30 『死神』vs『聖騎士』
世界が足元から崩れ去り、全ては虚無の闇に包まれる。
――奇妙な部屋。
ギュスターブに先制を許したが、俺の『部屋』に引き込む事に成功した。
「……よもや、卑怯とは言うまいな。ギュスター……」
「是非もなし」
躊躇いなく答えたギュスターブは不敵に笑っている。『部屋』の管理者と戦う事の不利を理解できない訳ではないだろう。
腹を括ったという事だ。
対峙する俺とギュスターブを除いた十五名の使徒が円陣を組み、成り行きを見守っている。更には強力な神聖結界。ギュスターブは、もう逃げられない。部屋を跳ぶ事は封じた。俺を殺しても、次の誰かが立ち塞がる。
ギュスターブは既に死んでいると言ってもいい。
「ギュスター……そんな……」
呆然と呟いたエルナが、へなへなとその場に座り込んだ。
俺は宣言した。
「誰も手を出さないでくれ。俺が殺る」
『神官』が『騎士』に戦闘で挑む。この宣言に、使徒の反応は様々だ。
カッサンドラとベアトリクスは面白そうに舌舐めずりしているし、ディートリンデは眉間に深く皺を寄せる。
「暗夜さん。ご武運を……」
ロビンは頭を垂れ、静かに引き下がって使徒全員を見回して警戒する。
裏切者はギュスターブだけではない。それらの助太刀を防ぐ為だ。……無論、このロビンが素直に俺の指示に従う事などあり得ない。
決闘で明らかに旗色が悪いと感じれば、横紙破りを承知で参戦するだろう。
「いざ、尋常に」
不敵に嗤うギュスターブの手に、等身大の巨大な盾が出現した。
右手に『運命』。左手には大盾を構え、姿勢を低くする。
……戦闘スタイルはエミーリアと同じ……
防御を固め、力で押し切るタイプ。ならば……
「……」
俺は、ギュスターブを中心に、ゆっくりと時計回りに歩みを進める。その姿が幾つもに分裂して、ギュスターブを取り囲む。
――『分け身』。
この全てに実体があり、攻撃力がある。『部屋』の中でのみ可能な権能だ。
「アスクラピアの二本の手。一つは奪い、一つは癒す」
ただし、今回は両方が『奪う手』だ。ギュスターブを殺す。『死神の手』だ。青白く輝くこの手がギュスターブを捉える時、ギュスターブの命の灯火は燃え尽きる。そして――
「聖なる光」
先ずは牽制だ。虚空に無数の聖印が浮かび上がり、目映く輝くと同時に、無数の光の筋が大盾を構えたギュスターブに集中する。
凄まじい轟音と共に雷が身体を打ち据えるが、それでもギュスターブは怯まない。
全身に青白く輝く神力の鎧を纏い、雨霰になって降り注ぐ雷の中を前進して距離を詰めて来る。
流石だ。この程度はものともしない。まるで堪えた様子がない。正に重戦車。大盾を構えた姿勢を崩さず、聖槍『運命』の切っ先は、常に俺を捉えている。
「……時間稼ぎにもならんか……」
この聖なる光も、神官にとっては秘術の一つなのだが……
まぁ、いい。
続けて、俺は腰の後ろに左手を回し、右手の指を鳴らす。その動きに無数の分け身も倣い……新たに出現した聖印から無数の戦乙女が現れる。
「さて……母は、戦士の死を迎える時、この戦乙女を好んで使うが……」
母の手に抱かれて永眠るのは、どっちだ?
不安はある。
俺の『奪う手』は、ギュスターブの守りを貫けるか? 接近戦になれば勝負は一瞬で決着する。
視線の端に、フラニーとジナの姿が出現した。ロビンの補助として、別室から戦況を見守るマリエールが送り込んだのだろう。
俺は鼻を鳴らした。
「宝石を散りばめた瞳の奥から世界を見渡している」
使徒詠唱。
こいつは多少長い祝詞が必要になるが、決まればギュスターブは退場だ。これが効き目なしとするなら、更に奥の手を出す羽目になるだろう。
「しかし……全ての光は消え失せ、お前は闇の中を歩まねばならない」
神力が凝縮し、『部屋』が震える。それには流石のギュスターブも刮目し、大盾を投げ捨てて運命を振るった。
なるほど、この術は嫌なようだ。
俺は嗤って祝詞を紡ぐ。
「神聖さが威厳のように、お前の回りに漂っている。咎人よ。永遠がお前の故郷だ」
更に無数の分け身が詠唱し、術の効果を何倍にも引き上げる。個による合唱詠唱。これも『部屋』の中でだけ可能な事だ。
削り合いは好きじゃない。一撃だ。分かりやすく、これで決める。
「あらゆる苦しみが溶け、全ての燃え盛る炎が消え失せ、魂が震える。永遠が今開く」
ギュスターブの振るう『運命』は凄まじい威力で戦乙女を薙ぎ払う。正に鎧袖一触。秘奥の一つに数えられる戦乙女が、枯木のように薙ぎ倒され、時間稼ぎにもならない。
だが、それでこそだ。
「お前の行き先は永遠に続く無常だ。誰も時の力には逆らえない」
さて、この術の効果だが、時間に干渉するものだ。直接、命を奪うものではない。ただ……ギュスターブを永遠に続く無常の中に送り込む。その内、死んだ方がマシだと思うようになるだろう。
まぁ、五億年スイッチだ。
ただし、そのボタンを押すのは俺な訳だが……
「はぁあぁあぁあッ!」
防御を捨て、攻撃一辺倒のギュスターブは迫り来る戦乙女を薙ぎ払いながら前進し、術者たる俺との距離を詰める。
「む……」
