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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第四部 青年期『使徒』編(前半)
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2 聖エミーリア

 俺が出したソファに腰掛け、聖エミーリアは静かに語った。


「……実のところ、今のサクソンには私も近付きたくないんですよ……」


 ――『エミーリア騎士団』。

 アスクラピアの本神殿があるニーダーサクソンの騎士団だ。国は勿論、寺院の元締めである本神殿や教皇との繋がりも深い。

 エミーリアは、少し考え込むように眉間に皺を寄せている。


「……エミーリア騎士団の元の始まりは、国家には属さないただの修道会でした。『騎士団』を名乗るようになったのは、主な活動が戦場での治癒奉仕にあった為です。勿論、騎士団を名乗る以上、流血は避けられません。北にはアルフリード帝国もありますし、実際には戦う事もありました。しかし、私の死後、サクソンに教皇を頂く本神殿が出来てからというもの、エミーリア騎士団の在り方は変わりました……」


「ふむ……時の流れは残酷だな……」


 聖エミーリアが没して、既に千年以上の時が経過している。今の『エミーリア騎士団』は、エミーリアの知っているものとは違うようだ。


「今のエミーリア騎士団の団長……元帥らしいですが、狼人です。優生主義、選民思想の狼人が団長なんて……あり得ない……」


 エミーリアは深い溜め息を吐き、険しい表情で首を振った。


「そう思うと、白蛇が嫌がるのも分からない訳ではないです。今のエミーリア騎士団は、国家権力との繋がりが強すぎます。今の私が戻った所で、何かの影響を与えられるとは思えません」


「それは道理だな。だが、寺院の元締めである本神殿や教皇を調べん訳にはいかんだろう……」


「勿論、そうです」


 そこで聖エミーリアは白蛇に声を掛けたが、それは敢えなく袖にされてしまった。


「……仲間がいるな。それも優秀なヤツだ。難儀な事だ……」


 俺たち『使徒』は強力だが、それはあくまで個としての力に過ぎない。そしてこの問題は『個』で扱う問題ではない。

 エミーリアは険しい表情で頷いた。


「……私の没後、千年以上の時間が経過しています。今の私には、何の影響力もありません……」


 現状、『エミーリア騎士団』はその名を残すのみ。そもそも、エミーリアが出て行った所で、『聖エミーリア』本人とは思われないだろう。エミーリアの見解と認識は正しい。


「……ゆっくり行こう、聖エミーリア。とりあえず、何か聞くか……?」


「エミーリアでいいですよ。ざっくばらんに行きましょう。私も暗夜と呼びます」


 そこから暫く、俺は気儘にピアノを弾き鳴らした。選曲はショパンの『革命のエチュード』だ。


「……いい曲だね。すごくいい。でも、不安な気持ちになるね……」


 自ら、ざっくばらんに行こうと言ったエミーリアの言葉は、とても砕けたものになった。


「……嫌な予感がするんだよ……」


 十七名の使徒。未だ場所の割れない『人工勇者』と『人工聖女』。そして……

 エミーリアは言った。


「暗夜、貴方はアルフリードをどう思う?」


 俺は弾き手を止めずに考える。


 ――『アルフリード帝国』。

 軍神アルフリードを始祖に頂くとされる軍事国家。嘘か本当か知らないが、アルフリードの皇族は軍神の血を引くのだという。


「……白蛇もそうだけど……アウグストやギュスターブ、ローランドも無関係じゃない……」


 勇者アウグスト。聖騎士ギュスターブ。剣聖ローランド。彼らは戦う者だ。『戦士』である以上、『軍神』とは無関係で居られない。神と神の関係も、人間と同じ……或いはそれ以上に複雑だ。


「軍神アルフリードも動くと?」


「私には、そうならない方が、どうかしてると思う」


「ふむ……だが、我らと敵対する理由はないように思う」


「理屈の上では、そうだけどね……」


 『勇者』はあらゆる武技スキルを使い、『聖剣』を所持する人間側の『対魔王』の最終兵器。しかし……その力は『神』に対抗するものにもなりうる。『魔王』、或いはそれに匹敵する邪悪が存在しない現状、『人工勇者』の存在は……


「……不逞を企むか。それも人の業かもしれんな……」


 エミーリアは頷いた。


「私もそう思う」


 ――『神殺し』。


 不敬だが……実に興味深い。人工勇者を作り出した者……集団かもしれないが……その目的が『神殺し』にあるなら、母が使徒を動員した理由にも納得行く。エミーリアの不安にも説明がつく。


