中途半端なアシタの場合3
ディが言った。
「口先だけの腰抜けめ」
あたいは、こんなに怖い『男』に会った事はない。
何もなければ何もない。
でも、何かあった時は違う。こいつには、絶対に曲げられない『信念』みたいなもんがあって、それに従って生きている。
――お気に入りでも関係ない。
その『信念』に逆らったゾイは、毒犬に顎を蹴り砕かれて床に転がる羽目になった。
『男』は、薄く嗤った。
「あれだけロビンを庇うような事を言っておきながら、答える事が出来ないのか」
あたいは、目の前の『男』が怖くて怖くて仕方がなかった。
……夜の目が、あたいを値踏みしている。底無しの闇が、あたいに『来るな』って言っている。
冷たくて怖くて、優しくて癒す。この時は、その『怖い』部分があたいの発言を許さなかった。
◇◇
そこから先は滅茶苦茶だった。
ファーガソンさんが、ディを刺した。
ファーガソンさんは、教会騎士の大隊を纏める隊長さんで、理知的で優しい人だ。……優しい人だった。
そのファーガソンさんが、『神官殺し』でディを刺した理由は、あたいには分からない。でも、そのせいでロビン姉ちゃんが狂った。もう、どうにもならない所まで。
妖精族のおばちゃんたちを拘束していた戦乙女たちが消えて、ディに大変な事が起こったってのは、すぐに分かった。
『獣化』したロビン姉ちゃんが、ファーガソンさんを殺した。
あたいたちが駆け付けた時にはもうファーガソンさんは死んでいて、肩から上のない身体が幾つもの肉片になって地べたに転がっていた。
「……ルシール。お前はクビだ……!」
ロビン姉ちゃんは、それだけ言い残して、生きてるかどうかも分からないディを抱いて、邸を飛び出して行った。
そんで……ルシールのおばちゃんが修道女たちを纏めて、ロビン姉ちゃんを追う形で『死の砂漠』に入った。
妖精族は不思議な術を使う。おばちゃんのそれは『おまじない』みたいなもんで、そんなに効果があるもんじゃないけど、三日後には『夜の傭兵団』に合流できた。
◇◇
『白蛇』は、白髪痩身の優男だ。顔に包帯を巻いていて、両目の部分を隠している。昼間は寝ていて姿を見せない。
そんで、白蛇が寝ている間、白蛇の天幕に近付く事は出来ない。ちっさい女がいて、そいつが誰も寄せ付けない。
「やあ、ボクはアキラ。アキラ・キサラギだ」
『キサラギ』は、一見ちっさくて可愛らしいけど、夜の傭兵団の連中は、このキサラギを『姐さん』と呼んでいて、団長の白蛇なんかより、よっぽど怖がっているように見えた。
そのキサラギが、笑顔で言った。
「レオが寝てる間は静かにしろ。レオの天幕に入ったら殺す。回りで騒いでも殺す。弟くんなら好きにしろ。ボクからは以上だ」
そんで……あたいたちは白蛇が起きるまで待たされた。あのキンキン声のおばちゃんが騒がず待ったぐらいだから、キサラギは相当なもんだと思う。
レオンハルト・ベッカー。
あの『夜の傭兵団』の団長である白蛇が、ディの実の兄貴だってのには、ぶったまげた。
でも、もっとぶったまげたのは……『ディ』だ。
こいつが、あたいたちの知ってる『ディ』じゃない事は、妖精族のおばちゃんがソッコーで見抜いた。
「……誰です? 中身が違う。ディートは何処ですか……?」
銀色の髪。でも『夜の目』じゃない。アスクラピアと同じ『青い瞳』には聖痕が浮かび上がっている。
そのディは、あたいが見た事もない無邪気な笑みを浮かべて笑った。
「ああ、暗夜さんの事ですね」
「ヨル……?」
あたいには、全然、訳が分かんない話だったけど、おばちゃんは身に覚えがあるみたいで、ディの言葉に固まってた。
ディは、あっけらかんと言った。
「暗夜さんは死にました。僕を連れて帰ってくれたのは、シュナイダーさんです」
「……シュナイダー卿が……?」
おばちゃんは、ボーッとしてた。
あたいたちは置いてけぼりで、全然、訳が分からない。でもおばちゃんは発狂して、ロビン姉ちゃんが居る天幕に突撃した。
そこで再会したロビン姉ちゃんは、完璧にイカれていた。
ベッドの上に座り込んだまま、涎を垂らしてニヤニヤ笑っていて、滅茶苦茶気持ち悪かった。
