19 ムセイオン
『ムセイオン』。
この殺人施設では、獣人の優秀な戦士を養成している。そして完成された戦士は、世界各国に『出荷』される。
個々の理由を負って訓練を積む者も居るが、大抵は拾われて来た者たちだ。この世界では無数にいる獣人の子供を拾って来て、戦士として育て上げ、その者を売り払って利益を得る。まぁ、要するにボランティア団体じゃない。
複数の警護を引き連れてやって来たのは、複数種の獣人の血を引くモザイク体の獣人の男だ。
「……ムセイオンへようこそ……」
見上げる程の巨躯。その声は嗄れていて酷く聞き取りづらい。髪は白く、老人のようにも見えるが、筋骨隆々の体躯は壮年の獣人のそれだ。
恐ろしく低い声で言った。
「……施設長のザームエルだ……神官どの……」
俺は目の前で聖印を切って見せ、右手を胸に当てて僅かに頭を垂れる。
「ご挨拶、痛み入る。俺は暗夜だ」
神官にとって、礼儀というものは平和な暴力だ。ザームエルはそれをよく理解している。
「……戦士を買い取りに来たと聞いた……」
正確には、俺を待っている弟子を迎えに来たのだが、その理解でも構わない。
俺は小さく頷いた。
「そうだ。弟子を引き取りに来た。会わせてもらいたい」
「……いいだろう。こちらへ……」
護衛を連れたザームエルと厳めしい門番の男二人に伴われ、ムセイオン内部へと進む。意外な事に内部は涼しく、地面の砂は僅かな湿りを帯びている。元はオアシスのあった場所に造られた。マリエールの出した本で読んだ通りだ。
「ふむ……」
薄く伸ばすように神力を拡げ、内部構造を探ると、このムセイオンの外観は円形に見えたが、やや楕円の形である事が分かった。擂り鉢状の形態をしており、アーチ状の外郭に三つの層。そして、地下施設が存在する。訓練生……俺の弟子は……地下施設の方に居る。
そこまで探りを入れた所で、ザームエルが低い声で言った。
「……神官どのは……あまり趣味がよくないようだ……」
「これは失礼」
マリエールすら気付かない薄い神力の展開に気付くとは、下界の者も侮れない。ムセイオン施設長ザームエルは特別製だ。この世界に存在する未知の『怪物』の一人と言っていい。
「……戦士たちは……アリーナに居る。好きな者を選ぶといいだろう……」
俺は優秀な『戦士』を探している。弟子の姿を求めるのもその一環だ。この『ムセイオン』の戦士に興味がないと言えば嘘になる。
「そうだな。先ずは……そうさせてもらおうか……」
トンネル式の通路を真っ直ぐ進み、『吐き出し口』と呼ばれる跳ね上げ式の扉を潜りアリーナへ出た。
砂嵐の吹き荒ぶ『アリーナ』では、多くの獣人たちがそれぞれの集団に別れ、実戦形式の激しい訓練を行っている。
俺は小さく鼻を鳴らした。
「……闘技場か……」
なんの冗談だろう。
アーチ状の壁には様々な武器が掛かっていて、そのどれもが血と汗と埃で汚れている。訓練生たちは、各々、得意な武器を手に取り、本気で戦って……そうだ。相手を本気で殺すつもりでいる。
ザームエルが低い声で言った。
「……弱い者は死ぬ……どの戦士を所望だ……」
「そうだな……」
アリーナでは、多くの獣人の戦士たちが手に手に武器を持って訓練に励んでいる。ざっと数えて、戦士たちの数は三百人という所か。とりあえず……
俺は軽く指を鳴らした。
「む……」
ザームエルは眉間に皺を寄せ、護衛と門番は足元をふらつかせたが、何とか持ち堪えた。
手抜き。祝詞の詠唱なしの眠りの呪詛だが、アリーナの戦士たちの殆どがその場に倒れ込み、残った五十名程の殆どが壁に凭れ掛かったり、朦朧とする意識を正気付けようと己の頬を張ったりしている。
「……立っている者を……」
この程度の呪詛に抵抗できないようでは、使徒の戦いでは役に立たない。いっそ、居ない方がいいぐらいだ。
ザームエルの指示により、呪詛に抵抗できた戦士全員がアリーナに整列した。
「……」
四八名の戦士。
一般的に、獣人は呪詛に対する抵抗値が低いとされるが、それでもこの数が残ったのは大したものだ。俺が人ならざる『使徒』である事を考えると、ここに並んだ者は一流と呼んでいい。
「素晴らしい戦士たちだ。先ず、試させてもらった非礼を詫びよう。すまなかった」
俺は、また指を鳴らして、今度は祝福を与えて訓練生……『戦士』たちを回復させる。
広範囲に銀の星が舞い落ちる。
使徒たる俺の祝福は、下界の神官の祝福や回復神法等とは訳が違う。大抵の怪我や病気はこれ一発で治る。
