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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第四部 青年期『使徒』編(前半)
212/309

15 砂の国にて4

 かび臭く、微かに埃の舞う一室にきらきらと銀の星が舞う。

 ゾイが、ぽうっとして呟いた。


「……銀だ。銀の祝福……」


「いけないか?」


 この時の俺は失念していた。

 通常、下界の神官が行使する祝福の輝きはエメラルドグリーンだ。一定以上の強烈な効果を持つ祝福が銀の輝きを放つ。


 ゾイの手の震えは酷くなり、酒を注ぐボトルがカチカチとグラスを叩き、その音が耳障りだ。


「……俺が注ごう。貴女は少し落ち着いた方がいい……」


「ご、ごめん……」


 ゾイは震える手を抑えながら、俺に代わってソファに腰を下ろした。


 酒は嫌いだ。礼を失する事のない最低限の量を一方のグラスに注ぎ、もう一方にはそれなりの量の酒を注いでゾイに手渡した。


「今宵、この奇縁に」


 そう告げて、俺は一気にグラスの中を煽った。


「……」


 一気にグラスを干した俺を、ゾイが瞬きすらせず見つめている。理由は分からないが、そこまで注目されるとやりづらい。いっそ、不愉快ですらあったが……


 エルナとの約束は果たされた。これで二人のお調子者とおさらば出来る。厄介事から解放されると思うと清々する思いだった。

 後は『部屋』に帰り、エルナとエミーリアを叩き出して終わりだ。


「ありがとう、ゾイ。さらばだ」


「え、もう!? そ、それはせっかち過ぎるよ!!」


「む……」


 確かにそうだ。気が逸るあまり、礼を失する所だった。慌てて腰を上げようとするゾイを制止して、俺は再びソファに腰を下ろした。


「すまん。少し急いていた」


 その俺の言葉に、ゾイはホッとしたように胸を撫で下ろし、疲れたように溜め息を吐き出した。


「な、何か大事な用があるの?」


「そうでもない。ただ、ゴミはゴミ箱へ。捨てたいゴミがあるだけだ。特別、急ぐ程でもない。すまなかった」


 そこで、ゾイは驚いたように目を見開いて俺を見つめた。


「何故、見る。少しばかり見過ぎだ。俺に何か付いているか?」


「い、いや、同じ事を言ってた人を知ってるから……」


「そうか」


 短く答え、俺は懐から取り出した煙草を咥えて火を点ける。


「し、神父さまは、喫煙なさるのですか……?」


「ああ、すまん。迷惑なら消すが……」


 『部屋』に帰れば、こんなものは幾らでも創れる。下界ならと思ったが、喫煙者は肩身が狭いのが問題だ。

 そこで、ゾイが、くんと鼻を鳴らした。


「伽羅の匂い……」


「違う。メンソールだ」


 確か、同じ会話をマリエールとも交わしたように思う。伽羅とはなんだろう。

 ゾイが遠慮がちに言った。


「そ、その、神父さま。喫煙は頭を悪くします。止められた方がよろしいかと……」


 喫煙は頭を悪くする。母の言葉にもそうある。このゾイに限らず、母を信仰する者は喫煙を嫌う。


「もう、どうにもならん所まで悪くなっている。問題ない」


 俺というパーソナリティは大きく損なわれた。そもそも使徒である俺には喫煙によって生じる害はない。


 俺は居住まいを正し、深くソファに腰掛け、足を組む。


「少々、強い術を使ってな。記憶がない。概ね、頭の具合はよろしくない。今さらだ」


 アスクラピアの術を使う神官にはよくある事だ。人間性、寿命、感性、記憶……様々な物を切り売りして強い力を使うのは、使徒も人も変わりない。


「……強い術……」


「こちらの話だ。気にするな」


 ゾイが酒を嗜むように、俺は喫煙を嗜む。どちらがいいも悪いもない。漠然とそんな風に考える。


 暫くの沈黙があった。


 ゾイは、ちびちびと舐めるようにグラスの酒を飲みながら、気を損なわない程度の視線で俺を観察している。

 まず口を開いたのは俺の方だ。


「……所で、いつもこんな生活を……?」


 特にゾイの生活に興味はないが、初対面の相手との沈黙は疲れる。


「言ってはなんだが……修道女シスタ。貴女の生活は少し荒れているように思う」


「え……」


「貴女から感じる神力は、悪魔祓い(エクソシズム)に振り切っている。治癒に関するものではない」


 フードを下ろしたゾイの顔には多くの傷痕があるが、そのどれもが自然治癒している。祈りと信仰によって得た神力が治癒に寄らず、戦闘方面に特化している事の証拠であり、単独での行動を主にする事の証明でもある。


「貴女は、俺の事より、自身をもっと気遣うべきだ」


「…………はい……」


 ゾイは、しゅんとして、俺の言葉に素直に頷いた。頷いたのだが……酷くやりづらい。


 また暫くの沈黙を挟み、ゾイは、ぽつりと呟いた。


「……私は、聖エルナ教会に所属する修道女シスタです……」


「聖エルナ教会……」


 ゾイの口から飛び出したエルナの名に、俺は即座にこの場から逃げたしたくなったが、ゾイにはなんの罪もない。席に留まる事は非常な自制心を必要としたが、なんとか思いとどまった。


