28 前夜
聖騎士『ギュスターブ』を狩る。
場合によっては、という話であるが、俺の予想では、ギュスターブはほぼ間違いなく裏切者だ。
条件の厳しい戦いになる。
まず、一対一である事。『部屋』に引き込む事。そして何よりも……聖槍『運命』を取り上げる事。
ギュスターブと対するに際し、『運命』は脅威だ。
聖槍『運命』には、母の血が練り込まれている。これを装備するギュスターブは、強い『自己治癒』の祝福を帯びている。更に相対する者には、いずれ急所を捉えるという母の呪詛が掛かっている。それ故の『運命』。
つまり――長丁場になると、高い確率で誰か死ぬ。無論、仲間だけでなく、そこには俺自身の敗死も含まれる。
理想としては、まず運命を取り上げ、部屋に引き込む。それが出来れば、ギュスターブは問題なく始末できる。
問題は、ギュスターブからどうやって運命を取り上げるかという所に集約するが……
「そう上手くは行かんだろうな……」
俺は『成り立て』だ。使徒としての経験は浅く、更には『神官』。前衛を張る戦士ではない。ギュスターブから『運命』を取り上げる事は難しい。
だが……ギュスターブは慢心からでなく、経験から油断する。そこに付け入る隙がある。
マリエールが心配そうに言った。
「先生、どうするの……?」
「……それを考えている所だ……」
考えるのは嫌いじゃない。どのような困難な問題にも、必ず答えは存在する。考える事を止めた時、可能性はそこで区切られる。
「さて……どうするか……」
ソファに深く腰掛け、足を組んで思慮の檻に沈む俺だったが……新たに住人が増えた事で、問題は、その住人の数だけ多くなる。
ロビンだ。
ロビンとフラニーたちが、毎日のように乱闘騒ぎを起こす。
「うるさいな……」
そう愚痴を溢す俺に馬乗りになり、マリエールが掠れた声で囁くように言った。
「……全員、追い出そう、先生。また二人きりで居よう……」
「それがベストではあるがな……」
永い時を奇妙な部屋で共に過ごしたが、マリエールとの問題は、俺の性質と気が合い過ぎる事だ。
俺は深い溜め息を吐き出した。
「……己と違う個性を叩く事で、その都度、釘の頭を叩いて回っている者は少なくない……」
そしてマリエールは賢い。漠然と洩らした愚痴一つからでも俺の心境を理解する。
「……多様性?」
「そういう事だ。俺たちだけで全てを賄えるほど、世界は甘くなかろうよ」
多様性を許容できなくなった時、全ては緩やかに破滅の道を辿る。
マリエールを押し退け、俺は不快感を掻き消すように強く指を鳴らして馬鹿共を呼び寄せた。
先ず、怒りに眦をつり上げたフラニーが姿を現し、同じく怒りに毛を逆立てたジナ。続いて平淡な顔のロビン。眉間に皺を寄せた不機嫌なアイヴィが姿を現した。
不意に呼び出され、俺の顔を見た瞬間、フラニーの怒りが爆発した。
「師匠! シュナイダーが……!」
フラニーは顔を赤くして不平を鳴らすが、ロビンの方は澄ました顔だ。右手に刃を潰した真銀の剣を持っている。
多様性、大いに結構だが、実に面倒臭い。だが、この保守的な俺の性質は、『神官』の俺が抱える問題の一つとも考える。
「フラニー、大声を出すな。ロビン、説明しろ」
ロビンは、俺の側に控えるマリエールの姿に、一瞬、不快感を露にしたが、次の瞬間には平淡な顔に戻った。
「別に……弱いので、少し訓練を付けてやっただけですよ。それより、マリエールさん。貴女は、いつも暗夜さんに近すぎる。少し離れて下さい」
ロビンは典型的な狼人だ。プライドが高く、しつこい。恩も恨みも忘れない。度々起こる乱闘騒ぎは、ロビンの侮辱的な発言を発端にする事が殆どだ。
「程々にしろと言ってあったはずだ」
「ええ、程々にしています」
一切、悪びれないロビンの様子に、俺は呆れて虫を追い払うように手を振った。
フラニー、ジナ、アイヴィを『後室』に送った。少し頭を冷やさせる為だ。
