『兄弟』
本編の雰囲気にそぐわないと判断した為、カットしたエピソードです。海よりも広い心の持ち主だけがお進み下さい。
何処でもない場所。何時でもない時間。
『奇妙な部屋』。
この場所については何も分からない。強いて言うなれば神の御座。何でもあり得る。
瞑想中、突然、喚び出された。
しかし、いつもと雰囲気が違う。あのしみったれた女は居ない。少なくとも、俺の持つ『夜の目』で見付ける事は出来ない。
「……」
最近、髪が伸びて来た。目に掛かって鬱陶しい。ルシールに少し切ってくれと頼んだ所……
「それを切るなんて、とんでもない!」
と断られてしまった。
ルシールや修道女たちにとって、邪悪な母と同じ銀の髪は特別なもののようだ。
ならばと思ってフランキーに頼んでみたが、こちらも同様に嫌がった。
「師匠、その髪は……オレには切れねえよ……!」
あいつには妙に信心深い所がある。以前からそうだったが、『修道士』のクラスを得てからは、その傾向が更に強くなった。
銀色だろうが黒色だろうが、髪は髪だ。ただの髪の毛だ。切って捨てた所でどうという事はない。
俺は強く鼻を鳴らした。
「……!」
不意に視線を感じ、ぎょっとして虚空の闇を見上げると、そこには高御座に腰掛け、俺を見下ろす白蛇の姿があった。
「……よく来たな。兄弟……」
「白蛇……俺を喚び出したのは、お前か……?」
「いかにも」
白蛇が偉そうに腰掛けている椅子は、あのしみったれた女が使っている椅子だ。
……偉そうに……
ちょっとムカつくが、ちょっと羨ましいと思う俺もいる。
勿体ぶった様子の白蛇は、物憂い調子で呟いた。
「……全ては……神聖で、よい……」
「……!」
俺は興奮した。
「に、似てる! 似てるぞ! 白蛇! 今のは、あのしみったれた女にそっくりだった!」
白蛇は笑った。
「そうだろうそうだろう。雰囲気が出てただろう? お前なら分かってくれると思っていたよ!」
「ずるいぞ、白蛇! 俺にもやらせろ!」
「いいぞ、来いよ兄弟! お前も座ってみろ。凄まじく気分がいいぞ!」
「思い出だよな! 思い出だよな!」
「そうそう!」
等と言って、腰を上げた白蛇が早速俺に椅子を勧めて来る。
古ぼけてはいるが貫禄のある椅子だ。正に神の御座。俺は大興奮で、あのしみったれた女の高御座に腰を下ろした。
「お、おお……す、凄いぞ! 気分は神だ……!」
「そうだろうそうだろう。素晴らしく気分がいいだろう。そうならずにはいられないよな!」
「ああ!」
白蛇の言葉には全く同意見だ。俺も、一度ぐらいこれに座ってみたいと思っていた。
俺は咳払いして居住まいを正すと、改めて深く腰を下ろし、あのしみったれた女がやっているように偉そうに足を組み、肘掛けに頬杖をついた姿勢で首を傾げた。
とりあえず……
「…………赦す」
「うおお! 兄弟、いいぞ! 俺より似てる! もっと来いよ!」
「そ、そうか!? よし……!」
俺は、こほんと咳払いして居住まいを正す。
憂鬱そうに言った。
「砂漠の蛇、白蛇。お前の半分に、我の側に侍るよう命じる」
「最高! やるな、兄弟!」
「ふははははは!!」
俺たちは調子に乗っていた。調子に乗っていたんだ……
「ようし! 次は……!」
ますます図に乗る俺の前で、突然、白蛇が身を屈めてその場で膝を着いた。
「うん? どうした、白蛇。そこまでせんでも……」
そこで、俺は背後に迫る恐ろしい圧力を感じて息を飲み込んだ。
「……」
身を屈め、俯いて視線を伏せる白蛇を見て、俺は恐る恐る背後の圧力に振り返る。
そ こ に は ……
「あ、ああ……!」
図に乗った俺の背後には、いつの間にか、しみったれた女が立っていて……絶対零度の冷たい視線で俺を見下ろしていた。
俺は、ばっと視線を戻し、馬鹿な白蛇を睨み付けた。
全てこの馬鹿のせいだ。こいつの馬鹿さ加減が俺に移った。もう言い訳のしようがない。
「……」
白蛇は膝を折り、畏まった姿勢で何も言わない。
「……」
俺も何も言わない。
何事もなかったかのように立ち上がり、そっと白蛇の隣で膝を折った。
