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追放天使4

 衰弱の酷いルシール・フェアバンクスは、もう長くない。ポリー・アストンには認知症の疑いがある。


 治せるか治せないかと聞かれれば、エルナは、今ならまだ『治せる』と答える。


 だが、人には生まれ持った運命というものがある。それは使徒であるエルナをして軽々しく扱ってはならないものだ。


 あるべきものを、あるべきままに。全てを自然のままに任せる。世界は、それが一番美しい。聖女エルナはそう信じる。


 そう信じたのだ。この時は……


◇◇


 早急に聖エルナ教会の実権を掌握する。ルシールは弱っており、ポリーは半ば惚けている。その他の娘たちに至っては、エルナの強い神力を畏怖しており従順だ。

 唯一気掛かりだったゾイは教会の運営には無関心で、その翌日には再びダンジョンに戻った。

 ゾイがダンジョン浸りの生活を送るようになって、もう三年近い月日が経過している。


 全て見ていた。見守っていたから、エルナは知っている。


 今の聖エルナ教会は困窮した状況にある。金の事は早急に解決せねばならない問題の一つだったが、エルナがまず優先させたのは、荒れた教会設備の復旧だった。


「アンナ、クロエ、ぼうっとするんじゃありません。貴女たちにはやるべき事があるでしょう」


 エルナにとって、『聖エルナ教会』は聖域だ。荒れた現状は我慢ならない。整理整頓清潔清掃は当然の事。特に、アニエス、アンナ、クロエの三人はまだ若く、働き盛りの年齢だ。


「先ずは掃除です。見ているだけで気が滅入ります」


 今の聖エルナ教会は困窮しており、下男や下女に当たる下働きの者が居ない。エルナはアニエスら三人に厳しく命じ、教会の清掃を行った。


 その後は簡素な食事を済ませ、祈りと瞑想を行い、早い時間に就寝を命じる。


 アンナには少しいい加減な所があり、不服そうにしていたが、そこは厳しく睨み付けて黙らせた。


 ルシールとポリーに至っては好きにさせた。明日がないからだ。あるべきものを、あるべきままに。二人には自由にさせる事が優しさと考えた。


 問題はゾイだ。

 ダンジョンに潜り、適当に日銭を稼いで帰る。それ自体は生活を支える為に役立っているから止めはしない。だが、帰るといつも酒の匂いをさせているのは我慢ならない。それは敬虔な修道女シスタらしくない。

 エルナは全て知っている。

 ゾイは、ダンジョンから出ると先ずはアクアディの裏町で酒場に入って一杯飲む。そのまま帰らず、宿を取って再びダンジョンに帰る事も珍しくない。たまに聖エルナ教会に帰ると、井戸水で身体を洗って、その後は泥のように眠ってしまうという荒れた生活を送っている。


 元孤児のアニエスは、そのゾイを酷く気に掛けているようで、度々、ゾイの部屋に行って世話を焼いているようだ。


 いくら教会の為とはいえ、ゾイのこの荒れた生活は正す必要があった。


 生前、聖女として国から手厚い保護を受けていたエルナには常識が欠落した部分がある。飲んで帰るのは、金を持っているからだ。単純にそう考え、ダンジョンで得た報酬の全てをゾイから取り上げた。


「……」


 有り金の全てを巻き上げられたゾイは、その時も冷たい視線でエルナを見つめただけだった。


 アニエスら三人の修道女シスタは震え上がっていたが、これもゾイの為だ。少しやり過ぎかと思うエルナだったが、清貧は修道女シスタの嗜みだ。


 そうして聖エルナ教会の復旧に努める間にも、エルナは並行してこのザールランド帝国の現状を調べ上げた。


 女王蜂クイーン・ビーこと、『アビゲイル』が帝国に与えた傷は深い。


 六年前、帝国憲兵の襲撃を受けた女王蜂の報復は苛烈で凄惨を極めた。


 女王蜂の根城であるパルマと隣接していた『ネロ』『ロッソ』『ジャーロ』『ヴェルデ』の下区画は殆どが焼き払われ、このアクアディも大きな被害を受けた。


 ――『最悪』。


 女王蜂の、もう一つの渾名がそれだ。生前の暗夜が交わした契約により、帝国はパルマに手出し出来ない。これに関しては帝国の自業自得もあるが、女王蜂はやり過ぎる。


 度々、帝国から、女王蜂に和解の使者が送られたが、その使者はただの一人も帝国に帰る事はなかった。全員、首だけになって『溜め息橋』に晒された。

 それだけじゃない。

 パルマと隣接する下区画は、女王蜂子飼いの働き蜂共に放火される事が多く、帝国は下区画の復興作業を諦めた。


 女王蜂は、苛烈な報復を行って尚、『最悪』な思い出を忘れていない。


 全て『暗夜ヨル』の行った事が原因だ。女王蜂は、もう帝国の手に負えない存在になってパルマの街に君臨している。

 エルナとしては頭の痛い問題だ。

 女王蜂の存在は、このザールランドにとって『最悪』だ。その凄まじい悪意は常に帝国に向けられており、パルマでは帝国への無法が推奨され、放火や要人の殺害に報奨金が出ている始末だ。

