表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アスクラピアの子  作者: ピジョン
幕間 青い狼の女
173/308

青い狼の女8

 『暗夜』。

 ロビンの脳裏に、その名がよぎって消えて行く。


「……つっ!」


 夢の間に見たものか。現の間に見たものか。刹那の間に見た『暗夜』は消え去り、ロビンの目の前には、白い神官服リアサを纏うディートがいる。


「……なんです? その白い神官服リアサは……」


 その問いに答えたのはルシールだ。


「今のディートは、このザールランド帝国の大神官です」


「大神官……?」


 そんな役職は、寺院にはない。教会法と役職に詳しいロビンをして『大神官』等という役職は聞いた事がない。

 ルシールが厳しく言った。


「大神官、ディートハルト・ベッカーの名に於いて、聖エルナ教会の修道女シスタ、ポリーら四人の身柄の返還を要求します。ポリーたちを返しなさい!!」


 見れば、ルシールは朝星棒モーニング・スターを持ち、分厚い革の装備で身を固めている。武装している。戦う覚悟があるという事だが、そんな事はどうでもいい。


「帝国の、神官……?」


 それは重大な離反行為だが、現状、ディートは寺院より階位を剥奪されており、異端審問の召喚を受けている。


「耳が悪くなったんですか、シュナイダー卿。私には、何度も同じ事を言う趣味はありません」


 何故こうなった? と考えるのと同時に、それしかないとも考える。世界各国にある『寺院』の権力から身を守るには、一国の権力クラスの庇護が必要だ。


「…………」


 もう、殆ど取り返しが付かない場所まで二人の道は別れた。泣いて済む話なら、ロビンは泣き付いて済ませただろう。だが、今は言葉を重ねねばならない。


「な、なんで、私たちが殺し合うんですか……?」


 答えを返したのはルシールだ。


「貴方たちは、聖エルナ教会を警告なく襲撃しました。先に手を出したのは貴方たちです」


 確かにそうだ。その裏切りは、確かにロビンがやった事だ。許されない事をした。

 それでも、ロビンは真っ直ぐにディートを見つめて叫んだ。


「ああでもしないと、貴方は私とまともに話をしてくれない! 違いますか!!」


「……」


 そこでディートは眉間に険しい皺を寄せ、やりづらそうに顔を逸らした。

 ロビンは、ディートのこの態度に見覚えがある。

 ディートは言い訳を嫌う。たとえ、過ちを犯したとしても言い訳しない。沈黙を選ぶ。

 ――行き違いがあるのだ。

 まだ『話し合う』余地がある。目敏く気付いたロビンだったが、その目は、神字を綴った包帯で厳重に保護してある右腕を捉える。


「その右腕は……」


 そこでディートは大きく息を吐き、首を振った。戦意が消えた。その事にロビンが安心したのは、束の間の事だ。


「……聖痕がある。アスクラピアは、聖女エリシャ・カルバートと大司教コルネリウス・ジャッジの命を御所望だ……」


 そのディートの言葉に、ロビンは呆然となった。

 ――『聖痕』。

 簡単に言えば身体の一部に聖印が刻まれた状態を『聖痕』と呼ぶ。アスクラピアの印でもある『聖痕』だが、その加護は強すぎて普通の人間には扱えない。


「聖痕、ですって……? それは、ひょっとしなくても、凄く不味い状況なのでは……」


 聖痕それは強すぎる加護だ。対象の命を削る事はあっても、力を貸してくれるような事はない。薬も過ぎれば毒になるのと同じだ。


「……」


 ディートは気まずそうに視線を逸らして答えない。だが、この無謀な奇襲を掛けた理由の一端は理解できた。


「……アスクラピアが、聖女あれらを……あぁ、分からない話ではないです……」


 ディートハルト・ベッカーの当為ソルレンは、いつだって苛酷過ぎる。アスクラピアの導きに従って、ディートはこの奇襲に及んだのだ。

 ディートは激しく舌打ちした。


「退け。お前との話は後だ。用があるのは、聖女と大司教だ」


 そうだ。ロビンはディートとの間に殺し合う理由はない。だが、安心するのと同時に、ロビンはディートの指に填まった指輪を見てしまう。見覚えがある指輪を見てしまう。


「ディートさん、その指輪は……ダンジョンの……」


 死の婚約指輪(デス・エンゲージ)


