不肖の弟子1
面白い事がある。
瞑想している時の師匠は、意識みたいなもんが何処か遠くに行っちまってて、問い掛けには何でも答えてくれる。
これは誰も知らない。教会騎士もアビーのヤツも知らないオレとジナだけの秘密だ。
師匠は胡座をかき、目を閉じて瞑想している。その瞑想が深くなると呼吸が酷く緩やかになり、それはやがて止まってしまったみたいに静かになる。
「オレは……生きる為なら、何でもしていいって思ってる。だってそうだろう? 旨いもんが食いたい、いい場所に住みたい、高い服が着たい……誰しもあって当然の欲求じゃねえか。皆、そうだ。オレだってそうだ。悪いかよ、師匠。答えろ」
師匠は瞑想している。胡座をかいた姿勢で微動だにしない。だが答える。
「……なるほど……持っている事は素敵だ。素晴らしい。だが、それがどういう事か理解もしなければならない。
意欲と能力。それも大したものが必要だ。
経験した事を理解したと思い込んでいる者は少なくない。だが、理解していないものは、それを所有しているとは言えない」
師匠の言葉は難解だ。オレには理解が難しい時もある。でも……時折は深く考えさせられる。
オレのして来た事。それで得られた物。この時のオレは、自分がやった事の意味を深く考えさせられた。
足手まといのガキを売り飛ばして得られた僅かな金。小競り合いで死なせちまった仲間やアビーんとこの小さいガキ。
師匠は理解しろって言った。
そして深く考えるほど、オレは自分がやって来た事の罪深さに怯えるようになった。
だってそうだろう?
誰だって生きていたい。死にたくない。痛い思いはしたくない。でもオレは、ちょっとばかしの小銭の為に、それを他人に強要して生きて来たんだ。
師匠は高位神官だ。オレとは全く違う。偉そうだし態度もデカい。でも、自分の事より他人の事を大切にしている。無茶苦茶厳しいけど、それを乗り越えた時、その無茶振りに相応しい物をくれる。
ギュンター・ファミリーとの『出入り』じゃ、オレは何度も死にかけた。
素手で先頭切ってカチ込んだんたから当然だ。何度も死ぬかと思った。実際、高位神官の師匠が居なきゃ死んでただろう。でもなんとか生き残ったオレは、師匠の弟子を名乗る事を許された。
それが誇らしかった。
師匠は常々言った。
オレは死ねば地獄行きだって。オレはオレを理解する程、それが恐ろしかった。
でも師匠は、こうも言った。
「気にするな。俺も一緒だ」
あの寺院にカチ込み掛ける時の事だった。無謀だと思ったし、オレは確実に死ぬだろうって思ってた。
師匠は死神だ。無茶苦茶厳しい。でも……オレと違って利己的じゃない。だから信用できる。師匠は損得じゃ動かない。そこには深い意味がある。
「フランチェスカ。お前を俺の弟子として、正式に認める」
寺院にカチ込む前、師匠はそう言って、オレに『生きる』よう言った。
あんだけ厳しかったのに、死ぬかもしれない時になって、そう言った。
オレは人殺しだ。何人もぶっ殺した。だから、人が『死ぬとき』、その本性が見える事を知ってる。
あれだけ厳しかった師匠が、本当は砂糖みたいに甘い人だって知った瞬間だった。
師匠は酷い人だ。本気の覚悟が出来た時になって、オレには『生きろ』なんて言う。
オレは、誰からも恨まれて憎まれて生きて来た。死ねだの、殺してやるだの言われた事は一度や二度じゃない。
生きろって言われたのは、この時が生まれて初めてだった。
誰がなんと言おうと、オレにとって師匠は徳のある人だ。神が赦さずとも、師匠だけはオレの存在を赦した。
「犯した過ちが去る事はないだろう。だが、崇高な意志と努力とが、お前を正道に引き戻す」
オレは人殺しだ。嘘つきで、泥棒で、真性のクズだ。それは変わらない。でも、師匠の言葉はそんなオレの胸に突き刺さった。
「また会おう、フランキー。お前には伝えたい事が山ほどある。それまで壮健であれ」
オレは、スラム育ちのフランキー。殺しに盗みにウリに誘拐、何でもござれの真性のクズ。それでいいと思っていたのに……
「……いつも見ているぞ、フランキー……」
オレが信仰するのは神じゃない。神はオレを赦さねえ。オレはオレを赦した師匠を信仰している。
◇◇
確かに『神様』ってのは存在する。オレはそいつを信じて生きて来た。
スキル……『悪運』。オレには誰にも負けないしぶとさがある。神様からの贈り物。だからオレは神様ってのを信じてる。信じるよりない。でも、最後はこの『悪運』ってのが、オレを殺すって思ってた。
「お前は災いの使者だ。だが災いは、その使者すらも見逃さん。それを知る時が、お前の最期だ」
オレはスラム育ちのフランキー。殺しに盗みにウリに誘拐。何でもござれの真性のクズ。オレを赦さないセコい神様なんて、もう信じねえ。気が利いてるだろ?
