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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第四部 青年期『使徒』編(前半)
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10 血の盟約

 マリエールと部屋に帰った俺は、エミーリアとエルナの二人を集め、一つの相談をした。

 エルナが面倒臭そうに言った。


「……話したい事があるそうですね。なんですか……?」


 新しい部屋に居座ったガキの事だ。俺は、ヤツをどう扱っていいか分からない。素直にエミーリアとエルナに相談する事にしたのだが……


「新しい部屋に、おかしなガキが現れた。もう結構経つ。何者か分からない。貴女たちの知恵と知識を借りたい」


 一拍の間があって、エミーリアとエルナが揃って目を剥いた。


「なんですって!?」


 ハモった。その事に、俺が緩い笑みを浮かべていると、エルナはかんかんに怒った。


「しかも、結構経つとか言いましたよね? なんで、すぐに報告しないんですか!」


 俺は眉間に皺を寄せ、あえて不快感を表明した。


「エルナ、その言い方は極めて無礼だ。『俺の部屋』で起こった事だ。個人的な問題という事になる。報告の義務はない。今回は、この不測を持て余して相談しただけだ」


 そもそも『報告』とは、部下が上司に向かってする事だ。俺はエルナの下に付いたつもりはない。

 エルナは上目遣いに俺を睨み付けて来る。


「私たちの意見が聞きたいと言ったのは、貴方でしょうに。さっさと話しなさい」


 聖エルナは優しく寛容だが、一方でプライドが高く、命令的だ。極度の仕切り屋でもある。

 合わない。俺は、こんなに嫌なヤツを知らない。


「……そんな事だから、ギュスターブは貴女から離れた。俺たちは、同じ『使徒』だ。経験の差こそあれ、上下関係は存在しない」


 そうだ。俺たち使徒は、皆、平等な存在だ。序列はただの数字に過ぎない。敬意を払われる事があっても、同じ立場にある以上、見下される理由はない。


 ギュスターブの事に関しては思う所があるのか、エルナは悔しそうに唇を噛み締めた。


「……っ、それは、そうですが……しかし……!」


 エルナの言いたい事は理解しているつもりだ。俺たち使徒の『部屋』……奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)に入れる存在は限られる。だから、それを問題視するのは分かる。


 そこで、エミーリアが呆然とした表情で会話に割り込んだ。


「……ギュスターブを覚えているの……?」


「彼とは盟約を結んだ。忘れる訳がない」


 使徒による血の契りだ。お互いの危機には駆け付ける。友宜の証でもある。

 エミーリアは呆然としている。


「は、白蛇は……」


「ああ、兄弟か。無論、覚えている。連絡はないが、しらせがないのは元気な証拠だろう」


 アスクラピアの蛇は悪食で何でも喰らうが、強固な使徒の盟約は食えなかったようだ。白蛇とギュスターブとの間に結んだ盟約の記憶は、俺の中に確かに存在する。


「わ、私は……私とも血の契りを結んだ筈だよ……」


 俺は首を振った。


「聖エミーリア。失礼な言い方になるかもしれないが、我々の間には、いかなる絆も存在しない」


 覚えていないが、エミーリアの言う事が本当なら、俺はその契りを破棄した。或いはそれに類いする事を言ったのだろう。高位神官の言葉には力が宿る。


「……」


 エミーリアには思い当たる節があるようだ。項垂れ、静かになった所で俺は一つ頷いた。納得するのは重要な事だ。

 だが……

 エミーリアは眉間に皺を寄せた不機嫌そのものの表情で俺を見上げた。


「エルナは? エルナの事も覚えているよね?」


「……そう言えばそうだな……」


 母の助力を仰いだ事により、使徒としての記憶も損なわれた俺だが、不思議な事にエルナの事は覚えていた。

 それだけじゃない。

 枢機卿カーディナル……『勇者』アウグスト。伯爵こと『剣聖』ローランド。覚えている。都合よく母が残したとは思えない。わざと残したと思うべきだ。


「ふむ……」


 興味深い。エミーリアの記憶は俺の中から損なわれたというのに。これには一考の余地がある。


 さて、新しく得たこの情報をどうするか。


 俺は、エミーリアとエルナを交互に見比べ、口に出してはこう言った。


「……彼女は、ギュスターブに関連しているからな……」


「……」


 エミーリアが黙り込んだ所で、俺は話を続ける。


「新しい『部屋』の話だったな」


 時間軸も世界観も何もかもが安定しない部屋。今の俺には手に余る。そこに現れた妙に気に障るガキ。


「不思議なガキだ。名は『ディートハルト・ベッカー』。聞き覚えがあるか?」


 反応を示したのは、エルナとベッドの上で座っていたマリエールだ。


先生ドクが、もう一人……?」


「マリエール。俺はここに居る。意味が分からない」


 このやり取りに、エルナが激しく反応して叫んだ。


「エルフ! お前は、本来、ここに居てはならない下界の者です。それが使徒同士の会話に割り込むな!!」


 尤もだ。今は使徒同士で話している。マリエールとは後で話せばいい。


「…………」


 俺が視線で沈黙を促すと、マリエールは視線を伏せて口を噤んだ。


◇◇


 新たにテーブルを創り出し、エミーリア、エルナ、俺の三人で卓を囲む。

 俺は以下の説明をした。


「ガキ……子供が長期に渡って奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)に留まる事は精神の成長を阻害する。よって聖痕を与えた。本人の扱いにもよるが、過度の『刷り込み』による精神侵食への対策の為だ。意識レベルが極めて低く、現在も『刷り込み』の最中にある。何かを『焼き付け』ていると思われるが、それが何かは分からない。部屋の『軸』とする事で判明した事だが、過去の存在だ。ここからは予測でしかないが、六~七年程前の何かを見ている」


