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追放天使7

 アクアディの街にて――

 人気のない寂れた路地を宛もなく歩きながら……

 第一使徒エミーリアは、全身に神力を漲らせて怒り狂っていた。


「不細工! 私は何度も言ったよねえ! 賛成できないって!!」


「……」


 先を行くエミーリアの後を、とぼとぼと歩きながら、エルナは力なく項垂れた。



『聖エルナ! お前には、ここに居る資格はありません! そのガラクタを持って、今すぐ消え失せなさいッ!!』



 激しい怒りに震えるルシール・フェアバンクスの言葉。


『お前は何もしない! 偉そうにするだけで、私たちの為に涙一つ流す事すらしない!!』


 それでは、最初から居ないのと同じだ。いや……むしろ居ない方がいい。


 あるべきものを、あるべきままに。世界は、それが一番美しい。


 そう信じた結果が、自らの聖域を追い出されるという結果に繋がった。

 ただの役立たず。

 言外にそう突き付けたルシールの背後には、勢揃いした修道女シスタたちが、エルナに侮蔑の視線を向けていた。


「……」


 聖遺物。馴染み深い思い出の品々。ルシールが『ガラクタ』と呼んだ大切な品々をかき集め……エルナは惨めだった。


 自らの聖域から追い出された。

 エルナに怒りはない。ルシールの言う通り、成り行きに任せていただけだったからだ。

 言い訳の言葉は存在しない。

 弱り果て、死を待つばかりだったルシールを捨て置いたのはエルナの判断だ。


『そんなお前に率いられるほど、私たちは馬鹿じゃない! ここは! この教会は暗夜のものです! お前のものは何一つない! 出て行きなさいッ!!』


 『使徒』であるエルナの目に涙は出ない。ただ悲しいだけだ。蔑みの視線を向けて来た娘たちの事を残念に思うだけだ。


 失意の中にあるエルナに、エミーリアが忌々しそうに言った。


「……それで、確かに変化があったけど、これからどうすんのよ……」


 それは圧し殺した声だった。

 エルナもそうだが、『使徒』は全員プライドが高い。ルシールの罵倒の言葉は、その場に居合わせたエミーリアにも向けられていた。


 しかし、とエルナは考える。

 暗夜は何をやったのだ。何がどうなれば、こんな事が起こるのだ。困惑するエルナが思い出したのはマリエールの言葉だ。


 ……いつか……先生ドクが思い知らせる……


 これがそうなのだろうか。

 エルナには訳が分からない。三百年の時を経て尚、愛が起こす奇跡がある事を知らない。経験していない事は分からない。

 エメラルドグリーンの瞳を燃やし、エミーリアは怒り狂っていた。


「暗夜……あいつ……!」


 恥を掻かされたのだ。

 第一使徒『聖エミーリア』。始まりの『使徒』。第二使徒『聖アウグスト』の誕生まで、実に七百年。七百年の永きに渡り、たった一人でアスクラピアに仕えた。そのプライドが高くない筈がない。


 エミーリア騎士団、初代団長。伝説の戦う修道女シスタ。彼女は命尽きるその瞬間までアルフリード帝国と戦い続けた。その生は戦いなしに語れない。その気性が激しくない訳がない。


「……エルナ。暗夜の部屋に跳ぶよ……」


 そのエミーリアの言葉で、エルナは、ハッとして正気付いた。


 そうだ。暗夜は何をやったのだ。ルシールには会ってない筈だ。そしてポリー。半ば呆けていた彼女の目の輝きは、健常者のそれだった。……その視線は嫌悪の色に染まっていた。


「……そうですね。暗夜の部屋に行きましょう……」


 エルナの心境は複雑だった。

 恥を掻かされた事は、エルナも変わりない。だが、ルシールの言い分は尤もだ。成り行きに任せたエルナの判断は、ある意味、非情だ。非難されても仕方ない。だが、その反面で、自然の成り行きを壊した暗夜に対する怒りもある。