「それは……正に革命だな……」


 人類による神殺しが目的なら、或いは、それは人類の夜明けとも呼べる。


「……さてさて……敵は善なる者か。悪なる者か……」


 興味深い。実に興味深い。人は『神』を超え得るか。

 革命のエチュードは続く。

 エミーリアが目尻を下げ、不安そうに言った。


「暗夜……貴方の考えは……」


 俺の敵は俺が決める。母は偉大で尊敬に値するが、俺の当為ソルレンは俺のものだ。


「まずは、この目で見定める。話はそれからだ」


「……そう、だね……」


 そこでエミーリアは大きく伸びをして、だらしなく両足を投げ出した。


「暗夜、貴方に話して、少しすっきりしたよ。それとさ、明るい曲を弾いてくれない?」


「分かった」


 そこから暫くは、またピアノを弾き鳴らし、その後は、二人でゆっくりと紅茶を楽しんだ。

 話は自然な形でこれからの事に言及する。


「……それで、暗夜。貴方は仲間が必要だって言ったけど、宛はあるの……?」


「あるにはある。『成り立て』だからかもしれんが、未だに切れん縁が幾つかある。とりあえずそれを辿ってみようと思う」


 俺は死んだ。だが、死んで日が浅いせいか、未だに俺を待ち望む者との間に切れぬえにしの存在を感じる。

 エミーリアは思う所があるようで、酷く難しい顔をしている。


「……下界の者の力を借りる……気が進まないね……」


「やむを得まい。とにかく会ってみて決めよう。力が足らんようなら……その時は、まぁ……それきりという事になるな」


「そうだね……」


 俺たち『使徒』の身体は、母が造り出したものだ。当然だが普通の『肉体』ではない。完全なる星辰体アストラルボディだ。人より精霊エレメントに近い。その俺たち使徒に付き従う者には、高い次元の強さを要求する事になる。

 そう考える俺に、エミーリアは唐突に言った。


「時に、暗夜。貴方は稀人だよね。人間として過ごした記憶は、どの程度残ってるの?」


「殆ど覚えていないな」


 俺が稀人である事は知っている。だが、それは思い出した記憶ではない。他の使徒から聞いた事だ。時折、降って湧いたように思い出す事柄もあるが、特別、俺の心に訴えるものはない。


「だが……白蛇と会った時は、不思議な感じがしたな……」


 エミーリアは、エメラルドグリーンの瞳で鋭く俺の瞳を覗き込む。


「しみったれてるけど、母は強欲な悪魔じゃない。貴方の自我を保つ為に、必ず何かの記憶を残した筈だよ」


 俺は、そのしみったれた母に選ばれた十七人目の使徒だ。それ以上でも以下でもない。


「どうでもいいな。アスクラピアの蛇は悪食だ。何でも喰らう。食い残したものは、余程、不味い代物だろう」


 思い返す事が出来るのは、辛く悲しい記憶だけという事だ。暖かいものは残らない。母に代償を払うという事はそういう事だ。


 或いは……ただの気紛れによる食い残しか。そんな記憶はなくとも問題ない。むしろ失われたままでいた方が幸せかもしれない。


 エミーリアは目尻を下げ、酷く悲しそうに言った。


「暗夜、貴方もかつては人間だった。『愛』というものを知っていた筈だよ」


「ふむ……愛か。慈しみや思いやりの心の事か?」


 俺の答えはお気に召さなかったようだ。エミーリアは眉間に深い皺を寄せた。


「全然、違う。愛って、もっと激しくて我儘な感情だよ」


「知らんな。俺たち『使徒』には必要ない」


「……」


 エミーリアは短く聖印を切り、溜め息を吐き出した。その顔には「言っても無駄」と書いてあるような気がした。


 俺は鼻を鳴らした。

 エミーリアの言う『愛』とやらが俺に残っているのなら、それは自然と俺に帰るだろう。

 その時の事だ。


「……む」


「ウソっ!」


 俺とエミーリアは驚き、お互いを見合わせた。


「エミーリア、気付いているな? 侵入者だ……!」


 あり得ん事だ。使徒の『部屋』は、母に与えられたものだ。神の空間と呼んでもいい。母を除き、使徒以外で出入りできる者は限られる。


 俺の存在により安定しているが、ここもまた奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)だ。


 突然の侵入者に、エミーリアは動揺して視線を激しく泳がせた。


「こっちに来る……来る来る来る……来た!」


 エミーリアが『部屋』の一隅を指差し、俺もまた動揺して視線をそちらに向ける。


「……つっ!」


 そこには……錆びた剣を引っ下げた、みすぼらしい格好の女が立っていた。


「下界の者、か……?」


 女は酷く痩せこけていて、ぼさぼさの伸び放題の髪の間から、コバルトブルーの瞳が辺りを探るように、ぎょろぎょろと忙しなく動いている。


 女の虚ろにさ迷う視線が俺を捕まえた。と、同時に笑みの形に歪んだ口元から、だらりと涎が垂れ下がる。言った。


「ディ~トさん、みぃ~つけたっ!」


 これが、使徒である俺とレネ・ロビン・シュナイダーとの初めての出会いだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] ふむ……愛か。(ロビンを指しながら)これがそうか?
[良い点] さすがロビン ロビンは狂っていたのではなく 刷り込みに近い状態だったんですかね 「子供が出来にくい…」とつぶやいてましたし
[良い点] 確かに人間を越えないと使徒にはついていけないと言っていたからディートを捕まえるには人間を超えるのは当然か... だけどこれは怖すぎる [一言] 続きがめちゃくちゃ楽しみです!
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