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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第一部 少年期スラム編
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16 メシ炊き女

 居住区と定めた長屋の一室では、怯えた表情のガキ共が車座に座る中央部分で、俯いたアビーが爪を噛みながら、恐ろしく真剣な表情で胡座の姿勢で座り込んでいる。


「……アビー」


 俺の方に言いたい事はない。それでも声を掛けたのは、ガキ共の怯え切った表情が気に障ったからだ。


「――!」


 俺の呼び掛けに反応し、アビーは跳び跳ねるように立ち上がったかと思うと、熱烈な抱擁で俺を出迎えた。


「おはよう、ディ!!」


「……ああ。おはよう、アビー……」


 俺自身、茶番と思えなくもないが、これでNo.2ディートハルト・ベッカーと女王蜂アビゲイルは完全に和解した。


 集団には、こういった馬鹿げた儀式が必要な場合がある。


 鬼娘と猫娘の顔は見えなかった。もう死んでいるのかもしれないし、まだ生きているのかもしれない。ガキ共の流儀スタイルじゃ、どっちもありだ。


 俺とゾイを見るガキ共は、全員小さく震えており、声一つ上げなかった。

 アビーの薫陶の賜物だ。

 俺も騒がしいのは好まない。地獄のような静寂だが、それはそれで居心地が良かった。


「おかえり! ディ、あんたは分かってくれるって思ってたよ……!」


「…………ああ」


 それから、ささやかな朝食が始まった。


 今朝の食事は、教会の炊き出しそっくりな雑穀の粥だったが、味の方はそれなりで、教会の修道女シスタが出していたようなドブ臭い匂いはしなかった。


「それで、ディ。今日はどうするんだい?」


「そうだな……」


 俺も腹の中に色々とある。少し考えて、それから言った。


「俺とゾイは、アレックスのクランハウスに行く」


「え……」


「なんで驚く。そういう段取りにしていたのはあんただろう」


 現在、アレックスのクランには十人の冒険者が所属していて、その冒険者たちが俺の仕事相手になる。環境の確認が主だが、顔合わせぐらいはしておきたい。

 それに……


「アビー。あんたは石鹸に興味があるんだろう? 暇じゃないはずだ」


「……セッケン?」


 アビーは一瞬ぼうっとして、それからハッとしたように膝を打った。


「……そう! それだ! そうだったそうだった!! そういう話だったね!」


 そこで、俺は昔ながらの石鹸作りに必要な『油』と『灰』について詳しく説明した。


「……先ずは試作からだな。大した量はいらん。材料を揃えておいてくれ」


「なんだい、もっとガツンと行くんじゃないのかい?」


「……これが本当に上手い話なら、空いてる落とし穴もデカいぞ。アビー、慎重になれ。お前なら分かる筈だ」


「…………」


 アビーの理解力は悪くない。俺の忠告に少し怪訝な顔色を浮かべたものの、暫くの思考の時間を経て、恐ろしく真剣な表情になった。


「……そうだね。あんたの言う通りだ……慎重に行こう……」


 それ以外にも、アビーには、この新しいねぐらをもう少し使えるものにするという仕事がある。


「それと、赤石と青石を多目に買ってくれ」


 ガキ共にメシ炊きや風呂炊きを手動でやらせるのもいいが、コストが比べ物にならない。そう考えての提案だったが、アビーは渋い表情で視線を逸らす。


「……そうは言ってもねえ……」


 俺は小さく息を吐く。

 今のこの貧乏所帯じゃ、アビーのこのケチ臭さも取り柄の一つなのだろうが、赤石や青石の利用先は風呂だけの話じゃない。炊事に洗濯、探せば他にもあるだろう。


「金なら気にするな。俺が筋肉ダルマから巻き上げて来てやる」


 アビーはニヤリと笑った。


「そいつは名案だねえ。期待するけど、いいね、ディ」


 敢えて口にしたという事は、アビーも所持金は少ないという事だ。


「問題ない。任せてくれ」


 思い付く限りの方法で毟り取ってやる。尤も……現状、金払いのいいアレックスにとって、それがどれくらいの痛手になるかは分からないが。


◇◇


 アレックスのクランに行く為、長屋を出た所で、ゾイが小さく呟いた。


「……アシタに悪い事しちゃった……」


「どういう意味だ……?」


 ゾイは少し言いづらそうに視線を伏せ、ぽつぽつと事情を話し始めた。


「……エヴァだよ。あいつ、すごくディの事を馬鹿にしてて、口先だけとか、大したやつじゃないとか言ってて……」


