26 唯一の騎士1
レネ・ロビン・シュナイダー。
しつこい。種族の性質上、狼人が獲物に執着する事は知っているが、使徒たる俺にここまで粘着するとは思わなかった。能力的にもそうだが……ロビンは危険だ。
ソファから立ち上がり、腰の後ろに手を組んで立ち上がると、俺の雰囲気が変わった事を察したジナも警戒心露に立ち上がる。
「ロビン……!」
今、この瞬間にも下界に叩き落としてやってもいいが、どうせまたやって来る。何度でもやって来る。lock levelを最大にして尚、俺の部屋に侵入できる奇特なヤツはこいつだけだ。
俺は指を鳴らして、マリエールを背後に呼び寄せる。
強制移動。『部屋』の中でしか出来ない芸当だ。
「先生……?」
マリエールは、その姿を消した次の瞬間には俺の背後に出現し、そこで漸くロビンの存在に気付いて怯む。
「――っ!」
生粋の人種主義者にして優生種。選民主義者。こいつがその気になれば、一番危ないのはマリエールだ。
俺は低い声で言った。
「ロビン……何の用だ。何をしにやって来た……」
「……」
そのロビンだが、何事もなかったかのように振り返り、汚れた口元を袖で拭った。
「あ、暗夜さん。ムセイオン、焼いちゃったそうですね。流石です。ザームエル施設長、どうでした?」
「……」
俺は、こいつと世間話に興じるつもりはない。強く睨み付けると、ロビンは怯えて一歩引き下がった。
「な、なんで、怒ってるんですか? わ、私、何かしました?」
「……勝手に俺の部屋に入るな……」
lock level5(最強)の障壁を施した部屋には、エミーリアとエルナですら入れなかった。そこを容易に侵入し得るロビンは脅威でしかない。
ロビンは、俺が詰め寄った分だけ引き下がり、焦ったように言った。
「ちゃ、ちゃんとご飯を食べろって言ったの、暗夜さんじゃないですか。なんで怒ってるんですか……?」
「……それを怒ってるんじゃない。何をしに来たんだと言っている……」
「な、何をしに来たって、ロビンですよ。貴方のロビン。貴方の可愛いコマドリですよ……そんな邪険にする事はないじゃないですか……」
涙目になって引き下がるロビンの口元に、つっと涎の筋が伝う。一見、まともそうに見えたが……
「涎!」
「おっと失礼」
俺の指摘に、ロビンは慌てて袖で口元を拭った。
俺は改めて言った。
「不快だ。俺が、お前を喚び出した事は一度もない。何故、やって来る」
ロビンは俺の強い怒りに怯み、もごもごと何やら口の中で言い訳するが……
「何故って……だから、貴方の可愛い……」
「やかましい、この物狂いが。そもそも、俺の顔など見たくないと言ったのは誰だ?」
「……それは」
そこで、ロビンは端正な顔を歪めて笑った。滲む狂気。俺の『眼』に、ロビンの精神は著しく破綻したもののように映る。
「……私が馬鹿だったからです……申し訳ありません……」
「涎!」
「おっと」
クソッ! こいつと話していると調子が狂う。様子から見るに、害意はなさそうに見えるが……
そこで話に割り込んだのはフラニーだ。
「師匠、どうかしました? 教会騎士の姉ちゃんじゃないですか。なんでそんなに怒ってるんですか?」
「断りもなく俺の部屋に入った。使徒の部屋だ。分かるか、フラニー。こいつはおかしい。異常だ」
事情を知らないフラニーは、俺の不快感を理解できないようで、きょとんとしている。
「駄目なんですか? 何があったか知りませんけど、この人は師匠の敵じゃないですよね?」
「……っ」
そこで俺は言葉に詰まる。フラニーの言う通りだったからだ。
このロビンの存在は確かに危険だが、俺に対して敵意を向けた訳じゃない。今は武装もしていない。帯剣もせず、無手の状態にある事も話を複雑にしている。
僅かに考える俺の様子に、ここが機会と見たのか、ロビンが涎を垂らしながら慌てて叫んだ。
「そ、そうですよぉ。フランキーの言う通りでぇす! 私はぁ、暗夜さんの敵じゃありませぇん! 味方でぇす!!」
「クソッ、狂うな! 叩き出すぞ!」
ロビンと話していると調子が狂う。俺は……こいつをどうしたいのだ。