邪悪な母は、いつもの蛇杖を持っていて、いつものように憂鬱そうに俺たちを見て、呆れたように溜め息を吐き出した。
『……愚か者が……』
「……」
俺たちは言葉もない。身を小さくして俯き、視線を合わせない。
邪悪な母は蛇杖を振り上げ……
『暗夜……お前は……とても……とても……悪い子だ……!』
次の瞬間、後頭部に強い衝撃を受けた俺の意識は暗転した。
◇◇
「キャアアアアッ!」
俺は絹を裂いたような悲鳴を上げ、頭を突き抜けるような激痛にもんどり打った。
「ディートさん!」
「ディート!」
「師匠!」
「うぐぐぐぐぐ……!」
激しく痛む後頭部を擦りながら身体を起こすと、心配そうに目尻を下げたロビンにルシール、フランキーと目が合った。
ルシールが超音波で叫んだ。
「ディート! 丸一日寝込んでいたんですよ! また『刷り込み』ですか!?」
「うぐぐ……デカい声を出すな……そんなんじゃない……」
今にも泣き出しそうなロビンが、あちこち俺の身体を触り捲り、悲鳴を上げた。
「ディートさん! 後頭部に凄いたんこぶが出来ています! いったい何があったんですか!?」
それに関しては何も言いたくない。俺は黙っていた。
打たれた頭が痛くて仕方がない。子供の悪戯にも容赦ない。本当にしみったれた女だ。
「うぐ……フランキー、氷を持って来てくれ……」
術で治しても良かったが、それは何かが違う。フランキーに命じたのはその思いからだ。
「わ、分かった……!」
寝室から飛び出して行ったフランキーの背中を見送って、俺は、ロビンとルシールに揉みくちゃにされた。
「ああ、ディート……可哀想に……!」
「ディートさん! ディートさぁん……!」
ロビンに至っては、もう泣いている。奇妙な部屋で何があったかは、二人には絶対に言えない。
白蛇、あの馬鹿め……!
思い返せば、あの馬鹿の冗談は面白くもなんともなかった。
だが……ちょっと楽しかった。
◇◇
その晩、心配して駆け付けたアビーがゲタゲタと腹を抱えて笑っていた。
「それで……あんたは、おっかない神さんに杖で打たれたのかい?」
「そうだ。ロビンやルシールには絶対に言うなよ!」
俺の災難の何処がそんなに面白いのか分からないが、アビーは抱腹絶倒の勢いで笑っていた。
◇◇
その翌日、フランキーとジナを引き連れてパルマの街をぶらついていると、巡回中のエヴァに出会した。
エヴァは嬉しそうに笑って、馴れ馴れしく俺の肩に手を回し、耳元で囁いた。
「よぉ、No.2。天罰が当たったんだって? いい気味だ」
「なにぃ!」
くそっ、アビーめ! よりによってエヴァに話すとは……
「あっはっは!」
かんかんに怒った俺から、ぱっと離れたエヴァは愉快そうに笑って、取り巻き共と一緒にその場を走り去って行った。
フランキーが呆れたように肩を竦めた。
「まぁ……師匠にも、人間らしい所があるんだなって、少しホッとしたよ……」
ジナに至っては、すんすんと鼻を鳴らして俺の匂いを嗅ぎ回り、勝手に納得して頷いていた。
◇◇
そしてまた夜になり、寝室ではスイに慰められた。
「ディ、大丈夫……?」
「あぁ、もう腫れは引いたから問題ない……」
まぁ、あのしみったれが本気ならこんな程度では済まないだろうから、それなりに手加減してくれたんだろう。
「……撫でてあげようか……?」
「……」
俺は口をへの字に曲げる。
どうにもこうにも、俺はこのスイに弱い。スイを見ていると、お袋の事を思い出す。
スイには、あれこれ世話を焼かれてしまった。頭を撫でられ、背中を擦られ、結局は膝枕の姿勢で落ち着いた。
俺のお袋ほどじゃないが、このスイも滅多に笑わない。気が弱く、あまり自分の考えを口にしない。いつだって誰かに遠慮している。そんなスイの存在は、俺の明確な弱点だ。逆らえない。
はっきり言って――苦手だ。
そして、白蛇。
ヤツは記憶を失っているが、その人間性が損なわれた訳じゃない。元来の性格は明るく、悪戯好きなのだろう。
「兄弟、か……」
本当の俺に『兄貴』は存在しない。だが、あんな兄貴が居たのなら、おそらく俺という人間は、もっと真っ直ぐに育ったのだろうと……
そんな風に、考えた。