「ああ」


 別に意外な話じゃない。あの猫娘エヴァならそれぐらいは言うだろう。

 意外だったのはそこから先だ。


「……それで、アシタがいい加減にしろって怒って……」


「中途半端なヤツだ。あいつは、いったい何がしたいんだ」


 その気色悪さに顔をしかめて見せる俺に、ゾイは困ったように首を振った。


「ディは、皆の為に倒れるまで蛇を使ったのに、それを認めないのかって、アシタは凄く怒ったんだ。それでエヴァと喧嘩になりそうになって……」


「……」


「……代わってくれって言ったの、ゾイなんだ……」


「む……そうだったのか」


 つまり、鬼娘……アシタは役割を果たそうとしたが、それを止めたのはゾイだった。


「……ごめんなさぁい……」


 俺の為に怒ったゾイを、どうして責める事が出来るだろう。涙目で頭を下げるゾイの髪を撫でておく。問題は……


「鬼娘……アシタは何処だ。あいつの角を持って来るんだ。無駄かも知れんが、やれるだけはやってみよう」


 アシタは、俺の事で怒ったゾイを立てる為に役割を譲ったのだ。それを話せば、アビーもあそこまで苛烈な処分はしなかっただろう。だがアシタは話さず、処分を受け入れた。

 見直さざるを得ない。

 ゴミ箱が一つ減った。残ったゴミ箱の負担が増える事になるだろう。


◇◇


 アシタとエヴァの二人は、長屋の裏に居た。


 角を折られたアシタは額に薄汚れた布を巻き付けており、その布から血が滲んでいた。


 そのアシタだが、エヴァと並んで水を張った桶の中にある山ほどの野菜を無言で洗っている。


「……」


 一方のエヴァはレギンスを履いているせいで、一見して何の変化もないが、やけにフラフラしていて足元が覚束ない。尻尾を切られた事による影響と見るべきだろう。


「……」


 二人はちらりと俺を見て、何も言わなかった。

 俺は舌打ちした。


「何をしている」


 その俺の質問に答えたのはアシタだ。か細い声で、呟くように言った。


「…………メシ炊き女……」


「はあ? それは、お前の仕事じゃないだろう」


 それに答えたのはゾイだ。

 申し訳なさそうにアシタを一瞥し、俺の耳元で囁くように耳打ちした。曰く……


 アビーの人使いには癖がある。期待を裏切った役立たず、或いは反抗した生意気なヤツに『メシ炊き』という仕事を押し付けるのだと言う。


『どうせなんの役にも立たないんだから、メシ炊きでもやらせろ』


 というのがアビーの口癖らしい。

 ……まるでヤクザだ。

 これは俺の居た世界……『日本』での話だ。

 その昔、とあるヤクザの親分が言ったそうだ。腕っぷしも度胸もないヤクザは何の役にも立たない。でも何もさせない訳にも行かないから、せめてメシ炊きでもさせておけと言った。

 嘘か本当かは知らん。

 だが、その昔、料理人にヤクザ崩れが多かったのは本当の事らしい。短気で荒っぽく、陰湿な虐めが多かったのもその名残だとか。


 なるほど。猫娘が『メシ炊き』に反発していた訳だ。俺を嫌う理由がここにも一つか。

 しかし……

 だとすると、気が付かなかったのは俺だけで、アビーは猫娘に強く警告していたとも取れる。


「なるほど……そうか……」


 深く考え込んでいると、ゾイが困った顔で衣服の袖を引っ張った。

 悪い癖だ。俺の場合、一度考え込んでしまうと、そこからが長くなる。

 アシタがボソボソと言った。


「……仕事に戻ってもいいかい……?」


 なんだ、これは。

 あれほど気が強かった鬼娘が、視線を下に向けたまま、一切俺の方を見ようとしない。まるで別人だ。


「……待て。冷やかしに来たんじゃない。角を繋いでやるから来い」


 そこで、アシタとエヴァは驚いたように顔を上げた。


「で、出来るのかい?」


「ああ」


 嘘だ。よく診なきゃなんとも言えないが、一度『切断』されたものを繋ぐには、高度な知識の他、高い神力が要求される。今の俺に出来るかどうかは分からないが、おそらく無理だ。


 それでも突っ張ったのは、ゾイを庇ったアシタを失望させたくなかったからだ。


「……ゾイ、なるべく綺麗な水を持ってこい。アシタ、お前はそこに座れ。傷口を見せるんだ」


 アシタもエヴァも仕事の手を止め、改めて俺の顔を見る。


 目を見開き、期待の籠った顔だった。


 俺は、鬼族オーガ猫人ワーキャットが、角や尻尾を失う事の意味を知らなかった。


 知っていれば、俺はやらなかったと思う。どちらも捨て置いたと思う。それが『公正』というやつだからだ。

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