青い狼の女11
奇妙な部屋にて。
『暗夜』という名の男が興味深そうに言った。
「ふむ……それで、来訪者は誰だった?」
一寸先も見通せぬ闇の中に立ち、ロビンは怒りを露に言った。
「やって来たのは、私の仲間だ」
暗夜は面白そうに笑う。
「はは、あの狂信者共か。母の母足る所以を何一つ理解していない愚か者の集団か」
そして深く椅子に腰掛け、指を組み、漆黒の瞳でロビンを見つめる。
ロビンは、ブーツの踵で思い切り床を踏み鳴らした。
「……暗夜。私には、お前と遊んでいる暇はない……今すぐ戻せ……!」
暗夜は笑う。笑って首を振った。
「駄目だ駄目だ駄目だ。ちゃんと思い出せ。初めての獣化は負担が大きい。記憶に曖昧な部分がある筈だ。いったい何があった? そして、お前は何をしたんだ?」
「それは……」
そうだ。
帝国の武官二人との会合が終わった直後、教会騎士の残党が現れて、邸を包囲した。
マクシミリアン・ファーガソン率いる一個中隊の教会騎士だ。
彼らは、ロビンの身柄を要求して来たが、ディートは頑として受け付けなかった。
レネ・ロビン・シュナイダーの身体に流れる青い狼の血が目を覚ました。
とても正気じゃ居られない。
そんな出来事が起こったのだ。
◇◇
「人間でない者に用はない」
ロビンの主には、戦士顔負けの苛烈な性分がある。
顎を蹴り砕かれたドワーフの少女が痙攣し、ルシールら七人の修道女は戦乙女に拘束され、床に押さえ付けられている。
ディートは短く聖印を切った。
「唯々諾々と神の言う事を聞くだけの者は、俺とは違う道を行け」
地獄のような静寂の中、ディートはそれでも変わらない。
ロビンを生け贄の羊として差し出して、それで事が済むと言ったドワーフの少女を『人でなし』と見なし、躊躇いなくこれを切り捨てた。
やはり、蜂蜜のように甘い。足を引っ張ってばかり居た従者に掛けるには、あまりに大き過ぎる情けだ。
迷う心を、ロビンは愛おしいとは思わない。
だが、苛烈過ぎる。
お気に入りだった筈のドワーフの少女を躊躇いなく切り捨てたディートに、アシタは完全に怯えてしまっている。
「……俺が怖いのか……?」
怖いに決まっている。恐ろしいに決まっている。何故、そんなに冷たくなれるのだ。
涙すら浮かべ、腰を抜かしてその場に座り込むアシタに向けて、ディートは冷淡に言った。
「それで……アシタ、お前はどっちだ?」
そこで、玄関の大扉を鉄製の籠手で強く叩く音が広間に響き渡った。
「ベッカー神父は居られるか! 今一度、我らと会話の機会を頂きたい!!」
この声は、マックス……マクシミリアン・ファーガソンだ。ディートには強い興味を持っていた。寺院での決着の際、『公正』ではないと不平を鳴らしたのも彼だ。
そして、ディートは迷わない。
口の中で転がしていた伽羅をアシタに吐き掛け、残酷に言った。
「口先だけの腰抜けめ」
こうも言った。
「あれだけロビンを庇うような事を言っておきながら、答える事が出来ないのか」
物の見方は一つではない。
冷たく突き放す事でアシタを死地から遠ざけているようにも見える。何度も衝突を繰り返したロビンだからこそ理解できるが、他の誰にも理解できない性分だ。
露悪趣味が過ぎる。
いつもの事だが、ディートは他者を突き放す際、必要以上に残酷に振る舞う。そうする事で、何もかもを一人で背負う。
覚悟のない者は、彼の後を追う事は出来ない。
「三人共、覚悟はいいか?」
元より裏切者のロビンに逃げ場はない。他に残ったのは、妙に信仰心が強いハイエナ種の獣人と、頭の足りない犬人だ。
戦乙女に拘束され、床に押さえ付けられた格好のルシールが叫んだ。
「待って! ディート、後生です! 待って下さい!」
教会騎士は手練れの集団だ。
寺院では油断し、立て直し不可能な先制攻撃を受けてしまったが、今回は違う。戦闘になればディートを討ち取る算段もあるだろう。
「教会騎士は、神官の強味も弱点も、全てを知り尽くしている相手です! 自殺行為です!」
全くルシールの言う通りだ。
戦えば、如何に強力な第一階梯の神官と言えど敗れる。それが、ロビンの冷静な判断だ。
ルシールが声を枯らして叫んだ。
「シュナイダー! お前が! お前一人が行けば、それだけで済む話なんですよ!!」
それも本当にルシールの言う通りで、ロビンには返す言葉もない。