◇◇
師匠は無茶苦茶なお人だ。
あの寺院を叩き潰して、生きて帰った。聖女も大司教もくたばった。
オレは正式に弟子として、師匠に仕える事になって――
――『修道士』
これだきゃ、本当に意味が分かんねえ。師匠を信仰してるオレが、『天啓』を受けるなんて信じられない事だった。
こいつは、師匠が信仰してるアスクラピアの加護の『お裾分け』だ。
師匠は常々言った。
「神というものは超自然の存在だ。神の考えは、人の価値観じゃ計れん。考えるだけ無駄だ」
師匠を信仰して行を積む限り、オレは少しずつ赦される。『修道士』のクラスを授かった事は、『そのままでいろ』って、そういう事なんだと思う。だから、オレは神様を信じねえ。師匠を信仰して、師匠に仕えている。
……あのドワーフのチビ……ゾイには裏表がある。あのチビにとって、師匠は『男』だ。ベタ惚れ。たちが悪いのは、そのゾイを師匠も憎からず想っている事だ。
寺院が潰れて帝国の大神官になった師匠と、ゾイは話さなくなった。ムカつく。これは『駆け引き』だ。師匠はそのゾイをいつも気に掛けていて、ゾイは知りつつ無視してる。
でも、あのチビは、いつも師匠を目の端で追ってる。いつだって師匠の目を気にしてる。許さない振りをして、師匠の気を引いてる。
本気でムカつくチビだ。
師匠は徳のあるお人だ。そんな下世話な事情を押し付けるんじゃねえよ。
「師匠、風呂が沸いてますよ」
「ん……そうか……」
師匠は無防備なお人だ。オレの前でも平気で裸になる。
これは高位神官にありがちな無防備さだ。誰かに仕えられる事が常態化していて、信頼している者の前では無防備になる。
教会騎士は遠慮してて、チビは駆け引きの真っ最中。妖精族の姐さんは大忙しで、師匠が大好きだけど、だからこそ雑事に追われてる。
「なぁ、ジナよう……師匠はオレたちのもんにしちまわねえか……?」
「うん」
「オレは、今が無茶苦茶チャンスだと思うんだよ。だから、絶対に油断すんな」
「わかった」
ジナとは古い付き合いだ。こいつの馬鹿さ加減は知ってる。オレの集団からは抜けたヤツだけど、本人にその自覚はない。アビーの所に行ったのも、他の連中に流されてした事だ。
そんで、アビーたちは『毒犬』って呼んでジナを差別している。ジナはオレと同様、師匠のそばにしか居られない。当たり前だけど、ジナの方でもアビーたちを信用していない。
「ジナ、オレと組もう。って言ってもワルするんじゃねえぞ? 師匠の為に一緒に働くんだ」
元来、犬人は警戒心の強い種族だ。ジナもオレと同様、師匠以外は信用してない。
「いいよ」
馬鹿なジナは、大真面目に師匠に『飼われてる』つもりだったから、説得するのは無茶苦茶チョロかった。
師匠は厳しいけど、徳のあるお人で……そういう人に仕えられて……オレは幸せだった。
悪くないって、生まれて初めてそう思ったんだ。