ロビンは物狂いだ。著しく精神が破綻している。まともに相手していると、こっちもおかしくなりそうだ。俺は疲れ……
強く指を鳴らして、精神安定の術を行使してロビンに冷静を促した。
「……先ずは落ち着け……」
そうだ。落ち着け。叩き出すのはいつでも出来る。ロビンの存在に対する不快感は、潜在的なものだ。生前の俺は、余程、こいつの性質を嫌悪していたのだろう。
「……」
俺は、一つ深呼吸して、改めて言った。
「ロビン、何の用だ。何をしに来た。用件を言え」
ロビンは俺の術で平静を取り戻したのだろう。不思議そうに言った。
「……私は、貴方の唯一の騎士ですよ。貴方に仕える騎士は、この世界に私しか存在しない。そういう約束だった筈です……」
「……」
生前の記憶がない俺には、身に覚えがない事だ。だが、それを言うとロビンはまた狂うだろう。話がややこしくなる事は想像に難くない。
俺は、むしゃくしゃして言った。
「ふん、俺の騎士を僭称するか。気違いはいらん。もっと、しゃきっと――涎!」
「おっと」
ここでもう、俺は思い疲れる。
頭を抱えた俺を見て、マリエールがソファを出してくれたので腰掛ける。
「…………」
しんどい。疲れる。ロビンの存在は、俺の神経を削る。俺はこいつを制御できない。正確には、こいつの力と性格を制御できない。
生前の記憶……『ディートハルト・ベッカー』だった頃の記憶はない。だが、何度も衝突した筈だ。俺は、こいつとは合わない。
「……」
俺は更に深く考えるが、ロビンは、ぽうっとして俺の言葉を待っている。その態度すら気に障る。
フラニーは、今一、事情を理解できないようで首を傾げているし、ジナに至ってはロビンの害意のなさ故に警戒を解いてしまった。
「…………」
考えるが答えは出ない。俺は、こいつをどうしたいのか。それが分からないのが一番の不快感だ。
その俺の耳元で、マリエールが囁いた。
「……先生、分からないなら、手元に置いた方がいい。その方が安全……」
「……」
俺は悩み……結局はマリエールの諫言を容れた。どういう訳か、俺は、このロビンに対して冷静を欠いている。もう少し判断材料が欲しいというのが本音だった。
長い沈黙を挟んで、俺は言った。
「……いいだろう。だが、試させてもらう……」
「はい。それは、どうぞ」
使徒たる俺の『試し』を簡単に引き受けるこのロビンの余裕も気に障る。
俺は激しく舌打ちした。
「フラニー、ジナ、アイヴィ。この物狂いを叩きのめせ」
「……」
そこでフラニーは片方の眉を持ち上げ、ジナの犬耳がピンと立つ。
「弱いヤツはいらん。殺すつもりでやれ」
――空気が変わった。
「はい、主。了解しました」
刹那、真っ先に飛び掛かったのはアイヴィだった。
アイヴィは猫人だ。高い知性を持ち、強い腕力を持つばかりでなく魔力すら持つ。数多い獣人種の中では才能に溢れる。
class――『ニンジャ』。
武器、暗器、格闘、錬金術に超能力を使うこのクラスは、数ある戦闘クラスの中では最上級の部類に入る。が――
ぐしゃっ、
という音と共に、次の瞬間には、アイヴィはその場に叩き潰されるようにして倒れ込んだ。
ロビンは首を傾げた。
「まだ育成中ですね。意気は買いますが……しょせん、猫人ですよね。話になりません。あと十年は鍛えて来て下さい」
なんて事なさそうに言うロビンだが、アイヴィの動きは使徒たる俺をして俊敏だった。フラニーやジナよりも早く、真っ先に突っ掛けたのがその証拠。
ロビンは拳骨一つでそのアイヴィを黙らせた。殺してはいない。殺意を持ったアイヴィにあえて手加減して力の差を示した。
俺はまた頭を抱えた。
レネ・ロビン・シュナイダーは優生種。狼の獣人。これ程の差があるとは思わなかった。『騎士』にはあまり適性のない『格闘』ですら、アイヴィでは及ばない。
ロビンは楽しそうに言った。
「さて……フランキー。それと……出来の悪いペット。少し遊んであげましょう。二人掛かりで来てもいいですよ」
俺は、アイヴィの不甲斐なさでなく、類い稀なロビンの『強さ』に、ずきずきと痛む眉間を揉んだ。