「ええ、はい。お義母さん。息子さんは、このロビンめにお任せ下さい。確かに承りました」
なんて言ってたけど、全然、意味が分からない。
ロビン姉ちゃんに何があったのかは分からない。でも、ロビン姉ちゃんは完璧にイカれていた。
「しかし、お義母さま。ロビンは青狼族なのです。人間である息子さんとの間には、非常に子供が出来づらいのです。勿論、ロビンは諦めません。数をこなす事でその問題は解決出来ると信じています」
そのイカれたロビン姉ちゃんと、おばちゃんが掴み合いになったけど、イカれたロビン姉ちゃんは、容赦なくおばちゃんをボコボコにして――翌日には、居なくなった。
狼の獣人はしつこい。イカれたロビン姉ちゃんが、パルマに居る教会騎士を殺しに行った事を知るのは暫くしての事だ。
◇◇
その晩、目を覚ました白蛇から改めて説明があった。
「……お前らの知ってるディは死んだ。しみったれた女に連れて行かれた。もう戻らない……」
それを聞いたおばちゃんは、そのまま死んじまうんじゃないかって思うぐらい激しく泣いた。
……あたいの知ってる『ディ』が死んだ。
そんで……あたいは、すごくホッとした。
あんなに怖い『男』が、あっさり死んだ事には違和感があったけど、もう会わないで済むかと思うと安心した。
全然、意味が分からないけど、白蛇の説明では、今の『ディ』は違う『ディ』で、本当の『ディートハルト・ベッカー』らしい。
その新しい『ディ』は、兄貴である白蛇にべったりだった。
顔半分を隠す包帯のせいでよく分からないけど、白蛇は何だか興味なさそうに、ディの頭を撫で回しながら言った。
「……親父には金と手紙を送ろう。サクソンは鬼門でな、俺は行けない。だが、お前が帰りたいというなら護衛を付けてやる……」
「兄さん……ここに居たら駄目なの……?」
「まさかな。好きなだけ居ていい」
言葉は優しかったけど、白蛇の態度は何処かよそよそしかった。
そんでもって、新しいディは、キサラギのお気に入りになった。
よく分からないけど、ディが何かしたみたいで、キサラギはとても感謝しているみたいだった。
「その、ディ……えっと、ホントに、その……出来るの……?」
「はい。兄さんと僕は違います。義姉さんの願いは叶います」
「……そっか。ありがとう。この恩は忘れない。君は彼の弟で、ボクの恩人だ。ううん、ボクにとっても弟だ……」
上機嫌のキサラギは、下腹部を擦りながら白蛇を舐めるように見つめていた。
気になって尋ねると、ディはなんて事がなさそうに言った。
「子供が出来やすくなるように、ちょっと祝福しただけだよ」
「へぇ……」
まぁ、キサラギと白蛇がデキてるのは見ていてすぐ分かってたし、あたいにはディが特別な事をしたとは思えない。
新しいディは、なんというか、いい。怖くない。あたいには、見た目通りの十歳のガキに見えた。
「……それよりさ、お前の『目』。なんとかなんねえの……?」
「目?」
聖痕の浮かんだ目は、あの聖女と一緒で不吉だ。あたいがそう言うと、ディは気付いてなかったみたいで、吃驚していたけど、納得もしたようだった。
「ああ、それで……皆が嫌そうにしてた訳が分かった……」
それからディは、ゆっくり瞬きして……また、あたいを見た時には、その両目から聖痕が消えていた。
「……どう?」
「おう、消えた。そっちのがいいよ。最初から気を付けろっての」
ディは無邪気に笑った。
「あはは、ごめん。自分じゃ分かんないんだ」
「しょうがねえなあ……」
馬鹿なあたいは、これがどういう意味を持つかなんて、全然、分かってなかった。『聖痕』を隠せる事の意味が分かってなかった。
ディが目尻を下げ、申し訳なさそうに言った。
「……その、アシタ? あっちじゃ、ごめんなさい……」
「何が?」
「いや……唾吐き掛けちゃって……」
「ああ……いいよ、もう……」
新しいディは、以前の怖いディじゃない。口も悪くないし、態度もデカくない。ただのガキで、よく笑って、そんでもって、年上のあたいをそれなりに敬ってくれた。
思った。
あれ……こいつ、可愛くね?