 あの性悪聖女は、このゾイと俺を引き合わせたかったのだろうか。しかし、ゾイと会ったのは偶然だ。若干、行動に不自然さが見られるが警戒する程のものでもない。


 そこでゾイは膝を着き、胸の前で手を組んで祈りの姿勢になった。


「……その、神父さま。私の話を聞いてくれませんか……?」


「む……告解したい事があるのか?」


 確かにそれは神父の役目の一つかも知れないが、俺はその告解とやらが好きではない。

 ゾイは首を振った。


「……分かりません。ただ、聞いて欲しいんです。貴方に私の話を聞いて欲しい……」


「分かった……それで気が済むのなら、話を聞こう……」


 そして、ゾイは己の生活を語り始めた。


 現在、聖エルナ教会は窮地に立たされている。ここザールランドの寺院を纏める大神官『ディートハルト・ベッカー』により破門され、一切の聖務を禁じられているのだと言う。


 現れたディートハルトの名に思う所がない訳ではなかったが、俺は黙ってゾイの話を聞いていた。


 治癒等の聖務の一切を禁じられた聖エルナ教会は、喜捨を受け取る事もままならず、日々の運営は勿論、生活にも苦労している。修道院長は長く臥せっており、その生活を賄う為に、ゾイはダンジョンで日銭を稼いでいるそうだ。


「困窮している事は分かったが……破門されるような事をしたのか?」


「分かりません」


 ゾイは静かに首を振った。


「……ただ、一人の人を愛しました……」


「……」


「その人の為なら、何でも出来ると思っていました。どんな汚い事でも……実際、私はそうしました……」


 ゾイは俺から視線を外さない。

 ドワーフの意思は鋼鉄製だ。その愛も鋼鉄で出来ている。嘘偽りなく、ゾイはそうしたのだろう。


「その人は、そんな私を許しませんでした」


「…………」


 俺は、この告解とやらが好きではない。著しく人間性を欠く今となっては、尚更、そう思う。

 ただ、使徒『暗夜』はこう思う。


「その者は、既にお前を許している。愛ゆえに犯した過ちが許されないのであれば、人は皆、絶望するよりない」


 俺の前で祈りを捧げながら、ゾイは静かに涙を流した。


「……今でも愛しています。何度でも、私は同じ過ちを繰り返します。それでも、許されるでしょうか……?」


「……何度でも許される。時間を置く事だ。全ては時間が解決するだろう……」


 俺には何も分からない。ただ、ゾイの語るその者は、この鋼鉄製の愛を打ち砕く為に苛烈に振る舞ったのだろう。そこまでせねば止められぬ程、ゾイの愛は深かったのだ。


◇◇


 愛がくさびの役目を果たさなかったなら、それは全て破滅の道へと繋がる。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


 俺は静かに聖印を切り、この場に居ないその者に代わって赦しの言葉を告げる。


「ゾイ、誰かを愛する心を憎む事は、誰にもできない。そういうものだ……」


 ゾイはその場に泣き崩れ、激しく嗚咽を漏らした。


「……でも、あの人は行ってしまった。それが今生の別れになりました……」


「……」


 道を違えたまま、死に別れた。死は全てを奪う。過ちも善意も愛も良心も、何もかも永遠に損なわれた。それは恐らく悲劇なのだろう。


 俺には何も分からない。


 ただ、哀れだと思う。ゾイは永遠に許されず、赦しを与える事ができる者は、既にこの世界の何処にもいない。


 ゾイは這いつくばるようにして床に手を着き、嗚咽を漏らして全身で泣いていた。


「……っ」


 黙って見ているだけしか出来ない。俺の胸はもうつかえる。

 ゾイが絞り出すように言った。


「どうなってもいい。私も……付いて行きたかった……」


 血を吐くような思いの吐露に、固い石ころが床を打つ。


 かたん、ことん、と床を打つ。


 この悲しみに、この愛の深さに、流れた涙が床を打つ。使徒『暗夜』の流した涙は人のそれとは違う。


 青白く光る輝石となって床を打つ。


 俺は……


「すまない。本当にすまない……俺には、どうする事も出来ない。許してくれ……」


 心には、涙の方がずっと近い。


 人々は希望する。愛が起こす奇跡がある事を予感して希望する。


 俺には何もない。


 ただ悲しくて、涙を流すだけだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >心には、涙の方がずっと近い。 キレイな良いセリフ
[一言] ディートハルト・ベッカーだった誰かはもう戻れないし暗夜にしかならないからこその辛さ
[良い点] なるほど、ゾイ視点だとそうなるですね。 [気になる点] 使徒が泣くと青石となる? それも気になるけど暗夜の涙ってはじめてかも。 [一言] ルシールとか、アビーとかどうなることか。
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