不肖の弟子2
修道士のクラスを得て、オレは『神気』ってのを感じられるようになった。
ルシール姐さんにもそれなりの神気を感じるけど、師匠のそれは出鱈目だ。特に瞑想したり祈りを捧げたりしている時の師匠の神気はヤバい。神気を感じられない筈のジナですらヤバいと思うようで、『行』を積んでる師匠の邪魔は絶対にしない。
師匠は徳のあるお人だ。
時折、思い立って、ふらっとパルマの街に出て行っちまう。
「……散歩に行く。フランキー、ジナ、付き合え……」
師匠には方向音痴っていう特大の欠点がある。散歩に行って、適当に病人や怪我人を癒したり、喧嘩してる商人をどやしつけたり、時には道を説いたりするけど、決まって最後は自分が何処に居るか分からなくなる。
「お、おい、フランキー。ここは何処だ。俺はどっちに向かって帰ればいい……」
師匠は偉い人だけど、この欠点だけは頂けない。一人にしておくと、この人は戻って来ない。拐われるような間抜けじゃないけど、多分、どうでもよくなって何処までも行っちまう。なんとなくだけど、そう思う。
師匠の回りは馬鹿しか居ない。師匠の事を何にも分かってない。いつか……本当に突然、何処かに行ってしまうかもしれない人だって分かってない。
師匠はパルマをふらついて、気分次第で色々やる。でも本人は全然無理してるつもりはなくて、それが『奉仕』だなんて欠片も思ってない。
パルマをふらつく師匠は、気の向くまま、あちこちで誰かの悩みや心配事を聞いたり、時にはトラブルを起こした罪人を咎めたりする。
師匠曰く――
「暇潰しだ。こんなもの」
そういう事をしていると、結構、金を押し付けられる。師匠は断らない。ただ関心がなくて、貰った金は全部オレやジナに押し付ける。
「小遣いだ。好きに使え。だが、時折たかるぞ」
そんな感じだから、オレとジナは割と金には困らない。
荒事はオレたちの担当だ。治安を乱すチンピラは、オレとジナがぶちのめして分からせる。そんな時、師匠は口の中で伽羅を転がしながら、その顛末を見守っている。
「二人共、よくやった。所で腹が減った。メシにしよう。フランキー、奢ってくれ」
師匠と居ると退屈しない。邸に帰れば食事なんてすぐ出て来るのに、大抵、師匠はその辺の露店で食事を済ませちまう。
ちなみに料金を要求された事は一度もない。それは露店に限った事じゃなくて、商人共は師匠が来ると滅茶苦茶に有り難がって喜ぶ。進んでメシを出してくれる。
これはオレには訳が分かんねえ。
師匠が言うには、これが新しいヤクザの形らしいけど、オレは師匠の『徳』だと思う。お供をしてるオレたちまで有り難がられる。
時折、街を巡回してるアビーやエヴァとかち合うとあれこれ話し込む。アビーとエヴァも同じ事が起こってるみたいで、そうやって小遣いを稼いでるみたいだけど、メシ代ぐらいは払ってるらしいから師匠はやっぱり特別だ。
アビーが丸くなったような気がしてたのは偶然じゃない。オレがアビーに殺されなかったのは、師匠の影響が大きい。あちこちで有り難がられる内に、オレも丸くなった。金が貰えて好かれて、メシにも不自由しないんだから当然だ。
そんな生活を送っている内に、エヴァのヤツが商売を始めた。
あのヤバい猫人のエヴァは真面目だから商売に向いてる。パルマの街のあちこちに店を出して、それを仕切ってる。最終的には『百貨店』てのを目指してるってのが師匠の説明だ。手広くやってるらしい。
アビーのヤツは、賭場開帳だの用心棒だの金貸しだの、仕事の斡旋なんかをして稼いでる。
二人共、ヤクザらしく暴力で問題を解決する事もあるけど、それはチンピラ相手に限られる。
オレたちがスラムヤクザを潰したのは無駄じゃなかった。パルマがスラム街である事は変わらないけど、以前と比べてずっと暮らし易くなった。
そんで、アビーのヤツがどんどこガキを拾って来るもんだから、貧乏通りの貧乏長屋は、行き場のないガキ共で満杯になった。
