35 笑えない冗談
ややあって、アイヴィがエミーリアを伴って帰って来た。
アイヴィの話では、エルナはフラニーらに保護されているようだ。
「フラニーは、主にバレる事を恐れています。何か指示なさいますか?」
どうしているかと気を揉んでいたが、フラニーたちが一緒だというなら安心できる。
「うん、そうか。ならいい。……頼むとだけ伝えておいてくれ……」
そして、またアイヴィが行ってしまうと仏頂面のエミーリアと二人きりになった。
当たり前だが、蟠りがある。それは二人きりになると顕著な形で現れる。
「……なぁ、エミーリア。エルナはどうなる? どうすればいい……?」
エミーリアは『腕組み』の格好になり、ぷいと顔を逸らした。
「知らないね、あんな子の事は」
エミーリアは、俺がエルナに逆印を刻んだ事を一切責めなかった。つまり、エルナはそれだけの事をしたというのがエミーリアの見解だ。
エミーリアは、険しい表情で、きっぱりと言った。
「あんたは正しい事をした。アウグストたちの背信は許せない」
そう。俺たちは『アスクラピアの子』。母への背信は許せない。特に最古の使徒であるエミーリアの怒りは深刻だ。
「あの子は、背信の徒を誅したあんたの背中を刺した。卑劣で、言い訳できない事をした」
『逆印』の咎も已む無しというのがエミーリアの考えだ。
「エルナはどうなる? どうすればいい?」
「……あんたって……」
エミーリアは、困ったように眉を下げ、溜め息混じりに俺の隣に腰掛けた。
暫くの沈黙を挟んで言った。
「……前例がないから、私にも分からない。母に任せるしかない……」
第一使徒エミーリアをして、逆印を受けた使徒がどうなるかは分からないようだ。エルナの事は、なるようにしかならない。
そこまで話した所でアイヴィが戻って来て、目の前にあるテーブルに伽羅水の入ったコップを二つ並べた。
遠くでは、虚無に浮かんだディスプレイを見ながら、部屋の管理をしているマリエールの姿が見える。差し入れ。よく話し合えという事だろう。
俺は一つの疑問を口にした。
「……母は……クラウディアから力を取り上げないのか……?」
エミーリアは、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「あのね。あんたはさ、一度渡した物を、自分に都合が悪くなったからって取り上げるの?」
「ああ」
短く答え、頷いて見せると、エミーリアは両手で顔を覆って嘆息した。
「ええ、ええ、そうだろうね。あんたらしいね。でもそれは、『神』がやる事じゃない」
「そうか?」
都合が悪くなれば、俺はいつだってロビンからデュランダルを取り上げるつもりでいる。
「……あんたは、しみったれてるねえ……」
「我らが敬愛する母も、しみったれて居られる」
エミーリアは呆れているが、そもそも俺は『神官』だ。五つの戒めを破り、道徳的である事をやめた時、力を失う。似たようなものだろう。
「そこは、神性ってやつよ。母の御心は誰にも計れない」
「ふむ……そうだな。それは確かにそうだ……」
その『神性』とやらが曲者だ。アルフリードにも同じ事が言えるとしたら、訳の分からぬ『神性』とやらが、『勇者』とかいう存在を作った。
「……」
興味深くはあるが、考える価値を感じない。
さて、話はここからが本番だ。
「ところで、エミーリア。ベアトリクスに会いたい。渡りを付けられるか?」
第八使徒『ベアトリクス』。銀髪隻眼の女。そして『殺し屋』。詳細不明。
「……はぁ? いきなり笑えないね。笑えないよ。『殺し屋』に用件があるの?」
「そうだ」
ここで休んで居ても、出来る事はある。それが、第十使徒『クラウディア』の殺害依頼だ。
「あの、一切神力の欠片も感じない女に興味がある。交渉は俺がする。渡りを付けてくれ」
「……出来ない事もないけど……やだね。嫌いなんだよね、あいつ……」
第八使徒『ベアトリクス』。殺し屋。こいつの本分は汚れ仕事だ。エミーリアが嫌がる訳が理解できない訳じゃないが……
「だが、クラウディアはどうする。あいつは『弓使い』だぞ。俺たちにはどうしようもない」
使徒の弓使いだ。その射程距離は、俺たちの警戒範囲など軽く超えるだろう。陰から狙われれば一溜まりもない。近接戦に持ち込めればいいが、そんな隙を見せるとも思えない。
そのクラウディアの危険を説明して尚、エミーリアは気が進まないようだ。
