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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第四部 青年期『使徒』編(前半)
200/309

3 遭遇1

 突然の侵入者を目前に、俺は短く息を吐き、腰の後ろで手を組んで胸を張る。

 厳しく言った。


「お前は誰だ」


「……」


 女は……瞬き一つせず俺を見つめている。


 何年も着古したような襤褸を纏った女だった。酷くやつれているが、身体に纏う『闘気』は研ぎ澄まされていて、只者のそれではない。


「怪しい女。もう一度問う。お前は誰だ」


 女は、俺に会えた事が嬉しくて嬉しくて堪らないといった様子で、にこやかに答えた。


「誰って、貴方のロビンです。レネ・ロビン・シュナイダー。貴方の可愛いコマドリですよ」


「ふざけるな。お前を呼んだ覚えはない。どうやって入った」


「さあ?」


 俺は厳しく『ロビン』と名乗った物狂いの女を睨み付けるが、当のロビンは、きょとんとして俺を見つめ返すだけだ。


「…………」


 ぎぎ、とロビンの視線が滑り、俺の背後に立つエミーリアを見た。


 エミーリア……『聖エミーリア』はいつの間にか魔法銀ミスリルの装備で身を固めていた。


 頭全体を覆う兜に胸当て。スカートのようなコイル。グリーブ。ブーツ。左手に大盾を持ち、右手には連接棍フレイルを構えている。全ての装備がミスリルで統一されており、神力を通した全身がうっすらと青く輝いている。明らかな臨戦態勢。

 ロビンは首を傾げた。


「ディ~トさん。彼女は、だ~れですかあ~?」


「……何の話をしている。この物狂いめ……」


 そう言った時、ロビンの表情が酷く悲しそうに歪んだ。


「……ディートさん……記憶が、ないんですか……?」


「お前には関係ない」


「……」


 そこで、ロビンは静かに項垂れた。


「……そうですね。全て私の過ちから生じた事です。全て私が悪いんです……」


「…………」


 なんだ、このおかしな女は。狂っているように見えたが、今はまともそうに見える。


 しかし……どうやって俺の『部屋』に入った。何を考えている。何をしに来た。その不気味に背筋が粟立つ。敵意はないように見えるが、手にした剣を離さない。

 エミーリアが言った。


「暗夜、油断しない。これが狼人だよ。何でも最後は力ずくで押し通す。狂ってても、強い……!」


「分かっている」


 俺は短く答え、胸の前で手を組んで身を低くする。臨戦態勢。

 だが、そこで……

 ロビンは、へなへなと座り込み、しくしくと泣き出した。


「……ごめんなさい。ごめんなさい、ディートさん。貴方に酷い事を言いました。全て取り消します。忘れて下さい。この通りです……」


 ロビンは地べたに額を擦り付けて必死になって謝るが、手にした剣を離さない。謝罪する一方で戦意を残している。矛盾。それがどうにも気に障る。


「なんなんだ、お前は……!」


 俺は激しく舌打ちした。

 このロビンに、敵意があるのかどうかすら分からない。そもそも、こいつの言う「ディート」とは誰だ。


「……俺の名は暗夜ヨルだ。お前は人違いしている……」


 そこで、ロビンはパッと顔を上げた。


「はぁい! 貴方は暗夜ヨルでえ、ディートさんでえ、ディートさんは暗夜ヨルでぇす!」


「この物狂いが……!」


 こんなヤツを真面目に相手していられるか。それが俺の心境だった。殺す程の価値もない。

 俺は指を鳴らした。


「出て行け。ここは俺の部屋だ」


「あっ……!」


 ロビンは小さく悲鳴を上げ、次の瞬間には闇の中に消え去った。下界に戻した。母に与えられた『部屋』に於いて、『権限』を行使できる使徒の力は大きい。


 ロビンが消え去り……

 俺は酷く痛む頭を掻き毟るように額に手を当てた。


「なんなんだ、あいつは……。何故、俺の名を知っている。そもそも、本当に人間か……?」


「……」


 エミーリアは武装を解き、暫く難しい表情で考え込んでいたが、ややあって口を開いた。


「……一部の獣人は超能力を使うんだよ。ここに紛れ込んだのはイレギュラーだと思うけど……」


「超能力……イレギュラー? 異例の事態という事か……?」


 訳が分からない。だが、俺の名を知っている以上、あの物狂いも俺が生前残したえにしの一つなのだ。

 頭が酷く痛んだ。

 必死で残された記憶を探るが、あの物狂いに関しては何も思い出せない。だが、何故か強い喪失感がある。俺は……


「何故だ……どうして、あんな事に……」


あんな事(・・・・)……?」


 酷い頭痛に顔をしかめる俺を、エミーリアが観察するように見つめている。


「気分が悪い……なんだ、この気持ちは……」


 エミーリアは首を振った。


「蛇に喰われてるね。その記憶は戻らない。考えるのは止めた方がいい」


「……分かった」


 俺はエミーリアの言葉に従って、あの物狂いの女……ロビンに関する思考を放棄した。二度と戻らない記憶の一つの中に、あの女の事が含まれる。それだけだ。それだけの筈だ……