流石だ。このままでは、ギュスターブが一歩早い。俺が祝詞の詠唱を終えるより先に『運命』が俺を捉える。
無数の『分け身』の中から、運命は必ず俺の命を選んで突く。
だがしかしだ……。
虚無の闇から伸びた黒い手が、ギュスターブの身体に纏わり付いてその動きを阻害する。部屋の『管理者』に挑むという事は、こういう事だ。圧倒的な不利を背負うという事だ。
「ぬうぅうぅうッ!」
『運命』の間合いまであと一歩という所で足止めを食ったギュスターブは歯噛みして悔しがるが、その姿には憐れみしか感じない。
「大丈夫だ、ギュスター。お前は少し休むだけだ。ほんの数億年の事だよ。死ぬ訳じゃない」
「……!」
まだ殺すと言われた方がマシだろう。数億年と聞いたギュスターブは、ぎょっとして目を見開いた。
俺は構わず祝詞を紡ぐ。
「汝、永遠を感じるか。そこには何もない。悩みも死もお前の魂を脅かす事はしない」
ただただ眠れ。聖ギュスターブ。永遠に続く無常だけが、お前の拠り所だ。
「……ッ!!」
ギュスターブは全身に神力を漲らせ、『無常』に対抗しようとするが、力の種類が違う。馬に演奏で対抗しようとするぐらい見当違いだ。
そして、俺が祝詞の詠唱を終える正にその瞬間の事だ。
「うん? 漸くか」
頭上から、金髪碧眼の男前が、『聖剣レーヴァテイン』を刺突の格好で構えて飛び掛かって来た。
「遅いぞ、枢機卿。もう少しでギュスターを無常に送る所だった」
決着を控えたその瞬間、俺たちを囲むようにして円陣を組んでいた使徒の間で大きな声が上がった。
勇者アウグストの横紙破りもそうだが、背後で剣聖ローランドとロビンの斬り合いが始まった。
「一対一の決闘を汚すか、恥知らずが……」
その嘲りの言葉に、『武人』であるギュスターブは身体を強張らせ、ほんの一瞬だけ躊躇する。
「――ッ!」
一対一の決闘を汚されたのだ。武人であるギュスターブには堪え切れまい。死んだ方がマシな程の汚辱だろう。動作に気後れが生じて僅かに鈍る。
――これで、先ずは『一手』。
『勇者』アウグストは、悲しそうに言った。
「ごめんね、暗夜。もう一度、アリアが聞きたかったよ」
「そうかね」
のんびりと切り返す俺の胸を、聖剣レーヴァテインが刺し貫き、その苛烈な斬撃は手もなく俺の『分け身』の全てを切り裂き消し去る。
下界なら、アウグストのこの横槍で終わっていただろうが、ここは俺の『部屋』だ。
――偏在。
不意打ちの攻撃には、無数のヴァルキュリアの一人と位置を入れ換えて対応する。
アウグストが、ハッとして叫んだ。
「ギュスター! 後ろだ!!」
残念だが、全て読んでいる。エルナ以外の魔王討滅組が裏切者だという事は予想していた。全て作戦に折り込み済みだ。
背後を取った。これで、『二手』。
ギュスターブは凄まじい反応速度で振り返り、『運命』を振るおうとするが――
「――なっ!?」
そこで、正面から俺と対峙したギュスターブは、驚いてまた動きを止める。止めてしまう。
「べろべろばあ!」
俺は、右手に聖エルナの髪を捕まえ、その身体を盾にして立っていた。
聖騎士ギュスターブ。元教会騎士。己が仕える主に刃を向けるなど、考えも及ばぬ事だ。
動きを止めるのは一瞬でいい。
これで三手ギュスターブの先を行った。俺が盾代わりに持っているエルナは本物ではなく疑似体だ。こんなものはすぐさま見抜かれるが、『手』が届く程の超接近戦。中長距離を間合いとする『槍』では具合が悪い。これにて――
――王手、詰み。
「終わりだ。ギュスター」
全て手の内の事だ。後は、俺の『死神の手』がこの類い稀なる戦士の命を奪えるか。
信じるしかない。
俺は兜越しにギュスターブの顔を両手で掴み、アウグストとの間に障壁となるようにして吊り上げた。
――殺った。
アウグストはギュスターブの身体を盾にされ動けない。手が止まる。
刹那、青白く輝く死神の『奪う手』がギュスターブの命を喰らい取り、その手から力なく落ちた『運命』が虚空に消え失せる。
『別室』より、この『部屋』を管理しているマリエールが『運命』を回収した。
――万事よし。
『聖騎士』ギュスターブは、『死神』暗夜の『奪う手』の前に力尽き、絶命した。
「…………」
青白い焔に包まれ、崩れ去る聖騎士ギュスターブの姿に、勇者アウグストは絶句して、俺に歪んだ笑みを向けた。
命運を共にしていた仲間を殺されたのだ。アウグストの絶望たるや如何ばかりか。
その顔が見たかった。
「ハハハハハ!」
俺は悪魔のように嗤った。
「薄汚い裏切者が。戦士の決闘を汚したお前たちには相応しい因果だ」
嗤いに噎せながら、斯くして俺は、名乗りを上げる。
「第四使徒、『聖騎士』ギュスターブは、この第十七使徒『死神』暗夜が討ち取った!!」
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これにて第四部は折り返しになります。ブックマーク、ポイント評価などして頂ければ励みになります。再開が早くなるかもしれません。
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長文、失礼しました。それでは、また。