「嫌だ。あんたがやりなよ」
「……」
これは駄目だ。よほどベアトリクスが嫌いなのだろう。エミーリアは頑として首を縦に振らない。
「……分かったよ。分かった……」
お手上げだ。俺は肩を竦めて頷いた。ベアトリクスとの交渉には、他の使徒を当たるしかない。
「……」
そこからは、暫くお互いに沈黙の時間が流れた。ムセイオンで俺がした事を考えれば、エミーリアの沈黙は無理もない。
俺は、自分のした事をよく考えて、それから言った。
「……エミーリア。ムセイオンでは、すまなかった……」
「え、はあ? な、何よ、今さら……」
突然の謝罪に、エミーリアは目を白黒させて困惑しているが、これはおかしな事じゃない。
犠牲を容認する事で、より大きな実りを得る事が出来る。俺は知ったような事を言ってエミーリアを捩じ伏せたが、その一方で、似たような事を言ったロビンの諫言を退けた。
俺は口先だけで物を言った。
それを無かった事にして、なあなあでエミーリアと居るのは違う。
「本当に、すまなかった」
「え、あ、う……じゃ、じゃあさ、取り消しなよ、あれ、あの言葉……」
口先だけの説教をして捩じ伏せた事は、恥ずべき事だ。俺は神妙に頷いた。
「全て取消す。悪かった」
「……」
そこでエミーリアは唇を尖らせ、ぷいと顔を逸らした。その頬に少し赤みが差して見えるのは気のせいだろうか。
「わ、分かればいいけど、も、もっと謝って。私、死ぬかと思ったんだから……!」
そこはかとなく矛盾を感じる言葉だが、確かに銃で頭を撃たれた事に憤るエミーリアの気持ちは理解できる。
「分かった……」
俺は虚無から回転式拳銃を取り出して、エミーリアに手渡した。
「え、は? なにこれ……」
「それで俺を撃て。ちゃんと頭を撃てよ」
俺の敬愛する母は、復讐を是とする神だ。それで『おあいこ』。俺たちの間に蟠りはなくなる。名案だと思った。
「いやいやいやいや……ちょっと待って。あんたって、なんでそんなに極端なの?」
「遠慮するな、エミーリア。覚悟は出来てる。ほら、銃口を当てろ」
何故か嫌がるエミーリアの手を取って、無理矢理、銃口を俺のこめかみに当てさせた。
「な、ちょっ、あんた馬鹿!?」
「いいから」
「いや、ばっ――」
エミーリアは、何故か引き金を引く事を強く拒絶して、俺たちは暫く揉み合いになったが……俺の指が引き金に触れた。
その瞬間――
だん、と大きな衝撃音がして、銃口から放たれた真銀の弾丸が俺の頭を吹き飛ばした。
血飛沫と共に身体が弾けるようにして飛び上がり、俺はソファに凭れ掛かるようにして絶命した。
「…………」
飛び散った返り血で顔を汚したエミーリアは、転がる俺の遺体を見つめたまま、銃を持った手を小さく震わせて放心状態になった。
ややあって、リボルバーの発砲音を聞き付けたロビンやフラニー、ジナ、アイヴィが慌てて駆け付け、頭を吹き飛ばされ絶命した俺の姿と、銃を持ったまま、小さく震えるエミーリアとを忙しく見比べた。
ロビンが、呆然として言った。
「修道女エミーリア……暗夜さんを、殺したんですか……」
フラニーは、ぽかんとした表情だ。
「え、マジ……? エミ姐さん、そこまでする事ねえだろ……」
ジナは目を剥き、転がった俺を見て絶句している。
「……」
そこで、顔色を失ったアイヴィが慌てて俺の身体を揺さぶった。
「主! 主!!」
やはり顔色を失ったエミーリアの持ったリボルバーの銃口が、ぶるぶると震えている。
俺は言った。
「ふむ……真銀の弾丸でも、頭への直撃はやはり駄目か……」
撃たれたのは分け身だ。
ぶるぶると身体を震わせるエミーリアの背後に立つ俺に、ロビン、フラニー、ジナ、アイヴィがゆっくりと視線を向ける。
最後に振り返ったのは、エミーリアだ。
「……」
エミーリアは無表情で無言だった。銃を持ったままの手は、まだ震えている。
これで『おあいこ』だ。
俺は、すっきりして気分爽快だった。
「エミーリア、気が済んだか?」
「……」
「冗談だよ、冗談。でも、すっきりしただろう?」
俺は笑った。
◇◇
暫くして――
赤くなった俺の頬を指差して、マリエールが腹を抱えて笑っていた。
「悪趣味。でも、面白かった」
俺のハイセンスな冗談を理解して笑ってくれたのは、マリエールだけだ。意外だったのは、アイヴィまで怒って、エミーリアたちと向こうに行ってしまった事だ。
俺は激しく毒づいた。
「くそッ、なんで俺がぶたれるんだ!」