1 使徒たち
偉大なる母の部屋。
――奇妙な部屋。俺たち『使徒』に与えられた部屋も、この奇妙な部屋と性質を同じくしている。
何もかもが定かではない空間。辺りは真の闇に包まれている。その闇に、やがて銀の星が流れて行く。
ギュスターブがその壮大なスケールの祝福に恍惚として呟いた。
「……美しい……」
母の祝福だ。まるで宇宙空間……尤も、使徒の中で『宇宙空間』というものを何名が理解しているかは分からないが……
母の隣に控える、白髪、盲の騎士『白蛇』。第十六使徒が言った。
「……邪悪は世界各国に居る。各々、所縁のある地へ向かえ。邪悪は発見次第、処断せよと母は仰せだ……」
俺たち『使徒』は、皆、頭を垂れて聞いている。
細かい指示はなし。世界に散らばった使徒は自らの当為を果たす為に行動する。
第一使徒『エミーリア』はニーダーサクソンへ。
伝説の修道女エミーリア。彼女の創設した『エミーリア騎士団』は今も存在する。
腰まで掛かる長い金髪に、強い加護を示すエメラルドグリーンの瞳。年の頃は十七~八に見えるが、勿論、見た目通りの年齢じゃない。母に初めて認められた人間。偉大なる修道女。
第二使徒『アウグスト』。
使徒から枢機卿と呼ばれ、敬意を払われるこの男は、魔法都市オンデュミオンの出身だ。貴族と呼ばれる出自にありながら立場を捨て、人民に尽くした。
下界では『聖アウグスト』と呼ばれている。
歴史上の偉人。『聖剣』を所持する『勇者』だ。アスクラピアの定めた勇者にして、『竜殺し』と『魔王』討滅の功績を持つ。当為を果たす為、やはり故郷のオンデュミオンに向かうのだろう。
第三使徒『エルナ』。
砂の国ザールランドの聖女。紫の瞳に、母と同じ銀髪。年格好は十四~五の少女。勿論、見た目通りの年齢じゃない。小柄な身体に恐ろしい程の神力の滾りを感じる。俺と彼女の間に友宜は存在しない。だから何を為したのかは分からない。
第四使徒『ギュスターブ』。
元教会騎士にして、母から『運命』と呼ばれる聖槍を授かり聖騎士になった。数多くの悪魔を殺し、勇者アウグストとの共闘では『魔王』の討滅に成功した。
第五使徒『ローランド』。
使徒たちは、皆、彼を『伯爵』と呼ぶ。早死にする事が多い俺たち使徒の中にあって、彼は唯一壮年の年恰好をした男だ。口髭を蓄えていて、悠然とした物腰から『伯爵』と呼ばれるようになった。
――『剣聖』ローランド。
『デュランダル』と呼ばれる長い刀剣を持つこの男も聖アウグストの仲間だ。やはり『魔王』の討滅に貢献した。
俺が知己を得た『使徒』はまだ居るが、縁あるというならば試練の果てに相見える事になるだろう。
母に侍る騎士、『白蛇』が淡々と言った。
「親愛なる兄弟姉妹に告ぐ。各々、ただちに外界へ向かえ。その中に当為が見つかる。最後に……我が母の祝福あれ……!」
その言葉を皮切りに、使徒たちは次々と虚無の闇に消えて行く。各々が所縁のある場所に向かうのだろう。
やがて、母もその姿を消し……
「…………」
俺と白蛇は、言葉もなく見つめ合う。と言っても、向こうは盲の男だが。そして不思議な事に……口から挨拶の言葉が飛び出した。
「久しいな、兄弟。息災か?」
「……」
一拍の間を挟み、白蛇は微笑みを浮かべて静かに頷いた。
「……あぁ、あれから二人の子宝に恵まれた……」
その朗報に、俺は思わず破顔した。子は宝だ。新しい命ほど希望に輝くものはない。
「それは素晴らしい! 益々、死ねんな。母の加護を幾重にも祈る」
「ははは……」
俺たちは互いに親指の腹を噛み破り、指を合わせて契りを結ぶ。この契りによって、互いの危機には必ず駆け付ける事が出来る。
「どうした、白蛇……?」
白蛇は笑っているが、そこには何処かしら寂寥の思いを感じる。
「何故、そんなに悲しそうにする。俺で良ければ、いつでも話を聞くぞ?」
白蛇は、ぽつりと呟いた。
「……ディ……」
「うん?」
「ディートハルト……」
聞き覚えのない名前に、俺は首を傾げた。
「誰だ、そいつは。聞いた事もない」
「そうか……なんでもない……」
白蛇は、やはり悲しそうに首を振った。
「なんだ、おかしなヤツだな。まぁいい。ではな、兄弟。長き旅路の途中でまた会おう」
