25 戦う者へ……
戦士たちは、それぞれが用意された食事に舌鼓を打ち、各々自由な時間を過ごしている。
自らの『部屋』に居るという事は、使徒にとって重要な事だ。この部屋に留まる限り、俺は神に匹敵する権能を振るう事が出来る。
「……」
ムセイオンは滅んだ。そして、俺は弟子を連れ出し、四百人近い戦士たちを『部屋』に置いている。
戦士たちは笑っている。
一時の安寧を得て笑っている。
「愛と恋と友情と、か……」
それだけあれば、俺を弱らせるには十分だ。
……俺は、この戦士たちの笑顔を失いたくない。
全く馬鹿げているが、俺という存在はそうなのだ。
ムセイオンを滅ぼしてまで得た戦士たちを、今はもう失いたくないと思っている。
「なぁ、白蛇。戦士たちを預かってくれないか……?」
下界の者には、下界の者の生き方がある。喜びがある。それを知らない戦士たちを、あまりに過酷な戦場に誘うのは酷く気が引ける。
白蛇は小さく頷いた。
「俺は構わんよ。ただ、俺には俺の当為がある。その時は、彼らにも戦ってもらう事になる。どちらにしても、彼らは戦場でしか生きられん。そのように作られている」
「……」
俺は、暫しの休憩を経て心を休める戦士たちを見つめる。
戦いに生き、戦いに斃れ……
それが全てでは、あまりに悲しい。俺は、戦士たちにもっと世界を知って欲しい。必ず他の生き方が見つかる。
そう考える俺に、白蛇はしみじみと言った。
「……兄弟、お前は優しいなぁ……」
これも盲故の感性だろうか。矛盾を背負う俺の胸の裡を白蛇は鋭く見抜く。
「だがな、兄弟。戦士たちに情けを掛けるな。お前のその優しさが、却って戦士たちを殺すぞ」
「……あぁ」
深くソファに腰掛ける俺の膝に、ジナが甘えるように頭を乗せて来る。
このジナも下界では一流の戦士の一人だ。フラニーは適当に動き回るが、その時は決まって、ジナを俺の側に置いて行く。
白蛇は、幾分複雑そうに言った。
「なぁ、兄弟。二人嫁さんが居る俺が言えた事じゃないが……」
「分かっている。言うな」
俺は疲れ、右手で顔を拭った。
この犬人のジナは、どうも生前の俺が飼っていたペットであるらしい。勿論、俺に人を飼うような歪んだ趣味はない。だが、フラニーがこう言った。
「ええ、師匠はジナを飼ってましたよ。久し振りですからね、たっぷり甘やかしてやって下さい」
俺が覚えてないのも悪いが、本人が納得しているのが尚悪い。
毒にも薬にもならないジナの様子に辟易しながら、白蛇が俺の肩に手を掛けた。
「所で、兄弟。これからどうする。宛はあるのか?」
「ふむ、そうだな……」
裏切者の目星は付いている。だが、確証はない。試さねばならないという事だ。
白蛇は言った。
「俺は俺でやる事がある。戦士たちの決を取ろう。希望者は連れて行く。それでいいか」
「いや、このジナとアイヴィ。弟子……フラニー以外は連れて行ってやってくれ……」
「俺は助かるがな。お前は……」
「……」
俺に付き従うより、白蛇の下に居た方が生き残る可能性は高い。
白蛇は『指揮官』だ。それもかなり優秀な指揮官の部類に入る。俺とは持っている才能が違う。戦士たちが実力を発揮しやすいのも白蛇の下だろう。
「白蛇、お前はどう動いている?」
白蛇は一つ頷いた。
「俺はトリスタンの大司教、グレゴワールを狙っている。先ずは『焼き付け』の詳しい方法を探れとの事だ」
「まさか……母の直令か?」
「そうだ。秘密裏にではあるがな。トリスタンとは揉めそうだ」
トリスタンは、ザールランドとの間に死の砂漠を挟み、北に位置する大国だ。
『夜の傭兵団』の団長である白蛇は、一応ザールランド帝国の所属という事になっている。トリスタンの大司教グレゴワールを手に掛けるという事は、ザールランド側からの宣戦布告と見なされても仕方がない。だが……
俺は鼻を鳴らした。
「トリスタンには、グレゴワールの首に逆印を刻んで送り付けてやるといい。それでも文句があるというのなら、それはそれで大したものだがな」
今は母が使徒を動員している。その時は、使徒全員がトリスタンに敵対する事になる。『逆印』を負うという事はそういう事だ。トリスタンは母の怒りを思い知る事になるだろう。
「兄弟、お前はどうする」
