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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第四部 青年期『使徒』編(前半)
208/309

11 遭遇2

 俺の部屋……母に与えられた使徒の『部屋』に於いて、俺の『権限』は大きい。

 だが、その大きな『権限』を扱う俺は、記憶とパーソナリティに著しく欠損がある。俺は熟慮の末、『権限』の一部をマリエールに貸与した。


「マリエール、本だ。本を出してくれ。知識が欲しい」


 俺はマリエールの治療を行う間、切り分けた部屋に読書の為のスペースを創り、そこで本を読んで過ごした。

 過ごしたのだが……

 下界の者であるマリエールに『権限』を貸与した事について、エミーリアからは強い叱責を受けた。


「暗夜、貴方は、いったい何を考えているの!」


 エミーリアの叱責は理解できない訳じゃない。だが、人格が乏しくなった俺には必要な事だった。


「エミーリア、知識だ。俺は知識が欲しいんだよ。幸い、彼女はエルフだ」


 エルフはか弱いが『長命種』と呼ばれる種族だ。その数は非常に少ない。大抵は他種族と血を交え、その血を薄くして子孫を儲ける。この場合、長命種としての個性は著しく損なわれる。マリエールのような純血種の者となると、その数は更に少ない。下界の者とはいえ二百年以上の時を過ごしたマリエールの経験を軽視する事は出来ない。


 そして、これが最も肝要な事だが、『魔術師』マリエール・グランデには古代神の加護がある。アスクラピアより古い時代から存在する旧神とも呼ばれる存在だ。哲学と知識。そして魔術の神。その名は、使徒である俺をして分からない。加護を受けるマリエールにも分からない。古代神という存在は、その程度には謎に包まれている。……これもマリエールが出してくれた本で得た知識だ。


「その程度の知識なら、私にもあるよ。私でも教えられる」


「エミーリア。貴女には貴女の当為ソルレンがあるだろう。俺の教育にかまけている暇はない筈だ」


 エミーリアは難しい表情で黙り込み、暫くの時間、修道女シスタらしく沈黙の内に過ごした。


「……まだ、怒ってるの?」


「なんの事を言っているのか、分からない。怒ってなどいない」


 うるさい。

 エミーリアは、とにかくうるさい。元が好奇心旺盛で世話焼きな性格なのもあるだろうが、用もないのに俺を構う。構いたがる。鬱陶しい事この上ない。エルナが下界に帰った事で時間を持て余しているのか、その傾向は日に日に強くなる一方だった。


 俺には、失ったパーソナリティを再度構築する必要がある。時間は幾らあっても足りない。やむを得ず、『新しい部屋』を切り分けて読書スペースを創る必要を感じ出したその時の事だ。


「ん……」


 『部屋』に侵入者の気配を感じた俺は、強い不快感に襲われた。


 侵入者の気配には、エミーリアも即座に気付いたようで、こちらは俺よりも激しく反応した。


「また……あの狼人……!」


 エミーリアが視線を向けた部屋の一隅に、いつの間にか襤褸ぼろを纏った狼人の女が立っていた。


「ディ~~トさんっ! 摘まみ出すなんて、ひっど~いです!」


「……なんなんだ、お前は……」


 狼人の女は酷く痩せこけており、右手に錆びた長剣を持っている。見るからにそうだが、狼人の女は物狂いだった。襤褸を纏うその姿からも容易く想像できるが、まともな生活を送っているようには見えない。


「狼人、どうやってこの部屋に入った」


「はいっ! ちょ~の~りょくですっ!」


 そう言って、狼人の女は鋭く俺を指差した。

 なるべく関わりたくない。その一心から、俺は穏やかに言った。


「指差すな。失礼だろう」


「はいっ! すみませぇん!」


 そこで、狼人の女は見事な敬礼の形をして見せた。背筋を伸ばし、左手を胸に添え、僅かにこうべを垂れる。


「ふむ……騎士か。狼人、名をなんという」


「…………」


 狼人の女は答えず、俺を睨み付けるようにして刮目し、押し黙った。


 暫く、この物狂いの狼人と見つめ合う格好になり、俺はその不快感に耐えねばならなかった。

 先に口を開いたのは狼人の女だ。


「……レネ。レネ・ロビン・シュナイダー……です。ロビンとお呼び下さい……」


「ふむ。ロビンだな」


 俺は一つ頷いた。礼に倣わざるは卑賤の輩。こちらも名乗る。


「俺は暗夜ヨル。お前がこの部屋に入った方法については不問とする。出て行ってもらいたい」


 暫くの沈黙を挟み、狼人の女は消え入りそうな声で呟いた。


「……嫌です……」


「何故?」


 それは単純な疑問から出た言葉だったが、ロビンは全く聞いて居らず、そのコバルトブルーの瞳でギョロギョロと辺りを睨み付けるようにして探っている。


「……そこの修道女シスタは、以前も見ましたね……」


 エミーリアは眉間に深い皺を寄せ、ロビンを厳しく睨み付けている。


「……なんなの、貴女は。何をしに来たの……」


「そ~れ~はあ、こちらの言葉ですよ、修道女シスタ。貴女こそ、な~んで暗夜さんに付きまとうんですかあ?」


 部屋に無断で侵入された俺は、不愉快甚だしい。

 そこでロビンは、すんと鼻を鳴らした。


「……知ってる匂いがします。ふんふん……」


 ロビンのギラギラとした視線が、ベッドに座り込んでこちらを見るマリエールの姿を捕まえた。


「あれれ~? マリエールさんじゃあ、あ~りませんか。な~んで、ここに居るんですか~」


 俺は用心深く言った。


「……マリエールの知己か? 今の彼女は集中治療中だ。ここでの騒ぎは控えてもらいたい……」


「……」


 ロビンは再び黙り込み、俺を値踏みするようにして睨み付けていたが……


「……魂魄こんぱくに大きな欠損があります。誰にやられたのですか……?」


 レネ・ロビン・シュナイダーは不可解な存在だった。物狂いのように見えたが、時折、まともそうにも見える。

 この時はまともそうに見えた。


「……また、あのしみったれにやられたんですか……?」


 ざわ、とロビンの髪が巻き上がる。怒髪天。激昂寸前なのは火を見るより明らかだった。

 そんな事とは関係なく――


「臭い」


 俺は、この不快感に堪えられなくなった。


「ロビン、お前は臭い。格好も汚ならしい。酷い有り様だ」


「え……」


 正に激昂寸前のロビンだったが、俺の言葉にハッとしたように己の姿を確認し……恥じ入るように俯いた。


「みっともない。今のお前ほど見苦しいヤツは見た事がない。ちゃんとメシを食え。風呂に入って、まともな服を着ろ。話はそれからだ」


「……は、はい、も、申し訳ありません……」


「分かったら出直せ。見るに堪えん」


 俺は指を鳴らしてロビンを下界に落とした。位置は設定してない。大陸の何処へ行ったかは分からない。


 ゴミはゴミ箱へ。

 ロビンを追い払って、すっきりした俺は、これでよしと一つ頷いた。


 また来るだろうが、これで少しは時間が稼げる。新しい部屋に行けば、長い間、あの見苦しい顔を見なくて済むだろう。


「さて、エミーリア。引っ越しするぞ」


「……そうだね」


 相手は物狂いの狼人だ。アストラルパターンを記憶して、部屋への出入りを禁止したが、そもそも下界の者がこの奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)に入る事自体があり得ない現象だ。常識が通用するかどうかも疑わしい。ディートハルト・ベッカーも気になる。


「エルナにも伝えておくね」


「そうしてくれ」


 空間を薙ぎ払うようにして右手を振って、俺はコンソール画面を出現させた。


「ふむ……状況に変化はないな。ディートハルト・ベッカーも動いていない。部屋を分割しよう。位置は……」


 キーボードを叩き、マウスを操作して新しい住まいの設定をしていると、エミーリアが、ぎょっとして俺を見つめた。


「な、ちょ、暗夜。貴方、何をしてるの……?」


「何って、新しい住まいを作ってるんだ。話し掛けるな……あ、クソ、バグだ。変更できないオブジェクトが山ほどある。我ながら嫌になるな……」


 『新しい部屋』には、俺の精神状態が強く反映している。それとは別にして、俺が俺の部屋を自由に扱えるのは当然の事だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 本当に色々とぐちゃぐちゃになってるな
[一言] ロビン、暗夜と会うために頑張って鍛えたんだろうな…
[良い点] 自由に扱えるのに操作不能オブジェクトのバグとは。 欠落してるからなのか、なにか意味があるのか。 [気になる点] エミーリアがびっくりしてるのはそこじゃないよ! [一言] 古代神の加護、戒律…
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