戦士たちは、その祝福の強烈な癒しの威力に驚愕し、互いに目を見合わせて困惑しているが騒ぎ立てるような事はない。
煩いヤツは論外だ。
「……気に入った。全員、連れて行きたい所だな……」
僅かに宙に浮き、俺の首に纏わり付いていたマリエールが呆れたように耳元で囁いた。
「先生、それもいいけど、戦士たちは……高い……!」
「そうか。残念だ……」
整列した『戦士』たちは、皆、ムセイオンの『商品』だ。呪詛で眠ってしまった訓練生たちにしても、買い取るなら最低でも金貨百枚は必要になる。
「ザームエル施設長。ここに居る戦士一人当たりの値段は幾らだ?」
「ふむ……ピンからキリだが……高い者は金貨で三百という所だ……天使どの」
ザームエルの発した天使という言葉に、護衛も門番も整列している戦士たちも、皆、ぎょっとして目を剥いた。
俺は大きく笑った。
「ここで一番の戦士は、施設長だな」
「……天使に認められるとは……光栄の至り……」
低い笑い声で応えるザームエルを背後に、俺は『戦士』たちと対峙する。
「……」
手抜きとはいえ、皆、使徒の呪詛に耐え得る程の腕利きの戦士たちだ。一人一人、面構えを確認していると、居並ぶ戦士たちの中から猫人の少年が進み出て、俺の前で膝を折った。
「天使さま、自分を買って下さい。後悔はさせません。必ずや貴方の役に立って見せます。どんな労苦も厭いません」
「ふむ……名はなんという、少年」
「アィヴィ」
目を細め、踞るようにして地に膝を着く少年を観るが、アィヴィはたちまち目を伏せてしまった。
「幼いな。歳は?」
「……十五です……」
「嘘だな。本当の歳は幾つだ?」
アィヴィは並み居る戦士の中で一番小さい。ここに並ぶ以上、素質はかなりのものだが、呪詛耐性にのみ特化している可能性もある。
アィヴィは困惑し、視線をさ迷わせた。
「……それは……お買い上げ下さった後で……」
主になる予定の者に、先ずは要求を突き付けるその根性の太さに、俺は笑みを浮かべずに居られない。
「……いいだろう。買った……」
「――!」
アィヴィが砂の地面に額を擦り付け、俺の靴に忠誠を誓う口付けをするのを見て、マリエールが頭を抱えた。
「幾らだ。施設長」
ザームエルは、皺くちゃの顔に更に皺を寄せて笑った。
「……その者は、まだ育成課程だ。金貨五十枚でいい……」
「……」
どうやらハズレを引いたようだが、まぁいい。こんな事もある。だが、見込みある者を選んだのは間違いないのだから、アィヴィは俺が鍛えればいいだけの話だ。
「マリエール」
「……」
はぁ、と深い溜め息を漏らしたマリエールは、空間魔法で作ったインベントリの中から金貨の入った袋を取り出して、ザームエルに手渡した。
「くく……天使どのは、戦士を見る目の方は大した事がなさそうだ……」
「……」
俺は肩を竦めた。
生憎と俺は『戦士』ではない。見る目がないのは、ある意味では当然の事だった。
「では、アィヴィ。付いて来い」
それだけ言って、俺は残った戦士には目もくれず、神官服の裾を翻す。
「……さて、施設長。ここに俺の弟子は居ない。地下施設を見せてもらおうか……」
そこでザームエルは笑みを引っ込める。嗄れた声で重々しく言った。
「そこには……天使どのの目に叶う戦士は居ない……」
「それは俺が決める。施設長……いや、ザームエル。地下施設に案内しろ」
顔も名前も知らない弟子だ。
だが、繋がっている。まだ俺を信じている。その弟子の置かれた境遇は分からないが、俺は行かねばならない。
「……俺は、何度も同じ事を言うのは好かん。ザームエル。地下施設だ……」
俺は『師匠』としては不出来な存在だが、こんな地獄に弟子を置き去りにするような人情なしじゃない。
弟子が待っている。俺が死んで尚、疑う事なく、こんな地獄に身を落としてまで俺を待っている。
俺は言った。
「ザームエル。金の心配より、お前は命の心配をした方がいい。どんな事をしてでも、俺の弟子は返してもらう」
俺の弟子は……どうやら『落ちこぼれ』の範疇にいるようだ。
だが、そんな事は関係ない。
◇◇
如何にして己を知る事が出来るか。観察でなく、行動によってである。己の義務を為さんと努めよ。そうすれば、己自身の性能と存在がよく分かる。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