10 血の盟約
マリエールと部屋に帰った俺は、エミーリアとエルナの二人を集め、一つの相談をした。
エルナが面倒臭そうに言った。
「……話したい事があるそうですね。なんですか……?」
新しい部屋に居座ったガキの事だ。俺は、ヤツをどう扱っていいか分からない。素直にエミーリアとエルナに相談する事にしたのだが……
「新しい部屋に、おかしなガキが現れた。もう結構経つ。何者か分からない。貴女たちの知恵と知識を借りたい」
一拍の間があって、エミーリアとエルナが揃って目を剥いた。
「なんですって!?」
ハモった。その事に、俺が緩い笑みを浮かべていると、エルナはかんかんに怒った。
「しかも、結構経つとか言いましたよね? なんで、すぐに報告しないんですか!」
俺は眉間に皺を寄せ、あえて不快感を表明した。
「エルナ、その言い方は極めて無礼だ。『俺の部屋』で起こった事だ。個人的な問題という事になる。報告の義務はない。今回は、この不測を持て余して相談しただけだ」
そもそも『報告』とは、部下が上司に向かってする事だ。俺はエルナの下に付いたつもりはない。
エルナは上目遣いに俺を睨み付けて来る。
「私たちの意見が聞きたいと言ったのは、貴方でしょうに。さっさと話しなさい」
聖エルナは優しく寛容だが、一方でプライドが高く、命令的だ。極度の仕切り屋でもある。
合わない。俺は、こんなに嫌なヤツを知らない。
「……そんな事だから、ギュスターブは貴女から離れた。俺たちは、同じ『使徒』だ。経験の差こそあれ、上下関係は存在しない」
そうだ。俺たち使徒は、皆、平等な存在だ。序列はただの数字に過ぎない。敬意を払われる事があっても、同じ立場にある以上、見下される理由はない。
ギュスターブの事に関しては思う所があるのか、エルナは悔しそうに唇を噛み締めた。
「……っ、それは、そうですが……しかし……!」
エルナの言いたい事は理解しているつもりだ。俺たち使徒の『部屋』……奇妙な部屋に入れる存在は限られる。だから、それを問題視するのは分かる。
そこで、エミーリアが呆然とした表情で会話に割り込んだ。
「……ギュスターブを覚えているの……?」
「彼とは盟約を結んだ。忘れる訳がない」
使徒による血の契りだ。お互いの危機には駆け付ける。友宜の証でもある。
エミーリアは呆然としている。
「は、白蛇は……」
「ああ、兄弟か。無論、覚えている。連絡はないが、報せがないのは元気な証拠だろう」
アスクラピアの蛇は悪食で何でも喰らうが、強固な使徒の盟約は食えなかったようだ。白蛇とギュスターブとの間に結んだ盟約の記憶は、俺の中に確かに存在する。
「わ、私は……私とも血の契りを結んだ筈だよ……」
俺は首を振った。
「聖エミーリア。失礼な言い方になるかもしれないが、我々の間には、いかなる絆も存在しない」
覚えていないが、エミーリアの言う事が本当なら、俺はその契りを破棄した。或いはそれに類いする事を言ったのだろう。高位神官の言葉には力が宿る。
「……」
エミーリアには思い当たる節があるようだ。項垂れ、静かになった所で俺は一つ頷いた。納得するのは重要な事だ。
だが……
エミーリアは眉間に皺を寄せた不機嫌そのものの表情で俺を見上げた。
「エルナは? エルナの事も覚えているよね?」
「……そう言えばそうだな……」
母の助力を仰いだ事により、使徒としての記憶も損なわれた俺だが、不思議な事にエルナの事は覚えていた。
それだけじゃない。
枢機卿……『勇者』アウグスト。伯爵こと『剣聖』ローランド。覚えている。都合よく母が残したとは思えない。わざと残したと思うべきだ。
「ふむ……」
興味深い。エミーリアの記憶は俺の中から損なわれたというのに。これには一考の余地がある。
さて、新しく得たこの情報をどうするか。
俺は、エミーリアとエルナを交互に見比べ、口に出してはこう言った。
「……彼女は、ギュスターブに関連しているからな……」
「……」
エミーリアが黙り込んだ所で、俺は話を続ける。
「新しい『部屋』の話だったな」
時間軸も世界観も何もかもが安定しない部屋。今の俺には手に余る。そこに現れた妙に気に障るガキ。
「不思議なガキだ。名は『ディートハルト・ベッカー』。聞き覚えがあるか?」
反応を示したのは、エルナとベッドの上で座っていたマリエールだ。
「先生が、もう一人……?」
「マリエール。俺はここに居る。意味が分からない」
このやり取りに、エルナが激しく反応して叫んだ。
「エルフ! お前は、本来、ここに居てはならない下界の者です。それが使徒同士の会話に割り込むな!!」
尤もだ。今は使徒同士で話している。マリエールとは後で話せばいい。
「…………」
俺が視線で沈黙を促すと、マリエールは視線を伏せて口を噤んだ。
◇◇
新たにテーブルを創り出し、エミーリア、エルナ、俺の三人で卓を囲む。
俺は以下の説明をした。
「ガキ……子供が長期に渡って奇妙な部屋に留まる事は精神の成長を阻害する。よって聖痕を与えた。本人の扱いにもよるが、過度の『刷り込み』による精神侵食への対策の為だ。意識レベルが極めて低く、現在も『刷り込み』の最中にある。何かを『焼き付け』ていると思われるが、それが何かは分からない。部屋の『軸』とする事で判明した事だが、過去の存在だ。ここからは予測でしかないが、六~七年程前の何かを見ている」
「……」
エミーリアは強い失意の中にあり、こちらの意見は望めそうにない。
エルナは考え込んでいたが、ややあって、疲れたように溜め息を吐き出した。
「……おおよそですが、理解の範疇です……なるほど……お前が早く帰って来る訳が理解できました……」
そうだ。俺の新しい『部屋』は過去にある。あのガキが軸として存在する限り、同じ部屋に居る俺もまた過去の存在になる。
実際の俺は、結構な時間を新しい『部屋』で過ごしたが、それも過去の事だ。帰って来るのが『現在』に繋がるこの部屋である以上、そこで過ごすエルナたちには、俺の留守は一瞬の出来事でしかない。
エルナは言った。
「……それは、過去のお前です。正確には、お前が生前使っていた『移し身』の本来の持ち主と言うべきでしょうか……」
「意味が分からない。詳細な説明を希望する」
「……」
エルナは首を振った。使徒である彼女をして、事の詳細な説明は難しいという事だ。
つまり……母の干渉があった。
第三の使徒にして、聖女であるエルナにも不可解な事なのだ。
「……ザールランドは私の故郷であり、強い所縁の地でもあります。私は長きに渡り、あの地を見守って来ました……」
エルナは疲れたように続けた。
「……過去の……いや、生前のお前は偉大な神官でした。ダンジョンの深層にて神話種を討伐し、解決困難な疫病の撲滅に大きく貢献しました。それによって救われた命は数知れません。
貴方は短くも苛烈な生を送りました。
不当に利益を貪るザールランドの寺院を壊滅させ、人工聖女の一人……エリシャ・カルバートを誅したのも貴方です。その功績により、母は貴方を第十七使徒『暗夜』として召し上げました……」
「覚えていない」
「それは、お前が恣意的な理由で公正を欠いたからです。しかし、それも愛深きゆえに犯した罪です。母は粛々と罰を下されました。多くの記憶を失ったのはそのせいですが、貴方の人間性を毀損する記憶を奪う事だけはしませんでした。しかしそれも……」
そこで、エルナはマリエールに嫌悪の視線を向けた。
「……これ以上は、言っても栓なき事ですね……」
「そうか」
記憶のない俺には、他人事のようにしか聞こえない。それは他の誰かの話にしか思えない。
それから、暫くの沈黙があった。エルナとしては、俺が過去を認識する時間を与えたつもりなのだろう。
エルナは続ける。
「お前の性分は母に似ています。苛烈で残酷で正しく、時に慈悲深く甘い」
「そんなものになった覚えはない」
俺は小さく舌打ちして、目の前のエルナから視線を逸らした。
エルナは言った。
「……その子が『焼き付け』ているものは、他でもないお前自身でしょう。第十七使徒『暗夜』ですよ……」
「俺……?」
「そもそも、お前の部屋です。お前が創った部屋で、お前以外の何を記憶に焼き付けるのです」
「どうなる?」
「分かりません。そこには母の意志が介在しているのかもしれないし、そうではないのかもしれません。いずれにしても、私の理解を大きく超えています」
要するに、何も分からないという事だ。そして『ディートハルト・ベッカー』への干渉は過去への干渉に当たる。あれに対する干渉は避けた方が無難だろう。
ただ……気掛かりではある。
『現在』のディートハルト・ベッカーは、いったいどうしているのだろう。
答えたのはエルナだ。
「今のザールランド帝国の大神官の名は、ディートハルト・ベッカーです」
エルナは首を振った。何度も何度も繰り返し首を振った。
「私たちには、当為があります」
人工勇者と二名の人工聖女の討滅。及びそれを為した者の抹消がそれだ。
エルナは、まだ何か言いたそうにしていたが、今回は諦めたようだ。短く聖印を切って、静かに立ち上がった。
「ルシールとゾイが心配です。私は聖エルナ教会に帰ります」
「そうか。世話になった。貴女の行先に母の加護を祈る」
エルナは、怒ったように鼻を鳴らした。
「縁起でもない。これきりみたいに言わないで下さいよ」
俺とエルナの仲は、決して良くなかったが、それはそれとして、時間を共有した事で一定の理解が得られた。
「……」
俺は、黙って親指の腹を食い破ってエルナに突き付けた。
「ふん……忘れられても困りますし、これも何かの縁ですね。いいでしょう」
エルナは俺と同じように親指の腹を食い破り、指を合わせて血の契りを交わした。
お互いの危機には駆け付ける。
その光景を、エミーリアが黙って見つめていた。
なんとかなりそうです。暫くは隔日更新で行きます。よろしくお願いいたします。