「ディートさん、貴方は間違っています。ルシールの言う事の方が正しいですよ?」
「ロビン……」
諫言にも、ディートは悲しそうにするだけだ。
ロビンは、この状況を甘く見ていた。己が命を差し出せば、なんとかなるとその程度にしか思ってなかった。
腑抜けていたのだ。
◇◇
そこから先の記憶は曖昧だ。
ディートは、マックスに『アスクラピアの子』とは何かを説いた。
それは『人の子』であると説いた。心を持ったただの人間であると。
神官に敬意を払わない教会騎士は居ない。
『アスクラピアの子』の正体は、心を持った『人の子』である。母は、人間の人間らしい行いを愛したのだ。
その言葉には、ロビンも納得するものがあった。
人を知り、世界を知り、憎しみも愛も区別せず、軽蔑せず、アスクラピアは全てを愛したのだ。
あの聖女では、到底この真理に到達する事は出来まい。
ロビンを含めた教会騎士は、心を持った人間を信じた。その人間を守る事に教会騎士の理想がある。当為がある。
それを忘れ、疎かにした時、母は聖女と大司教のみならず、教会騎士をも罰したのだ。
「……」
暗夜は興味深そうにロビンの話を聞いていたが、不意に怪訝な表情になった。
「ふむ……まぁ、その話をどう感じるかは人それぞれだ。だが、それがお前たちの真理であったとしても、世界はそれだけでは回らない」
暗夜は肯定も否定もしない。ただ、傾聴するだけだ。
「そう、ですね……」
そこから先を思い出そうとして、ロビンは酷い頭痛を感じた。
暗夜は足を深く組む。
「それからどうした?」
頭痛が酷くなり、ロビンは皺の寄った眉間を強く揉んだ。
「……跪いていたマックスが、ゆっくりと立ち上がった……」
「ふむ……佳境だな……それで?」
アスクラピアは、優秀な子を選んで早く連れて行く。
『事実』は、時として、決して開けてはならない地獄の蓋だ。それをあからさまにした神官は、時として切り殺されたり、焼き殺されたりした。
そこで、ロビンは顔を上げた。
「思い出した。思い出したぞ!」
青い狼の瞳は深紅の炎に燃え上がり――唸るように言った。
「マクシミリアン・ファーガソン!」
その『事実』を認められない狭量な狂信者に、ディートハルト・ベッカーは刺されたのだ。
暗夜は手を打って笑った。
「ほう! 刺されたのか! それでそれで? お前はどうした? どうなった?」
ロビンは牙を剥き出して唸った。
「まともで居られるか! 全身の血が沸騰した!」
「マックスは?」
「その場で八つ裂きにしてやった!」
ディートは、ロビンの目の前で刺されたのだ。これを腑抜けていたと言わずして何と言うのか。
暗夜は嗤っている。
「他の愚か者共はどうした?」
「細切れにしてやった!」
青い狼の血が目覚めたのだ。
半数は逃げたが、半数は殺した。狼人は執念深い。逃げた者もいずれ殺す。絶対に許さない。絶対に逃がさない。だが……
「お前の主は、どうなった?」
「……」
その言葉に、ロビンの深紅の瞳は更なる激情の炎を上げて燃え盛る。
「勿論、連れ去った! 私の主だ! 私のものだ! 誰にも渡さない! 誰にも触れさせない!!」
これが狼の血の宿命だ。定めた獲物は絶対に逃がさない。
暗夜は言った。
「それで、何処へ行く。青い狼の女」
ロビンが思い浮かべたのは、砂漠の蛇の言葉だ。
『……青い狼の女。砂漠だ。死の砂漠を目指せ。そこで待つ……』
この瞬間までは、意味が分からなかった。だが、砂漠の蛇は知っていた。こうなる運命だと知っていた。アスクラピアの隣に侍るあの男なら『神官殺し』もものともすまい。
なら向かうまでだ。
どのような罪を犯そうとも、どのような犠牲を払おうとも、ディートハルト・ベッカーは死なせない。
裏切者? 仲間? 家族? 教会騎士?
全てどうでもいい!
昏きを拓くのは、いつの時も――力のみ。
狼の女の愛は気高く一途。
そして……あまりにも、しつこい。
ネトコン11小説賞入賞しました!
ぶっちゃけ、皆さまの応援なしには取れなかった賞です。自分で取ったというより、皆さまに取らせてもらった賞だと思っています。
様々な人に背中を押して頂きました。
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします!