不肖の弟子4
帝国の『大神官』。それが師匠の肩書きだ。でも、師匠は帝国を嫌ってる。違う……正確には『権力』や『権威』を嫌ってる。何かに縛られる事を嫌ってる。パルマに留まるのはそのせいだ。
師匠は自由でいたいんだ。
それは何も、権力や権威に限らない。アスクラピアに仕えていても、師匠はその信仰を誰かに押し付ける事はしない。態度もデカくて偉そうだけど、そういう師匠を慕って皆が集まる。
◇◇
権力とか権威とかいうもんは面倒臭い。師匠を見ていると、そう思う。
師匠に、その面倒な権威をおっ被せたのは帝国だ。師匠は、いずれこの帝国に出来る新しい寺院のトップになる。
だからだろうか……師匠の回りにいる修道女たちが増長し始めた。
元聖エルナ教会所属の修道女たちだ。
師匠は滅茶苦茶に厳しい人だけど、その反面で滅茶苦茶に甘い所がある。
付き合いが長いせいか、師匠は聖エルナ教会所属の修道女たちを優遇している。特にルシール姐さんには寛容で、それをいい事に、修道女たちは勝手に師匠の予定を決めたり、断ったりしている。
それを、一歩引いてる場所から見ているオレにはよく分かる。
修道女たちには『専横』してるって意識がない。皆が皆、好意でやってる。師匠は面倒臭がりで、権力や権威を嫌う。だから色々と勝手に決めて、師匠の面倒を省く。それが『専横』だって気付いてない。
そういうのが続く内に、修道女たちは優越意識みたいなものを見せるようになった。
他の教会からの修道女や神官、修道士が面会を希望して訪れても、ルシール姐さんは勝手に断っちまう。帝国からの使者の対応も、師匠に断りなく勝手に事を進めちまってる。結果だけ師匠に伝えて、それで満足してる。
これは厄介なやつだ。悪意がないのが尚悪い。
「……その、師匠。幾つかいいっすか……?」
これは、本当は教会騎士の姉ちゃんの仕事だ。あの姉ちゃんの仕事には、こういう汚い事も含まれる。でも、寺院の一件で腑抜けになっちまった。大司教と聖女の側に付いて、一時は師匠と対立していた事もあって、修道女たちは教会騎士を嫌悪してる。
チクりだし、やりたくねえけど、無視してたら、これは必ず師匠に良くない事が起こる。
「……面倒な事だ……」
師匠はオレの密告を咎めず、寧ろ忠告として受け止めた。
優秀な神官ってのは、殆どの例外なく権力や権威を嫌う。師匠も例外じゃなくて、オレの話を聞いて酷く面倒臭そうな顔をしていた。
「……面倒臭い。いっそ、旅にでも出るか、フランキー」
「旅っすか?」
旅に出るってのは、思ってもない名案だと思った。
「悪くないっすね。暫く時間を置くのも、一つの手かもしれません」
旅に出れば、師匠は嫌いな権力や権威ってもんから離れる事が出来る。護衛はオレとジナに、あの教会騎士の姉ちゃんやオマケのアシタが居れば充分だ。
オレは不安だった。師匠が優秀であれば、そうあるほど、アスクラピアに近付く。『死』に近付くような気がする。
そのオレの懸念は、最悪な形で現実のものになる。
まず、師匠は修道女の専横を咎める形で謹慎を言い渡し、代わりに腑抜けの教会騎士を据えた。
師匠は滅茶苦茶に甘い所があるお人だ。落ち込んでるシュナイダーを酷く気に掛けていた。
それも神官の徳の内なんだろうけど、シュナイダーの腑抜けっぷりはオレの予想を超えていた。
何をしていても気もそぞろで、オレは、シュナイダーが役に立つヤツだとは思えなかった。
確かに腕は立つ。オレも今は『修道士』の端くれだ。毎日の鍛練は怠ってない。それでも、この腑抜けのシュナイダーに勝てる気がしない。素手でも強い『闘気』を感じる。数ある獣人種の中でも、青い狼の血は特別だ。
――優生種ってヤツだ。
獣人の中でも『狼人』ってのは、頭一つ飛び抜けてる。こいつらの優生思想には反吐が出る。でも頼りになる事は間違いない。それが……!
師匠が刺された。
やったのは、腑抜けのシュナイダーと同じ教会騎士。マクシミリアン・ファーガソンだ。
そこまで行って、漸く目を覚ました腑抜けのシュナイダーが獣化した。
そしてオレは……獣化できなかった。師匠が目の前で致命傷を受け、頭がおかしくなりそうで、それでも『理性』を失う事が出来なかったんだ。
上級クラスである『修道士』になった事で、アスクラピアに取られた力の一つが獣化だ。オレは獣化できない。それだけ修道士ってクラスに潜在能力があるって事だけど……アスクラピア! 忌々しいしみったれた女神。オレは強固な理性を得た代償として、獣化能力を失っていた。
『優生種』。青狼族、レネ・ロビン・シュナイダーの力は圧倒的だった。青い嵐。オレの目に、シュナイダーの移動速度は糸を引くように見えた。
二百人以上いた教会騎士の部隊を瞬く間に半壊させた後、シュナイダーは師匠を連れ去った。
訳が分かんねえ。なんでそんな事になるんだ!?