 使徒には、下界の者に対する不干渉の大原則がある。暗夜はそれを破った。


 まずは、暗夜と話す必要がある。そう思って、ぐっと足に力を込めて跳ぼうとしたエルナだったが……強い違和感に眉をひそめた。


「ん、これは……」


 同じく暗夜の部屋に跳ぼうとしたエミーリアだったが、次の瞬間、怒りを爆発させた。


「あの野郎! 部屋に『鍵』を掛けやがった!!」


 暗夜の『部屋』に跳ぶ事が出来ない。第一と第三の使徒である二人をして破る事の出来ない障壁を張って入室を拒んでいる。


 エルナは、ぞわっと背筋が粟立つような感じがして息を飲む。


 ――暗夜が動いた。


 恐らく、暗夜は想像を超えた何かをしている。それは、本来はあり得ない事だ。世界の摂理に逆らう事だ。


「あの野郎……あの野郎……!」


 エミーリアもそれを察している。ぎりぎりと歯を噛み鳴らし、口汚く暗夜を罵った。


「勝手ばかりしやがって……!」


 まるで人が変わったように見えるが、これが本来の『聖エミーリア』だ。

 戦う修道女シスタ

 聖エミーリアが本気で怒る時、全ては厳しく裁かれる。アスクラピアの下した鉄槌のように。


「私が……あんなに気に掛けてやったのに……!」


 更に次の瞬間の変化は劇的だった。大きな神力の発露を感じ取った二人は、ぎょっとして北へ視線を向ける。


 死の砂漠で、暗夜が死霊術を使った。


 通常の神官には使う事など不可能な術だが、第十七使徒『暗夜』は通常の神官ではない。『逆印』を使ったのだ。


 同じ事をしろと言われれば、エルナは『出来る』と答える。だが、絶対にやらない。暗夜が使ったのは、そういう術だ。


「なんて事を……!」


 膨大な神力を逆走させるそれは正に禁忌の術だ。地獄の蓋を開けるようなものだ。


 離れていても、エルナとエミーリアには分かる。恐ろしいほどの神力の滾りとうねりを感じる。

 暗夜は虐殺を開始した。


 正に死神の所業だ。


 虚無の闇から生まれた男。その始まりは汚泥の匂い漂う下水道。


 基本、使徒は互いの行動に不干渉だが、これは無視できる範囲を超えている。母には自由を保証されているが、暗夜の行いは、その自由の範囲を超えている。場所は……


「ムセイオン!」


 暗夜が虐殺を開始したのは『ムセイオン』だ。殺人施設として悪名高い場ではあるが……だからといって無差別虐殺をしていい筈がない。


 エミーリアとエルナは、即座に部屋を跳んでムセイオンに向かうが、途中、渡った全ての部屋に障壁が張られていた。明らかな妨害行為。その障壁を張った神力の持ち主は――


「白蛇……あいつ!」


 幾つもの部屋を渡り、障壁の破壊を繰り返しながら、エルナは強い怒りに震えた。

 あの弟にして、あの兄ありだ。

 白蛇もまた使徒の身でありながら、ムセイオンの虐殺には乗り気だという事だ。


 凡そ、自由の徒は気に入らなかった。


 結局の所、身勝手に振る舞いたいだけだ。


◇◇


 エミーリアとエルナがムセイオンに駆け付けた時、全ては終わっていた。

 もう話し合う段階ではない。

 無差別虐殺を行った使徒『暗夜』は、二人にとって討滅対象だった。


 エミーリアは魔法銀の全身鎧フルプレートに神力を漲らせ、エルナは聖衣を纏い、蛇杖を構える。


 その光景を見ても、白蛇は口元に嘲るような笑みを浮かべて笑っていた。


 暗夜に至っては、ムセイオン施設長ザームエルの首を片手に引っ提げたままだ。

 溜め息混じりに言った。


「……何をしに来た。役立たず共……」


 その言葉は、意外な鋭さを以てエルナの胸に突き刺さった。


「……暗夜、お前は、何をしたのです……」


「見て分からないか? それとも言葉にした方がいいか?」


 そう言って、暗夜の放り出したザームエルの中身空っぽの頭が強い風に吹かれて転がる。


 ムセイオン施設長『ザームエル』。


 下界に存在する戦士の中では、五本の指に入る傑出した戦士の一人だ。どういう方法を使ったのか分からないが、眉間に穴が空いていて、後頭部が吹き飛んでいる。


 ザームエルの最期の表情は驚愕。


 おそらく、思いもよらぬ方法でやられたのだろう。


 それを為した暗夜は、エルナの目には別人のように映った。


「……変わりましたか?」


「お前には関係ない」


 暗夜は腰の後ろに手を組み、神官らしく胸を張っている。無関心に言った。


「聖エルナ。聖エミーリア。母はお前たちの無能にお怒りだ。弁明せよ」


 その瞬間、エルナは、ぎくりとした。


 使徒には下界の者に不干渉という大原則があるが、それを貫くなら、母が全使徒を動員した事に意味が無くなるという事に思い至ったのだ。


「無能め。当為ソルレンはどうした。まさか、俺を誅しに来た等と寝言を言うつもりじゃないだろうな」


 そのまさかだが……

 エミーリアもエルナも、それを口にする事が出来ずに居る。


 この成り行きを、ムセイオンの戦士たちが黙って見つめている。

 白蛇には、散々、虚仮にされた。


「両名、暇なように見えるが、如何いかが


 別に遊んでいた訳ではない。だが、何の成果も得られていない。それは何もしていないのと同じだ。

 何故、勇者は見付からないのか。

 その白蛇の簡単な疑問にも、エルナは答える事が出来ない。母の目を以てして、勇者が見付からない原因は限られるからだ。


「勇者を匿っている者がいる」


 エルナもその可能性は考えた。その上で、それは聞きたくない。裏切者がいるとは考えたくない。

 だが、暗夜が鋭く要点を突いた。


「我々、使徒の中に背信の徒がいる……」


「然り。正しくそうだ」


 そう断言した白蛇は、エミーリアの同行を断り、最初から単独行動を選んでいた。


「……そんな、馬鹿な……!」


 エルナは、それ以上聞きたくない。裏切るとしたら、その可能性がある者に覚えがあるからだ。


 使徒の背信と比べれば、暗夜の犯した罪など微罪にもならない。母を裏切る事だけは、あってはならない。


 ――役立たず。

 暗夜とルシールの言葉が、鋭い棘のようにエルナの胸に突き刺さる。


 第三使徒『エルナ』の当為ソルレンとは、なんだ?


 エルナの頭の中は、ぐしゃぐしゃだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] いやでも…… よくよく考えてみると、何もしなかったのはルシールも同じじゃね……? ロビンが自らの罪によって引き渡されそうな時に、無関心を貫いて、庇う暗夜に力添えしなかった。 エルナはエルナ…
[良い点] 簡潔に助長しないようエルナ視点の流れと感情を表現してる文章力の高さ。 [気になる点] エミーリア、エルナ等々 使徒化した後の長い年月をどう過ごしていたのだろうか、、 現世に不干渉を貫きただ…
[一言] もしかしてアスクラピアは実は裏切りとか全部分かってて、あえてエルナに時間を与えてたのかな? 裏切りの可能性を自覚してたなら、説得なり弾劾なりのチャンスは有ったわけだし、自浄作用が働いてるなら…
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