「……」


 エミーリアは強い失意の中にあり、こちらの意見は望めそうにない。


 エルナは考え込んでいたが、ややあって、疲れたように溜め息を吐き出した。


「……おおよそですが、理解の範疇です……なるほど……お前が早く帰って来る訳が理解できました……」


 そうだ。俺の新しい『部屋』は過去にある。あのガキが軸として存在する限り、同じ部屋に居る俺もまた過去の存在になる。


 実際の俺は、結構な時間を新しい『部屋』で過ごしたが、それも過去の事だ。帰って来るのが『現在』に繋がるこの部屋である以上、そこで過ごすエルナたちには、俺の留守は一瞬の出来事でしかない。

 エルナは言った。


「……それは、過去のお前です。正確には、お前が生前使っていた『移し身』の本来の持ち主と言うべきでしょうか……」


「意味が分からない。詳細な説明を希望する」


「……」


 エルナは首を振った。使徒である彼女をして、事の詳細な説明は難しいという事だ。

 つまり……母の干渉があった。

 第三の使徒にして、聖女であるエルナにも不可解な事なのだ。


「……ザールランドは私の故郷であり、強い所縁ゆかりの地でもあります。私は長きに渡り、あの地を見守って来ました……」


 エルナは疲れたように続けた。


「……過去の……いや、生前のお前は偉大な神官でした。ダンジョンの深層にて神話種を討伐し、解決困難な疫病の撲滅に大きく貢献しました。それによって救われた命は数知れません。

 貴方は短くも苛烈な生を送りました。

 不当に利益を貪るザールランドの寺院を壊滅させ、人工聖女の一人……エリシャ・カルバートを誅したのも貴方です。その功績により、母は貴方を第十七使徒『暗夜』として召し上げました……」


「覚えていない」


「それは、お前が恣意的な理由で公正を欠いたからです。しかし、それも愛深きゆえに犯した罪です。母は粛々と罰を下されました。多くの記憶を失ったのはそのせいですが、貴方の人間性を毀損する記憶を奪う事だけはしませんでした。しかしそれも……」


 そこで、エルナはマリエールに嫌悪の視線を向けた。


「……これ以上は、言っても栓なき事ですね……」


「そうか」


 記憶のない俺には、他人事のようにしか聞こえない。それは他の誰かの話にしか思えない。


 それから、暫くの沈黙があった。エルナとしては、俺が過去を認識する時間を与えたつもりなのだろう。

 エルナは続ける。


「お前の性分はアスクラピアに似ています。苛烈で残酷で正しく、時に慈悲深く甘い」


「そんなものになった覚えはない」


 俺は小さく舌打ちして、目の前のエルナから視線を逸らした。


 エルナは言った。


「……その子が『焼き付け』ているものは、他でもないお前自身でしょう。第十七使徒『暗夜ヨル』ですよ……」


「俺……?」


「そもそも、お前の部屋です。お前が創った部屋で、お前以外の何を記憶に焼き付けるのです」


「どうなる?」


「分かりません。そこには母の意志が介在しているのかもしれないし、そうではないのかもしれません。いずれにしても、私の理解を大きく超えています」


 要するに、何も分からないという事だ。そして『ディートハルト・ベッカー』への干渉は過去への干渉に当たる。あれに対する干渉は避けた方が無難だろう。

 ただ……気掛かりではある。

 『現在いま』のディートハルト・ベッカーは、いったいどうしているのだろう。

 答えたのはエルナだ。


「今のザールランド帝国の大神官の名は、ディートハルト・ベッカーです」


 エルナは首を振った。何度も何度も繰り返し首を振った。


「私たちには、当為ソルレンがあります」


 人工勇者と二名の人工聖女の討滅。及びそれを為した者の抹消がそれだ。


 エルナは、まだ何か言いたそうにしていたが、今回は諦めたようだ。短く聖印を切って、静かに立ち上がった。


「ルシールとゾイが心配です。私は聖エルナ教会に帰ります」


「そうか。世話になった。貴女の行先に母の加護を祈る」


 エルナは、怒ったように鼻を鳴らした。


「縁起でもない。これきりみたいに言わないで下さいよ」


 俺とエルナの仲は、決して良くなかったが、それはそれとして、時間を共有した事で一定の理解が得られた。


「……」


 俺は、黙って親指の腹を食い破ってエルナに突き付けた。


「ふん……忘れられても困りますし、これも何かの縁ですね。いいでしょう」


 エルナは俺と同じように親指の腹を食い破り、指を合わせて血の契りを交わした。

 お互いの危機には駆け付ける。

 その光景を、エミーリアが黙って見つめていた。

なんとかなりそうです。暫くは隔日更新で行きます。よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 契りの破棄は、パーソナリティ以外にも、エミーリアの何かが要因になっているようにも感じました
[一言] ゾイとルシール あの閑話を経て生きているのか...?
[良い点] 隔日更新助かります〜〜〜! [一言] これからも応援してますので無理のない範囲で頑張ってください!
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