきり立ったフラニーだったが、大声に顔を顰めた俺を見て、慌てて口を噤んだ。


「残念だが、俺には記憶がない。昔話をされても困る」


「は、はい。すみません……」


 そこで、暫く沈黙があった。

 へっへっ、と鼻を鳴らして俺に駆け寄ろうとしたジナの尻尾を捕まえて、フラニーは少し考え込む様子だった。


「どうした、フラニー」


「いえ……」


 ややあって、顔を上げたフラニーは、いつになく強い視線で俺を見つめた。


「その、師匠。アビーの事を覚えてますか……?」


「アビー? 誰だ、それは……」


 フラニーは、殆ど睨むように俺を見つめている。まるで挑むような目付きだった。


「アビゲイルです。パルマの……」


「ああ、女王蜂クイーン・ビーか。下界の者だな。名前ぐらいは知っているが、それがどうかしたか?」


 フラニーは、ぱっと笑った。


「いえ、なんでもないです。失礼しました」


「……?」


 訳が分からないが、フラニーは安心したようだった。

 その後、話は自然な形で現状の報告になった。


「こっちは、マリエールが色々やっているが、まだ火が消えん。忌々しい事だ……それより、エルナはどうだ? どうしている?」


「……」


 そこで、フラニーは眉間に皺を寄せた険しい表情で、ジナと確認するように視線を合わせ、顰めっ面で言った。


「とんでもないクソガキです。偉そうにしてる癖に、びっくりするぐらい何も出来ません」


「……」


 生前のエルナは聖女として国の厚い保護を受けていた。魔王討滅の旅ではギュスターブが居たし、使徒になってからは権能で大抵の事は思い通りになった。その力を奪ってしまえば、後に残ったのは頭でっかちの子供だったという訳だ。


 そこから先のフラニーは愚痴のオンパレードで、俺はまた強い頭痛に悩まされる羽目になった。


「あのクソガキは、なんの役にも立ちません。一人じゃ火も起こせませんし、当然ですけどメシの支度も出来ません。その癖、口先だけは一丁前で、肉は嫌だ魚も嫌だ、あれも嫌だこれも嫌だと手に負えませんよ……!」


 あまりの煩さに、もう帰れと言いたくなった俺だったが、そこで、ちょっとした違和感を覚えた。


「……食事を摂るのか……?」


「はい。なんだかんだ文句は多いですが、ちゃんと食わせてます」


「……そうか。排泄や入浴は、どうだ? どうしている……?」


 その俺の問いに、フラニーは露骨に嫌そうな顔になった。


「なんすかソレ。オレたちが世話をサボってるとか言いたいんですか?」


「違う、そうじゃない」


 ロビンやエミーリアでも大概なのに、久し振りに会った弟子にまで噛み付かれると、俺としては気分が滅入る。

 フラニーも溜め込んでるものがあるのだろう。顔を赤くして怒鳴った。


「師匠、そんなにあのクソガキが気になるんスか!?」


「……」


 俺は『神官』だ。何がどうなろうと、根っ子の部分は変わらない。騒がしいのは好きじゃない。


「常に慈悲深く情け深くあれ! そう言ったのは師匠だろ! でもあのクソガキは、師匠を背中から刺した! それでも憐れに思ったからこそオレは――」


 まだ言葉の途中だったが、ジナが思い切りフラニーの爪先を踏んづけた。


「――痛っ! ジナ、てめえ何しやがる!」


 激昂していたフラニーの爪先を踏み潰したジナが、澄ました顔で静かに言った。


「フランキー、うるさい。だまれ」


◇◇


 目がある者は見るべし、耳ある者は聞くべし、金ある者は使うべし。能ある者は、そっと黙っていよ。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


 深く足を組み、肘掛けに肘を付き、首を傾げた姿勢で話を聞く俺の様子に、フラニーはハッとして黙り込み、慌てて跪いた。

 俺は、短く溜め息を吐き出した。


「フラニー。俺は、お前の慈悲深さを誇らしく思っていたが、今の言葉はエルナだけでなく、お前自身の行動と尊厳をも傷付けるものだ」


 フラニーは恐縮して、身体を縮めて俯いた。


「控えろとも寛容になれとも言わないが、ここに居ない者を貶める事は、お前自身も貶める」


「はい……すみません……」


「うん、分かればいい……」


 フラニーのこの苛立ちも、俺の至らなさが生じさせたものだ。あまり強くは叱れない。

 俺は痛む眉間を揉んだ。


「……フラニー、お前の目から見たエルナは『人間』に見えるか……?」


 そう。第三使徒『聖エルナ』は人間ではない。本来は食事も入浴も排泄も必要ない。だが、フラニーの言うエルナは、正しく人間そのもののようにしか聞こえない。


「……っ!」


 俺の意図する所に思い至り、フラニーは険しい表情で息を飲む。言った。


「……はい、すみません。そういう意味でしたら……聖エルナは……」


 罰を与えたのは俺だ。分かっている。分かっているが……やりきれなさに、俺は顔を背けて息を吐く。

 フラニーは、改めて言った。


「聖エルナは、ただの人間です。間違いありません」


「やはり、そうか……」


 斯くして――つばさを失った天使は地に堕ちた。


 これも、エミーリアが言うところの『神性』というヤツだろうか。

 思った。


 慈悲など掛けず、いっそ殺しておくんだった。


 そうすれば……悩まずに済んだのに……

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― 新着の感想 ―
[一言] ただの人間の場合 十四歳しかない子供ということになる つまり一応暗夜が守るべき相手になる...かな?
[良い点] アスクラピアの言葉毎回良いです [一言] めんどくさと思ったら暗夜は極端にいくなぁw気持ちはわかる
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