「……!」
そこで、一瞬驚いた白蛇は、何故か嬉しそうに笑った。
「ふむ。漸く笑ったか」
挨拶はこれで充分だ。俺は納得して神官服の裾を翻し――
「待って下さい! ギュスター!!」
そこで耳障りな聖エルナの悲鳴にも似た叫び声が響き渡り、俺は思わず顔をしかめた。
『聖騎士』ギュスターブは『武人』にして元教会騎士だ。聖女エルナとの間には知己があるようだが……
「ギュスター! 貴方は私の騎士ですよね!! なんで……なん、で……」
エルナの言葉は、後半が力なく消えて行った。
ギュスターブは、エルナの呼び止める声にも一顧だにせず、何故か俺の元へ歩み寄って来て、親指の腹を噛み破った。
「…………」
よく分からないが、友宜の証だ。互いの危機に駆け付ける。俺と縁を結びたいという事だ。
俺とギュスターブは、黙って親指の腹を合わせた。
「……」
ギュスターブは納得したように一つ頷き、己が当為を果たす為、虚無の闇に消えて行った。
「……なんなんだ?」
まあ、ギュスターブと縁を結ぶ事は良縁だ。俺は一向に構わないが……
「……暗夜、お前は……!」
聖エルナは、まるで男を寝取られた女のような憎悪と嫌悪の視線で俺を睨み付けて来る。
ここに留まれば、聖エルナに『神力比べ』を挑まれそうだ。脅威を感じた俺は、早々に姿を消す事にした。
◇◇
『部屋』に逃げ帰った俺は、大きく溜め息を吐き出した。
そして――
あの小うるさい聖エルナもそうだが、俺の『部屋』では、仏頂面の聖エミーリアが俺を待っていた。
嫌な予感がする……
「どうした、聖エミーリア。貴女の所縁の場所はサクソンだろう。何故、ここに? ピアノか?」
「いえ……」
『エミーリア騎士団』の創設者にして伝説の修道女、エミーリアは、虚ろな目付きで首を振った。
嫌な予感は増すばかりだ。
「それでは、何故……」
「……白蛇に声を掛けたのですが、サクソンだけは嫌だとフラれてしまいまして……」
「そうなのか? 白蛇の所縁の地もサクソンなのか? 知らなかったな……」
「……」
そこで重苦しい沈黙を挟み、激昂したエミーリアは地団駄を踏んでかんかんに怒った。
「女は足りてるから、いらないそうですよ! あのすけこましが!」
「あ、ああ……」
第一使徒にして伝説の修道女の、あまりに下品な言葉に、俺は気圧されて口籠る。
そこで、エミーリアはハッとしたように小さく咳払いした。
「……白蛇は、協力が必要なら貴方の元へ向かえと……」
「…………」
あの野郎、俺に厄介事を押し付けやがった!
エミーリアは、すがるような目で俺を見つめて来る。
「……私、修道女ですよ? 神官でも聖女でもありませんし、ましてやアウグストやギュスターのような戦士でもありません。一人で何をどうしろと?」
「……」
この女もこの女だ。修道女が弱い等と誰が決めた。母は惰弱な者を認めたりしない。
……カマトトぶりやがって。
「暗夜、貴方は『成り立て』ですよね? 今なら先輩の私が指導してあげてもいいですよ?」
「いや、いい……」
基本、使徒は互いに不干渉だ。俺のように他の使徒と関係を持つ使徒は珍しい。
エミーリアは、俺を上目遣いに睨み付ける。
「まさか……貴方もすけこましなのですか……?」
「いや……母は赤裸々な行動を好まれない。そういうのとは違う……」
そこでエミーリアは、パッと微笑んだ。
「流石です! あのすけこましとは違いますね! それでは契りましょう。今すぐにでも契りましょう!」
等と言って、親指の腹を噛み破って歩み寄るエミーリアの姿に、俺はドン引きだった。
「貴方は運がいい! 私、治癒なら誰にも負けませんよ? しかも物知りです!」
その『物知り』というのが問題だ。第一使徒『聖エミーリア』は、聖エルナに負けないぐらい小うるさい小姑のような存在だ。彼女は『物知り』故に他の使徒から煙たがられている。
俺と縁を結んだエミーリアはご機嫌で言った。
「さぁ、行きましょう! 二人一組! 新しい当為が楽しみですね!」
「……」
白蛇、一つ貸しだ……!
第二~第五使徒は過去の魔王討伐パーティです。白蛇と同じく、特殊な存在です。