女王蜂9
あたしはエヴァのケツモチだ。人も金も、今の所、あたしが出してる。そんで、発展途上にある今のあたしの組織に余裕なんてない。
金、金、金。それが全部じゃないけど、何か始める時、全部に金が掛かる。何だって最後は金だ。
あたしの大神官さまは、にこにこ笑って話を聞いてる。
「ふむ……それは真理だな。確かにそうだ。全てのものに金が掛かる」
まぁ、でもディの言う通りだ。最初から何でも上手く行く筈がない。エヴァの失敗は容易に予想できる事の一つだし、あたしは任せる以上、それをどうこう言うつもりはない。エヴァを罰するつもりもない。でも……
「まだ一月も経ってない。エヴァに店を潰されちゃ困るんだけどねえ……」
「そうだな。だらしないとでも言ってやれ」
ディは関心がなさそうだ。
この浮世離れした所は、『神官』の駄目な所だと思う。
あたしは、大きく溜め息を吐き出した。
「ディ、あんたも組織の一員なんだ。少しは真面目に考えな」
「考えているとも」
ディは真面目腐って言った。
「あいつは親分になるんだぞ。人に頼られる立場になるんだ。それが人に頼っていてどうする。いいか、アビー。それはお前にも言える事だ」
有難い『お説教』の気配を感じ取り、あたしは震え上がった。
「待った! お説教なら、あたしは逃げるよ!!」
「ははは、そうか。なら黙るとしよう」
ディは、にこにこ笑ってあたしを見ているだけだ。言った通り、面倒臭い説教はしなかった。
こういう時、あたしはディに『大人』の度量を感じてしまう。失敗を笑って受け止める余裕。その土壌。見守る寛容。最近、あたしも少しは分かるようになって来た。でも……
「ディ、何か考えな。あんたはNo.2なんだ」
そんな大人だからこそ、あたしは頼りたくなっちまう。
「ふむ……親分の命令か。たまには子分らしい事の一つはしてもいいが……」
そこで、ディは口の中に伽羅を放り込んでニヤニヤ笑う。悪い事を思い付いた顔だった。
ややあって……ディは頷いた。
「いいだろう。エヴァを苛めればいいんだな?」
「……」
あたしは、エヴァを苛めろなんて一言も言ってない。でも面白そうだ。あたし以外の女に厳しいディは嫌いじゃなかった。
◇◇
その日も、あたしは巣の中を右に左に大忙し。チンピラ共をぶちのめし、商売人のケツを蹴飛ばしたりと忙しい。
邸に帰った時は、もう夜更けだった。
旧ベックマン邸。今はあたしの塒。元はベックマンの居室だった豪勢な一室があたしの居室になっている。
困ったのは、聖エルナ教会の修道女が勝手に居着いてる事と、それに混じって教会騎士やアシタ、ろくでなしのフランキーや毒犬に、おまけのゾイまで勝手に住み込んでいる事だ。
こいつらはディの『徒党』だ。
ルシール姐さんが中心になってディを守り、その手足になって働いている。だから簡単に追い出す訳には行かない。
あたしの組織は、拾って来たガキが大半を占めてるお陰で、使える人材が極端に少ない。ルシール姐さんは遣り手だし、他の修道女も教養があって使える。ディは修道女に命じてガキの教育や躾なんかもやらせている。この邸の掃除や炊事なんかも進んでやってくれているから、あたしは口出ししづらいもんがある。
「……そんで、今日の大神官さまは?」
スイの報告では、帝国の使者が来たらしいけど、ディは取り合わず、対応をルシール姐さんに丸投げしたみたいだ。
「まぁ、らしいね。それ以外には?」
あたしは帝国の連中とは話す事はない。その辺は、ディから報告があるだろう。
スイは首を傾げて言った。
「いつも通り。瞑想したり、お祈りしたり。その後は干し葡萄を腐らせてた」
「はぁ?」
お祈りだの瞑想だのに現を抜かすのはいつもの事だけど、ディはまた訳が分からない事を始めたみたいだった。
