4 砂の国にて1
『権利』を与えられた『部屋』の中に於いて、俺たち使徒の力は人間を遥かに超えている。
俺は指を鳴らすと同時に、隣の『部屋』に移動した。こうして多層化した世界を渡る事で、瞬間移動に近い事ができる。
「暗夜、力を使う度に、なんで一々指を鳴らすの?」
「そう言えばそうだな……なんでだろうな……」
おそらく、この行為にも意味があるのだろう。癖付いていて、無意識の内にしてしまう。
『部屋』から『部屋』へ渡る。俺はこの移動方法に慣れてなくて、途中、不安定な『部屋』の一つを渡った。
「すまん、エミーリア。おかしな部屋を踏んだ」
こちらでは一瞬の事だが、ザールランドに到着するのは先に飛んだ聖エルナより何日か遅れる事になる。
「別にいいんじゃない? 急いでる訳でもないんだからさ」
「そうだな」
そして――砂混じりの風が吹き付ける寂れた路地に、俺たち二人は降り立った。目撃者はいない。
「着いた。ザールランドだ」
「ふぅん……場所は知ってるけど、来たのは初めてだよ」
母の許可がある今は別にして、通常、使徒は自らの部屋から出ない。下界への干渉を禁じられている事もあるが、下界に降りる事にはデメリットが多いからだ。
今の俺は星辰体を持つ、ただの神官に過ぎない。『部屋』では大抵の事が出来るが、下界での使徒の力は著しく制限される。大きく下がると言っていい。尤も、俺が比類なく強力な神官である事は変わらないが……
エミーリアが、興奮したように鼻を鳴らした。
「千年振りの下界だよ。暗夜、何か食べて行こう」
「……俺たち使徒に、食事は必要ない。意味を感じないな……」
エミーリアは片方の眉を持ち上げ、チチチと舌を鳴らした。
「もっと楽しもうよ。食事は人の最も大きな喜びの一つ。何か思い出せる事があるかも……」
「……ふむ、一理ある」
特別な必要を感じないが、失くした記憶に全く関心がない訳じゃない。『楽しむ』事も、俺の思う趣旨から外れていない。そう考えた俺は、エミーリアの提案を素直に受け入れた。
これが大きなミステイク。
「分かった。メシにしよう。しかし、エミーリア。金はあるのか? 俺は素寒貧だぞ?」
「どんと任せてよ!」
ふんすと鼻を鳴らすエミーリアと連れ立って、寂れた路地を抜けて大きな通りに出た。
石畳の道。通りには幾つもの露店が並んでいて、働く人々が忙しなく行き来している。
「何を食べようか? 貴方の所縁の地なんだよね? お勧めは?」
「興味ない。任せる」
「つまんないの……なんかさ、ないの? 感傷みたいの。貴方はここに居たんだよね?」
「ない。早く済ませろ」
食事をするぐらいのゆとりはある。
「…………」
だが……俺を呼ぶ縁は酷い苦痛に満ちているような気がする。エミーリアの要望に応えた俺だが、少し面倒臭くなって来た。
「そこの露店でいいだろう。串焼きでも買って済ませろ」
「ちぇ……つまんないの……」
そして……
簡素な食事を楽しんだ俺たちは、ザールランド憲兵団に捕まった。罪状は通貨偽造の疑いと無銭飲食だ。
◇◇
狭く暑苦しい石造りの取調室に押し込まれた俺たちは、まるで破落戸のような厳つい風貌の男二人に厳しく尋問される羽目になった。
「お前たちが飲食の支払いに使用した通貨は、このサクソン銀貨で間違いないな……?」
テーブルの上に転がるサクソン銀貨を見て、答えたのはエミーリアだ。
「そうだけど……何か問題あるの?」
「当たり前だ。ここはザールランドだぞ。サクソンの通貨は使用出来ない。そもそも、これは酷く昔の通貨だ。質もよくない。偽造の疑いがある。何処で手に入れた」
「…………」
俺は押し黙った。『部屋』に戻ればいつでも逃げられるが、憲兵の言う事が尤も過ぎる。
エミーリアが自信満々で使った質の悪い旧通貨のお陰で、俺たちは、当然のようにしょっぴかれた。真っ当過ぎて言葉がない。
厳つい憲兵の一人が言った。
「何故、黙る。野良神官に野良修道女。旅人か? 格好からして、帝国の寺院の者ではないな?」
「……」
俺は、黙って冷や汗を流すぽんこつ修道女を睨み付けた。
そこで、もう一人の憲兵が口を開いた。
「まさか……聖エルナ教会の者ではないだろうな……?」
「ち、違うけど、聖エルナ教会の所属だと駄目なの?」
厳つい顔をしていて、まるでチンピラのようだが、あまりにも真っ当な憲兵が鋭く言った。
「聖エルナ教会の者たちは、大神官様により破門され、聖務を禁じられている」
「……」
俺とエミーリアは、揃って押し黙った。関係は良くないが同じ使徒だ。聖エルナの境遇が思いやられる。
俺は、隣に座っているぽんこつの脇腹を肘で突っついた。
(なんとかしろよ……!)
