33 死と罪3
アウグストの事情は知らない。
ローランドの事情も知らない。
ギュスターブの事情も知らない。
誰しも、各々の感性に従って己の道を進む。それでいいと思う。アウグストらには、背信を行うそれなりの事情があったのだろう。
俺は……アスクラピアの子。
母に神性があり、俺に信仰がある以上、俺の当為は変わらない。
母は……アウグストらの力を奪わなかった。裏切られて尚、アウグストらを信じたのだ。母の神性は損なわれない。損なわれたのは、裏切者の信用だ。
エルナを吊り上げ、俺は酷く虚しくなった。
「とても残念だ」
ギュスターブは武装を解除して話し合う事が出来た。アウグストとローランドは、覚悟を決めたギュスターブを見捨て、俺との戦いを回避する事も出来た。
だが、そうはならなかった。
「人は……何故生きるか……」
――愛ゆえ。
もういい。もう、十分殺した。俺はもう思い窶れる。エルナまで殺したくない。
「人は……何故死ぬのか……」
――愛なきゆえ。
今日は、もう疲れた。これで終わりにしたい。後は……白蛇に任せよう。
「人は……何によって自己に打ち勝つか……」
――愛によって。
エルナが叫んだ。
「離せ! 離せえぇえ!!」
俺は冷たく答える。
「駄目だ」
これから、エルナに『逆印』を刻む。『聖エルナ』は神性を失い、翼を失った天使は地に堕ちる。
「人の涙を止めるのは何か……」
――愛による。
酷く憂鬱だ。だが、やらねばならない。第十七使徒『暗夜』は、母に代わって裁きを下さねばならない。
「絶えず人を結び付けるのは何か……」
――愛である。
神力が集中し、両手が一際強い輝きを放つ。
「母の嘆きと怒りを知れ」
だが、願わくば……夜空に流れる銀の星が、新たな運命を指し示しますように……
まるで、焼きごてを押し付けられたように額から白い煙が立ち上ぼり、エルナはその痛みに絶叫した。
アウグストらを赦したように、或いはと思ったが……エルナの額には、問題なく『逆印』が刻まれた。
気分が悪い。むかついて……反吐が出そうだ……
もがき、泣き叫ぶエルナを投げ捨て、俺は小さく舌打ちする。
その瞬間、俺は確かに油断した。全て終わったと思った。思ってしまった。第十使徒『クラウディア』が矢を放ったのと同時の出来事だった。
◇◇
第十使徒『クラウディア』が放った矢は宙で三つに分かれ、その内の一本は、背後から第十一使徒『アイネ・クライネ』の胸を刺し貫いた。
もう一本の矢は第十二使徒『エリゼオ』の胸に突き立ち、アイネとエリゼオは力なくその場に膝を着いた。
最後の一本は白蛇に飛んだが、白蛇は外套で巻き取るようにして矢を打ち落とした。
エルフの弓使い……第十使徒『クラウディア』。
なんという冷徹。
俺たちの隙を突く為に、アウグストらを見捨て、エルナが逆印を刻まれる事すらも見逃し、そこで漸く生じた隙を突いて矢を放った。
「嘘………」
呟いたのはエミーリアだ。
倒れ伏したアイネとエリゼオの身体が青白い焔で燃え上がる。特別な三本の『矢』だ。『フラウグ』、『フィーヴァ』、『フレムサ』と呼ばれるそれは、対象を焼き尽くし、射手の手元に戻る。
――やられた!
