19 ビジネススタイル
物陰に隠れ、アシタとゾイに手伝ってもらって『リアサ』に着替えた。
アシタが面倒臭そうに言った。
「なんだってこんなにボタンが多いんだ……!」
「それがいいんだよ」
十二個あるボタンを一つ嵌め込む度に気が引き締まる思いがする。
最後に固くベルトを締める。
なんだ、この心地よさは。
死ぬほど落ち着く。ここに至り、俺という存在は、漸く在るべき姿になった気がする。
「素晴らしい……」
俺は深呼吸を繰り返し、静かにゾイを見つめた。
「……」
ゾイは寡黙なドワーフの少女だ。無駄口は叩かない。黙って手提げ袋を持ち上げ、『それ』を持ってきた事を言外に告げた。
「よし。行こう」
斯くして、『神官』ディートハルト・ベッカーの仕事が始まる。
リアサを身に纏い、ゾイとアシタの二人の従者を連れた俺は、意気揚々とクランハウスの門戸を叩いた。
――クランハウス『オリュンポス』。
この『オリュンポス』が、アレックスを頂点に戴くクラン名でもある。
ゴツい門戸を三度叩いた俺は、そっと胸に手を当て、瞳を閉じたまま応答を待った。
ややあって、門戸が開く気配があり、瞳を開ける。
俺は改めて言った。
「おはようございます。ディートハルト・ベッカー、契約に応じて参じました」
「……」
目の前にいたのは、とんがり耳のアネットだ。俺の言葉遣いにもそうだが、格好にも驚いたように目を丸くしている。
「先日は、私の浅はかな行動でアネットさんには大変不愉快な思いをさせてしまいました。その事を非常に心苦しく思っております。改めて謝罪致します」
聖印を切り、胸に手を置いて頭を垂れる。彼女からはまだ許しの言葉を得ていない。正式な謝罪を繰り返すのは当然の事と言える。
「え? う、うん。それはもういいわ……」
アネットは鳩が豆鉄砲を食らったみたいに驚いて目を丸くしている。
「あ、えと……なに?」
「はい。ディートハルト・ベッカーです。どうかされましたか?」
俺は特に変わった事をしているつもりはない。仕事とプライベートを分けるのは、社会人なら当然の事だ。
「アネットさん。失礼ですが、アレックスさんから契約の内容をお聞きになっておられますか?」
「え? いや、その……」
「私は、リーダーであるアビゲイルからオリュンポスの仕事を優先するように聞いておりますが、何か行き違いがありましたでしょうか?」
「あぅ、いや、それで合ってる……」
「そうですか。安心しました。では、従者二名と共にクランハウスに入ってもよろしいでしょうか?」
そんなやり取りをする俺を、ゾイとアシタの二人は怪物でも見たかのように目を剥いて固まっている。
重ねるが、仕事とプライベートははっきりと区別されるべきだ。今の俺はガキの姿形をしているが、中身はいい歳の男だ。
正式な契約を交わした仕事は、正当な業務によって正しく行われなければならない。
社会人として当然の在り方だ。
それが出来ないガキは、何処に行ってもナメられる。一人前として扱ってもらえない。大人なら知っていて当然の常識だ。
「それでは失礼致します」
◇◇
クランハウス『オリュンポス』。
分厚い両開きの扉を開けて中に入ると目の前に赤い絨毯敷きの大階段があって、それは小さいながらも『城』を連想させる。
ゾイとアシタも知っている筈だが、気圧されている。落ち着きなく辺りを見て、生唾を飲み込んだ。
俺には特別な驚きはない。
「すみません。私の日常業務についてクランリーダーのアレックスさんにお尋ねしたい事があります。アレックスさんは居られるでしょうか?」
「へっ?」
アネットは先程から驚いてばかりいる。
アレックスが呼び出すより先に俺が来る等と思ってなかったのだろう。アネットは寝巻き姿のガウン一枚という格好だ。
そこを咎めて恥を掻かせてやっても良かったが、それはただ気分の問題に留まるだけの行為なので止めておく。第一、大人げない。
アネットは前が開いたガウンが気になるようで、頻りに胸元を気にしている。焦ったように言った。
「あ、アレックスなら、今ダンジョンに入っているのよ。夕方には戻る予定よ!」
「そうですか。それでは、オリュンポスの回復役の方は居られますか?」
オリュンポスのクランメンバーは現在十名。その内、回復役が二名。基本的には五人をパーティの一組として、二つのパーティが所属しているが、現在はアレックス率いる五人が一つのパーティとしてダンジョンアタックの最中で、アネットを含めた三人が残りを預かっている。
というのが、焦り捲るアネットの説明だったが……
「聞いていたのと人員数が違います。失礼ですが……現在、クランハウスにヒーラーの方は居られないという事でしょうか?」
そこでアネットは眉を寄せ、険しい表情になった。
「……」
アネットは、一瞬だけ考え込むように視線を伏せ、次の瞬間には怒りを露にして俺を睨み付けて来た。
「……あんたがヤブだって言ったんじゃない。二人共クビにしたわ」
アホかこいつら、というのが俺の感想だったが、口に出してはこう言った。
「それは、思い切った事をなさいましたね」
「……」
返事代わりに、にっこり笑って見せたアネットだったが、その額に青筋が浮かんで見えるのは気のせいじゃない。
つまりこういう事だ。
オリュンポスのクランリーダー、アレックス率いる五人のパーティは、現在、回復役抜きでダンジョンアタックをやっている。
ダンジョンに行った事のない俺には、ダンジョンの危険性は分からない。だが、安全な場所ではないだろう。そこにヒーラーという命綱なしで突っ込むそいつらを、アホと呼ばずして、なんと呼べばいいのか分からない。
「すみません。それでは、副リーダーのような方は居られますか?」
じっと睨みを効かせていたアネットだったが、そこで、ふいっと視線を逸らした。
唇を尖らせて言った。
「私よ。アレックスが留守の時は、私がクランのサブマスターとしてここを仕切ってるわ」
「そうですか。それでは、大変失礼ですが、一つ質問してよろしいでしょうか?」
その言葉を受け、アネットは険しい表情で腕組みして俺に向き直った。
『腕組み』は警戒のポーズだ。心理的な強い警戒を現している。
……知ったこっちゃないが。
俺は誤解のないように、はっきりと言った。
「アレックスさんは、アホなんですか?」
「……」
あまりと言えば、あまりの言葉にアネットはぽかんとして――
次の瞬間、腹を抱えて大笑いした。
「あははははは! ちょっ、止めてよ! 幾ら何でも酷いじゃない! そんなにはっきり言う事ないわよ!!」
まぁ、アネットの場合、幾らヤブとはいえ、ヒーラーという命綱なしでダンジョンアタックする程の命知らずではないからここに居る。それを知った上での俺の言葉は、大いにアネットの笑いを誘ったようだ。
掴みは完璧。
アネットは一頻り笑い続け、その後は険のない朗らかな笑顔を浮かべた。
「オリュンポスへ、ようこそ」
「はい。ありがとうございます」
さてさて、筋肉ダルマは脳みそまで筋肉で出来ていたようだ。
そういうヤツは苦手だ。
追い詰めると足し算も引き算も出来なくなる。俺としては、常識人のこのアネットの方が与し易いように思う。
「それでは、アネットさん。私のお仕事についてお話しましょう」
さて――
あの筋肉ダルマにやられた分は、しっかりやり返しておかないとアビーに会わせる顔がない。
俺は、にっこり笑った。