エミーリアは、ぎこちない笑みを浮かべて言った。
「そ、その、私たちはどうすればいいのでしょうか?」
そうだ。逃げるなど許されない。こんな無様を母に知られれば、俺たち二人はどんな目に遭わされるか分からない。当然だが、食い逃げなど、以ての外だ。
真っ当な憲兵が厳しい表情で言った。
「無銭飲食に関しては少額であるし、微罪だ。怪しい通貨に関してはこちらが預かるが……身柄を保証出来るなら、今回に限っては不問にしてよい」
今の俺たちは、野良神官に野良修道女。それでも『神官』や『修道女』の立場には寛恕の余地があるようだ。
俺は、隣のぽんこつの脇腹に強い肘鉄をかました。
「ぐふっ……!」
なんという体たらく。俺はぽんこつのエミーリアを冷たい視線で睨み付けた。
「お、おうふ……」
エミーリアは突然の腹痛に見舞われた人のように、俺に打たれた脇腹を抱えて苦しんでいる。
そして――
◇◇
俺たちは、身柄保証人として聖エルナ教会からやって来た『聖エルナ』その人を前に、正座してひたすら項垂れていた。
その聖エルナだが、牢屋にぶちこまれた俺たち二人の姿に怒るより前に驚き、目を剥いていた。
「……聖エミーリア。貴女には失望しました……」
言い訳の余地がない。牢屋にぶちこまれた俺たちは、鉄格子越しに揃って正座の格好でエルナの言葉を聞いている。
「……暗夜。お前は……お前というヤツは……」
「……」
くそッ! こいつにだけは会いたくないと思っていた所にこれだ。俺はもう思い窶れる。泣きたくなって来た。
「すまない、聖エルナ。以前の非礼を含めて、貴女の寛恕と寛容にすがりたい……」
俺は、隣のぽんこつに強烈な肘鉄をかました。
「ぐふっ」
その後、俺たちはエルナを身元保証人として釈放された。
今のエルナは、聖エルナ教会の修道女という立場にいるようだ。そして、そのエルナによって、俺とエミーリアは外部より招かれた神官と修道女という立場だという事になった。勿論、こんなものは嘘の皮だが、贅沢は言っていられない。
俺は申し訳なさに、ひたすら口を噤んでいた。
「ここがアクアディの街で良かったですね。パルマなら、どうしようもありませんでした」
エミーリアも流石に申し訳なく思っているようで、遠慮がちに言った。
「……その、パルマ? だったらヤバかったの?」
「『女王蜂』ですよ。知らないんですか? この街……いえ、この国で彼女を知らない人なんて居ません。皇帝より有名ですよ」
聖エルナは忌々しそうに鼻を鳴らし、俺たち二人を無視してアクアディの街を歩き出した。
俺とエミーリアは、厳つい顔の憲兵に見送られる形で慌てて聖エルナの後を追った。
「さっき来たばかりなんだよ。『女王蜂』? って、なに?」
「現パルマの支配者です。私を含めた聖エルナ教会の修道女たちは、向こう百年の間、パルマ入りを禁止されてます」
聖エルナを先頭に、アクアディの街を行く。エルナは酷く苛立っていて、俺たち二人を振り返らない。
そこで、ぽんこつ修道女のエミーリアがまたやらかした。
「百年の出禁って、死ぬまで来るなって言われてるのと変わらないね。エルナ、何かやったの?」
「――!」
その瞬間、エルナは振り返り、凄まじい剣幕で俺を睨み付けた。
「……過ちは赦すべく、それは往々にして尊敬に値する……しかし、過ちを繰り返す者を公正に遇する訳には行かない……」
エルナは、激しい怒りに震えていた。
「確かに、あの者たちのした事を簡単に許す訳には行きません。しかし……暗夜!」
「あ、ああ……俺か?」
「……?」
そこでエルナは訝しむように、俺の顔を覗き込む。その紫の瞳からは聖痕が消えている。消している。理由は分からないが、隠している。
エルナは、思い切り鼻を鳴らした。
「……論外ですね。自分のした事すら覚えていないなんて……」
「俺が……? なんの事だ?」
エルナは俺の言葉に取り合わず、無視してまたアクアディの街を歩き出した。
「……」
俺は足を止め、そんなエルナの姿を見送って――
「この馬鹿ッ! ちゃんと付いて来なさいッ!!」
なんなんだ……!
くそッ! 俺が、いったい何をしたって言うんだ!!
連休でしたので、次話は土曜に更新します。