気を引き締め、再び臨戦態勢に入る俺に、クラウディアが弓を構えて向き直る。
他の使徒も隙を突かれたのだろう。瞠目してクラウディアに視線を向け――
白蛇が叫んだ。
「――違う! 来るぞッ!!」
殆ど同時に――
その瞬間、俺の『部屋』に、白い一筋の線が走った。『切られた』。有り得ない事だが……部屋ごと『切られた』。
その想像を絶する『斬撃』に巻き込まれ、何体かの俺の『分け身』と共に、第六使徒『バルナバス』が巻き込まれ、真っ二つになった。
「――暗夜さん!」
ロビンが叫んだ。
抜き差しならない『何か』が起こった事だけは理解できる。『部屋』が切り裂かれ、閉じたばかりの『無常』が開く。
俺は咄嗟に指を鳴らして、ロビン、フラニー、ジナの三人をマリエールの居る別室に避難させた。出来たのはそれだけだ。
続いて間を置かず現れたのは、褐色の肌をした巨大な『手』だ。
「なんだ、これは……!」
その巨大な手が、切り裂かれた『無常』の中から取り出したのは、俺が無常に送ったばかりのアウグストだ。
巨大な手に鷲掴みにされたアウグストは、口元から涎を垂れ流して、ぼんやりした表情だった。
そうだ。
『無常』には何もない。こちらでは一瞬の事でも、アウグストが体感した時間は途方もないものだ。それが無常。『永遠』。
時間には誰も逆らえない。
背後にグラートを庇いながら、白蛇が呻くように言った。
「アルフリード……!」
一瞬で使徒三名が死んだ。
「軍神アルフリード……これが……」
かちり、かちり、とパズルのピースが嵌まって行くような感じがした。
ギュスターブが何も言わない訳だ。ローランドが手を貸す訳だ。アウグストが従う訳だ。
しかし……『部屋』を斬るとまでは思わなかった。
「……」
俺は間近に見た『神』の力に絶句して言葉もないが、この状況に手を打って喜ぶ者も居る。
「おお! 親父殿! 久し振りだあ!!」
第九使徒『カッサンドラ』。
アルフリードの血を引く戦闘狂。アルフリードと戦う為に母に仕える事を選んだ。
「まずは、ご挨拶と行こうか!」
カッサンドラが肩に背負った戦斧が瞬く間に見上げる程の馬鹿でかい斧に変化して、その巨大な戦斧を振り落とすのと同時に、白蛇が高く跳躍して剣を抜いた。
「…………」
俺はこの光景に絶句して、ただただ見ているだけだ。
「暗夜! 暗夜!!」
その俺を正気付けたのはエミーリアだ。神官服の裾を引っ張って、今にも泣き出しそうな顔で叫んだ。
「暗夜、下がって! 逃げよう!!」
「……」
思った。
エミーリアの判断は正しい。これは……『軍神アルフリード』は……俺の手に負えない。
まず神力の質が違う。次いで俺は『戦士』ではない。そもそも存在する次元が違う。対抗できるとしたらそれは……
――待て。諦めるな。
カッサンドラの巨大な戦斧がアルフリードの手首を打ち、刃がその半ばまで食い込む。赤い血液。
虚無に流れ落ちたアルフリードの血潮がたちまち燃え上がり、部屋中が火の海になった。
俺は激しく舌打ちした。
「――クソッ!」
『分け身』が炎に巻かれる前に消してしまう。消されても特に問題はないが、感覚を共有している。焼け死ぬ感覚を味わうのは御免だ。
「暗夜! 暗夜!!」
エミーリアは泣き叫ぶが、俺は初めて見る『アルフリード』の神力に気圧されて動けない。
白蛇が草臥れた外套をはためかせ、巨大なアルフリードの手に着地した。
「悪いな、アウグスト。このまま見逃すほど、俺も間抜けじゃないんでな」
白蛇は、自失状態にあるアウグストの髪を引っ掴み、躊躇いなくその首に剣を押し当てて掻き切った。
運命は変わらない。
顕現したアルフリードは、アウグストを助けようとしたのだろうが、目の前でそれを許すほど白蛇は甘くない。
「あっ! 白蛇! てめ、この……!」
愚痴をこぼしながらも、再び戦斧を振り上げ、第二撃を放とうとするカッサンドラに、白蛇は不敵な笑みで答える。
「悪いな、カッサンドラ」
そして――
「兄弟、ずらかるぞ」
その次の瞬間には、白蛇は姿を消した。
「やむを得まいな」
落ち着き払って言ったのは『氷騎士』ディートリンデだ。燃え盛る炎の中で、ディートリンデの周囲だけは燃えてない。
「ではな、暗夜。近い内にまた会おう」
それだけ言い残し、ディートリンデも姿を消した。グラートに至っては、とうの昔に逃げている。
『部屋』を切られた事で結界が解けた事もあるが、アルフリードの顕現に他の使徒も姿を消して行く。
アルフリードの燃える血潮が作り出した業火の中で、カッサンドラだけが狂ったように笑っていた。
「暗夜。ここは、あたしに任せな!」
残ってもいいが、アウグストらを始末した俺は大きく神力を消費している。
「……」
俺は、指を鳴らして詠唱破棄の多重補助術でカッサンドラを幾重にも祝福する。
「……任せた。武運を祈る……」
「おうよ! また会おうぜ!」
甚だ不本意ではあるが、今の俺ではどうしようもない。神力の消耗激しく、またアルフリードに対抗する策もない。
第十使徒『クラウディア』と目が合う。
「……私は……こっちかな……」
クラウディアはアルフリードに付くようだ。
「……」
俺は激しく狼狽えるエミーリアの肩を抱き、ついでに堕天使エルナの襟首を捻り上げ、マリエールたちが待つ『別室』に跳んだ。
◇◇
第二使徒『アウグスト』
第四使徒『ギュスターブ』
第五使徒『ローランド』
第六使徒『バルナバス』
第十一使徒『アイネ・クライネ』
第十二使徒『エリゼオ』
この日、六名の使徒が死に、第十使徒『クラウディア』がアルフリード側に寝返った。
――依然、人工勇者の行方は知れない。
第三使徒『エルナ』が堕天した事で、最終的に使徒の数は半減したと言っていい。
失ったものは大きく、得たものは何もない戦いだった。