 俺は……十七使徒『暗夜ヨル』。もう人間じゃない。過去のしがらみは、全て下界に捨てて来た。


 俺が失ったものは……


 俺が思うより、ずっと大きいものかもしれない。


◇◇


 エミーリアは、難しい表情で言った。


「生前の貴方は、いったい何をしたんだろうね」


「知らん。母に聞け」


 人間だった頃の記憶が全てないとは言わない。俺は言葉を理解しているし、ピアノだって弾ける。稀人として異世界……本来の俺の世界だが……そこで学んだ知識も若干だが覚えている。当然だが、高位神官としての『術』も使える。


「でも、母に『使徒』として選ばれたという事は、この世界にそれだけの影響を与えた。貢献したという事だよ。偉大な行いをしたんだ」


「知らん。覚えてない」


 そこで、エミーリアは胡散臭そうに俺を見た。


「記憶になくても、貴方は偉大な神官だった。そして、狼人の女に執着されるような事をしている。ひょっとして……」


「ひょっとして、なんだ……?」


 頭が酷く痛んだ。俺は『何か』を強く欲している。口が寂しい。『あれ』が必要だ。それが何だか思い出せそうで、思い出せない。

 エミーリアは、改めて言った。


「暗夜、貴方は……とんでもないすけこましなのでは……」


 俺は、呆れて大きな溜め息を吐き出した。


「エミーリア、俺たちは使徒だ。品のない言葉を使うのはよせ。そもそも、俺は実務的な子供だった」


 無意識に出た俺の言葉に、エミーリアは面白そうに笑った。


「へぇ……実務的な『子供』か。一つ思い出したね。メモメモ……暗夜曰く、『俺は実務的な子供だった』」


「エミーリア……そういう所だぞ……」


 第一使徒聖エミーリアが他の使徒から煙たがられる理由は幾つかあるが、その原因の一つがこれだ。好奇心旺盛で、ずけずけと他者の内面に踏み込む。それは単純に無礼だ。著しく礼を失している。


「そういう所って、なに?」


「……」


 首を振って、俺は短く息を吐く。千年経っても直らない癖が、言葉一つでどうにかなるとは思えない。


「まぁいい。好きにしろ。だが、程度は弁えろ。俺は……」


 やられると、やり返したくなるタイプだ。お調子者には目に物見せてやりたくなる。そして、そういう事は突然やるから面白い。


「では、行くか。仲間を求めて」


「そうだね。貴方の縁も気になるし、行こうか。仲間を求めて」


 ただ……

 俺には一つ気掛かりな事がある。仲間を探すのもいい。当為ソルレンを果たすのもいいだろう。だが、それらは全て母の思惑と利益に繋がるものだ。俺たち『使徒』には益がない。


 その辺り、母はどう思っているのだろう。俺たちが対価を求めずにいると思っているのだろうか。


 それは『公正』ではない。五つの戒めの一つに反する。母にも、きっちり対価を支払ってもらわねば困る。面白くない。


「それで、暗夜。とりあえず、何処へ?」


 風の吹くまま、気の向くままに。俺は十七使徒『暗夜』。行く手を阻むものは何もない。


「……砂の国ザールランド……」


「はいはい、ザールランドね。エルナの故郷だね。エルナがいる」


「そうなのか? では、会わないように気を付けるとしよう」


 また罵られては堪らないし、ギュスターブの件では恨みを買った。聖エルナには気を付けるとしよう。


 そして……白蛇が押し付けたこの嫌味な女も、どうにかして撒く事にしよう。

 俺は一人を楽しみたい。


「それでは、飛ぶぞ」


 正確には、この奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)を通じて下界を移動する。『部屋』に居る限り、『権限』がある使徒の力は人間を遥かに超えている。そこから導き出された俺の結論は……


 ……考えるのはやめだ。


 『降臨』の機会は滅多にない。今は楽しもう。


「さて、お次は何が飛び出すやら……」


 楽しくなって、俺は嗤った。

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― 新着の感想 ―
[一言] シスタ・エミーリア  ”私は修道女であって 神官でも戦士でもないのに一人でどうしろと?” みたいなこと言ってたわりにめちゃめちゃ武装しとるやないか……カマトトぶりやがって。
[良い点] 10歳であれだけ女に囲まれるとか、すけこましレベル高いよね。 さすが物知りな第一使徒、そこに気付くとは。 [一言] 別の町までついてくることは確定してるんだよなー。 女性相手に暗夜がや…
[良い点] いつも楽しく読ませていただいています。使徒編も、これから各使徒たちが現世に降臨して活動を始めるようなのでいよいよ本格的に物語が動き出しそうでワクワクしています。 [気になる点] ストレンジ…
感想一覧
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