 しかも、その女王蜂の最悪な悪意は、この聖エルナ教会にも向けられており、聖エルナ教会に所属する修道女シスタは、繁栄を続けるパルマへの出入りを向こう百年に渡って禁じられている。

 帝国は、その女王蜂のご機嫌伺いの為、聖エルナ教会を赦す事が出来ない。新しい寺院が、聖エルナ教会に聖務の一切を禁じる理由には、女王蜂の悪意が根底にある。

 この問題に穏便な解決法を探るとしたら、それは暗夜にしか出来ない事だろう。だが、手段を選ばないというなら、問題の解決法は一つではない。


 女王蜂アビゲイルを殺してしまう。


 第三使徒エルナには可能だ。いっそ、一番手っ取り早い方法ですらある。だが、その場合、帝国はパルマに恐ろしい報復を行うだろう。


 エルナは悩み……結局は、この問題を成り行きに任せた。

 これも人の業だ。

 あるべきものを、あるべきままに。

 そう考えるエルナの元に、アクアディの憲兵から詰所に召喚の命令を受けたのは、エルナが聖エルナ教会に帰還して三日目の事だ。

 後ろめたい事など何一つない。エルナは堂々と憲兵団の召喚に応じたが……

 そこで、エルナは憲兵団の詰所にある牢獄にぶちこまれた二人の使徒の姿に目を剥く事になる。


「……暗夜。お前は……お前というヤツは……」


 ザールランドに来る事は分かっていたが、まさか牢獄にぶちこまれているとは思わなかった。


 エミーリアと共に暗夜は正座の姿勢で小さくなり、申し訳なさそうに俯いていた。


「すまない、聖エルナ。以前の非礼を含めて、貴女の寛恕と寛容にすがりたい……」


「……」


 そこでエルナは、ふむ、と頷く。『寛容』は聖女の戒律の一つでもある。情けなく身体を縮めている暗夜の姿を見て溜飲が下がったというのもあるが、これも『徳』の一つだ。


 ――あいつは危なっかしい。


 そう言った白蛇の言葉が脳裏をよぎり、消えて行く。

 確かにそうだ。

 そこで、エルナは暗夜に抱いていた嫌悪感が薄れるのを感じた。子供相手にむきになるのは馬鹿馬鹿しい。そう思ったのだ。

 そして、一度そう思ってしまうと、暗夜との関係は飛躍的に改善した。

 『部屋』への『出禁』を解いてもらう。あのグラートのせいで赤っ恥を掻いたが、これで噂が消えるのも時間の問題だ。放って置いてもエルナの名誉は回復する。


 このザールランドに於いて、『暗夜』は、強い駒だ。あらゆる問題の鍵になると言っていい。あの女王蜂も、暗夜が言えば悪意を控えるだろう。ルシールやポリーも元気になるかもしれない。あのゾイも素行を改めるだろう。


 これも自然の成り行きだ。

 あるべきものを、あるべきままに。全てが自然な形で良い方向に向かうなら、そんなに素晴らしい事はない。だが……


 マリエール・グランデ。


 全てを台無しにしたエルフの名前だ。


 人の本質は変わらない。暗夜は苛烈で残酷で、それでいて慈悲深い。己の身を顧みるという事を知らない。取り戻しつつあった全てを投げ出して、病に冒されたエルフの命を救った。


 第十七使徒『暗夜』。


 その存在は、常にエルナの思惑の斜め上に突き抜けていた。

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― 新着の感想 ―
『聖女』とかなり似た精神性を持っているので、 もしかして人工的にエルナを造ろうとした結果が『聖女』だったんかなぁ
[良い点] どれだけ歳を取ろうが力を取ろうがみな人間らしくていい
[一言] 潔癖症でとても真面目な聖女。 暗夜は前世というズルがあったとしても主軸は己だったがアスクラピアの手先という称号がよく似合う聖女だと思う
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