「俺か……俺は……裏切者を探す」
「ふむ……そうか」
そうだ。正体の知れない裏切者が居ては、他の使徒に犠牲が出る可能性がある。目星が付いている以上、そこを当たる。
白蛇は呆れたように首を振った。
「俺より厳しい戦いになる。体よく裏切者を見つけ出したとして、勝算はあるんだろうな?」
「無論だ」
「……『部屋』に引き込むか……」
「それしかない」
俺は戦いを好むが、戦士ではない。『戦士』の使徒を狙う場合、勝つ方法はそれしかない。強い権能を使えるこの『部屋』でなら、俺は戦士の使徒にも対し得る。
「一人ずつだ。一人ずつ殺す。その過程で必ず親玉が姿を現す」
有利を確保できるこの『部屋』で、戦士の使徒に対し得ない場合、早晩、俺は戦いの内に死ぬだろう。
次の戦いが試金石になる。
『神官』の俺は、戦う事で『戦士』に対し得るか。その答えが出る。
「……止めんぞ、兄弟。先ずは誰を殺る……」
その白蛇の問いには、俺は鼻を鳴らしてこう答えた。
「聖ギュスターブ」
『運命』という名の聖槍を持つ男。母より聖騎士の称号を授かった元教会騎士。類い稀なる『戦士』。だからこそ意味がある。
「……先ずは試させてもらうがな……」
「そうか」
「ああ、手は出すなよ」
俺がギュスターブの背信を濃く疑う理由は幾つかある。
先ず、あのしみったれた母がギュスターブの記憶を残した事。そのギュスターブがエルナを袖にして、俺と『血の盟約』を交わした事。
俺は『成り立て』だ。
背信者……複数いると思うべきだろう。その背信者たちは、先ず使徒として未熟な俺から片付ける、或いは取り込もうとしていたのではないか。その思いがある。
ムセイオンでの一件で、エルナの背信の疑惑は払拭された。だからこそ、ギュスターブの背信の可能性は高まる。
ギュスターブは教会騎士としてエルナに仕えていた。そのギュスターブがエルナを袖にして単独行動を選んだ理由は、エルナを煙たく思うからではなく、己の背信にエルナを巻き込みたくなかったからではないか。
そうだ。『教会騎士』は……己の戴いた主に対しては、どんな労苦も厭わない。
……第四使徒、聖騎士『ギュスターブ』を狩る……
迷いがない訳じゃない。
俺は、母が邪悪と見なす人工勇者と面識がない。母にとっての邪悪が、俺にとっての敵とは限らない。ギュスターブの思惑も分からない。そして、事を構えてしまえば、俺がギュスターブに討ち取られるという可能性も有り得る。
「…………」
深く物思いに沈む俺に背を向け、白蛇は外套を翻す。
「ではな、兄弟。俺は行く。生きていれば、また会おう」
「ああ、白蛇。お前も死ぬなよ」
白蛇は未だ存命中の使徒だ。子供が二人いる。俺は、この男を死なせたくない。
「いざという時は、迷わず俺を呼べ」
「それは俺の台詞だ」
白蛇は笑いに肩を揺らして、それから指を鳴らした。
その刹那、戦士たちは白蛇と共に、『奇妙な部屋』から去った。
「……」
残ったのは、戦士たちに食事を供したデカいテーブルとソファ。
マリエール。フラニー。ジナ。アイヴィ。俺。そして……
「あ、本当か? 嘘だろ……」
白蛇が連れて行ったのは、ムセイオンの戦士たちだけだ。残るのは、マリエールと俺が指名した者だけの筈だが、そこに……
レネ・ロビン・シュナイダーが居る。
多少、すっきりした格好になったが、襤褸を纏ったその姿は、ムセイオンの戦士たちに混ざって自然だった。だから気付かなかった。
ロビンは、夢中でテーブルの上に並んだ食事にがっついている。
そこで、フラニーもロビンの存在に気付いた。
「お、教会騎士の姉ちゃんじゃねえか。久し振りだな。居たのかよ」
ロビンは食事の手を止め、袖で汚れた口元を拭って、ごくごく自然にこう答えた。
「それはまあ、暗夜さんの騎士ですし。当然ですよ」
「そっか。そうだよな。色々言いたい事もあるけど、んじゃ、これからもよろしくって事で」
「はい。いいですよ」
事情を知らないフラニーには、自然な事なのだろう。だが、あの物狂いに付きまとわれる俺には不快な光景にしか映らない。
「……あの物狂いが……!」
こう何度も勝手に『部屋』に出入りされては堪らない。
そろそろケリを着けてやる。
俺は、ジナの頭を一つ撫で、ソファから立ち上がった。