 ――死が二人を別つ事のないように。


 ダンジョンで吸血鬼女王ヴァンパイア・クイーン吸血鬼君主ヴァンパイア・ロードがドロップする呪われた魔道具。二つは対の品になっていて、装着者の命はリンクする。


 時折、頭のイカれたカップルが装着する。ロビンにとってはジョークアイテムだが……


「その指輪の効果を、知らない訳ではないですよね……」


「……」


 ディートは気まずそうに視線を逸らす。つまり、言い訳できない事をしたのだ。


 そこでルシールがこれ見よがしに左手を差し出し、自らの薬指に填まった深紅のルビーが輝く指輪を見せ付けて来て……


「……ルシール……お前が、何故……」


「シュナイダー卿、それを聞くのは野暮というものでは?」


 狼の女の愛は気高く、純情一途。

 ロビンは、頭の奥で何かが弾ける音を聞いた。


「ルシール! ルシールゥうゥう……!!」


 脳裏に過ったのは、ベル氏族の従卒の少女アシタの言葉だ。


 ――あたいは、あの妖精族のおばちゃんが絵を描いてると思う。


 ――あのおばちゃん、ディに参ってる。見る度に変わってたから、相当なもんだと思う。


 ロビンは、全くアシタの言った通りだと思った。妖精族は悪戯好きの人間好き。悪知恵だけはよく働く。妖精族の血を引いているルシールの身体は半分が星辰体アストラルボディで出来ている。簡単に説明すると、その情緒や精神状態が、身体状況や年齢、見た目等に強く反映される。


 そのルシールの顔は、実際の年齢より随分若く見える。今や、ロビンと同年齢と言っても通用するぐらいには若返っている(・・・・・・)


 ルシールは満面の笑みを浮かべて嘲笑った。


「あっはっは! 貴女のその顔が見たかったんですよ、シュナイダー卿!」


「ルシールゥうゥう! どうせ、お前がディートさんをたぶらかしたんだろう!!」


 ロビンにとって、ディートは魅力的な『異性』だ。稀人の可能性がある事を知っている。中身がただの子供でない事を知っている。

 実のところ、年齢はどうでもいい。一目見た時から気に入っていた。だからこそ耳と尻尾を隠して、人間のように『擬態』していた。


 最早、優劣極まった。そう言わんばかりにルシールが嘲笑う。


「失礼な。そんな事しませんよ。負け犬の遠吠えとはこの事ですね。みっともない」


「殺す!」


 別にロビンは狂った訳ではない。以前から、そうしてやりたいと思っていたからそうするだけだ。その決意が『犬』扱いされて固まっただけの事だ。


 ロビンは迷わず抜剣した。

 それに倣って中隊の教会騎士も次々と抜剣する。とてもでないが、騎士の戦いというには、あまりに見苦しい嫉妬に狂った女の戦いが始まった。


◇◇


「ディート、先に行って下さい! ここは私が引き受けます!!」


 ルシールが叫び、ディートがこの戦場を離脱するが、構わない。


 ロビンは……

 ここに至り、ディートの実力とその苛烈な性分を甘く見ていた。まさか、そこまですまいと高を括っていた。十歳の子供が寺院に単独で乗り込み、大量殺戮を行う等と誰が考えるのだ。


 一方、召喚兵で守りを固めたルシールは、あえて乱戦に持ち込み、戦場を逃げ惑う事で時間稼ぎに終始している。


「待て、ルシール! 逃げるな!!」


 ロビンは声を枯らして叫ぶが、ルシールは戦乙女ヴァルキュリアの防御力を生かしてひたすら守る。時間を稼ぐ。


 やがて、暗雲垂れ込める空に一つの名前が浮かび上がった。


 ―― Diethard Becker ――


「――つっ、ディートさん!?」


 その虚空に描かれた名は、あまりに縁起が悪い。


 だが、そのディートの名は消え去り、変わって空に浮かび上がった名は――


 ―― Elisha Calbert ――


 ―― Cornelius judge ――


 乱戦の中で起こったこの痛烈な皮肉に、ロビンは吹き出しそうになった。


 聖女エリシャの術に、ディートが痛烈な皮肉で応えたのは直ぐに分かった。それは、ディートが単独で寺院に乗り込んだ事を意味している。

 ルシールが嘲笑った。


「シュナイダー卿! 戦闘中に余所見とは余裕ですか!?」


 戦場では聖闘士セイントの錫杖が荒れ狂い、剣闘士グラディエーターの剣が火花を散らす。


 ルシール・フェアバンクスは、妖精族の血を引く高位の修道女シスタだ。神官ディートのものとは体系が異なる術を使って、ロビンと一個中隊の教会騎士を戦場に釘付けにして離さない。


 その間にも、虚空に描かれた名が増え続ける。


 ―― Maximilian Ferguson ――


 本人すら気付かぬままに、虚空に描かれた名が数を増して行く。


 ―― Renee(レネ・) Robin(ロビン・) Schneider(シュナイダー) ――


「ルシール! 待て!」


 その暗い空に、己の名が刻まれた事を、ロビンは遂に知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