ロビンのやり方は気に入らないが、やっている事は正しい。三人掛かりでロビンの口を封じる事が出来ないフラニーたちの言い分は真面目に聞けない。
「一々、激昂させるな。その度に愚痴を聞かされる俺の身にもなれ」
そこで、ロビンは口をへの字に曲げた。
「……それは、すみません……」
考え方は色々だ。やり方は誉められたものではないが、ロビンがフラニーたちに稽古を付けてやっている事は悪くない。
「もう少し加減しろ」
「……はい。申し訳ありません……」
ロビンは日を追う毎にまともに、そして傲慢になって行く。これが狼人だ。馴れ合いを嫌うと言えば聞こえはいいが、徹底的に他種族を見下している。優秀なだけに手に負えない。
有能な人種主義者。
これが俺の唯一の騎士だと思うと、溜め息しか出ない。
「……それより、ロビン……」
そこで、ロビンは深い溜め息を吐き出してやり返す。
「また聖ギュスターブの事ですか? 絶対に裏切ってますよ。あれを殺すのは反対しません。ですが、フラニーたちは死にますよ? アイヴィに至っては論外です」
「……そうか」
俺はロビンの諫言を容れる。
事が戦士の『強さ』に関する限り、ロビンの言う事に間違いはない。少なくとも、戦士でない俺より正しい評価だろう。
ロビンは言った。
「教会騎士はクズですよ。あいつらは目的達成の為ならなんでもします。唾棄すべき輩です」
これが元教会騎士であるロビンの言葉だとは思えないが、ロビンは徹底して教会騎士を嫌っている。
「……聖ギュスターブは、偉大な武人だ……」
言葉少なく、寡黙で誠実。武勇と忠誠を以て為る『騎士』の見本のような男だ。俺はギュスターブに敬意を払わずに居られない。だが……
眉間に深い皺を寄せ、ロビンは険しい表情で言った。
「だから、私にも敬意を払えとでも? 暗夜さん、貴方を殺したのは教会騎士ですよ。それを忘れないで下さい」
「……分かった。分かったよ……」
使徒殺しを明言した俺に対するロビンの意見は、聖ギュスターブの始末に限って言えば非常に積極的だ。
「早く殺しましょう。戦うのは、私と貴方だけでいい。未熟者は死にますよ」
「……」
ムセイオンにて六年鍛え上げたフラニーとジナをして、ロビンは未熟者と言い放つ。
俺は、このロビンの諫言を容れる。戦士として高みに立つロビンが言うのだ。フラニーたちは、まだ未熟なのだろう。
ロビンは、ブーツの踵で強く虚無の床を踏み鳴らした。
「私、教会騎士を見ると苛々するんですよ。頭がおかしくなりそうです」
ここ数日で精神的には安定したロビンだが、狼人としての本質は変わらない。教会騎士を蛇蝎のように嫌い、命を狙っている。
だが、相手は『使徒』だ。
ギュスターブを滅するのは、やはり使徒である俺にしか出来ない。しかし……
「だから、ギュスターブは絶対に裏切ってますよ。まだ迷っているんですか? 貴方らしくない」
ロビンは無駄に有能だ。俺の心境などお見通しで、ギュスターブの事に関しては辛辣だ。確証などいらない、それがロビンの結論でもある。
ロビンは、恐ろしく低い声で呟いた。
「……迷えば……死にますよ……」
「分かっている……」
「私が先頭に立ちます。暗夜さんは援護を……」
「……」
作戦の立案は既に済んでいる。俺が考え、ロビンもマリエールも賛同した。
条件は厳しいが、ギュスターブは殺せる。一対一が望ましいが、それに拘る必要はない。むしろ……
俺は言った。
「どうせだ。派手に殺るぞ」
ロビンは胸に手を当て、悩ましげな溜め息を吐き出した。
「それでこそ、私の主だ。貴方は素晴らしい」
決め打つ。背信の徒はギュスターブのみではない。それを前提に事を進める。他の裏切者にも邪魔はさせない。
討ち取るのが仲間の使徒である以上、誰からも評価はされまい。だが、それが俺の選んだ当為だ。
「明日、ギュスターブを狩る」
心が決まった。