翌朝、修道女たちの用意した朝食のテーブルには、びっくりするぐらい柔らかくて美味いパンが並んだ。
こんなに柔らかくて美味いパンは、貴族の住む『上区画』でも食えないだろう。
朝食の席にはエヴァも呼ばれていて、目を剥いてルシール姐さんを睨み付けた。
「ちょ、な……このパン……!」
ルシール姐さんは、エヴァに向かってにこりと微笑う。顔立ちがキツい感じの美人で勘違いしそうになるけど、中々、話せる姐さんだ。
「作ったのは私ですが、考えたのはディートです。聞けばびっくりしますよ」
今にも潰れそうなエヴァの店の一つは軽食を扱っている。たちまちエヴァはディに噛み付いた。
「ディ! このパン、どうやって作った!?」
ディはニヤニヤ笑って言った。
「教えてやってもいいが、高いぞ?」
大神官さまの話では、なんでも『酵母菌』とかいうもんがパンを柔らかくする秘訣らしい。おそらくだけど、干し葡萄を腐らせた事と無関係じゃないだろう。
「まぁ……俺の取り分は三割という所か。どうだ、アビー」
「悪かないね」
ディには『無欲』の戒律がある。そもそもディは金に関心がない。新しい『パン』の儲けの三割があたしの懐に舞い込む事になるって訳だ。あたしとしちゃ、内心じゃ笑いが止まらない。
エヴァは、速攻でキレて叫んだ。
「畜生! あたしらは家族だろ! それぐらいツケとけよ、クソ野郎!!」
「ははは、甘い甘い甘い。お前は親分の一人だろう。甘えるな」
この貴族さまでも食えないようなパンは、きっと飛ぶように売れるだろう。このパンを売りに出せば、エヴァの得る利益は計り知れない。
エヴァは目尻をさげ、泣きそうな顔であたしに向き直った。
「……ビー、なんとか言っておくれよぅ……」
「思い付いたのはディだ。あたしにゃなんともならないねえ」
「そんなぁ……」
ディは笑っている。
「今なら『バター』の作り方も教えてやる。この場で決めろ。三割だ。負からんぞ」
「ば、バター?」
その後は、修道女たちも含めて、ちょっとした試食会になった。
『バター』を練り込んで作った『クロワッサン』は独特の食感で美味かった。
それだけじゃない。
そのバターを使って作った『バタークリーム』は絶品だった。後は炒め物。焼き物なんかにも使えるようだ。
「さぁ、エヴァ。今決めろ。俺は暇じゃない。明日は五割。明後日はもう教えんぞ」
エヴァは、その場に泣き崩れた。
「おっと、泣きが入ったか。でもそれが通用するのはガキの内だけだ。俺には通用せんぞ」
そうだ。ディの言う通りだ。
先を行ってるあたしは分かる。この街の『大人』は、子供だからって理由で待ってくれない。あたしらはそれに肩を並べて張り合う以上、甘えは通用しない。
『上がりの三割』ってのは、結構デカい。でも背に腹は代えられない。エヴァは散々ごねた後で、ぶつくさ言いながらも結局はディの要求を受け入れた。
がっくりと肩を落として邸を去ったエヴァを笑顔で見送って、ディは、ぽつりと言った。
「一から始めるパン作り。小学校の自由研究を思い出すな……」
「ショウガッコウ……?」
ディの言葉の意味は分からなかったけど、あたしの『直感』は、これはデカい話になるって言ってる。
実際、エヴァのパンは飛ぶように売れて、店は一時の不調が嘘のように大繁盛した。
その勢いは留まる事を知らず、橋を越えたアクアディの街からも注文が殺到して、エヴァのパンはパルマの名産品になった。
『人』『物』『金』。あたしの巣で全てが唸り出した。
クソ忙しいけど、いい所に住んで美味いメシ。シノギは上手く行っていて、ガキ共も着実に育っている。後は時間だ。時間があたしを強くする。
皆、あたしの後ろに付いて来る。そんなあたしを、誰も無視できない。
あたしは女王蜂。
この巣の、支配者だ。