困惑するオレに、ルシール姐さんが叫んだ。
「フランキー! 死の砂漠です! シュナイダーは死の砂漠に向かってます! シュナイダーを追いなさい!!」
この言葉を受け、オレとジナはシュナイダーを追って駆け出した。
思った。
ルシール姐さん。あんたに命令される謂れはねえんだよ。そもそも、あんたらが寄って集ってシュナイダーを腑抜けにしたんだ。腑抜けてない優生種のシュナイダーなら、マクシミリアン・ファーガソンの『神官殺し』を防げた筈だ。
――師匠を殺したのは、あんたらだよ。
◇◇
シュナイダーを追って、オレとジナは死の砂漠に飛び出した。
馬鹿だ馬鹿だと思ってたジナだけど、気が付くと半獣化していた。おそらく完璧な獣化も可能だろう。師匠が刺されたのは、馬鹿のジナにもそれだけショックだったって事だ。
正気を失わず獣化を制御下に置いたのは、シュナイダーとの圧倒的な種族格差の間に生じた恐怖のせい……或いは、そのお陰だ。
「フランキー……おそい……!」
ジナは、獣化できずにいるオレのスピードに焦れているみたいだった。
あのシュナイダーほどじゃないにしても、今のジナはオレの身体能力なんて目じゃない。それでもオレの後から付いてくるのは、死の砂漠の砂と風が匂いも血痕も、あっという間に吹き飛ばしちまうからだ。
「畜生、くそッ! くそぉッ……!」
何も持ってない。でも、オレと師匠の間にある師弟の『絆』が道を教えてくれる。
そして、シュナイダーに遅れる事、丸一日。オレたちは『夜の傭兵団』と合流した。
夜の傭兵団の連中は、事情を知っているみたいで、オレたちはすぐ『白蛇』に会う事ができた。
『夜の傭兵団』団長、白蛇。噂通り、盲目。白髪痩身の優男。『人間』。でも、身体に纏う神気は師匠以上の化物だ。こいつが師匠の兄貴だって聞いた時は、目玉が飛び出るかと思うほど驚いたけれども……
「師匠が……死んだ?」
時刻は夜。張られた天幕にはオレとジナ。白蛇の隣には、ちっさい女が居る。小さいけど『使い手』の女だ。護衛だろう。
そこで、白蛇は知っている経緯を全て話してくれた。
まず、『神官殺し』は一人の神官を殺したこと。
師匠……『ディートハルト・ベッカー』の中に居たのは『稀人』にして異世界人の男であること。
本当の師匠は子供じゃない。子供の姿は、あくまでも『ガワ』だってこと。
俄に信じ難い話だったけど、師匠の中身が稀人で子供じゃないってんなら、色々と辻褄が合う。オレも少し……いや、かなりおかしいと思っていた。
「本当の名は俺も知らん。だが、『暗夜』と名乗っている。……いや、名乗っていた……」
そう語る白蛇の声色は、苦渋が滲んでいた。
「暗夜……?」
「……」
白蛇は疲れたように首を振った。
それから別の天幕に通され、脱け殻になった師匠に会った。白蛇が言うには、これが本物の師匠らしいけど……
「……違う。師匠じゃねえ……」
ベッドの上で寝てるそいつは、確かに師匠と同じ髪色に顔をしていた。でも『絆』を感じない。
こいつはオレの師匠じゃない。
ジナは、その師匠にそっくりな脱け殻の匂いをあちこち嗅いで、それから難しい顔で首を振った。
「……ほんとだ。ちがう……」
白蛇は疲れたように椅子に深く腰掛け、その白蛇を労るように小さい女が背中を撫でた。
「……弟の為に、急いでやって来てくれたのに、すまない……」
高位神官ってのは、『礼儀』を知ってる。オレも修道士とかいうもんになっちまったお陰か、白蛇のその言葉を妙に好ましく感じる。でも……
師匠が死んだって話だけは、信じる事が出来ない。
何故なら、オレと師匠の間にある『絆』は、まだ繋がったままだ。師匠は死んでない。だから涙は出ない。
『全てを答える訳には行かない。雪が溶ける頃になれば、答えはひとりでに見付かる。今は語っても無駄だ。薔薇ならば、いつか花咲くだろう』
オレは踵を返して、師匠だったものから目を背ける。
白蛇は、ずっと額に手を当てて居て、酷く落ち込んでいるように見えた。
「……弟と話して行かないのか……?」
「……」
もう、師匠は居ない。行っちまった。ここに居るのは師匠のガワだけだ。そんな師匠は見ていて悲しい。
「お前たちも疲れているだろう……気が済むまで、ゆっくりするといい……」
「いや……オレはいい……そいつに用はねえから……」
もっと強くなりたい。
オレが、もっと強ければ……師匠を守れた筈だ。
白蛇は、別れを惜しむように言った。
「そうか。あいつは……慕われていたんだな……」
「……」
オレは師匠を信じる。まだ繋がったままの絆を信じる。
「お前たちは、これから何処に行くつもりだ……?」
その白蛇の問いに、オレはこう答えた。
「ムセイオン」
師匠が行っちまって、オレもとうとうイカれたか。
――ムセイオン。
強力な獣人の戦士を養成する殺人施設。現存する地獄。あれだけ嫌だった地獄に、自分から行こうだなんてどうかしてる。でも……
鍛え、練り上げるには最高の場所だ。
オレはフランチェスカ。
地獄で花が咲く日を待っている。
不肖の弟子フランキー編終了。
続いてジナに蹴っ飛ばされたゾイさんのお話になります。
第四部は場面の大転換がありますので、不自然にならないように閑話の尺は長めに取ってます。そのつもりで読んでいて下さると有難いです。