そんなガキ共は、修道女たちが世話してる。石鹸造りや掃除なんかの内職をして小遣いを稼ぐ傍らで、読み書きを教えたり計算を教えたりしている。
オレには、これも訳が分かんねえ。
修道女とヤクザが手を組んで共生するなんて、誰が想像するってんだ。
修道女たちは、皆、これが『真の奉仕』だって言って生き生きしてる。特にポリーのおばちゃんは張り切ってる。子供好きなようだ。
元々、捨てられたガキ共だ。
多少の仕事は押し付けられるけど、ちゃんとした塒があって、小遣いが出てメシも出る。しかも修道女が居るから、怪我も病気も心配ない。おまけに読み書き計算覚えられるんだから、そこを出て行こうって馬鹿は殆ど居ない。その日暮らしの苦労を知ってるヤツほどそうだ。たまにその苦労を知らない馬鹿が出て行くらしいけど、大抵は数日で戻ってきて性根を入れ替える。
全部、師匠が考えた恐ろしいサイクルだ。いずれ、人口ボーナスがあるとか言ってた。
つまり……
ガキ共は数年もしたらデカくなって、自然な形でアビーやエヴァの下で働くようになる。ちゃんと教育を受けたヤツらだ。そうなると、アビーやエヴァの存在はパルマでは手に負えなくなる。誰にも手出し出来ない強い『組織』になる。
アビーもエヴァも、馬鹿みたいに忙しそうだったけど、その表情は明るかった。
そんでもって、修道女たちは、何処で何をしていても、夜になると師匠がいる邸に戻って来て、師匠と夕食を摂る。
自分の事は自分でやらせる。
師匠が修道女に許可したのは『教育』で『管理』じゃない。ガキ共は勝手に集団生活を覚える。時には揉め事も起こるけど、アビーが一瞬で解決する。拾われたガキ共にとって、アビーは恩人であると同時に、畏怖の対象でもある。
――女王蜂。
師匠はそう言ってた。
◇◇
オレは身の回りに気を付けるようになった。
礼儀正しくして、身形にもちゃんと気を遣う。
「ジナっ、ちゃんとしろ。オレたちがトンマだと、舐められるのは師匠なんだぞ……!」
「わっ、わかったっ」
分かっているやら、いないやら。でも、ジナは師匠の許可なしに暴力に走る事はなくなった。
そうなると不思議なもんで、オレの評判は上がった。修道女の間では生まれ変わったなんて言われるようになったけど……師匠を信仰しているだけだ。
「師匠、お疲れ様です。身体でも揉みましょうか?」
「おお、気が利くな……」
師匠は無防備なお人だ。そして、弱い種族の『人間』だ。今じゃ純血の人間は珍しい。大抵のヤツが『混じってる』。ザールランドの気候は弱い人間にはキツい。そうじゃなくても弱い人間は短命だ。大切にしないと師匠は草臥れて、早めに逝っちまう。オレは出来る限り師匠を大切にした。
「師匠、今夜も冷えます。誰か付けますか?」
「……そういうのはいい」
師匠が望めば、オレでもジナでもカイロ代わりに添い寝ぐらいは出来る。そう思っての言葉だったけど、師匠はなんだか困ったように眉を下げていた。
そんな師匠の寝室には、オリュンポスのマリエールが強い結界を張って防音、防熱、防寒に備える事になったけど、一人にするのは心配だ。
「やっぱり、誰か付けます。何かあれば肉壁ぐらいにはなりますし。オレでもジナでも……どっちにします? 両方?」
「だから……そういうのはいい……」
師匠もスラムの出なんだから、固まって身を寄せ合って寝ていた筈だ。アビーだって絶対に気を遣った筈だ。なのに、どうにも、師匠には『添い寝』に抵抗があるようだった。
「でも、あの蜥蜴……じゃない。半リザードのスイ……でしたっけ? 添い寝してますよね? あいつは駄目ですよ。種族的に体温低いですからね。冷たいでしょう?」
「ぐっ……何故、それを……」
「オレたちは護衛なんですから、それぐらい知ってますよ」
「…………」
そこで、何故か師匠は膝を着き、床に手を着いて、がっくりと項垂れた。