17 何処までも暗い夜の中より、『暗夜』1
「オーバーディメンション……パラレルパターン。サイコパターン。アストラルパターン……聖エミーリア、聖エルナの解析を終了した。lock level3(強い)に設定。緊急時を除き、使徒暗夜、及び『部屋』への接続を許可しない」
俺は謹慎する。ゾイとの件は別にして、整理したい情報が山ほどある。
コンソール画面を呼び出し、『部屋』の接続設定を書き換えると同時に『門番』としてのマリエールの権限を拡大させる。
虚無の闇に巨大なディスプレイが出現し、幾つもの情報を可視化できる形で表示した。
「……」
二つの『部屋』の情報を確認する俺は、腰の後ろで手を組み、高速で流れる情報をつらつらと斜め読みに確認している。
「先生……それ、なに……?」
『魔術師』マリエール・グランデは俺が選んだ仲間だ。未だ病身であるし、下界の者だから配慮が必要だが、『使徒』とは無関係なのがいい。
「使徒暗夜は、使徒全員に対して新しい部屋への接続を拒絶する。lock level5(永続的)に設定。完全拒否。ただし、『白蛇』『聖ギュスターブ』、この二名の干渉は、これを例外とする」
遊びは終わりだ。
体よく邪魔者二人が出て行った所で、そろそろ、俺は俺の当為を探す為に必要な事をしようと思った。まずは……
「マリエール、本だ。本を出してくれ。なるべく多く。俺は圧倒的に知識が不足している」
「え、あ、うん……」
マリエールには既に『権限』の一部を貸与してある。長命種であるエルフの知識の蓄積は無視できない。
「俺は暫く『書斎』に籠って読書する。その間、部屋の管理はお前に一任するが、いいか」
「わ、分かった」
現在、使徒暗夜……俺は二つの『部屋』を管理下に置いている。
一つは元いた部屋。
時間軸は安定しており、『現在』へと繋がる。そこを完全委任の形でマリエールに管理させる。
もう一つの部屋は、母より授かった『新しい部屋』。ディートハルトを軸としており安定しない。過去に存在する扱いの難しい『部屋』だ。俺はそこに籠って、時間が許す限り知識の集積に励む。ディートハルト・ベッカーの変化にもよるが、実際の時間にすれば六~七年という所か。
俺は鼻を鳴らした。
「少し短いな……」
ディートハルト・ベッカーの存在は既に解析済みだ。パラレルパターンの疑似体を創り出し、そいつを軸として固定する事で、新しい部屋は永遠に過去に留め置ける。
「行くぞ、マリエール。お前は助手だ」
「うん、分かった……」
長く引き籠る事になる。マリエールの病気は、その間に完治させる。知識を集積し、これまでに得た情報を整理する。必ず、当為に至る道が見付かる。
俺は、俺の新しい『パーソナリティ』を獲得する。『書斎』から出た時……その時が、第十七使徒『暗夜』の行動の時。
「では、部屋の状態を更新する」
俺は指を鳴らした。
◇◇
長い時間を過ごした。
マリエールの用意したあらゆる本を読み、それに飽きれば他の使徒や母の存在について考える。
途中、ディートハルトの髪色が銀色に変化した所で、部屋の軸を疑似体に変更した。
lock level5――ここより、永遠。
マリエールは四苦八苦しながらも、高い知性を発揮して部屋の管理を習得した。病気の完治には、結局、二年の時間を必要とした。
『新しい部屋』は、管理者たる俺を軸としない事で永遠に近い時間を確保できるが、デメリットも大きい。
新しい部屋に留まる間、俺の存在もまた過去のものになる。元が子供の『ディートハルト』を軸とする以上、幾らセキュリティのレベルを上げても不測の事態は発生する。
『書斎』に引き籠っている間、何度も不測の来訪者があった。
一人は白蛇。
現れた瞬間から不機嫌で、のっけから罵られた。
「お前は馬鹿だ」
「……うん? 誰かと思ったら白蛇か。いきなりのご挨拶だな……」
十七名の使徒の中でも、『白蛇』は特別な存在だ。未だ存命中である為、自らの『部屋』を持たない。だが、母に直接仕える白蛇は権限も大きい。そもそも俺自身が白蛇を拒否設定しなかった事もあるが、直接『書斎』に現れたのには驚いた。
話して気付いた事だが、面白い事に、現れたこの白蛇は過去の白蛇だった。存命中である為だろう。使徒でありながら、半ば人の理の中にある。
冗談で煙に巻いたが、白蛇は俺の異変に気付いているようだった。
「じゃあな、暗夜。もう会う事もないだろう」
「ああ、さらばだ。白蛇」
外套を翻し、姿を消した白蛇を見送って、俺は申し訳ない気持ちになった。
「すまんな、兄弟」
俺は、この叩き上げの男が嫌いではない。まるで身内のように俺を気遣うこの男を嫌いになれない。
「俺は、お前の厚意を忘れない」
ヤツの厚意に返すものがあればいいと思う。だが、どのような事情があれ、過去に干渉する事は禁止されている。
また読書に戻る。
マリエールの用意した本の種類は多岐に渡り、膨大な知識を得る事ができた。中には『奇書』と呼ばれるものもあり、使徒たる俺をして解読不能なものもあった程だ。
そして、再びあの女が現れる。
レネ・ロビン・シュナイダー。
余程、変えたい過去があるのだろう。何度も繰り返し干渉し、過去の自分を『書斎』に送り付けて来る。
そこで俺は一つの実験をした。知識的な興味に逆らえなかったというべきか。
「……世界の多層化を信じるか……?」
「たそうか?」
この過去のロビンに情報を与える事で、『未来』に干渉するとどうなるか。
マリエールのいい所は、俺と同じく探究心の箍が外れている事だ。もし、未来を変える事が出来れば、その要因となった俺たちは間違いなく消滅するが、その危険を説明して尚、マリエールは面白そうだと笑っていた。
だが……
「例えば、このページを俺たちの世界だとする。もう一枚ページを捲る。そこは同じ世界だが、ほんの少し俺たちの世界とは違う」
「す、すみません。分かりません……」
「本当に馬鹿だな、お前は……」
ロビンは、幾ら説明しようと理解できなかった。具体的な話をしてやりたいとも思うが、ディートハルトとしての記憶がない俺には無理だ。説明はどうしても難解なものになる。
結局、過去のロビンとの会話は、他愛ない悩み相談が殆どだった。
時は子を大人にする。
俺とマリエールが『書斎』に入り、十年の月日が経過した。俺は俺でしかなく、俺として成長している。失った物は取り戻せない。だが、別の物を嵌め込めばいい。
俺は『俺』としての個性を完成させつつある。第十七使徒『暗夜』として完成しつつある。
ロビンとの会話は退屈だ。酷く気に障る場合すらある。
「……暗夜。もう、私を呼び出すのはやめてくれませんか。今の私は、問答するような気分じゃないんですよ……」
物狂いになった未来のロビンが聞けば、血涙を流して憤慨するだろう。
「俺が、お前を呼び出した事は、一度もない。お前が勝手に来るんだよ」
俺は、ここでロビンに対する干渉を諦めた。あの物狂いを哀れに思えばこその行動だったが、理解及ばずというなら是非もなし。
「……確か、お前の洗礼名は『ロビン』だったな……」
「それが何か……」
「『ロビン』という名には、二つの意味がある。一つは『コマドリ』。小鳥だな。可愛いもの、愛らしいものを指す」
「……洗礼を受けた時、まだ十一歳だったので……」
俺は嘲りの意味を込めて優しく笑う。
「もう一つの意味を教えてやろうか?」
「はあ……どちらでもいいですが、貴方はそれを言いたそうですね……」
興味なさそうに答えるロビンに向けて、俺は首を振る。
レネ・ロビン・シュナイダー。
洗礼名『ロビン』の意味は『コマドリ』。そして――
――夜の愛し子。
「いや、言わずにおこう。知らないままで居てほしい」
過去は変わらない。ある種の強制力が働いているのか。それとも、この俺の言動すら因果の内の出来事か。どちらにしても、同じ事だ。
俺は、ロビンとの会話を打ち切った。